家のすぐ近くの木に、スズメバチの巣がありました…。

うちは借家なんですが、田舎でそこそこお庭が広くて、でもって木やデカい石やらが多くて、草刈りが面倒です。
引っ越してきた最初の頃は私も多少は草抜きをせっせとやっていましたが、やっとれん!と放棄しまして、
おとーちゃんが夏場は3~4回ほど機械で草刈りをしてくれてます。
枝払いもそこそこしてくれてます。
で。
土曜日に草刈りと枝払いをしてくれたんですよ。
そしたら、どえらいものを見つけてしまった、とおとーちゃん。
裏庭の、居間のすぐ近くの木に20~30cmのスズメバチの巣ができてたんです!
簾がかかっていない居間の窓の端っこからも見えるんですよ!
今年の夏はね、居間のところの窓にね、簾みたいなのをかけてみたんですよ。
日が入らないように。夏の猛暑対策の1つとして。
なので、網戸を開けてる部分からは外が見えなくて、全然気づきませんでした…。
ある意味、我々は平和に共存してたんですよね……。
しかし、知ってしまったからにはこのままというわけにはいきません。
アシナガバチならそのままにしておくけど、スズメバチですからね……。
刺されたらマズいですからね……。
というわけで、市のHPを確認したら、市では巣の撤去をしてないので、市のシルバー人材センターにでも頼んでね~と書いてありました。
なので連絡してみましたが、やはり土曜日なのでお休みでした。
一般の業者さんに頼むかー……と思っていたら、おとーちゃんがPCに向かって何やら調べだしました。
こんなのがあったよ~、と教えてくれました。
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n6663
えー????と思いましたが、おとーちゃんはヤル気満々でした。
もう止められません。
丁度お買い物に出かけることになっていたので、ついでにあちこち回って、最終的にトイザラスで飛距離8mと書いてある水鉄砲を500円くらいで購入し、水溶性の殺虫剤もホームセンターで購入してました。おとーちゃん。
帰宅したのが予定よりちょっと遅くなり、外はもう暗くなり始めていたので、早速おとーちゃんは準備をし、分厚いカッパを着込み、アミのついた帽子も被り、巣から4~5m離れたところから高濃度の殺虫剤入り水を水鉄砲で発射しまくりました。
スズメバチは大騒ぎになっていました。
……が、巣を直接触ってるわけではないので、離れたところに低位置でほぼ動かずに水鉄砲を発射しているおとーちゃんが敵だとはハチたちは認識できないようでした。
「なんか知らんけど、臭い水が大量に巣にかかってきた!えらいこっちゃ!えらいこっちゃ!」
と大パニックになって巣の周りをブンブン飛び回っているだけで、おとーちゃんを攻撃してくるハチはいませんでした。
良かったです……。ホッとしました…。
翌日の朝、おとーちゃんが巣に(ただの)水をかけてみたところ、1匹も巣から出てこなくてシーンとしておりました。
その後、ちょいちょい家の中からも観察してましたが、巣を出入りするハチを確認することはありませんでした。
裏の人通りのほとんどない私道に5匹ほど死んでるハチがいたとおとーちゃんが言っていました。
あれから巣は濡れたままです。
濡れた巣を乾かそうとするハチが1匹もいない、ということは、みんな死んでしまったか巣を放棄したかのどちらかでしょう。

昨日の夜中から断続的にざーーーっと雨が降っているので、殺虫剤入りの水でべたべたに濡れた巣にも雨が当たっています。
ハチの姿は相変わらず確認できません。
(もう少し様子を観察してみます。)
なお、たまたま今回はちょうど水鉄砲攻撃をしやすく、おとーちゃんも退避しやすい位置に巣があったので、この方法でやってもらいましたが、みなさんにオススメしてるわけではありません。
やっぱり専門業者にやってもらった方がいいですよ!危ないからね!

