「ディスレクシアなのは辛い。悔しい。悲しい。」と娘が泣いた。


ディスレクシアというハンデがありつつも、娘は漢字の練習を日々頑張っております。
今年の担任の先生は教師になって2年目の新人さんで、国語専攻だったようなので、ディスレクシアの子がどのように漢字を覚えていくのかを興味深く観察しているようです。
「先生ねぇ、私が漢字テストやってる時にじーーーーっと見てるんだよ~。」と娘が笑ってました。
なかなか100点は取れませんし、どうしても棒が一本抜けたり多かったりして間違うことが多いのですが、娘なりに頑張ってるのは十分伝わってきますし、
書いて覚えるのが苦手ですから、文字を分解してパーツごとにし、そこからまた再構築するという手順を娘と一緒におしゃべりしながら手伝うこともちょいちょいあります。
ですが、
やはり娘としてはしんどいのでしょうね。
昨日は宿題の漢字練習をした後に泣きだしました。
「みんな100点取れるのに、私は全然取れなくて、ダメな時は30点とかになっちゃう。
みんなすぐに漢字を覚えられるのに、私は覚えるのも苦手だし忘れちゃうし。
凸凹の凹だってのは分かってるし、凸があるから凹があるってのも分かるけど、
でも、やっぱりディスレクシアなのは辛い。すごく悔しい。すごく悲しい。」

と、私に抱きついてわんわん泣きだしたのでした。
娘をぎゅっと抱きしめて、「そうやね。辛いよねぇ。辛いに決まっとるよねぇ。悔しいよねぇ。悲しいよねぇ…。」と、背中を撫でてあげました。
娘は割と長い時間泣いていたのですが、その間ずーっと背中を撫でてやりました。
そして、ちょっと落ち着いたかな、というところで、こうなふうに話してみました。
「お母さんのお友達にさ、勉強もできてピアノもお習字も上手で、なんでもできる子がいたって前に言ったやろ?
お母さんもあの子くらい勉強ができたら、ほんとうにやりたかった勉強がもっとできただろうにって、悔しかったし悲しかったから、娘ちゃんの気持ちも少しは分かるんよ。お母さんは。
でもね、あの子ね、結婚しとらんの。
すごい入るのが難しいとこに入ってすごい難しいお仕事をバリバリしてるくらい頭も良くて性格もいいし元気やし何でもできるのに、結婚のご縁だけは今まで無かったんやろうねぇ。
別に結婚せんでもいいんやけどさ、多分あの子はずっと結婚せんと仕事を頑張る!とか思ってたんではないと思うんよ。
きっと好きな人もおったやろうけど、ただ単に結婚のご縁が無かったんやろうなー、って思うんよね。
何でも持ってるように見えても、人間は何でも持ってるんやないってことなんやよね。
あの子ももしかしたらこれからご縁があって結婚するかもしれんけど、結婚したとしてもさすがに子供は産めんやんね。
お母さんと同い年なんやから。もう難しいやろうね。
あの子とお母さんで、どっちがいいかってことやないのは分かるよね?
お母さんの持ってないものをあの子は持ってて、あの子が持ってないものをお母さんは持ってる、ってことなだけやんね。
みんなそうなんよ。
何かを持ってなくてしんどかったり辛かったりするかもしれんけど、どれだけ恵まれてるなーって思える人でも同じなんよ。
みんな何かを持ってて、何かを持ってないんよ。」
娘は、涙をいっぱいに溜めた目を見開いて、真剣な顔で私の話を聞いていました。
そこでちょうど「アイカツ」が始まったので、娘はテレビを見始めました。
まぁそれでいいかー、と思った私は、夕飯の準備をするために台所に行きました。
わーっと泣いて、きっと少しはスッキリしたと思いますし。娘の心も。
そいえば、
しんどい辛い悲しい、と母親に泣きついたことって、4年生にもなるともう無かったんじゃないかなー……と、自分のことをちょっと振り返って、そう思いました。
そういうことができなかったのです。
そういう意味では、溜まったものを母親に泣いて吐き出すことができている娘は、素直でいいなぁ~、と少し羨ましさすら感じました。
ありがたいことですね。
こうやって泣いてくれるってのは。

