お庭が「居場所」だった女性

居場所は大切って記事を昨日書いたわけですが。
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-939.html
居場所と言えば、ある過去世の女性のことが思い浮かびます。
これもいい機会なので、ブログに書いておこうと思います。
あ。
あくまで私の中の物語だと思って読んでいただければ、と思います。
数年前に思い出したその女性は、15世紀くらいのイタリア人で、ルチアという名前だったように思えるので、そのように呼んでます。
おそらくミラノから少し離れたところの、田舎貴族の娘なんだと思います。
数年前に、たまたま別件で調べ物をしていて、「スフォルツァ家」という文字を見て、「あ……!」と思ったのですが、どうもスフォルツァ家と多少の縁があったような気がします。
でも、どうしても田舎の(たいしたことのない)貴族のような気がするので、日本語で調べても出てこないような、そんなレベルの家だと思います。
お父様には妾さんも何人かいたようで、兄弟姉妹は多かったような気がします。
特に姉なのか妹なのかは分かりませんが、ルクレツィアという名前の姉妹が美しくて頭も良かったので、お父様はとてもかわいがっていました。
もしかしたら双子だったのかもしれませんが、とにかくすごく年の近い姉妹だったような気がします。
しかし、ルクレツィアとは正反対で、ルチアは美人でもなければ、頭も少し弱かったのです。
今で言うところの軽度知的障害だったんだろうな、と思います。
気の利いた会話もできないですし、理解できないことも多くありました。
テンポもゆっくりで、端から見たらぼーっとしてることも多かったようです。
ですから、お父様にとってはルクレツィアは良い家に嫁がせることができる「良質の駒」でも、ルチアは「使えない駒」だったようです。
かと言って、厄介者扱いをされていたわけではなかったのですが、自分でも兄弟姉妹に劣ることは分かっていました。
……いえ、もしかしたら、ほんとうはイヤミとかも言われていたのかもしれませんが、それがイヤミだというのも分かっていなかったのかもしれません。
そのせいか、人と会話しなければいけない室内に居るよりも、ルチアは1人で庭にいることが多かったようでした。
庭が彼女の居場所だったのです。
そんな彼女にとって、唯一彼女を心底かわいがってくれていた「年の近い叔父さま」だけが理解者でした。
おじいさまが若い女に産ませた子だったようで……何がどうしてかは分かりませんが、どうも彼も居場所か無かったみたいなのです。
彼にとっては、(頭が弱いせいであれこれ計算することができないために)正直でのんびりしているルチアだけが居場所だったのかもしれません。
でも、そんなこともルチアには分かりませんでした。
ただ、叔父さまだけがいつでもとても優しく接してくれるので大好き、と思っていただけでした。
そんなルチアも、15歳だか16歳だかの時に、嫁ぎ先が決まりました。
嫁ぐ日の前日、庭で叔父さまともお話をしたのですが、最後に見た叔父さまの顔がちっとも喜んでいなくて、ルチアには不思議でした。
こんな自分でも嫁ぎ先が決まって、みんなは喜んでくれているのに、どうして叔父さまだけはあんな悲しそうな顔をしているのだろう?と、不思議で、そして心が少しキュっとしたのでした。
今の私からすると、そんなの心配と寂しさと、そして多分ちょっと強引に後添えとして嫁がせる…みたいな結婚だったので、それに対する怒り…が入り交じった顔してたやん!って分かるんですが、ルチアには分からなかったんです。
そして、実はこの時の叔父さまの表情と同じ表情を、とある人がしていて、それを見てぱーーーっとルチアのことを思い出したのです。
数年前に。
嫁いでから、ルチアは一度妊娠したものの流産したようで、それから妊娠することはありませんでした。
けれどもそれが嫁ぎ先での彼女の立場としては逆に良かったようで、30歳過ぎで亡くなるまで淡々とおだやかに時間が過ぎていったようです。
相変わらず庭が彼女の居場所だったようですが。
しかし、叔父さまが戦いの場で亡くなったという報せをもらった時だけ、激しく泣きました。
おそらく彼女の人生の中でたった一度だけの経験だったと思います。