やー、しかしですねぇ~、ほんとにヤバかったと思いますわ~。
巣に気付かずに枝払いしていたおとーちゃん。
ほんのもう少しのところで知らずに巣にアタックをかけてしまうところだったらしいのです。
そうなったらきっと刺されてたでしょうね……。
ふっと黄色と黒のシマシマ模様が視界に入り、脳内警報装置がけたたましくアラームを鳴らしたので、咄嗟に走り出して逃げ出したそうなのです。
「死んだあんたのおじーちゃんが助けてくれたんやわ!」
と、おとーちゃんの話を聞いていて、何故か思いつきで私がそう言うと、
「おじーちゃん、ありがとう。」
と、おとーちゃんが感謝しとりました。
ほんとほんと、何かに護られてたんやと思いますわ~。
おとーちゃんを護ってくれて、ありがとうございます!
来年の春は、スズメバチ・トラップを3つくらい作って、庭の木に吊るしておこうと思います。

「豊橋カレーうどん」を初めて食べました。

寒いですね。
なかなかの寒波が来てますね。
そんな寒さの中、今日の午後に豊橋の某所に家族でお出かけしまして、
お腹すいたねーってことで、ちょっと遅い昼食を食べにおそば屋さんに行きました。
すると、豊橋カレーうどんがありましてね、私はまだ食べたことがなかったので注文しました。
おとーちゃんは「量が多いと思うよ~。」と言ってくれましたが、一度は食べてみたかったんですもん。頼んじゃいましたよ。
こちらのお店の支店でした。
http://guide.travel.co.jp/article/5729/
支店の方は、うずらの卵がフライになっていました。
カレーうどんなのに、とろろご飯が埋まってるんですよ!
そしてこれが美味しかったんですよ!

……でも、確かに多かったです。私には。
これは私一人では食べきれない量でした。
残念っ。
てなわけで。
豊橋に来ることがありましたら、豊橋カレーうどんを是非♪

十何年ぶりかで東京に行ってきました。

11月30日に、十何年ぶりに東京に日帰りで行ってきました。
名古屋の友人2人(←1人は私のブログによく出てくる月子さん。もう1人はNさんとしておこう。)には豊橋駅に止まる「ひかり」に乗ってもらって、3人で一緒に行きました。
Nさんと私は、それぞれが体調が不安定なため、前日までそれぞれが「ほんとに行けるのかなー?」と思ってた…という具合だったのですが、当日は2人ともちゃーんと整っておりました。
そのため、前もって「30日に東京に行くよ。」とお知らせしたのは、teruさんにだけでした。
この東京行きのメインの目的はteruさんの展示会の絵を見に行くことでしたので、彼女だけには行くつもりだよと告げておいたのでした。
本当はお会いしたかった人はいっぱいいるのですが、予定を空けてもらっておいて「行けませんでしたー。」となっちゃうとめちゃめちゃ申し訳ないので、今回は言わずに行きました。
さて。
話は少し遡りまして。
石井ゆかりさんの2013/11/25-12/1の山羊座の週報が以下のようになっていました。
http://st.sakura.ne.jp/~iyukari/week/weekly20131125.html#capricorn

山羊座 2013/11/25-12/1の空模様。
「行けそうな場所」「知っていること」の
外側に出て行くことが必要になるかもしれません。
自分が平素住んでいる環境の外側、
見知らぬ場所、未経験のこと、未知の人物が
今週、貴方を誘っているように見えます。
逆に、相手にしてみれば
貴方が相手を誘い出そうとしているように思えているかもしれません。
長いスパンで見ても、
今の貴方は「人に出会う」時間の中にいるのですが
今週は特に、その歯車が噛み合いやすいタイミングではないかと思います。
あるいは、これはたとえがちょっと良くないかもしれませんが
今、釣り竿を持って水辺に立てば
どこに釣り糸を垂れたとしても
きっと、美しく大きな魚が釣れてくるだろうと思うのです。
さらに、その魚は「キャッチ・アンド・リリース」の対象ではなく
ちゃんと「あなたのもの」になるべくして出会う、
慕わしくも価値ある魚であるはずです。


