息子は藤子・F・不二雄先生が大好きで、2013年のクリスマスの日に川崎の藤子・F・不二雄ミュージアムに行きましたが、
そこを堪能した息子は、それからはずーーーーっと富山県高岡市に行きたい行きたいと言っておりました。
高岡市は先生の生まれ育った街です。
修学旅行で奈良の大仏様を観てからは、さらに高岡大仏にも行きたい、と言い出し、
藤子・F・不二雄ふるさとギャラリーもオープンしたことですので、卒業記念だ!とお父ちゃんが頑張って連れていってくれました。
ええ、車で愛知県の東三河から富山まで行ってきました。
30日31日と一泊二日の富山旅でした。
早起きしまして、4時間かけて富山に到着。
まずは氷見の藤子不二雄A先生の資料館に行きました。
そして高岡に行き、高岡おとぎの森公園に寄ってから、ふるさとギャラリーを堪能してきました。
あ、私が、です。
川崎のミュージアムの時は、息子がたくさん飾ってある原画をすっとばして行くので、じーっと鑑賞できずにいたのが心残りだったのですが、今回はじっくり観ることができました。
特に複製原画の中に本物の原画も何枚かありまして、その中の色原画を見入っておりました。
ふつーの、子供たちが使う絵の具と同じもので描かれているとは思えない原画でした。
今はPCで色塗りをする人が多いでしょうし、アナログでもコピックなどを使う人が多いんじゃないかと思うのですが、ふつーの絵の具で描かれた原画の塗りに感動しておりました。
丁寧なのに迷いを感じない筆使いに、「F先生!私も精進します!」と心の中で誓ってしまいました。
川崎のミュージアムの方がもちろん規模は大きいのですが、高崎のギャラリーは予約も不要で人もそんなに多くないのでじっくりゆっくり観ることができて良かったです。
そして、(車を置いて)ギャラリー近くの大きな高岡古城公園から歩いて高岡大仏にお参りしまして。
そこからまた歩いて駅前まで行きまして。
駅前で富山名物ブラックラーメンをいただきまして。
そして、駅の中にある「ドラえもんポスト」に、息子がお世話になった先生へハガキを投函しまして。
時間になったので、ドラえもんトラムに乗って高岡古城公園まで戻りました。
そして、お宿へ。
かんぽの宿に宿泊しました。
夕飯もおいしくいただきました♪
お米がおいしかったです♡♡
デザートのオレンジプリンもめっちゃおいしかったです♡♡
お宿は東向きの窓だとお父ちゃんが気づきまして、(疲れて9時過ぎに寝てしまったためか)何故か私も日の出1時間前から目が醒めまして、家族みんなで日の出を観ることができました。
遠くに見える富山の高い山々から登ってくるとても綺麗な日の出でした。
かんぽの宿の展望室から見た朝の景色です。
2日目は富山市に行きまして、富山湾を展望台から眺めたり、古い町並みを歩いたりしまして、
そして、「世界一美しいスタバ」に行ってお茶してきました♪
桜も咲いてて、ほんとーに綺麗な公園でした♪
お昼はますのすしの工場見学をしてから、工場内のお食事処でますのすしをいただきました♡
大好きなの~♡♡
お昼をいただいてから、すぐに岐路につきました。
4時間運転のお父ちゃんはすごい!(←私には無理っ)
当然ですが途中、何度かSAで休憩したのですが、ひるがの高原のSAでは猫ちゃんがいました。
ヤンチャな黒丸はおじいちゃん・おばあちゃんが預かってくれたのですが、ブ子は黒丸のことを好きじゃなくてイヤがることが多いので、ブ子さんはお家で1匹だけでお留守番でした。
SAの野良猫ちゃんを見て、余計にブ子さんに早く会いたくなりました~。
あ、ブ子さんはちゃんとお利口にしてたようです。ちょっとだけ障子が破れてたけど、ほんのちょっとだけだったし。
(黒丸がいたらとんでもないことになってたと思う~。なのでおばーちゃんに感謝!!)
息子も大満足だったようですし、
初めて「旅館」にお泊まりした娘も大満足だったようですし、
子煩悩なお父ちゃんはそんな子供たちを見て大満足だったようですし、
体調イマイチなりにも倒れることもなくなんとか日程をクリアできた私もなんだかんだと楽しめて良かったです♪
やー、しかし、富山はいいところですねぇ~。
冬はそりゃ雪が多くて大変なこともいろいろあるでしょうけど、
街は道路が広いくて公園や美術館など公共施設はとても整えられてるし、田舎は田んぼががーーっと広がってるし、高い山があり、そして海もありますからねぇ。
そして「富山の薬売り」が有名ですけど、今も製薬会社が多いらしいですもんね。主要産業の一つだとか。
豊かなところなんだなー、と思いました。
あ。
ちなみに、オカンの父方系が富山の材木商だったそうなので、縁がちょっとはあるんですよね~。
大学時代に観測で立山に行ったことはあったのですが、発破実験での地震波の計測をしてただけなので、今回こうして訪ねることができて良かったです。
息子のF先生への情熱おかげだ~♪
『神さまっているの?』
先週のうちに、頼まれていた原稿は書き終えまして、額屋さんに行って新しい額を注文したり事務仕事を片づけたり……と、最低限やるべきことはやりましたけど、
薬の副作用で毎日眠くて眠くて、なかなかブログを更新できずにおりました。
……鼻炎用の抗アレルギー剤と軽い咳止めです。
ええ。なんちゃら症っぽいですよねぇぇぇ…。
先生はハッキリとは言いませんでしたけど、風邪ならもっと早く治りますよねぇぇぇ……。
ううううううううん。
……認めたくないものだな。
というわけで、
今回は娘の「夏休みの作文」を載せることでお茶を濁そうとしております。
3年生の夏休みの宿題で書いた生活作文です。
先日、返却されてきたので、写してみます。
(読みやすいように、ほぼ一文ごとに改行しておきます。)
神さまっているの?