娘はディスレクシア★その5★


GOD IS IN CHARGE
ディスレクシアについて、娘に話したほんの数日後、
学校の教務の先生から、「○日に(スクールカウンセラーさんとは別の)教育委員会の心理士さんがいらっしゃるので、カウンセリングはどうですか?」と電話がかかってきました。
本人にも話してしまいましたし、私自身もかなり整理がついたところだったので、カウンセリングしてもらう必要は無かったのですけど、
せっかくなので時間を取ってもらいました。
スクールカウンセラーさんの予約のために、教務主任と教頭先生には少しお話をしましたが、その後学校に何も連絡していなかったので、教務主任が心配してくれたんだろうなぁぁぁー、というのがよく分かってありがたかった、というのもありました。
いえね、ちょうど運動会の練習も大変な時期だったのでね、先生方が多忙なのは分かりきってましたので、運動会も終わって学習発表会の練習が本格的に始まる前くらいに、ちょっと報告しておこうかなー、とは思っていたのですが、
先に先生の方から連絡をしてもらっちゃって、あー心配かけて悪かったなー、とちょっと反省しました。
それにですね、
この心理士さんのお話を、一年前に私は聞いていまして、
PTA主催の教養講座というのが毎年あり、去年はPTAの学級委員をしていたので、出ないわけにいかないよなー、と半分以上義務感で出席したのですが、その時に「あー、この先生はほんとにいい人だなー。」とお話を聞きながら思ったのです。
そのようなこともあったので、この1カ月の怒濤の経緯をこの心理士さんに話すことで整理するのもいいかもな、と考えたのでした。
悩んでいないのにカウンセリングの時間を取ってもらっちゃって申し訳なかったかなー、と思いましたが、
こんなふうに気がついて、こんなふうに考えて、こんなふうに相談して、こんなふうに本人に話して、こんなふうに自分自身にも折り合いがついて……と、心理士さんにお話をしたら、(心理士さんはちょっとした良いことでもうんと褒めてくださるので)たくさん褒めていただきまして、
おかげで、自分は今までどおりの子育てをしていたらいいんだな、と思えて、それがとてもありがたくて嬉しかったです。
これはとても大切なことだと思うのです。
子育てに正解はありません。
正解が無いからこそ、お母さんたちはいつもいつも「これでいいのかなー?」と迷いながら毎日の子育てをしています。
なので、「それでいいですよ。」と言ってもらえるということは、ほんとうに心が軽くなるのです。
……そして、心理士さんは守秘義務があるので学校にも許可なく情報は漏らしてはならないとのことですが、
「あ、すみませんが、ここで話したことは教務主任にざっくりとでいいので話してください。運動会があって先生方は忙しいだろうなと思って、前回のカウンセリングの内容もその後のことも、まったく学校に報告していないので、教務主任が特に心配してくださってると思うので、よろしくお願いします♪」
と、心理士さんに丸投げして帰宅しました。(だって先生方みなさん忙しそうだったしー。)
で、その数日後に、他の用事で学校に行った時にお昼休みだったので、今ならいいかなー、と教務主任を尋ねまして、お礼を言うことがやっとできました。
すると、教務主任が、
「娘ちゃんのディスレクシアについては、担任以外にも話していいですか?」と訊いてきたので、
「ええもちろんいいですよー。先生方みなさんで勉強していただける方がありがたいですので、よろしくお願いします。」と、答えました。
先生方には娘を通してディスレクシアのことを勉強してもらって、他の学校に転勤になった後に、そこの学校でいろんな先生にお話してもらえたらありがたいなぁ~、と思ってます。
今後、もしもっと考慮をお願いしなければいけない事案が発生したら、その時はその時でまたお願いするとして、
今のところは学校とのやりとりはこれで十分かなー、と思いました。
ここまでがほぼ一カ月の間の出来事でした。
★★★
こうして、いきなり目の前に現れた山をとりあえずは越えたかな~、やれやれ~……と、落ち着いたところで、
別件で月子さんやじぇいど♪さんとやりとりをしていた話題から、突然「いつものあの感覚」に陥りました。
過去世のデータにアクセスした時の感覚です。
いきなりばーーんと「分かった」のでした。
ああ……そうだったのか。
私の過去世には、高い能力があるのにそれを全く活かさなくて、周囲の誰ぞに「なんて勿体ない…。」と思わせてた人が……男性でも女性でもいたんだ……。