これを読んだ時に、
きっとなんとかかんとか東京には行けるんだろうな……そして(teruちゃんとも初めて会うので彼女ももちろんだけど)新しい出会いが新しい道を示してくれるのかもしれないな……
と、思いました。
いえ、そうあって欲しいと思いました。
……いや、違うかな。
そうあって欲しいだけじゃなくて、そういう自分でもありたい、という感じですね。
そういうふうに思い、期待し、ドキドキワクワクしておりました。
なので、前日まで体調が良くなくても、「きっと大丈夫だから~。」と自分に言い聞かせておりました。
そして当日。
朝早くからお出かけすることができました。
「私、大丈夫やーん。」
と、心の中でニヤニヤ喜んでおりました……が。
池袋の駅についたら、どんどんおもたーーーくなってきて、ヤバいなーって感じになってきました。
なので、そこから帰宅までの間、ずーっとMAPのコーニングを開いたままで、My医療チームに調整をお願いしておりました。
どうやら、東京の(良い意味でも悪い意味でも)雑多で、量的にも田舎暮らしとでは比較にならないエネルギーの流れに、影響されやすかったみたいです。(←今日のレギュラーセションで確かめました。)
しかし。
不思議なことに、teruさんの絵が展示してある梅舎茶館さんに入ったら、すーーーっと楽になりました。
ここに長居させてもらったのですが、その間、身体はずーーーっと楽でした。
店主のヨーダさんがタダモノではないらしいというのはチラリチラリと聞いておりましたが、やはりそうなんだろうなぁ~、と、自分の身体をもってして分かりました。
そして、そのタダモノではないヨーダさんと少しお話をさせてもらうことができまして、私の今後の「絵」についての諸々のアドバイスもいただきました。
お話を聞きながら、石井ゆかりさんの週報の内容がうおんうおんと頭の中を回っておりました。
まさに、あの週報のような出会いをさせていただけたのでした。
もーねーーっ、
たみえかーさん、頑張るよっ!
みんな、応援してねっ!
とりあえずねっ、まずはねっ、今週中に食器棚の中を整理をするよ!(←実はずっと気になってたの。)
さてさて。
メインのteruさんの絵ですが……。
なんじゃこりゃーー!
ですよ。ええほんとにもーーー!
なんであんな緻密な美しい絵が描けるのでしょうねぇぇぇぇ。
もちろん、絵本を先にいただいていたので、どんな絵なのかは分かっていましたが、やはり原画は違いますね。
すごいなーすごいなー、と連呼しておりました。
しかし、すごいのはteruさんだけではありませんでした…。
その日はリセンさんもお店にいらっしゃってて、作品をいろいろ見せていただきました。
私はさつきのひかりさんのブログでしかリセンさんの作品を拝見したことが無かったんですが、
ほんとーーーーに繊細で且つ芯のぴしっとした作品で、手に取らせてもらってずーーーっと眺めていました。
お花ちゃんやりゅーらさん、Katzeさんやあかやさん……にしてもそうですが、3次元でああやってモノを作れる人ってすごいなーすごいなー、と(3次元でモノを作るのが苦手な)私はただただ感心してしまいます。
さてさてさて。
非常に名残惜しかったのですが、お店もどんどん混んできましたので、我々3人はお暇しまして、代官山に行きました。
え?
なんで代官山なのかですって?
それはですねぇーー
実はじぇいど♪さんにも東京行きを申告してたんですよ。