2年生の時に、おふろの中でお父さんがわたしに「神さまっていると思う?」としつもんしてきました。
わたしは、わからないと答えました。
お父さんもわからないと言ったので、このしつもんに答えられる人はあまりいないだろうと思いました。
でも、ほかの人の意見をきいてみたくなったので、原田先生にしつもんしてみました。
「先生、神さまっていますか?」としつもんしたら、原田先生は「いるよ。神さまは人間をあたたかく見守っているよ。」と言いました。
なるほどなぁ、とわたしは思いましたが、後からちがうぎもんが出てきました。
神さまがいるなら、どうしてせんそうがおこるのか、というぎもんです。
なので、原田先生にもういちどしつもんしてみました。
「世の中を動かしているのは神さまじゃなくて人間だからだよ。」と原田先生は話してくれました。
なるほどなぁ、と思いました。魚からさるのような生物にしんかして人間になったと聞いたことがあります。だから、たまたましんかした人間を神さまが見守っているだけなのかなぁ、と思いました。
わたしは、原田先生に神さまがいるかをきいてみたら、もっとほかの人の意見も聞きたくなったので、お母さんにそうだんしました。
すると、お母さんは、占いの先生にきいてみたらと言いました。
ふしぎな力を持っている先生だとわたしも知っていたので、それがいいと思いました。
それで、お父さんとお母さんに占いの先生のところにつれていってもらいました。
わたしは占いの先生に神さまがいるのかどうかをしつもんしました。
すると、占いの先生は「いるよ。」と言いました。
「それならどうしてせんそうがあるんですか?」とつづけてしつもんしました。
占いの先生は「神さま、考えて考えて考えて、ものすごくいっぱい考えて、人間に自ゆうをあたえたんだよ。だからせんそうもおこるんだよ。」と答えてくれました。
ほかにも占いの先生は「でも、せんそうでしんだ人は神さまがたすけてくれるんだよ。」「だれでも思い出せば、神さまのことが分かるんだよ。でも、なかなか思い出せないんだよね。」と教えてくれました。
わたしは、思ってもいなかった答えでびっくりしました。
原田先生と占いの先生の話を聞いて、わたしは本当にいるのかどうか分からないけれど、神さまはいると思いました。
神さまがたくさんたくさん考えて人間に自ゆうをあたえたと、占いの先生が教えてくれたけれど、自ゆうがあるということは悪い心を持つこともできます。
それでせんそうがおこるし、いじめもあるし、ケンカもあります。いやなこともいっぱいおこります。
それなら、自ゆうがなくて神さまの言うとおりにしか動かない生物だったら良かったのかな、と考えてみたけれど、それも幸せじゃないと思いました。
夏休み中にお手つだいをしていて、ほうちょうで指を切ってしまいました。
とてもいたかったけれど、ほうちょうで切る時はかならずねこの手にしないといけないと分かりました。
いやな思いをすると、言われただけよりもっとよく分かるので、神さまは人間に自分でよく分かるように自ゆうをあたえたのかな、と思いました。
でも、たまたましんかした人間を神さまが見守っているという考え方も、神さまが人間を作ったという考え方も、どちらも大切だとお母さんが言いました。
だから、いろいろな人の意見を聞くのは良いことだし、答えは一つじゃないと分かりました。
娘が「学校の先生にも質問してみたい。」と言い出した時に、すぐに「原田先生に質問してみ?」と私は言いました。
ベテランの男性教諭で、さらにこの手の質問にもちゃんと答えてくれる先生だと分かっていたからです。
先生としても人としても信頼できる人だと私は思っているから、原田先生の名前を出したのでした。
そしたらですね、娘が先生に質問するつもりでいたけれど、なかなか先生と休み時間に遭遇できずにいた数日の間に、息子の用事で小学校に行った時に私の方が原田先生とたまたまバッタリ会うことができたので、
「先生ぇぇー。娘がねー、先生に『神さまっているの?』って質問したいって言ってるから、ご面倒かけますがお願いしますねぇぇぇ。」と根回しもしたのでした。
先生は「へぇぇぇ。そんな疑問がもう出てきたんだねぇ。分かりました~。」とニコニコしながら引き受けてくれました。
そして、占いの先生というのは、私たち夫婦が20年近く前から時々お世話になっている豊橋のおちゃめな霊能師の先生のことです。
先生が娘に対してどうやって答えてくれるのかなー?と私も楽しみにしていたのですが、さすがでした。
隣で先生と娘のやりとりをずーっと聞いていて、「ほぉぉぉぉー。」と心の中で何度も唸りましたもん。
もちろん、彼女が一人でこれを書き上げたのではなく、私がつきっきりで「人に読んでもらえる文章の書き方」というのをアドバイスしながらだったのですが、それでもちゃんとね、娘の中に在ったものだけをアウトプットしております。
子供は根源的な問いを大人に投げかけることがありますが、その問いによって、その大人の人生そのものを問われているようにすら感じることがあります。
娘は私には直接この問いを投げかけることはありませんでしたが、誰に質問したらいい?と相談してきてくれた時に信頼できる人たちの名前を出すことができて良かったと思ってますし、
娘がそれぞれの答えを彼女なりに消化して自分のものにできたみたいなのが、ほんとうに良かったなぁ、と思っています。
そうなんですよねぇぇぇぇぇ。
自分の中に在るものを、ちゃんと他人に伝わるように表現する力をつけるのって、ほんっっっと大切!