今の自分は「なんて勿体ない。」と思う立場になっています。
それをカルマと言っても差し支えないとは思いますが、それは魂がどっちの立場も経験したかったから、という解釈の方が今回は特にしっくりくる感覚がしています。
あー……
さらにう~んっと遡ればーーーー……
当時ちょいとばかりナナメにモノゴトを見て生きてたタミエルも親友のテオくんに「お前、もっとちゃんと前向きにやれよ。勿体ないぞ。」と度々言われてたので、
この「お題」はなかなかに年季の入ったものなのかもしれません。
と。
今と正反対の立場にいた時の「感覚」みたいなものをうっすらとでも感じてみると、
不思議なことに、この「お題」に関わるコンプレックスがしゅるしゅる~っと融けていくような、そんな感触がしてきたのです。
全部が全部融けちゃったというわけではないとは思うのですが、それでもかなりの部分がしゅるしゅる~と融けたような、そんな感触がしたのでした。
ふっと身体も軽くなったような、そんな感覚にもなりました。
「頭が良くなりたい。」という欲求が無くなったわけではないのですが、
どこか、今までより深く自分を受容できたような、そんな感覚になったのでした。
家族や、親しい人たちというのは、同じソウルグループに属していると言われたりしますが、
本当にそうなんだろうなー、とあらためて思いました。
娘がディスレクシアだと気づいた時に、まさか自分の、魂レベルでの自分の「お題」と向き合うことになるなんて思いもしませんでしたが、同じソウルグループの魂同士で磨き合っていく、というのは、こういうことなのでしょうね。
この日記
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-1107.htmlや、
この日記
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-1117.html
に書いたことも、実はこのような背景があったから感じられたことだったのです。
過去世のことを知ったり高次元の自分を認知することで、確かに複眼的に自分を見て感じて知ることができるのも確かですが、
当然ですけれども、ソウルメイトたちと魂を磨きあうのに、過去世を思い出す必要もないですし、高次元の自分を認識する必要もないと思います。
今のこの肉体で生きている自分が、今この世界で一緒に生きている人たちと、いかにお互いを高めあう関係でいられるか、そういう関係をどのように築いていくか、が一番大切だというのは言うまでもありません。
そういう意味でも、家族が与えてくれる課題というのは、それがいかにネガティブなものであろうと、真正面から取り組むことで自分を知り、自分の魂を磨くための一番の近道のように思えます。
(念のためゆーときますけど、真正面から取り組むってゆーてもね、たとえばDV夫から逃げるな、ということじゃないよ。DV夫から逃げるとか毒親から自立するとかは必要なことですもん。)
だいたいねー、家族の問題ってーのは、めっちゃハードなもんですもんねぇぇぇぇぇ。
だからこそ自分の魂は、今の自分の肉体を、今のこの家族を選んだわけですから、ハードであればあるほど「のびしろ」はものすごく大きいのでしょうね。
「こんなハードなチャレンジしたくなかったわー。もっと楽なのが良かったわー。」と思っちゃうこともしばしばですけど、ほんとこればかりは仕方がないですね…。
そんなわけで、
ソウルメイトのみなさん、これからもどうぞよろしくお願いします♪

「うむ。」
★★とりあえず、おしまい★★

娘はディスレクシア★その4★


頭が良いということは、私にとっては『とても好ましいこと』となっていました。
もちろん、頭が良いということは、単なるひとつの長所でしかないのは分かっています。
それだけが評価の指標ではありません。
ただ、前回の日記に書いたように、私にとっては大事な要素となってしまっていた、ということです。
そんな私にダウン症の息子が生まれたことで、私の中のさまざまなものが瓦解しました。
それは見事なくらい壊れまくり、そして新しい価値観を私に見いださせてくれました。
当然ですけど、息子が健常児だったらなぁ~…という気持ちは、今でも時々起こります。
それは障害児の親の多くがそうなのではないか、と思います。
子供の成長に伴い、わが子の自立について考えた時に、障害児で良かったなんて思うわけがありませんものね。
ウチの子よりももっと希有な障害がある子供を持っている友達は、
「この子より先に死ねないよねー。」
と笑って言ったことがありました。
「そうだよねー。」
と私も笑って言いました。
やっぱり、切ないですよ。
けれども、それとは違った次元で、知的障害のある子として生まれてきた息子に感謝しているのです。
私の中のさまざまなものを壊してくれたからです。
しかし、
しっかりと土台は残っていました。
娘がディスレクシアだと気づいてから、そんな「土台」の在り処をまざまざと見せつけられることになりました。
娘は、ブ子を飼い始めてからずっと獣医になりたいと言っています。
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けれども、ディスレクシアだと勉強するのにそれなりのハンデがあるわけですから、ただでさえ大学の獣医科は少なくて入学が難しいのに、彼女にはとてもハードルが高いものとなってしまった……と、思った途端、
14歳で夢を手放したあの日のあの気持ちが蘇ってきました。
この子も私と同じ気持ちを経験するのかな……、と思ったら、ほんとうに悲しくなりました。
……が、
それはほんの入り口に過ぎませんでした。
知的には問題が無いですし、
娘程度のディスレクシアならば、キーボードでの入力を覚えればいろんな表現ができるに違いないというのも分かっています。
彼女が彼女らしく生きていくのに、身動きが取れなくなるほどのハンデでは無いというのは頭では分かるのです……が、
大学受験に至るまでの勉強のアレコレを考えると、やはりそこそこのハンデですから、すごーーーく重苦しい気持ちになってしまうのでした。
何日もそんな重苦しい気持ちと向き合っているうちに、気がつきました。
私は、自分ができなかったことを娘にしてもらいたかったんだ、と。
母親が自分の夢を娘に投影する、というのは時々見かけますが、
まさか自分の中にもそのような構図が存在しているとはまったく気がついていませんでした。
息子のおかげでさまざまなものが壊れて、新しい価値観を見つけることができたと思っていたけれど、土台はしっかり残っていたのだと気づいて、かなり衝撃を受けました。
娘には、私よりも勉強ができる頭であって欲しかった。
娘には、夢を叶えるための努力が報われるだけのスペックを備えていて欲しかった。