「体調OKなら30日に東京に行くんだけどさー、予定あるー?」と訊いてみたらですねー、
がっつり予定があるーってことで初顔合わせのデートは見事にフラれたんですがね、
そのやりとりの中で、東京のおしゃれな街には天使雑貨屋がいっぱいあるんだよー、と教えてくれましてね、
田舎者の私でもさすがに「渋谷」は知ってますし、行ったこともありますけど、「代官山」ってオサレなところだと耳にはするけど、どこらへんなのかすらも知らなかったので、
これはぜひ代官山なるところに行って、天使雑貨屋を1件くらい覗いてみたい、と思ったのです。
友人たちも「いいよー。」と言ってくれたので、このお店に行きました。
このお店をチョイスしたのは、「駅からとても近い」からです。
私もNさんも体調不安定なのでね、できる限り移動は少なくしたかった、というだけの理由です。
しかしそんなふうにチョイスしたこのお店も……なんかスゴかったです。
月子さんは石酔いして、一度お店から出ないとマズかったですし、
私は私で移動中にまたしても「うえーしんどいー。」ってなってたのが、お店の中では楽……とは微妙に違うなぁ~…「しんどくない」が正解かなー…でしたし、
Nさんも問題抱えてる部位がすごく軽いよーって言ってましたし、
さすが代官山で実店舗出してるだけあるね!と思いました。(←なんだそれ)
で、そこで出会ったのがこれです。
(夕日の光で撮ってるから金色に見えるけど、実物はシルバーです。)
ぐるぐるペンダント
ぐるぐるペンダント
お店の方が、このペンダントのことをいろいろ説明してくれたんですけどね、
その説明がねー、MAPセションで言われたこととかねー、ヨーダさんに言ってもらった言葉とかとねー、なんかもーだだかぶりなんですよぉぉぉぉーーー。
そして、teruさんやヨーダさんに見てもらおうと持参した新作の絵の色ともだだかぶりだったんですよー。
(話の流れから図々しく店員さんにも見てもらっちゃえーと鞄から出してみて、自分でもビックリしましたわ。ペンダントと同じく七色やーん、って。)
All is Well
ああ~、これは買った方がいいよなー……
と、内心思ってはいたんですよ。
お金もお財布にちゃんと入っていたんですよ。
でもねー、
無駄遣いにならないかなー、子供たちの体操服何枚買えるかなー、とか、主婦目線な私もいるのでね、
うあああーって迷っていましたら、
月子さんに「Oリングしたら?」と言われまして…。
「アナタ、そうでもして納得しないと無理でしょ?」
と、月子さんに笑いながら言われました。
はい、まったくもってそのとーりです。
で、案の定ですよ。
店員さんにもNさんにも月子さんにもやってもらいましたが、案の定ですよ。
というわけで、購入してまいりました。
……そしたらですね、
本日のお昼頃に行ったMAPのレギュラーセションでこれまたなんかもーいろいろありましてー……セション後に脳内ですこんと
「(今回のあれこれの後の)安定化のために、小一時間ほどペンダントしておけ。」
と言われましてね…。
早速、ちゃっかりアイテムとして使われててるやん!
と、驚きました…。
ええ。ほんとにねぇ…。
お父ちゃんがお休みの日で、1日中子供たちの相手をしてくれて、子供たちと一緒にハヤシライスを作っておいてくれてたので、
帰宅後すぐに大倉氏の決勝戦の太鼓を見ながら、うまうまのハヤシライスを食べました。
おかげさまで、とても濃い1日を過ごすことができました。
ありがとうございました。

