自分の中にソレがあると分かった時のショックといったらもう。

昨日の記事の続き…と言えば続きですかね。
同じことを繰り返すその回路にエネルギーを供給してるのはさまざまなブロックだったり偏った思い癖だったりすると思うのですが、
それらの中にあるのは罪悪感とか劣等感であることが多いんじゃないかなぁ~、と思うんです。
確か、斉藤一人さんの本だったと思うんですが、昔読んだ本の中に、「罪悪感は一番要らない感情」みたいなことが書かれてあったのを覚えてます。
もちろん、人を傷つけたら反省をするためにも罪を償うためにも、罪悪感を持つことが必要だと思うんですが、
おそらく我々は不必要に罪悪感を持ち続けやすい傾向にあるんじゃないかと感じるのです。
毒親に傷つけられても、「私が悪いんだ。」と罪悪感を持ってしまい、その罪悪感のせいで自分をなかなか肯定できない…という構図を見てもそれは明らかではないでしょうか。
そして、私自身がそうだったのですが、今生のものだけでも厄介なのに、前世から持ち越してる罪悪感が存在する場合もあって、それがオートマチックにマズい回路にエネルギーを供給してることもあって、
そうなるとなかなか自分で「同じことを繰り返してる原因」を見つけることが難しいよなーと思います。
同じように、劣等感も人生にオートマチックに関与しやすいよなー、と思います。
これは最近になって知ったことなんですが、
友達に紹介された記事を読んでみたら、そこに書いてあったんです。
劣等感と優越感は裏表だって。
言われてみればその通りなんですよね。
劣等感が大きければ大きいほど、優越感も大きいハズなんです。
なぜならば、人と比べて自分を評価するというやり方を、これまたオートマチックにしてるために発生する感情だからです。
私はあれこれ劣等感を持っていますが、このところは特に「絵」に対する劣等感がすごく強くなっていました。
思いがけず「絵を描くことが仕事になった」ために、だんだんと劣等感が強くなっていったのでした。
今年の夏過ぎから、イヤでもそんな自分と対峙せざるを得ないことになり、自分の中であれこれとあったのですが、
そもそも持ってるのが絵に関する劣等感だけじゃないわけでして、劣等感そのものと向き合っていると、
自分でもすごく気持悪かったんですけど、自分自身の中にある優越感の大きさにも気づかされることになりました。
ものすごくショックでした。
でもね。
優越感って隠しちゃうことが多いと思うんですよね。意識的にせよ無意識的にせよ。
謙遜するフリをして。
ええ、フリですよ。フリ。
またはそれが上手くできなくて卑下するんです。
そうやって優越感を隠すんです。自分からも他人からも。
でもね。
隠しても存在するので、ちゃんと反応しちゃうんです。
その優越感が脅かされるような状況が発生すると。
その人の言動になんだかイラっとする。
(上手に言葉を選びつつ)陰で批判する。
「あの人、きらい。」と感じる。
正論を盾とするとか、または、人間だからそういう気持ちになる(言動をする)ことがあっても仕方がないよねー、という言い訳を自分にするとかで、またしても誤魔化すんです。
自分の中に優越感があることを。
そのため、良いものを良いと素敵なものを素敵だと「フラットに」判断できなくなりやすいと思うのです。
でね。
劣等感and優越感も、人生の推進力になることって大いにあると思うんです。
それはそれで経験であり、学びでもあり、喜びに結びつくことでもあるはずです。
けれど、蓮村先生の言葉を借りるなら、それは誰もが持って生まれている使命みたいなもの(ダルマ)ではないと思うんです。
だってダルマは「純粋さ」から(己の中で)再発見されて意図されて行動が生まれるものだということですから。
なので、誰にでもいつか時期が来るのだろうな、と思うんです。
どうして繰り返してばかりなのか、と真剣に自分に問いかけるような時期が。
罪悪感や劣等感and優越感など、燃焼したらススがたくさん出るようなエネルギー源から、もっとクリーンなエネルギー源にシフトしていくための時期がやってくるのかな、と思うんです。
シフトできたら、その時は自分という「個」を【真に】愛することができるようになっていくのかもなー、なんて想像したりしてます。

おれはいつでもいつまでも素敵お猫だけど?