それは、娘を通して、私の夢を叶えたかっただけなんだな、と気づいて、ゾッとしました。
ええ、ほんとにゾッとしました。
多かれ少なかれ、そういうのはあると思うんですよ。
あったらいけないことではないと思うんです。
でもね、行き過ぎはよろしくないですよね。
私の場合、自分自身に対して巧妙に隠していたことになるわけですが、それは意識したらアウトなものだったからなんだと思います。
ちょっと行き過ぎてると感じました。
ここで気づくことができて良かった、と、心底思いました。
叶えることができなかった夢を、(たとえ無意識だったとしても)娘を通して叶えようとしたままだったら、娘の成長のどこかのところで大なり小なり悪影響を及ぼしていたと思うからです。
自分のアイデンティティとすら言えるほどの夢を手放し、では私は不幸だったかと言えばそんなことは決してなく、
遥か遠くを見るのではなく、目の前のやるべきことをやる、という生き方を続けていても学ぶことばかりでしたし、「自分を知る旅」であることに違いはなかったです。
私の人生は、私を豊かにしてくれていると思っています。
そう思う気持ちに嘘は無いのですが、それでも人間というのは多層といいますか、様々な想いが昇華することなく自分からも見えないところで息をひそめているものなのだなぁぁぁぁ……と、あらためて「人間って複雑っ!」と苦笑いするしかありませんでした。
……と。
気づいてゾッとして、すぐに慌ただしいことになりました。
まず、娘の友達のことで、娘と真剣に話さなくてはならない状況に突然なりました。
これは今ここで娘と真剣に語り合わないといけないと感じ、娘も真剣に話を聞いてくれました。
すると、娘は私が思っている以上に深く理解を示しました。
「娘ちゃんは、ほんとうに賢いねぇ。これは勉強ができるという意味じゃなくて、人として賢いということだよ。お母さんは嬉しいなぁ。」
と、娘を褒めまくりました。
そしてその翌日。
ソロバン塾から帰って来た娘が、怪訝そうな顔をして言いました。
「ソロバンの先生が、あなたはディス…なんとかじゃないわよね、お母さんは神経質過ぎるわね、って何度も言ってたんだけど、どういうこと?」
実はその前の週に、ソロバンの先生に手紙を書きました。
教育熱心な先生は、まだ習っていない漢字だとしても自分の名前と住所は漢字で書けるようにしておきましょう、とニュースレターに書いていました。
けれども娘はなかなか住所の漢字も覚えきれません。
ですから、最近分かったことですが……と事情を説明して、他の子よりも多少時間がかかることもあるかもしれませんがお願いします、と手紙に書いたのです。
するとその夜に先生から電話がかかってきました。
先生から見て娘が読字障害には全然見えないから、母親の私が神経質すぎると言われました。
もちろん説明を試みましたが、分かっていただけなかったので、私の方が引き下がりました。
……と、引き下がったので、それで終わりかと思っていたのですが、先生は本人にも同じことを言ってしまったのでした。
あーあ、先生ってば~~……。
まだ娘ちゃんには説明していなかったのに……。
と、内心かなりトホホな気持ちになりましたが、
前日に引き続き、ここでちゃんと娘に説明をしなければいけないと思い、(お父ちゃんが一時帰宅するまでに作らないといけない日だったので)夕飯を作りつつ、脳はフル回転で娘に説明することになりました。
人間というのは、凸凹があるんだけど、それがどういうふうに凸凹になってるかは人によって全然違う、
誰でも神様に素晴らしいギフトをもらってて、誰でも凸があるし、その反面凹がある、
お父ちゃんはIQ1XX(←たまたま前日にネットでやって、それを娘が知った)で、大工仕事も得意で車の運転も上手だけど、実は娘ちゃんのディスレクシアという凹はお父ちゃんからもらってる(← ディスレクシアについていろいろ調べ始めてみて、お父ちゃんは自分にもその「ケ」が軽くあると初めて気づいた)、