今の私の意識感覚からすると、ルチアの意識というのはいつも紗がかかったような感じで、なにもかもが若干スローに感じるのですが、
この時だけ意識が透明なクリスタルのようにクリアになり、叔父さまがいかに自分を深く愛してくれていたか、叔父さまのことをいかに自分も深く愛していたかを自覚したのでした。
ミカエルが言うには、ルチアの人生というのは一休みの人生なんだそうです。
たしかに、田舎貴族といえども一応は貴族なので、食べるものには困らなかったようですし、
頭が少し弱くて、いつも意識にふんわり紗がかかったような女性だったので、(イヤなことももちろんあったんですが)そんなに深く考えることもなく、ニコニコしながら生きることができたようなのです。
そして、深い愛もちゃんとあったのですから、まさに一休みの人生だったんだろうな~、と私も思います。
その前の人生が過酷なものだったので、ここで一休みが必要だったのかもしれません。
ところで。
私はすっかりさっぱりこの記事のことを忘れていたんですよ。
http://plaza.rakuten.co.jp/californiajade/diary/200802070000/
で、
「私の過去世の女性がねー、どうも15世紀のイタリア人だったみたいだなー、とはずーーーっと思ってたんだけどね、どうやらスフォルツァ家って貴族とちょっとだけ縁がある人みたいやわー。」
と、ある時メールについでに書いたらですね、
「それ、ベアトリーチェの嫁ぎ先だよ。」
と返事をもらいまして、え……???ってなったことがあります。
ごめんね。
ルネサンス期イタリアの貴族って、フィレンツェのメディチ家しか知らないんだよーーー。
高校の世界史の先生がねー、
「お前らな、美人は血筋なんだから仕方がないってのは歴史が証明してるんだ。ハプスブルク家は美人ばかり生まれたそうだが、メディチ家はブスばっかり生まれたんだぞ。だからお前らが美人じゃないのも仕方がないことなんだ!」
と、そんな本当か嘘か分からない話を力説してくれて、その印象が強すぎてメディチ家しか覚えてないのよぉぉぉぉ。
ま、でもね、ルチアはほとんど外に出なかったみたいだし、ベアトリーチェみたいな名家の女性と会うことも無かっただろうな、と思ってたんですよ。
ずーーっと。
そしたら先日、何かの拍子にルチアが私に
「ベアトリーチェ・デステなら会ったことあるよ。」
と言ったんです。
あ、脳内会話でね。突然ね。
ほんとにー?
でも貴女、嫁ぎ先のおうちからもほとんど外に出なかったんじゃないの?
と問うと、
「一度、何故か旦那様が私を連れ出してくれたことがあったの。でも私はやっぱりそういう場に馴染めなくて、お庭を見てくるって言って、独りでお庭にいたの。その時に彼女がやってきてね、お話をしたの。これがね、楽しかったのよ!」
と言うので、
ベアトリーチェはどんな人だった?
と再び問うてみたところ、
「別れ際にね、お花をくれたから、いい人だと思うわ。」
と、微笑んで答えてくれました。
お花をくれたからいい人…って、ルチアらしいなぁ~、と笑っちゃいました。
これらのことが、ほんとうに「事実」なのかどうかは分かりませんし、事実かどうかをガンガンにこだわる必要も無いと思うのですが、
とにもかくにも、私の中ではそういう物語になっている、ということだけは、私にとって「真実」なんですね。
で、
その「真実」は、ベアトリーチェの今の人と私との関係性にも反映されてるような気がしたんです。
ドロっドロな人間関係が当たり前だった当時の貴族社会にあって、
お庭でばったり会って、(おそらくベアトリーチェがルチアに合わせて)たわいもない話をして、珍しく『楽しく会話をする時間』を過ごして、最後にお花をくれて「いい人だったな~。」という印象が強く残った……なんてね、
ネット世界でばったり会って、たわいもない話をメールでしょっちゅーやりとりして楽しくて、でも時々とっても大切なことも教えてもらって、「いい人だなー。」と思ってる今の私と同じようなもんだな、と思うわけです。
笑っちゃいますね。
ま、ベアトリーチェの今の人がそれに関してどう思ってるかは知らんけどね!
(多分、面白がってるとは思うが。)

おれは庭でトカゲを狩るけどな。
昨日はカエルも狩ったぜ!
デカいやつ!デカいやつ!
『それを勝手口の前に置いておくのはヤメて。』