自分のソレは全く分からない。

ちまちまと絵を描いているので、なかなかブログも更新できてないんですが、
さらに予約録画してある番組もあれこれ観れてません…。
錦戸くんのドラマもね、ちっとも観れてません…。
あ、ぬ~べ~は子供と一緒に録画したのを昨日までの分全部観ました。
息子が私の手袋を持ってきて、はめてました。
ええ、ぬ~べ~になりきってましたよ。
ぷぷぷ。
(やー、しかし真面目な顔してる時のマルちゃんって、ほんっとカッコイイなぁ~♡)
さて。
そんな日常ではありますが、ツイッターをたらたら見てたり、友達とメールし合ったりはしてまして、
そーゆー中で、いろいろなことを思ったり感じたりしてたのですけれども、
それらはすべて、
人はみんな「同じことの繰り返し」をしてる
ということに収斂していくんですよ。
もちろん、繰り返してる内容といいますか、テーマといいますか、課題といいますか……は、人それぞれなんですけど、
それぞれ違うことではあるけれど、みんな「同じことの繰り返しをしている」んだなぁ~としみじみしました。
けれど、本人は分からないんですよね。
同じことの繰り返しをしてる、ってことが。
何をどう繰り返してることによって、同じような事象が起こってしまうのか、というのが、自分ではなかなか分からないと思うんです。
だって、分かってたら止めますもんね。
分からないから繰り返すわけでして…。
(だからどんな出来事も『すべて』自分の責任なんですよね。)
でね。
この「何をどう繰り返してるか」が、他人の私が観ててすぐ分かることもあれば、
ちょっと離れたところからずーっと観てても、すぐには分からなかったりもすることもあるんです。
この「すぐには分からないケース」で、何年越しかで分かった時が「うわー…。」となるのです。
根深い…といいますか、ややこしい…といいますか、デッドロックになっとるやん!って感じ…といいますか、
とにもかくにも「うわー…。」なんですよね。
でも、そんなこと本人には言えないし、言っても分かってもらえないだろうと思うんです。
言われて分かって止められるほど「軽い」ものなら、わざわざ生まれ変わっても同じことを繰り返してるわけないですもんね。
そうなんですよね。
「重い」課題は、生まれ変わってもチャレンジし続けてるからこそ、「同じことを繰り返してる」んだと思うんです。
だから、自分で気づくしか無いんだろうな、と思うのです。
と。
他人のそーゆーのを見てて、そんなことをしみじみ思ってたわけですが、
じゃあ、自分はどうなのよ?と自問しまくってみたんですが……
やっぱりよく分からない
んですよねぇぇぇぇぇ…。
や、分かってるのもあるんですけど、おそらくラスボスに関してはその存在すら気づいてないんだろうなーあたしー…と、思います。
あ、でもさ、うん。
それを知る旅をしてるようなものなんだろうし。
人生って。
うん。