死ぬ時には何かがお迎えに来る、というお話を娘にしました。
おブ子さんはとてもとてもいいお猫です。
さて。
昨日の夜のことです。
娘が「吐くのが怖い」ということを、お風呂の中でおとーちゃんといろいろ話してたようで、
その延長線上で私ともいろいろ話をして、そしてお布団に入ってもちょっとお話タイムとなりました。
その会話です。
娘 「1年生の時にお咳がひどくなったやつ、あれ何だっけ?」
私 「マイコプラズマやね。あんたとお兄ちゃんとおかーちゃんと3人でヒドい咳ばっかしてたよねぇ。でもおかーちゃんは若い時にマイコプラズマで肺炎になって入院したことあるよー。」
娘 「えー???怖い……。」
私 「いやいや、マイコプラズマよりうんともっと怖い病気なんてゴマンとあるんやよー。」
娘 「えーーー……?そんなの怖すぎる……。なんでそんなに怖い病気がいっぱいあるの?」
私 「あー、それはねぇ、人間が死ぬためやね。」
娘 「えー……?」
私 「だって、人間が生まれて子供産んで、それで死なへんかったら、地球は人間だらけになってまうもん。(っても今も多すぎるくらいやけど。)」
娘 「それはそうやけど…。でも病気やなくて年取って死ぬ方がいいでしょ?」(←老衰のことをゆーてるらしい。)
私 「個人的にはそりゃそうだけど、でもやっぱり病気がないと人間がなかなか死ねへんから、病気があるんやと思うよ。運悪く若いうちに大変な病気になって死んじゃうのはとても悲しいことやけど、人類全体的にみたら病気があるからバランス取れてるというのはあると思うよ~。」
娘 「……でも、やっぱり病気は怖いよ。」
私 「そやね。おかーちゃんも病気はイヤやわー。痛いのも苦しいのもしんどいのも気持ち悪いのもイヤやもん。怖いよ。」
娘 「そうでしょ?」
私 「うん。でもねぇ、おかーちゃんね、まだ死にたくないし、苦しいとか痛いとかは怖いけど、死ぬことそのものはイヤやないんよ。」
娘 「なんで?」
私 「だって、雲の上に帰るだけやし。それにね、ちゃんと普通に生きてたら死ぬ時に天使とか仏様とかがお迎えに来てくれるっての、知ってるから。」
娘 「ほんとに?」
私 「うん。あのねぇ、おかーちゃんのおかーちゃんのおかーちゃん、あんたのひいばあちゃんがね、子供の頃に町内にいたおじさんが嫌われ者やったんやって。ひいばあちゃんにはそこそこ優しかったらしくて嫌いやなかったってゆーてたけど、なんか知らんけど嫌われてる人やったんやって。何か悪いところがあったんやろうねぇ。そのおじさんがね、ある日町内を血相変えて『鬼が来るー!鬼が来るー!』って言いながら走ってたんやって。……で、その後ちょっとしてから死んじゃったんやって。それでね、ひいばあちゃんは、みんなに嫌われるような生き方してると死ぬ前に鬼が迎えに来るんやって知って怖かったんやって。」
娘 「それは怖すぎる…。」
私 「そやろ?でもね、そのひいばあちゃんは死ぬ時、観音様が迎えに来たんやで?」
娘 「ほんとに?」
私 「うん。ほんとに。ひいばあちゃんが入院してて、死ぬ数日前にね、薬のせいでちょっとうとうとしてたらしいんやけど、付き添ってたねこだるま叔父ちゃんに、急にゆーたんやって。『あれ、何やね?』って。おじちゃんが『点滴やがねー。』と答えると『ちゃうがねー。』ってひいばあちゃんが言うから、『点滴の棒やがねー。』と答えるとまた『ちゃうがねー。』って言ったんやって。そこでおじちゃんはハッとして、『(何も光ってないけど)キラキラ光っとるやつかね?』と訊いたら『そうやがねー。』とひいばあちゃんが言うから、『それは観音様やがねー。』と答えたら、『そうかね~。』と納得してニッコリしてたんやって。」
娘 「……。」
私 「そのひいばあちゃんの娘で、おばあちゃんのお姉さん……あんたの大叔母さんが死んだのって、おかーちゃんが20歳の時やったんやけどね、ひいばあちゃんが意識があまりもうちゃんとしてない大叔母さんの看病してたら、大叔母さんが畳みの上に虫でもいるかのように手で払い続けるから、『何しとるん?』って訊いたら、『小さい観音様がいるでしょ?まだいい、って言ってるのに寄ってくるんよ。』って言ったんやって。それでひいばあちゃんは『ああもうこの子は長くないな。』って覚悟したんやって。で、それからほんとにすぐやったしね。大叔母さんが死んだのって。」
娘 「………。」
私 「おかーちゃんのお父さん、あんたのおじいちゃんが死んだ時もそうやで?あの時はおばあちゃんがそばにおって、おじいちゃんが病院のベッドの上で天井を見ながらにこ~にこ~ってしてるから、どうしたのかな?と思ってたら、『俺の守り本尊はなんやったっけ?』とそれまでそんなこと言ったことないようなことを言ったんやって。おばあちゃんが『文殊菩薩やがね。』と答えたら、『そうか~。』と、おじいちゃんはまたにこ~ってしてたんやと。それでおばあちゃんも『ああお迎えに来てるわ…。』って思ったんやって。」
娘 「………。」
私 「ね?おかーさんのおばあちゃんもお父さんも叔母さんもそうやってみんな仏様が迎えに来てたから、死ぬこと自体はイヤやないんよ。ただね、死んだらこうやって一緒に手をつないだり、一緒にご飯食べたり、一緒に笑ったり、一緒に泣いたりできへんやろ?それはとても寂しいから、まだあんたらが小さいし、そばにおりたいからまだまだ死にたくはないし、死ぬ前に病気とかでしんどいのは怖いなーとは思うよ。」
娘 「(私も)ちゃんと仏様とか天使が迎えに来てくれるかな?」
私 「普通に生きてたら大丈夫やよ。わざと人を困らせたり、わざと人を悲しませたり、人を騙したり、ってことをしたら鬼が迎えに来るやろうけど、普通に生きて、できる限り……無理はあかんよ?無理すると自分が壊れることもあるから、できる限りでいいから人に親切にしようと心がけて生きてたら、ちゃんと仏様とか天使がお迎えに来てくれて、すーっと死んで、雲の上に帰れるよ。」
娘 「そっかーーー。(←安心した様子)」
私 「それにね、人間は病気で死ぬんやないんやって。寿命で死ぬんやって。大叔母さんが入院してた時におかーちゃんが交代要員で付き添いしてた時に、当時はそれをお仕事にしてる付き添いの人ってのがおってね、そのプロの付き添いの人が、おかーちゃんが大叔母さんの娘やと勘違いして、不憫に思ってくれたんやろうねぇ。そんな話をしてくれたんよ。いろんな人を観てきたけど、人間は病気で死ぬんやなくて、寿命で死ぬんやよ、って。」
娘 「……。」