2008年6月8日 「なにみえ遠足」に行ってきました。

昨日の夜、「なにみえ遠足」に参加させてもらいました。
そのレポートを書かせてもらいます。
が。
「なにみえ遠足」の話をする前に、ちょっと説明を。
遠足では「宇宙ステーション」と言われるところに、派遣されたドラゴンちゃんに中身を抜いてもらい、連れてってもらう、というものでした。
大浴場に入って、大宴会……という予定でした。
その宇宙ステーションですが、次元をまたがって存在するそうで、広さもハンパじゃないそうです。
また、いろんな人(?)がたくさん働いていて、夜な夜な寝てる間にステーションに行って働いてる、という人も多いそうです。自覚なくてもね。(そこの君もそうかもよ!)
自覚ナシと言えば、あの船井さんも自覚ナシで宇宙ステーションで先生をされてるそうです。
船井さんの友人の孫が宇宙ステーションで教育を受けることになり、向こうの船井さんがこっちの船井さんにメッセージがあるから伝えてくれ……という、そういう話を船井さんの本で読みました。
「なにみえと一緒じゃん。」と、思ったものです。
また、私にとっては、この宇宙ステーションのことは、「まるで村田先生の本のミニサイズやなぁ。」といった感覚が強くありました。
村田先生というのは、白光の「長老」さんのお一人だった方です。
五井先生のお弟子さん、と言えばいいですかね。
会員でもない私は、五井先生はもちろん村田先生もご存命中にお会いしたことなんてありませんが、この村田先生が書かれた本を1冊だけ持っています。
村田先生が統一(瞑想みたいなもんだと思ってください。)中、金星からの円盤に乗って、金星の社会を見学してきた時のことが書かれています。
金星って、灼熱の星じゃないの?って思いますよね。
もちろん、三次元的にはそうです。
でも、上の次元では違う世界があるのです。
その世界のことを書かれているのですが、さすがの村田先生でも『波動調整』が何度か必要だったようです。
今回の「なにみえ遠足」は地球圏のことですから、村田先生が受けられたような『波動調整』は必要なさそうでしたが、それでも事前から浄化が起こっている人もいて、しっかり保健室の先生(ヒーラーさんたち)が対応してくれていました。
私の場合は、5月中旬の不調が遠足行きのための浄化だったような気がします。
また、帰宅後も気が上がりっぱなしとか、中身がズレてるとかで、体調不良などが起こる場合があるので、保健室の先生方がスタンバっててくださってます。
ありがたいことです。
実は、この遠足後の体調不良が心配で、何度もキャンセルを考えました。
しかし、マイミクのともこさんに会いたいという気持ちと、なによりも「行きなさい。」と言われてるような感覚がとても強かったので、勇気を出して行くことにしました。
この「行きなさい。」とお膳立てしてくれたのは、守護霊さま守護神さまであるとは思いますが、どうにも村田先生がからんでるような気がして仕方がありませんでした。
上では団体行動なのに、村田先生にお会いできるのか???と、不思議に思っていましたが、どうしてもどうしても村田先生に呼ばれている感じがしてなりませんでした。
村田先生については、もうひとつ話しておかなければならないことがあります。
それは、ウチの弟1号が以前夢の中で村田先生に玉をもらったことがある、ということです。
「村田さんの顔も知らんのに、村田さんだって分かったんだよー。」と弟は笑って言ってました。
と、事前に書いておかなければならないのは、これくらいですかね。
さてさて、ここからが遠足の話となります。
ドラゴンちゃんがやってくる前に、瞑想状態になります。
と言っても、横になってるだけなんですが。
そして、突然なんだか体の輪郭がぼわ~~っと大きくなったような感じがしました。
「ああ、ドラゴンちゃんが来てくれたっぽいなぁ。」と感じました。
私は自分は寝落ちをするんだろうと思っていたのですが、ところがどっこい。
以前に受けた催眠療法のような感覚、それももっと深い感覚になってきました。
ですから、横になっている三次元の私の顕在意識は冴え冴えとしています。
けれども、自分の中からいろんなイメージが湧いてくる……という状態になりました。
ここで、横になっている私を「三次元の私」、ドラゴンちゃんに連れてってもらった中身の私を仮に「四次元の私」とします。
本当はメンタル体だかエーテル体だかアストラル体だか……って名称の方がしっくりくるのかもしれませんが、よく分からないのでそういうことにしておきます。
「三次元の私」に対して、上から「四次元の私」の情報が降りてくる…と言ったらいいでしょうか。
ただし、そもそも三次元の顕在意識に対して、四次元の情報がそのまま送信されたらかなり容量オーバーっぽいので、おそらくかーなーりデータ圧縮がかかってそうでした。
ですから、紙芝居をさっさっさっさっと見せられてるような感じでした。
そして、後から書きますが、この遠足で「四次元の私」は延々と楽しんでいたようなのですが、「三次元の私」に対して送られてくるデータが、「五次元以上の私」であることの方がはるかに多かったのです。