娘ちゃんの凸はお父ちゃんみたいに点数や数字として表せるものじゃないけど、昨日の友達についての話の後に、お前はとても賢いと褒めたでしょ?それなんだよ、
他にもきっと凸はあるから、そこは努力して上手に伸ばして、たくさんの人を喜ばせるものにすれば、お金持ちにもなれる(←これも前日にお父ちゃんと娘が話してた。お金持ちというのはたくさんの人を喜ばせることでなれるものだ、ということを話してた)、
そして、凹は他の人と同じやり方では上手にできないことが多いから、やり方を工夫しないといけないんだけど、それはいろんな人がいろんなやり方を本やネットでも教えてくれてるから、それを取り入れればいいだけのこと、
(ちょうど娘が、動物のお医者さんもいいけど物書きもいいな、と言い出したところでもあったので)物書きは娘ちゃんの凸を活かすにはとてもいい職業の1つだとお母ちゃんは思うけど、でも他にもやりたいことが出てくるかもしれないし、そのためにも学校の勉強はちゃんとした方が良くて、そこで苦手な部分はやり方を工夫することできっとうまく乗り越えられる、
などなどを、夕飯を作りながらも丁寧に丁寧に話しました。
最初はショックを受けてた娘でしたが、だんだんと顔が晴れやかになっていきました。
そして、
「じゃあなんでソロバンの先生はあんなこと言ったの?」
と訊いてきました。
「お母さんは、お兄ちゃんが障害児なので、障害についてダウン症だけじゃなくて他にもいっぱい勉強したから、ディスレクシアについても知ってたんだよ。
それはカウンセラーさんにもよく3年生で気がついたね、と褒められるくらいだったけど、
学校の教頭先生も教務の先生もディスレクシアを知らなかったんだよ。
なので、ソロバンの先生もディスレクシアについて全く知らなくて当たり前なんだよね。
ただね、とても熱心で真剣にいつもみんなを指導してくれるいい先生だけど、自分の意見が強すぎて他の意見がなかなか耳に入らないところが少しあるみたいで、それで先生の中では娘ちゃんが読字障害とは思えないから、娘ちゃんの漢字テストの点数が悪かったことを気にしすぎてお母さんはあんなことを言い出したんだろう、娘ちゃんのお母さんは神経質すぎるなぁ……、っていう結論になったんだと思うよ。」
と、説明してやったら、
「あ!それも凸凹だ!そうでしょ?!先生にも凸凹があるってことだね!」
と、娘は目を輝かせながら言いました。
「そう!よく気がついたね~。そうなんだよねぇぇぇ。先生にも凸凹はあるんだよ。学校の先生だって同じだよ。
子供も大人も誰でも凸凹があるんだけど、その凸凹は人によって全く違うから、自分でも分からない人がいっぱいいるんだよ。
自分でも分からないから、凸に気づかなくて上手く伸ばせないとか、凹を上手くカバーできないとかで、自分には良いところがない、ダメなところばかりだ…と思い込んじゃう人も少なくないんだよねぇ…。勿体ないよねぇぇぇぇぇ。」
と話す私の言葉を娘は真剣に聞いていました。
その後も、ちょいちょいと凸凹は誰にでもあるよ、という話をいろんな人の例を出しては娘にしています。
ちょっと前からローマ字を学校で勉強するようになって、やはり娘は苦労しています。
仕組みは分かるけれど、子音がなかなか覚えきれずにパッと書けないのです。
「ディスレクシアっていう凹じゃない方が良かったなぁ。」と言ったりもしますが、
どんな凹だって凹をカバーする努力は簡単ではないということを彼女なりに分かっているので、ちゃんと努力を続けています。
そして私も、夕飯作りながらでも真剣に娘に説明したことによって、おおよそ整理がついたような、そんな感覚になりました。
(なのでソロバンの先生が娘にアレコレ言ったことも結果オーライと思っております。)
★★もう少しだけ続く★★