私 「だからね、神様に『私はこれをやり遂げます。』って約束してきたことをちゃんとやらんうちには死なせてもらえんのよ。そうは言っても病気は苦しいから、病気にならんようにやれることは、早寝早起きして、ご飯はちゃんと食べて、帰ってきたらちゃーんと手を洗って、身体を冷やさない、ってことぐらいやね。怖い病気はたくさんあるけど、それくらいしかできへんからクヨクヨしても仕方がないんよ。」
娘 「そっかー……。」
と、このあたりで娘は眠くなってきたようだったので、お話はおしまいにしました。
娘に対しての言葉は自分自身に言い聞かせているように感じる
息子が38度台のお熱を出しまして、おブ子がずっと寄り添っておりました。
なんていいお猫なんでしょう。
そして、朝イチでおとーちゃんが息子を小児科に連れてってくれまして、インフルエンザではなかったので良かったです。
おとーちゃんが遅め出勤の日とは言え、本当なら私が連れて行かないといけなかったんですが、
私も体調が良くなかったんですわ~…。
ゆうべ、夜中にふと目が覚めまして、発作が起こりそうになったんです。
布団から身体を出して、身体を冷しつつ正体法のセルフヒーリングをしていたら、何度かヤバそうにはなりましたが、発作が出ることなく治まりました。
そんなことがあったせいで、特に朝はしんどくて、できればまだ横になっていたかったくらいでした。
なんとか簡単な朝食の用意とお洗濯はできたのですが、とても運転はできそうになかったので、おとーちゃんに頼んだというわけでした。
幸い、朝イチでの小児科の予約が取れたので良かったです。
昨日は別に体調は悪くも無かったんですがねぇ…。
今年一番の寒波のせいかしらー、とか、
たまたま満月の光を浴びちゃったせいかしらー、とか、
息子がお熱出して心配したせいかしらー、とか、
ついついあれやこれやと原因を考えてしまいます。
原因をつきとめて、予防の対策を取る……ということをしたいからなんですけどね、
でも、何が原因なのかは分からんことの方が多いんです。
こーゆーのって。
明らかにコレ、というのがある時もありますけどね、そっちの方が圧倒的に少ないです。
今日も娘がまたしても体調を乱しまして、あと1時間で帰宅というところでお迎えに来てくださいと学校から電話がありました。
まだまだ体調が不安定な娘は、どんより気持ち悪いのが続くと、イヤになって泣いて「どうしたらいいの?」と私やおとーちゃんに訊いてくるのですが、
それ、私が知りたいくらいよ、ってなもんです。
娘にあれこれ話してはやるんですが、「これってなんの自虐プレイ?」って思うくらいです。
娘に対しての言葉は、しんどい時に落ち込んで弱気になって泣きそうになってこの身体で生きてるのがほとほと面倒になる私自身に言い聞かせてるような、そんな気持ちにさせられます。
でもって、
ゆうべみたいに発作になりかけて、今朝みたいにしんどいと、とにもかくにも余裕が無くなりますしね……。
「発作になりかけても、それで終わったから良かったやん。」と、おとーちゃんに言われて、自分が娘に言ってやる言葉と同じようなもんだよなー、と思いつつ、
『分かってるけどイヤなんだよなー。発作になりかけたってこと自体がほんともーイヤなんだよなぁ…。しんどいのはもう懲り懲りなんだもん…。』と、しょぼぼぼぼぼんと落ち込む自分もがいるのです。
アレですね。
そこそこ体調がいい感じの日が続くと、あれもやってみたいこれもやってみたい、と意欲が湧いてくるんですけど、
こういうことがあると、すこーんと全部チャラになるというか、リセットされちゃうというか、ふりだしに戻る、という感じです。
それでもね。
美輪様がゆーてたみたいに、すこーんと落ちても、以前落ちた時より紙一枚くらいの厚さが違うはずで、だんだんと落ち込む度合いが変わってきている、というのを信じたいです。
娘も私も、おそらくどこかが敏感で、それが身体に出やすいんでしょうし、
それは遡れば、オカンやおばあちゃん、ひいじいちゃん…と、ご先祖様から受け継いでるものであったりします。
ひいばあちゃんが親の決めた「見た目はいかつくても健康で丈夫な男性」とそのまま結婚していれば、私も丈夫だったろうになー、と思ったりすることもありますけど、
ひいじいちゃんから受け継いでるDNAは、凹の部分がえらいこと目立ちますが、凸の部分も必ずあるはずで、
それは専ら「感性」の部分に現れてるんだろうなー……と、娘を見ながら思ったりもします。
……ってのも、
じぇいど♪さんがそう言ってくれたから、そうだよねぇぇぇ……って思えたって話なんですけどねん。
自分ではなかなか気づかないもんです。
1日1回、エビオスを10錠弱とビオフェルミンを3錠飲み続けいると、私の場合はお通じがいい感じにキープされるようです。
他にもいろいろ試してみたんでけど、これが一番いい感じです。
メリークリスマス♪
メリークリスマス♪
我が家には煙突が無いので、サンタさんは夜中に玄関でピンポンを鳴らしてサッと行ってしまう…ということになっているのですが、
ちょっと前に我が家のピンポンをカメラ付き・録画アリのものに変えたのでさぁ大変。
「今年はサンタさんが映るに違いないっ。センサーライトも光るしっ。」と子供たちが大喜びしておりました。
で、昨晩。
いつもは寝てしまうと起きない息子がワクワクし過ぎて「プレゼントまだかなー?」と半分寝ぼけて起き出したりしてたので、
とりあえず、0時頃にチャイムの音を消す設定にして、ピンポンを鳴らして、真っ暗な画像をゲットしておきました。
そして、チャイムを普段の音量に戻した時に………鳴っちゃったんですよ~。
すると息子が「サンタさんが来たの???」と、起きてきちゃって、さらにその騒ぎで娘も起きちゃったので、
「今、サンタさんが来たみたいだよ~。」と、プレゼントの袋を見せて、
「明日の朝に中身を見ようね~。」と寝かしつけました。
そして、今朝。
録画されてる画面を子供たちが確認しておりました。
真っ暗な画面なので、
「そりゃサンタさんはルドルフに乗って上からやってくるからセンサーライトが反応しないよねー。」
と言ってやると、なるほどと唸っておりました。
「でも、これでサンタさんがいるって確信したよっ。」と娘はニコニコ顔でした。
3年生にもなりますと、サンタはお父さんとお母さんなんだぜ~、と言うクラスメイトも出てくるので、娘はこの2カ月ほどずーっと疑心暗鬼だったのです。
別にサンタはいないということに気づいてくれてもいいんですが、確信しちゃうとは思っていなかったので、ありゃりゃ~、とお父ちゃんと隠れたところで苦笑いしておりました。
これが娘へのサンタさんからのプレゼント。
たまごっちだってー。
息子には、妖怪メダルがたくさん。
これはお父ちゃんから子供たちに。