つまり、お風呂や宴会で楽しんでいる「四次元の私」以外に、さらに次元の高い「私」が存在し、多くはそれに対してフォーカスされていたのです。
「四次元の私」は、なんだか点呼をされてるような感じだったり、みんなと宴会で歌ったり踊ったり、おしゃべりしたりしてたようです。
マイミクのともこさんとも楽しくおしゃべりしてたようです。
ともこさんが照れ笑いをしているイメージが浮かびましたし。
そして、どうやら誕生日会もしてるっぽかったです。
電気を消してロウソクに火をつけてるような感じがしましたから。
また、じぇいど♪さんやちゅまちゃんにもお礼を言ってたようです。「四次元の私」は。
そうそう。じぇいど♪さんのことを「先生。」または「師匠。」と呼んでたみたいです。
それから、長い黒髪の女の人と、「光の交換」もしてました。
それが何かはよくわかりませんが。
そして、大盛りのカレーをそれは美味しそうに食べてました。
「三次元の私」には味までは伝わってきませんでしたが…。残念。
こんなふうに、ちらちらと見える「四次元の私」はずーっとそれはそれは楽しそうにしていました。
「まだまだ宴会は続くのかなー?」と「三次元の私」が思い始めてから少しして、蛍の光の曲が流れたのか、誰かが歌ったのか、が聞こえたような気がしました。
すると、ドラゴンちゃんに乗って戻ってきたような感覚になりました。
目を開け、隣の部屋のお父ちゃんに時間を聞いたら11時20分でした。
では、「三次元の私」に対して、それよりもたくさん送られてきたデータとは何か。
それは、まず大浴場のことでした。
どうもお風呂に行ったみたい、と「三次元の私」は感じました。
その時、遠足前にお父ちゃんが言ったことを「三次元の私」は思い出しました。
「お風呂の真ん中で、『我即神也』の印を組んでみたら?」
そんなこと、できるんかなー?と「三次元の私」が思った瞬間でした。
ココに書いたような状態になりました。
そうなんです。
阿弥陀さまになって、黄金の光をぶぉ~~~~~~っと放っていたのです。
阿弥陀さまが印を組み、黄金の光で溢れたのです。
遠足後、お父ちゃんが言ったのですが、おそらくこれは「四次元の私」ではなく、さらに高い次元の、仮に「八次元の私」とでもしましょうか。
そういう高い次元の私が、阿弥陀さまの一部となって、光を放っていたのでしょう。
みんなと楽しくお風呂に入っている「四次元の私」ではなく、さらに高い次元の「八次元の私(=阿弥陀さまの一部)」の情報の断片が紙芝居のように送られてきたのでした。
「三次元の私」が少し驚いていると、目の前に男の人が現れました。
村田先生だと思いました。顔も知らないのに。
でも、絶対にそうだと思いました。
村田先生はニコニコされながら、小さな杏ほどの大きさの玉を私の片手に乗せてくれました。
そして、もうひとつの玉を私の額に埋め込んでくれました。
ここでの出来事については、これだけしかイメージが送られてきませんでした。
次に、宴会場で、でした。
時々、「四次元の私」ではなく、「五次元の私」とでも言うべき「タミエル」が出てきて、遠足にきていた人たちをハグしていました。
これは、「四次元の私」がしていたことを、タミエルの視点でデータが送られてきたのではないか、と思いました。
また、宴会の終わりがけに、タミエルが廊下のようなところにいました。
もちろん、その時も「四次元の私」は宴会を楽しんでいました。
タミエルは外の景色、おそらく地球ではないかと思うのですが、それを見ながら感慨深くなっていました。
「(他の星から)この地球にやってきて、たくさんの、本当にたくさんの人生を生きた。辛い人生もあったけれど、でも私はその全ての人生が愛しい。この星からもいつか去らねばならないけれど。」
と、タミエルの想念が伝わってきました。
そして、タミエルはこうも想いました。
「この星で肉体を持つのは、これで最後だ。」
「三次元の私」は、「えええー??大トリが私でいいんすかーー???」と、少し焦りました。
けれど、世界平和のお祈りをしている者は輪廻から解脱しますよ、と五井先生も言っていたので、焦りを感じる反面、それは納得できる言葉でもありました。
今朝、弟1号に電話でこの話もしたのですが、弟が
「最澄さんだって、解脱した時は名もない漁師さんやったんやで、たみえさんが最後だておかしくないよ。」と、言ってくれました。
大トリだからこそ、地に足をつけた生き方をして死んでいこうと思いました。
子供を育て自分も育て、みんなと育ちあいをしながら、平和の祈りが常に心の中で響きわたる人生を、これからも生きていこうと思いました。
こんなふうに、遠足は『とても楽しんでいた「四次元の私」』と、『村田先生に玉をもらった私』と『タミエル』が交錯したものとなりました。
あ。ちなみに。
村田先生から手に渡してもらった玉は、寝る前にお父ちゃんの手に「はい。お土産。」と渡しました。もちろん何も見えませんが。
たまたま光の具合で手のひらが光って見えたお父ちゃんが「光ってる~~。」と言ったので、「額に当てて埋めろ。」と指示しときました。