娘はディスレクシア★その3★


私の周囲には、IQの高い人が多くいました。
死んだ父親もおそらくそうなのですが、弟たち、特に下の弟が抜きんでてIQが高かったそうです。
友達も賢い子が何故か多かったのですが、小3からの一番の親友は学年でトップクラスの頭脳を持っていました。
大学生の時から付き合っている旦那さんもIQが高いタイプです。
会社に入れば、さらに周囲にはバカっ速いCPUを搭載してるいる人がわんさかいる状況となりました。
地方といえども国立大学を卒業しているので、時々「頭良いんですね。」と言われることもありますが、常に自分よりもうんとIQの高い人たちが周囲にいたので、セルフイメージとしてはどうしても『すごく悪いってことはないだろうけど、頭はちっとも良くない』というところでずーっと安定していました。
実際、IQは高くないですしね。私。
小学校でIQテストをしている時も自覚しながらやってましたもん。
「あー、これはダメだわ。」って。
それでも、自分よりIQの高い弟たちや親友のことを羨ましがったり妬んだりすることは一切ありませんでした。
親友は何でもできる子だったので、「すごいなー♪」と純粋に思っていましたし。
それが、ちょっと怪しくなったのは18歳の頃でした。
私は7歳の時に親に買ってもらった「宇宙・宇宙旅行」という子供図鑑を開いた時から、宇宙というものに魂を掴まれてしまい、だんだんと科学者になりたいと思うようになり、
さらに、小4だか小5の時に、カール・セーガン博士の「COSMOS」という伝説の番組を観てしまい、今で言うところの宇宙物理学の科学者になりたい、と強く強く思うようになりました。
しかし、14歳のある日、すぱーんと気づいたんです。
数学は面白いと思うけれど、どうしても苦手でうまく解けないので、これでは科学者にはなれない、と気づいてしまったのです。
ずっと持ち続けていた夢を手放した日でした。
そこからは「これになりたい」という夢はとうとう持ち得ませんでした。
まさに胸の中にぽっかりと穴が開いたような、そんな感覚をずーーーーっと感じたままで、今でもその穴は塞がってはいない気がします。
そして、18歳の時です。
県内で一番の進学校に通っていた親友が、京大の理系某部に合格したと連絡をくれました。
塾にも行かずに現役合格なんてさすがだな、と、あらためて彼女の頭の良さに唸ったのですが、
「……ねぇ。でもなんで○○科なの?」と疑問に思って訊きました。
彼女は私と同じで宇宙のことが大好きだったのに、どうして違う道を選んだのか、単純に不思議に思ったのです。
すると、
「さすがにねぇ、東大京大だとそこまでは無理だからねぇ。」
と彼女は苦笑しながら言いました。
「じゃあ、名古屋大学にしたら良かったのに。」
「うん……。でも家を出たかったからね。」
彼女には彼女のさまざまな想いがあります。
「親友」と言いつつも、私たちはお互いの深い話をしたことがほとんどありませんでした。
ただ一緒にいるだけで良かったのです。
そうやって小3の時から一緒にいたのですが、なんとなく、「家を出たかった」という彼女の気持ちも分かる気がしました。
親が毒親とかっていうんじゃないのですが、本家のお嬢さんですから、まぁいろいろ少し息苦しいところもあるんだろうな、と、なんとなくですが、分かる気がしたので、
「そうかー。じゃあ独り暮らしが楽しみだね~♪」
なんて私は言いました。
言いましたが、
とても複雑な気持ちになったのを覚えています。
宇宙や素粒子の物理学を研究する人生を歩むことができる能力を持っているのに、
そしてそれが好きなのに、
でも、彼女はそれを選ばなかった。
私が強烈に欲していた能力を彼女は持っているのに。
羨ましさや妬み、とはやっぱりちょっと違ってて、
「なんて勿体ないことを…。」という、悔しいような残念なような、なんとも複雑な気持ちになったのでした。
彼女は彼女で前向きに熟考して自分の人生を選択して進んでいるんですから、私がこんな気持ちになるのがおかしいよなー、と分かっていても、「あ~勿体ないよなー。」と、どうしても思ってしまいました。
今もその高い能力を活かして彼女は仕事をしているので、その能力を社会にも役立てていると言えると思います。
素晴らしいと思います。
……でも、ちょっとだけ、今でも「宇宙物理学の研究者になって欲しかったなぁー。」と思う私がいます。
そして、下の弟に対しても、「なんて勿体ないことしてるんだ。」という気持ちが彼の大学入試の頃からありました。
結果的に私と同じ大学に入ったのですが、それはちゃんと勉強しなかったからです。
小学生の低学年の時に、担任の先生に「この子には勉強させないでください。」と言われた、とオカンが話してくれたことがあります。
デキ過ぎて、授業がとてもつまらなかったらしいのです。
なんでもパッと分かってしまうので、「勉強をする」という習慣が全く身につかず、そのために「勉強をする楽しさ」も失ってしまったようなのです。
その頃からオカンの体調もどんどん悪くなっていっていたので、こういう子にはどのように学ばせるべきか、を考えて実践する体力が無かった、というのも大きかったと思います。
高校でもちゃんと勉強してなかったみたいです。
それでも私と同じ大学に入っちゃうんですから、地頭が良い奴ってーのは!と、なんとも悔しいような腹立たしいような気持ちにもなったりしましたが、
それよりも、やっぱり「せっかくずば抜けて高いIQを持って生まれたのに、それを十分に活かさないなんて、なんて勿体ないんだ!」という気持ちの方がうんとうんと大きかったです。
努力すれば夢は叶う……というのは、嘘です。
じゃあ、野球少年はみんなプロ野球の一軍選手になれるのか、と言えば、そんなことなくて、ほんとに一握りの人しかなってませんよね。
夢を掴むための努力はして当たり前。
でも、持って生まれた能力の高さが無ければ、努力したって叶わない夢だってあるんです。
夢を見たことは無意味じゃないし、努力は決して無駄にはならないけれど、叶わないものは叶わないのです。
なので、「頭が良くなりたい。親友や弟のような頭が欲しかった。」という強い想いは、悲しみや虚無感、勿体ないオバケなどが複合(コンプレックス)したものと共に、意識と無意識の境界の辺りに18歳の頃からずーっと漂い続けていました。
★★まだ続きます★★