お安いタブレットです。
アプリで使用時間の制限をつけております。
息子がずーーーっとグーグルマップを観たがるんですよ~。
今年はお父ちゃんからの娘へのクリスマスプレゼントは無し。
クリスマスプレゼントは要らないから黒丸を飼って、とお願いしていたからです。娘ってば。
これはおじいちゃんおばあちゃんから息子へのプレゼント。
プラモデルなんですが、息子は一人で作れないので、お父ちゃんと娘が作っておりました。
さよならインプレッサ
気づいたら1週間更新してませんでしたね。ブログ。
やー、
いろいろありましてねぇぇぇ。
毎日そこそこのイベントが発生しておりました。
この一週間。
運動会もありましたし。
体調はイマイチだったりもしたんですが、それでも動けたんですよ。
そしたら昨日ですね。
鍼灸師の若林先生がこんなツイートをされてましてね。
https://twitter.com/asilliza/status/649185726060343296
こうやって一個ずつ自分で対処する方法を覚える。そうすると、調子がわるくても動ける日が増える。そしたら、世界が怖くなくなる。自分が嫌にならなくなる。
春からアクティブ仙骨ワーク、リセットワークを日々コツコツ流してるのと、
1カ月ほど簡単なとある健康法(?)をコツコツ続けてたのが効いたのかなー???と思ったりもしてるんですが、
なーーーんか調子悪くても動けることが増えましてねぇぇぇぇ。
すると、若林先生のおっしゃる通り、ちょっとだけですが「世界が怖くなるなる。自分が嫌にならなくなる。」に近い気持ちが増えたんです。
ですので、この1週間の毎日がなんやかんやとイベント発生……というのでも、寝込むことがありませんでした。
ありがたいですねぇぇぇぇぇぇぇぇぇ。
あ。
とある健康法については、またいづれ書きます。
それで、ですね。
タイトル通りなんですが、
2年ちょい落ち…だったかな?
で、我が家の家族になって14年間。
大好きだったスバルの赤いインプレッサをとうとう手放しました。
さすがにねー、いろいろとガタがきましてねぇぇぇぇ………。
メンテナンスしつつここまで来ましたが、車検を通してあと2年……が、今回はちょっと心配になりまして、
家族で悩みに悩んで買い換えることとなりました。
息子も娘も生まれてからずーっとインプレッサに乗ってますから、彼らも愛車は家族だと思っておりました。
なので、手放した日は息子と私はそこそこのインプレッサ・ロスになったりもしてましたが、
新しい家族と仲良くなって、また心から家族と同じだと言えるように早くなりたいよねー、なんて話しております。
次もね、赤いインプレッサがいいと考えていて、懇意にしてくれてる車屋さんに中古を探してもらってたんですが、
人気があるのか、数が少ないのか、とにかく出なかったんですよ~~。
そしてね、インプレッサには大きな問題がありまして、
愛車は5ナンバーだったんですが、今出回ってるインプレッサは3ナンバーで横幅が広くなっちゃってるんですね。
これは運転が得意ではないたみえかーさんが娘のソロバンの送り迎えをするのに致命的なのです。
ソロバン塾は住宅街にあるんですが、めっちゃ狭い道を通らなくてはならないんです。
それも一方通行じゃないので、たまに鉢合わせすることがありまして、そうなるとほんとにえらいこっちゃでして……。
私の運転技術では3ナンバーのインプレッサですれ違うのは無理そうなので、そこがネックとなりまして、最終的にあきらめました。
その代わり、とても気に入ったデザイン(…だけじゃないけどね!)の車に出会いまして、スバルじゃないけど、それを購入することになりました。
今度もまた元気に15年くらい走ってもらうつもりです。
息子は学校でも先生に、
「インプレッサは大好きだったよ。ぼくをいろんなところに連れてってくれたよ。藤子・F・不二雄ミュージアムにも連れてってくれたんだよ。新しい車もきっといろんなところに連れてってくれるよ。」
と話したんだそうです。
うん。
遠くまで行こうね。
インプレッサでは四国のお遍路も行ったけど、今度は違う巡礼の旅にも行きたいしね~。
タイトルとは関係ないけど、
久々に昨日「日本の神様カード」をひいたら、この神様でした。
http://nihon-no-kamisama.tumblr.com/post/17335970164
ほんとにねぇ。
そうなんですよねぇぇぇぇ…。
「スランプってなったこと、ある?」
やー。
暑いですね。
いや、暑いを通り越してますね。
夏バテしないように…と、気をつけてはいたんですけど、
どうも夏風邪を拾ったようで、喉はちょっと痛いし、なにより1日中鼻と喉の間に異物感がずーっとありました。
その翌日に息子を耳鼻科に連れて行くことになっていたので、私もついでに診てもらいました。
生まれて初めて鼻カメラで診てもらいました。
そしたらですね、何かが詰まってたとかじゃなくて、喉はもちろん、鼻と喉の間も炎症を起こしてました。
でもですね、その前の週からおかしかったんですよ。
滅多にできない口内炎ができてめっちゃ痛かったんです。
気をつけていたのですが、ジリジリと免疫力が落ちてたんでしょうね。
そのせいか、先週末から体調が超不安定で、昨日はそれなりに動けたのに今日は全くダメ…という(そこそこ)良かったり悪かったりがコロコロ入れ代わるような日々であります。
そしたらですね、立て続けにですね、
娘はお手伝いしてたら子供包丁で指を切るし、
息子は花火で火傷するし、で、お盆スペシャルか???とドキドキしてしまいましたよ~。
↑
息子、火傷で皮がめくれちゃったので、オロナインべったり塗ってラップで巻いてやりました。
多分大丈夫だとは思うけど、皮がめくれちゃってるから皮膚科に連れてった方がいいよね、と翌日の朝にお父ちゃんが言うので、
連れて行こうとは思った……んですが、その日はどうにもしんどくて、洗濯物も休み休みじゃないと干せないくらいだったので、仕事の時間に遅れるけれどお父ちゃんが連れてってくれました。
(1時間待って診てもらったら、たいしたことないよーって感じだったそうで、お父ちゃんには申し訳なかったけど良かったです。塗り薬を出してもらったので、ベタベタ塗ってやってます。)
洗濯物をやっとこさ干し終わって、ゴロンと横になっていたら、
私の横でお父ちゃんに買ってもらった本を楽しそうに読んでいた娘が訊いてきました。
「お母さんは、スランプってなったことある?」って。
本の中に何か書いてあったんでしょうね。スランプってことについて。
スランプかー……。
スランプって……何かあったっけ?