箱があれば何度でも入り込む。
何度でも同じことを繰り返す。
それがお猫。

戯れ言ですよ。

あのね。
戯れ言なんですけどね、
ちょっと読んでもらえますかね。
あのね。
サッカーW杯、やってますよね。
ブラジルで。
私はサッカーは明るくないんです。
あ、オフサイドは分かります。
選手も多少は知ってます。
そんなもんです。
Jリーグの試合とか見ません。
でも、まぁ、W杯ですからね。
日本戦くらいはね、ちょいと見ようかね、となります。
なので、コロンビア戦も観たんです。チラチラと。
負けて、トーナメント進出できませんでしたね。
そしたらね。
試合が終わって10分くらいしてから、急に、ですよ。
急に、頭がふわーーっとなったんです。
まるで、「中身」が20cmくらいスライドして、またすぐに戻った、みたいな感覚でした。
めっちゃ気持悪い感覚。
うえぇぇぇぇー、なんだこれーーー……。
と、思ったんですが、そこから体調が一気にダウンしまして、
家事を済ませて、子供たちも登校し、おとーちゃんも出勤してから、横になって眠ってたんですが、
途中で目が覚めて、めっちゃ苦しかったんです。
あまりに苦しかったので、緊急MAPコーニングをオープンにして、ガイドたちに助けてー助けてーとお願いしまくりました。
すると、数分で落ち着いてきて再び眠り、気づいたらお昼をかなり過ぎていました。
どれだけ眠ってたの?ってビックリするくらいでした。
結局その日は、使い物になりませんでした。
でね。
戯れ言ですよ。
戯れ言を言いますよ。
あたしね、やっぱりガッカリしたんですよ。
日本が負けて。
そして、おそらく沢山の人がガッカリしたんだと思うんです。
そーゆー集団意識にね、無意識にアクセスしちゃったんだな、と、スコンと思ったんですわ。
ふわーっと中身がズレた直後に。
なんでか、そう思ったんです。
でも、そんなバカなー、おまえアホかーー、って否定したんですよ。
思いっきりすぱーーーんと否定したんですよ?
でもでも、やっぱりそうなんだろうな、と思うんです。
否定しても、じわじわじわじわ~と、そう感じるんです。
宇宙一のヒプノマンのP様が、「悪いニュースなんて見ちゃダメだよ~。」っていつも言うんですがね、
その意味がね、やっと分かったかも、って思いました。
あのね。
見ちゃダメっていうかね、その集団意識にね、触っちゃダメなんだな、って思ったんですよ。
や、
触っちゃダメってゆーても、自分もなー、そこに繋がってるからなー。
なんてかね、
集団意識の内のネガティブな部分からはできるかぎり影響受けないようにしないと!
ってね、今日ね、急に思ったんですよ。
そんなのできへんやろー?って思う自分もいるんですがね、
急に強く思ったので、できるのかもしれないです。
てか、それ、課題?
え?
え??
と、まぁ、戯れ言でした。
はい。
念を押しますが、戯れ言ですからね。
読んでくださり、ありがとうございました。

おかーちゃん、おれ、眠い。
おかーちゃんのお腹の上で寝てもいい?
『ダメ。重い。』

「自分探し」ってよく使われる言葉だけど。

都議会の例のアレ関連で、こんなツイートを見かけました。
https://twitter.com/rafcocc/status/481125435426623489

よくわかんないけど「結婚しないの?」とか「子供は?」とか言われていちいち傷ついたり落ち込んじゃう人は、結婚してなかったり子供のいない自分を本当の意味では受け止め切れてないんじゃないかな、っていう気がする。


で、これに対して、私が敬愛するヤンデル先生(←頭が少しおかしいフリをしてるカリスマ病理医)がこんなツイートをしました。
https://twitter.com/Dr_yandel/status/481245429099925504

実は俺も全く同意見なんだけど「本当の意味で自分を受け止め切れている人」なんて俺の知る限り瀬戸内寂聴さんとマツコデラックスさんくらいしかいないんじゃないかって思うし、だから人(=自分を受け止めきれなくて日々悩む存在)には優しくしたいなって思うんだけどみんなそうでもないんだろうか