娘はディスレクシア★その2★


スクールカウンセラーさんに、この10日間のことを話しました。
すると、「そうですね。ディスレクシアで間違いないでしょうね。」と言われました。
診断はカウンセラーさんではできないので、小児精神科のお医者さんに診断してもらわないといけないのですが、
今すぐに必要ということはないですよ、と言われました。
特にここの小学校の先生なら理解がありますし、急いで診断する必要はないとのことでした。
私もおとーちゃんも、診断は中学に進学する前でいいかな、と思っていたので、その時にまたカウンセラーさんに紹介状を書いてもらうことにしました。
そして、
「たくさん勉強されてるようですが、ディスレクシアのことはご存知だったんですか?」と訊かれて、
「知ってましたが、まさか自分の子がディスレクシアだとはテストが返ってきたあの日まで全く気がつきませんでした。」と答えると、
「いえ、そこで気がついたのが素晴らしいですよ。」と、カウンセラーさんが言ってくれました。
娘のディスレクシアの程度だと、なかなか親も気がつかないそうなのです。
もちろん、先生もです。
(というか、うちの子供たちの通ってる小学校の先生方はディスレクシアを知らなかったです。スクールカウンセラーさんの予約をする時に教務主任と教頭先生に説明したのです。←想定内だったので、参考資料となる印刷物を持って行きました。)
ですから、だんだんと「できないのは頭が悪いからだ。」という自己認識になっていくことも少なくないそうなのです。
また、これがもう数年後だと、(みんなより読み書きが苦手なために学力面で)劣等感も増大したところに、思春期にもなり、親にも反発するようになるので、「こうするといいんだって。」という親のアドバイスを素直に聴かなくなる子も増えるのだそうで、
大きな劣等感も無く、素直に言うことを聞いてくれる小3のうちに親が気がついたということはとてもラッキーなことなのだそうです。
さらに、ディスレクシアの子にとって何が苦手で、どのように工夫をして学習を進めたらいいのかを、親が分かっていれば、子供に無駄な劣等感を抱かせずに済むだけでなく、親自身も原因がハッキリしたことで余計なモヤモヤを持たずに済むようになります。
また、
「この程度のディスレクシアにお母さんが気づくことができたのは、娘さんが頑張ったからですよ。」
とも言われて、確かにそうだと思いました。
娘が頑張ったのに結果が残念なことになり、それを娘がとても悔しがり「私はバカだ。」と言い出したから、私も気づくことができたのです。
もしも娘が適当にやってるだけだったら、「ちゃんと勉強しなかったから点数が悪かったんでしょ。」としか言わないですもんね。
できないからやらない、やらないからできない……という悪いスパイラルにディスレクシアの子は陥りやすいともカウンセラーさんが話してくれました。
そのお話を聞いていて、のび太がそうだよなー、と、ふと思いました。
(のび太のことはココにも書かれています。)
実際、娘が自分のことを「私はバカだ。」と言った瞬間に、私の中でけたたましく警戒音が鳴ったのです。
テストの点数を見た時よりも、その瞬間にアラームがビービー鳴ったのです。
そんな自己評価が染みついてしまったら非常にマズい、と、私の脳内がかなり高い警戒レベルにうわあああんと達し、その状態になったおかげで、「これはもしやディスレクシアじゃないか?」と、それまで思ってもいなかった発想が出てきたのでした。
良くないです。
自分のことをバカだと思うのは、ほんとに良くないです。
on Dyslexiaの記事にも書かれていますが、ギフテッドの子にもディスレクシアが比較的多く見られるそうです。
つまり、凸凹が大きいということですね。
親バカですが、娘はなかなか賢い子だと、私もおとーちゃんも思っています。
勉強ができる、IQが高い、という意味ではなく、人の行動を観察して、その人の気持ちを推測しつつ、どうするのが最善かを考えることができる、という意味で賢い子だと評価しています。
子供ですからね、わちゃわちゃして友達とぶつかることも多々あるようですが、それでも大事なことはしっかり観て考えている子だと思います。
こんなこともありましたしね。
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-1051.html
娘が生まれた時から、「障害児のきょうだい児問題」を念頭に置いてはいたのですが、保育園の年中組さんの頃から兄に知的障害があることについて気がつき始めて、とても素直に、そして前向きにそれを受け入れてくれて、逆に拍子抜けしたくらいでした。
先日も、
「友達の○○ちゃんとか△△ちゃんとかに、障害のあるお兄ちゃんってどうなの?と(悪意無しの、純粋な疑問として)訊かれたから、普通のお兄ちゃんより2倍楽しいよ、って答えたんだよ~。」
とドヤ顔で言って、私をホロリとさせていましたし。
もう娘の方が兄より何でもできるのですが、それでも兄をちゃんと立てますし。
こういう面では親の予想をぽんっと超える言動をしてくれる子です。
そして、娘は工作が好きで独創的なものをたくさん作りますし、学校のちょっとした出し物の時間に自作の劇を友達と発表したりもしています。
運動会の演技種目である一輪車も、毎日頑張って上手に乗れるようになりました。
彼女には凸の部分はいっぱいあります。
それと同時に大小様々な凹もありますが、ディスレクシアもその凹のひとつなのだと思いました。
だから、きっと彼女は大丈夫なのです。
が、しかし。
大きな問題は、私自身にありました。
★★また続く★★