……。
……。
……。
「お母さんねぇ……、人生ずっとスランプかも。」
と答えたら、娘はキョトンとした顔をしました。
そりゃキョトンとするよねぇぇぇ。
私は、しつこく言いますけど、自己肯定感はあるんです。
なので、自分の人生をダメなものだとか不幸なものだとか、そんなふうに思ったことは無いのです。
でも、なんだか娘の問いに対しては、「人生ずっとスランプ」という答えが一番しっくりきたのです。
自分でも少しびっくりして、ちょっと笑っちゃったんですけど、でもしっくりきたんです。
うん。
多分、人生ずっとスランプだったんでしょう。
……死ぬまでに抜けられるかしら?
さて。
夏休みといえば、娘の「作文」の手伝い…というか、指導というか、文章の書き方をじっくり教えるというのを自分に課してまして、
3年生になった今年は「生活作文」だけでなく、「読書感想文」も娘は書かなくてはなりません。
というわけで、先週のうちに娘は以前お父ちゃんに買ってもらった本を読みまして、
「自由帳に、思ったこと・感じたこと・悲しかったこと・面白かったこと……なんでもいいからとにかく書き出せ。」と私に言われた娘は、今週の前半にそれをやり続け、昨日と今日で感想文を書き上げました。
やーーー。
しかし、生活作文も大変だけど、読書感想文は書かせるのってもっと大変でしたわ~~~~。
だってね、小3だと書き出したもののほとんどが「あらすじ」なんですもん……。
そこから、娘の気持ちが書かれているものを拾い集め、どこに焦点絞るか、書くべきあらすじもどこまで削ぎ落とすか、を娘と話し合って、娘の言葉を引き出しつつ、一行一行確認しつつ、何度も読み返しつつ、積み上げていく作業でしたからね。
でもね、娘はイヤがらないんですよ。
そこが偉いなぁ~、と毎年感心します。
(私だったらすぐにイヤになってたと断言できるよ!)
美味しいお料理の作り方や、キレイな裁縫の仕方などを教えることができない代わりに、
夏休みだけだけどじっくりと文章の書き方を教えることが、私が娘にしてやれることだよなー、と思っているんです。
今すぐそれが身につくわけじゃないけれど、すごーーーーく時間はかかるだろうけど、娘のためになると信じております。
はい。
↑
娘が読書感想文に書いた本がコレ。
あー。
しかし今年の夏休みは、一人になる時間がほんっっとに無いよっ!
子供の夏休みはオカンにとっては夏休みじゃない。
……と、世の中の小学生のお母さんたちは毎年思うわけですよね。
なんかもー、
毎日なんやかんやとありまして、
でもって、予定通りに行かなくて、
そして、時間が細切れになるので、ゆっくりブログを書くこともできないわけですよー。
たまってるエイトの録画も見れてないしーー。
最近は日本地図パズルが好きな息子。
やり始めたはいいけれど、栃木県が無くなってて、
「おかーさーーーん。とちぎがないよーーーー。」
と、大騒ぎ。
どこを捜しても見つからないので、泣きべそ顔の息子に、
「とりあえず一回片づけようね。」
と、諭して一緒に片づけ始めたら……
岩手県の下に隠れてたよ!
こんな感じですわー。
小学生の夏休みと、そのオカンってーのは。
あー。
明日も午後から小学校に行かないとだわー。
お猫様も暑くて、日中ゴロンと横になっておりますよ。
ええ。
修学旅行中の息子の発言がなかなかのものでした。
一昨日・昨日と、息子は小学校の修学旅行でした。
京都・奈良の旅でした。
クラスメイト…というか、1学年1クラスの小規模学校で、みんな1年生の時からの付き合いなので、息子のこともちゃんと分かって行動してくれますし、支援クラスの担任の先生がずっと一緒にいてくれるので、安心しておりました。
……というわけで、まったく心配はしてなかったけど、おかーちゃんはちょっと寂しかったです。はい。
修学旅行はとても楽しかったようです。
小学校にお迎えに行って、支援クラスの先生にちょっとばかりお話を聞きましたが、しっかり行動できてたようでした。
大きくなったものです。えらいもんです。
で、まぁ、先生からお話を聞けたのは短時間だったのですけど、そのお話の中で先生もちょっとビックリしたというエピソードがありました。
私も「うおー。」と思いました。
平等院に行った時のことだそうです。
みんなと一緒に拝観していたら、いきなり息子が先生に
「ぼく、赤ちゃんの時に(この仏様たちと)会ったことあるよ。」
と、言い出したそうなのです。
壁にかかっている仏様たちのことを指して、そう言ったらしいのです。
「そうなの?じゃあ、この(真ん中の金ぴかの御本尊である)仏様は?」と阿弥陀如来のことを先生が訊いたら、
「うん。会ったことあるよ。」
と、やはり言ったのだそうです。
しかし、他のお寺ではそんなこと一言も言わなかったそうで、平等院の次に行ったお寺で、
「この仏様は会ったことある?」
と、先生が息子に訊いても、「ないよ。」と答えたんだそうです。
もちろん、息子を平等院に連れてったことはありません。
息子にとって、初の京都・奈良です。
そして、知的障害「中程度」の息子は、記憶力もそんなに良くありません。
小学校1年生の時の交流クラス担任の先生に3年ぶりくらいに会った時も、先生のこと忘れてましたから。
興味があることはそれなりに覚えてますけど、なかなの忘れん坊です。
保育園でめっちゃお世話になったスタッフさんのことも、卒園して3年くらいしたらすっかり忘れてましたし。
そんな息子ですから、赤ちゃんの時のことなんて覚えているわけがありません。
でもですね。
小さい頃の息子は、どうも「私たちには見えないものが見えている」っぽかったのです。
ダウン症児で言葉の発達も遅かったので、ハッキリしたことは分からないのですが、それでも息子の言葉に「あれ?」ということが多かったのです。
保育園のスタッフさんの中にも、この子はオーラとか見てるに違いない、って思ってた方がいたそうなので、やっぱり何か見えてたんだと思います。
ただ、それも小学生になってからは急速に減っていきまして、今ではさっぱり見えていないようです。
ですので。
ほんとうに、たくさんの仏様が雲に乗って、息子のところにちょいちょいと来てくださっていたんだろうな~、と思うんです。
そして、平等院の仏様たちが、そのことを思い出すように、ちょいとばかり息子に働きかけてくださったんでしょう。
息子が持って帰ってきた平等院のパンフレットの写真を指して、
「赤ちゃんの時に会った仏様って、この仏様?」と訊いてみたら、
「そうだよー。」と、さも当たり前のように答えました。
平等院の仏様を見て、「赤ちゃんの時に会ったよ。」と言ったことも、息子はそのうちすっかり忘れてしまうのでしょうけど、
ほんとにお前は神仏に愛されてるねぇ~、と息子を見ながらしみじみしておりました。
おとーちゃんと私とお義母さんとオカンと4人で、車で四国お遍路をした年に授かった子ですから、仏様にご縁の深い子でもおかしくないよなー、と思ったりしております。
……ああ、そうでしたわ。
ダウン症児はおとなしい赤ちゃんが多いらしくて、それで息子もあまり泣かない赤ちゃんだったんだなー、と思っていたんですけど、
おとなしい…というより、ほんとに無駄に泣かなくて、いつもご機嫌な赤ちゃんだったんですよ。
よく寝て、よくおっぱい飲んで、よく笑う…そんな赤ちゃんだったのですが、仏様がしょっちゅう遊びに来て、あやしてくれてたのかもしれませんね。
そして。
息子たちが貸し切りで泊まったお宿がこちら
http://www.oyado-niwa.com/
なんですけど、
東本願寺のすぐ近くというのは、説明会でパンフレットを見た時から知っていました。
私自身、親鸞さんとご縁が全くないわけじゃなくてですね……ごにょごにょ……なので、あらまー東本願寺のすぐ近くのお宿なんて羨ましいわねー、なんて思っていたんですよ。
しかし、修学旅行の目的地に東本願寺は入っていませんでした。
たまたまお宿がそこだった、ってだけです。
そしたらですね、
予定では6時半くらいに起床ってことになってたんですが、5時半くらいに起きて、朝から東本願寺にお参りに行ったそうなのです。
息子たち。
や、子供たち全員なのか、息子と支援クラスの先生だけなのかは不明なんですが、「せっかくなので東本願寺にお参りに行きましょう。だったら朝しかないですねー。」なんてことになったんでしょうね。引率の先生たちの中で。
やはり阿弥陀様に呼ばれましたね。息子ってば。
そりゃそうですよね。
息子がそんなお宿に泊まって、お参りに行かないなんてありえないですわ~。
(それに私の実家の宗派でもあるしねっ。)
息子の家族へのお土産は、生八ツ橋と念珠でした。
プラスチックの珠でできたカラフルな念珠ですけど、息子が買ってくれたものですから、どんな念珠よりスゴイんだぞ~、って思ってます♪
とにもかくにも。
みんなが怪我や病気も無く、無事に帰ってきてくれて良かったです。
初日の雨も京都ではほとんど降られなかったそうだし、良かった良かった♪
娘が羨ましい。
連休前日に息子の支援クラスの担任と、娘の担任の先生が家庭訪問に来ました。
娘の担任の先生は1カ月弱の間に、娘が『気の強い子たちに対して自分を無理に通さない』という部分をしっかり見てくれていました。
さすがベテランの先生だなー、と思いました。
そして、その夜。
娘といろいろ話していて、話の流れからAちゃんとBちゃんの話になりました。
2人とも保育園からの娘の友達です。
Aちゃんはハキハキしていて、自分意見はしっかり言う押しの強い女の子です。
多分、娘にとってはなんだかんだ言って、3歳からの一番の友達なのだと思います。
もちろん優しいところもたくさんあるのですが、時々(普通のレベルで)悪口っぽいことも言います。
悪口が嫌いな娘はそこがとても気になるようです。
娘とAちゃんと2人で遊んでる時はとても楽しいけれど、そこにさらに押しの強いCちゃんやDちゃんが加わると、空気が悪くなるからイヤだ、と言うようになりました。
それぞれ個人だと面白いのに、集まると悪口を言ったりいじわるをすることがあるからイヤなのだそうです。
CちゃんもDちゃんも保育園の時からの友達なのですが、確かにアクが強いです。
個性的で面白いのですが、ちょっといじわるな面があるのは、私にも見えています。
Aちゃんも、CちゃんやDちゃんと一緒にいるとつられて悪口を言う、と娘は言います。
集団になった時の女子のイヤな感じ…というのは、こういう小さい頃から発現されていくものなので、そこはある意味仕方がないなー、と思ったりもします。
Bちゃんは保育園の頃からぼーっとしたところがある子でした。
CちゃんやDちゃんとは対極にいるような子です。
のんびり……とも違うと私は感じていました。
よくは分からないのですが、外では自分を上手に表現できないんじゃないか、と思っていました。
(ご両親も明るくて優しいし、妹ちゃんはハキハキしているので、やはり生まれ持っての性質なんだと思います。)
クラスの女の子たちを、「押しの強い子」「普通の子」「何も言えない子」に分けると、自分は普通の子なのだと娘は言いました。
でもそれは小学生になってからで、保育園の時は何も言えない子だったと。
小学生になって、1年生の時の先生が、
「人と違う意見でも、どんどん発言してください。」
と(おそらく国語とかの授業の時に)言ったのだそうで、それを聞いてから(言うべき時には)自分の意見を言ってもいいんだ、と思えたのだそうです。
「だから、私は普通の子(の下)になれたけど、Bちゃんはずっと何も言えない子のままで、私にはBちゃんの気持ちがすごく分かるんだ。」と、娘は言いました。
「Bちゃんは、ほんとうはいっぱいいろいろ考えてるんだよ。でもそれを上手に言えないんだと思う。だから自分から何も言えないんだよ。何を考えてるのかは私にも分からないけど、Bちゃんが愛想笑いしてるのか本気で楽しいのかは私には分かるよ。」
娘の観察・分析と、私が感じていたことが一致していたようです。
で、ですね。
学校の休み時間に、Aちゃんだけでなく、CちゃんやDちゃんも一緒に遊んでいた時のことだそうです。
ひとりぼっちになっていたBちゃんの姿が目に入った娘は、Aちゃんたちに「あの子も一緒に仲間に入れて遊ぼうよ。」と提言したそうなのですが、つまんないからイヤだ…みたいなことを彼女たちが言ったのだそうです。