娘はディスレクシア★その1★


ディスレクシアとは、知的に問題が無いけれど、読み書きに困難さがある症状のことです。
学習障害の中に分類されているようです。
子供たちの通っている小学校では、夏休み明けに「漢字コンクール」と「計算コンクール」があります。
ダウン症の息子は、コツコツと頑張る子なので、もちろん小6にして低学年で習う漢字のレベルではありますが、去年と今年で漢字コンクールで良い成績を取ってきました。
しかし、娘は去年、兄よりも成績が悪かったので、今年こそは、と夏休みの間に彼女なりに考えて漢字の練習をしていました。
それなのに、50点にも届かない結果でした。
ショックを受けた娘は1人で部屋に閉じこもって30分以上大声で泣いていました。
「私はバカだ。」とも言いました。
この時に、私は今まで「……あれ?」と思っていた様々な小さなことが、全部まとまりとして見えたのでした。
「この子、ディスレクシアじゃないか?」と。
私が小5~6の時のクラスメイトに「読み」に大きな問題を持つ男子がいました。
ひらがなはぽつぽつとしか読めず、漢字はほとんど読めませんでした。
でも、頭が悪いという子ではありませんでした。
とても気が優しくて、学校で飼ってる動物のお世話をさせたら彼がダントツで、私たちは彼のことを尊敬すらしていました。
今から思うと、歳に似合わずちょっと俯瞰してモノゴトを観ていたんじゃないか、とすら思える発言も時々ありました。
字は読めないけれど、賢い子だったのです。
数年前に、テレビでディスレクシアのことを知った時に、真っ先に彼のことを思い出しました。
そのためディスレクシアについては私の中ではとても印象に残ることとなったのですが、
娘がディスレクシアではないか、と疑うことは全くありませんでした。
それなりに読めますし、書けるからです。
本を読むのも好きなのです。
しかし、3年生になっても、音読での(特に助詞などの)読み間違えがちっとも減りませんし、字も上手にならないし、漢字も覚えたはずのものでも間違って書くことがとても多かったのです。
算数の文章問題で、簡単な問題文なのに「分からない。」と言うこともちょいちょいありました。
落ち着いてちゃんと読みなさい、落ち着いてちゃんと書きなさい、落ち着いてちゃんと書き取りして覚えなさい、ちゃんとやればできるから……としか、娘には言っていませんでした。
小学生の勉強程度なら、私ができたことは娘もできると思い込んでいたのです。
しかし。
頑張ったのに50点に満たない漢字テスト。
本人も頑張ったからこそ、「私はバカだ。」と大泣きしてる。
絶対におかしい。
ディスレクシアの「ケ」があるんじゃないか。
そう思って、おとーちゃんに相談しました。
最初こそ、「そんなことないよ。」と言っていたおとーちゃんですが、私が引き下がらないので、いろいろ調べだしました。
すると、こんな記事を見つけました。
隠れディスレクシア
おとーちゃんがこれを読んで、「この子、これだね。」と言いました。
これで夫婦間の認識が一致することになりました。
すぐにおとーちゃんのお休みの日に大きな本屋に一緒に行って、専門書を何冊か買い込みました。
視力は普通でも、見る機能が弱いと読み書きにも問題が出るということで、ビジョントレーニングの本も購入しました。
読めば読むほど、重くはないけれど、娘はディスレクシアだ、とどんどん確信が深まっていくばかりでした。
そんな最中、算数の宿題をしながら、またしても文章問題で「分からない。」と言うので、
つい私が「何が分からないの?」と聞き返したところ、ぽろぽろっと泣きだしてしまいました。
「何が分からない?ってお母さんは訊くけど、何が分からないか分からないのっ。分かる時は分かるけど、分からない時は問題を読んでてもコンセント(とプラグ)がパチリとはまらないみたいになって、頭がぐにゃっとして何書いてあるか分からないんだもんっ。私の頭はやっぱりバカなんだぁぁぁぁ。」
と泣きながら言ったのです。
ああ、これはディスレクシアの典型だなぁ……と、私の方が内心ちょっと泣きたいような気持ちになったのですが、
「そんなことないよ。バカじゃないよ。ごめんね。お母さんね、そんなふうになることがなかったから分からなかったんだよ。だから『何が分からんの?』とか『ちゃんと読みなさい。』としか言わなかったけど、娘ちゃんはそうなる時があるんやね。じゃあ一緒にコンセントがはまるようにちょっとずつ読んでみようか。線にしたらいつもすぐ分かるから、そうしてみようね。」
と、なだめるように言って娘の気持ちを落ち着かせてから、線分図を一緒に書いて問題を解かせました。
線分図にできるともちろんすぐに解けるので、それから問題を読み直すと、「なんで分からなかったんだろう。」って本人も不思議に思うようでした。
娘がディスレクシアではないか、と気づいてから、私はじぇいど♪さんに相談をたくさんしました。
アメリカは凸凹のある子供の教育が日本より手厚い面もあるので、アメリカで子育てをしてきた彼女に相談させてもらったのでした。
とてもとてもありがたかったです。
娘が4歳の時から可愛がってくれている月子さんには、関ジャニ∞のリサイタル静岡公演に一緒に行った時に話しました。
いろんなもやもやを抱えたままだったので、その時にたくさん話を聞いてもらいました。
待ちに待ったイベントに向かう途中なのに、月子さんはイヤな顔せず真剣に聞いてくれました。
そして、その翌日に、学校に定期的に来てくれるスクールカウンセラーさんに相談に行きました。
「おかしい。」と気づいてから、10日ほど経っていました。
★★ 続く ★★