いつもは「いいよー。」となることが多いらしいのですが、その時はちょっといじわるが発動されたらしいのです。
そしたら娘は、
「じゃあいいよ。」と言って、自分がAちゃんたちから離れて、Bちゃんのところに行って2人で遊んだのだそうです。
いじわるな空気がイヤだったし、Bちゃんがひとりぼっちなのもイヤだし、Bちゃんと一緒に遊びたかったからそうした、と娘は言いました。
気の強い、押しの強い子たちに自分から無理矢理意見を押し通すということはしない娘ですが、
譲れないところは譲らず、自分の信念に忠実である、ということを、小3になったばかりなのに淡々と貫いている、ということを知り、私は少し驚きました。
驚いたと同時に、そんな娘が羨ましくも感じました。
と。
娘が寝てから、おとーちゃんに娘からこんな話を聞いたんだよ、と伝えたところ、
「自立してきたなー。」とおとーちゃんが言いました。
自分の中にちゃんとした軸があり、人に依るんじゃなくて、自分の軸に拠って生きていける人になるように、と思いながら娘には接してきたからなー、と、おとーちゃんが言ったのです。
癇癪持ちで、ほんとーーーーーに手のかかる娘でしたが、
そんな時もおとーちゃんは娘に根気よく付き合って、筋道立てて話しかけ続けました。
保育園の年少さんの時、わーわー泣いてる娘に本屋さんで30分近く付き合ってたこともありました。
私はダメなんです。
根気よく付き合おうと努力はするのですが、10分もするとさすがにイラっとしてきて、実力行使(抱えて連れて帰るとか)に出てしまうんですが、おとーちゃんはそれはそれは根気よく諭していました。
そして、小さいながらも自分で自分の感情を収めることができるんですよね。
筋道立てて説明されたことを理解して、納得して、自分の感情を収めるんです。
ずっと、それを「おとーちゃん、ほんとにありがとう!」と感謝してきました。
感謝だけしてきました。
でも、その夜は、そんな話をしながら、そんな姿を思い出しつつ………「あ!」と声をあげてしまいました。
「私も、そうやって育ててもらいたかった!」
って。
こんな記事
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-1028.html
を3月に書いてますけど、
「ちゃんとしなさい。」ってのを、オカンだけじゃなくて大人たちにしょっちゅー言われて育ったために、ちょっと前までは掃除を適当に済ませたりすると、「あー、おばーちゃんに叱られるー。」って心のどこかで思うことがちょいちょいありました。
それくらい「ちゃんとしなさい。」とよく言われてたんだと思うんですが、
でもですね、オカンは昔から瞬間湯沸器で、子供からしたらいきなり怒りだしてカオスになってると感じることが多かったんです。
自分が親になり、オカンの気持ちもよーーく分かるようになりましたけど、そこを差し引いてもやはりカオス感は否めません。
……ちゃんとしなさい、って何よ?
子供はちゃんとしてないものやん?
怒鳴りつけるんやなくて、おとーちゃんみたいに根気強く諭してもらいたかったわ!
ああああ、親父さんは優しかったけど、子育てにはちゃんと関わってなかったよねっ!
オカンだけじゃああなるって分かりきってるのにっ!
と、かなり強めの感情が湧いてきたのでした。
すると、子供の頃のある光景がばーっと出てきました。
何かやらかしたのでしょう。
怒鳴りつけられて怖くて泣いて謝ったのに、オカンは家から私を放り出しました。
ひとしきり泣いた後、私は黙り込んだまま壁にもたれて立ち続けていました。
怒りがふつふつ湧いていたのです。
納得できなかったのでした。
何をしでかしたのか、何がオカンを怒らせたのかは覚えていないのですが、
「納得できない!」という強い怒りがずーーーっと自分の中でぐるぐるしていたことは忘れていなかったのです。
怒鳴られて放り出された…というのは、2、3回ほどしか無かったと思います。
その度に、泣いて泣いて、そして怒りでぐるぐるになっていました。
祖母か、隣の家のおばさんか、はたまた叔母か…誰かが声をかけてくれて、
オカンも怒りがおさまって、家の中に入れてもらって……だったのでしょうし、
私の怒りもその頃には消えて無くなっていた……と思っていたのですが、
「ちゃうわ。私…というか、子供の私は、まだ怒ってるわ。」
と、気がつきました。
なんとなくうやむやになってただけなんでしょうね。
怒りが。
納得できてないまま。
娘みたいに、納得して自分の感情を収めたのとは違ってたのです。
親には感謝してますけど、
自分をありのままで受け入れてもらっている感、というのは残念ながらありませんでした。
いっぱい笑ったし、いっぱい話もできたし、面白いこともたくさんあった家庭でしたが、
私はどこかいつも微妙に緊張していました。
でもそれは、大人になって親や祖母の人生を断片的にでも知ることで、仕方がなかったんだと思えたのです。
それでスッキリしてしまった部分がたくさんあります。
ですから、
まさかそんな怒りがずーっと残っていたとは、自分でもビックリでした。
「あー、私、怒ってるわー。怒ってるよー。でもって娘が羨ましいんだよー。」
と、まるで他人のことのようにおとーちゃんに言うと、おとーちゃんは笑っていました。
そうかそうかー、って。
自分の中に、自分では認識していない怒りがあって、
自分の「外」で起こっている事象や人に対して、自分の「内」にある怒りが反応して怒ってる……というパターンの人をこのところよく目にしては、イヤな気分になっていました。
それは、私自身の中にも解消されていない怒りがあるから目に留まってイヤな気分になるんだろうなー…とは思っていたのですが、自分のことはやっぱりさっぱり分からなくて、ちょいちょいとイヤな気持ちになるばかりでした。
まさかねー、
こんな怒りがあったとはねー、思いもしなかったよーーー。
やー、ビックリしまくりですよ~。
ほんとに。
あー。
娘が羨ましいっ!
まぁまぁ、一緒に寝ようよ。おかーちゃん。