例のアレはね、会議中に誰かが発言してる時にヤジるってーのがみっともないわけでね、
国会中継とかでもそうですけど、ヤジってる人たちは甲子園球場でビール飲みながら阪神の負け試合でも見てるおっさんかなにかか?っていつも思ってしまいます。(←ごめんね。阪神ファンの方々。私の中では甲子園球場ってこーゆーイメージがあるの~。)
野球場でビール飲んでヤジってるおっさんってのはいいんですよ。
ユーモアセンスの高い人いるし。(←そこか?)
でも、市民に選ばれて真面目な議題を話し合う場でヤジるっていう慣習がずーっと続いてるってーのがみっともないよなーといつもいつも思うんです。
なので、ヤジるって時点でアウト。
でもって、「自分が結婚した方がいいんじゃないのか?」なんて、思っても言っちゃダメでしょ?ってのも、これだけ騒ぎにならないと分からないんだろうなー。
30代の未婚の女性にそんなことゆーたらいかん!
結婚をあえて選ばなかった人なのか、結婚しようと思ってたところでフラれた人なのか、結婚しようと思える人に出逢えなかった人なのか、両親を見てたら結婚に踏み切れない人なのか、はたまた同性愛者なのか……見た目では分からないですもんね。
でもって、30代で未婚って微妙だと思うんですよ。
周りからのプレッシャーが強い人もいるだろうし、自分で自分にプレッシャーかけまくりの人もいるだろうし、あきらめたーって思っててもあきらめきれない人もいるだろうし。
ひょうひょうとしてて、自然体の人もいるだろうけど、やっぱり周りからいろいろ言われることとかでしんどいことも多いんじゃないかなー、と思うんです。
ま。
そーゆーことに無頓着じゃないとね、あんなヤジは出ませんわな。
そして問題になってるのはその無頓着さ、なんでしょうね。
と、は思うんです。
でも、私もヤンデル先生たちの言うとおり、いちいち傷つくというのは、本当の意味では自分を受け入れてないから、だと思うんです。
そして、自分を本当の意味で受け入れている人なんて、ほとんどいないのかも、と思います。
♪ありの~ままの~姿見せるのよ~
…って、今朝も「いっぷく」でめいじぇいねーさんが歌ってましたけど、ありのままの自分ってのをまず自分で受け入れるなんてなかなかできないことだよなー、って思います。
なので、人の言葉に傷つくんですよね。
相手は傷つけようなんて思ってないのに、勝手に傷つくの。
(や、だからさー、例のアレはアカンよ。あれは分かってゆーてんだから。だってヤジなんだもん!)
「ありのまま」のことを口にしただけなのに、勝手に傷ついちゃうんですよね。
配慮が足りないという場合ももちろんありますが、いちいち傷つくというのは、ありのままの自分を受け入れてないからなんだろうなー、と思うのです。
その人その人で、受け止められない自分ってのがアレコレあるってことなんですよね。
そして、それは人によって種類も大きさも場所も全然違うから、他人が完璧に配慮するなんてことは無理だと思うんです。
配慮する気持ちは大切だけど、そこに解決策を見つけるというのはちょっと違う気がするんです。
やはり、自分を受け入れていくことが、自分を無駄に傷つけることから遠ざかる一番の解決策だと思うのです。
とは言うものの。
そんなのちょーーー大変。
ええ、分かってます。ちょーーー大変なのは分かってます。
けどね。
突き詰めていくとね、
どうして、私の魂は、こういう自分を選択したのか?
というところに行き着くと思うんです。
自分で思ったとおりの人生にならない、自分の理想通りの自分になれない……ってのは、
毒親だったなど、家庭環境の影響が大きいのかもしれないし、
生まれ持っての資質が、理想と違いすぎるのかもしれないし、
健康問題が大きいのかもしれないし、
それぞれにさまざまな理由があるはずなんですが、結局は自分の魂が親や環境や身体を選択してるわけですから、なるべくしてなってるんだと思うんです。私は。
ですから、「じゃあどうして、自分の魂はこのような選択をしているのか?」ってところを探っていかないと、本当の意味で自分を受け入れるってことはできないんじゃないかなー、と思うのです。
自分探しってよく言いますが、それって「なんで自分の魂はこういう選択をしてるの?」っていう答え探しなんじゃないかなー、と思うんです。
あ、えっとですね、
「なんで自分の魂はこういう選択をしてるの?」ってのは、
たとえば、こうこうこういう辛い過去世がありました、だから今の私にはこういうブロックがあります、それを癒します……ってところで終わちゃダメだよーってことです。
その先のことだよ!その先!
じゃあ、どうしたらその答えに辿り着けるの?
……って、言いたくなるかもですが、
その方法や使用するツールは、自分で探すしかないですよね。
もちろん、その背景にある世界観も、です。
そうするとね、「カルマ」って言葉ひとつとっても、人によって全然受け止め方が違うし、何を意味してるのかも違ってるってことに気づくんですよね。
だからすごく混乱するし、何を指針とすればいいのかすら分からなくなるかもしれないです。
や、分からなくなりますよね。うん。
そんな時に、自分の中にある「導きの灯火」が感じられるならいいんですが、それをも分からなくなってしまうなら、
「否定して否定して否定しまくって、それでも残るもの」を見つけていくのがいいのかも、と思います。私は、ね。

おれは、寝ても寝ても眠い。

まとまらないので。

書きたいことはあったのですが、まとまらないので、ここはひとつ、画像貼り付けまくりをしてしまおうというわけであります。
てへ♪
息子が学校でお世話してる花壇です。

百合はお猫様には中毒を引き起こす成分があるそうなので、薔薇にしました。

懇意にしてもらってる農家さんからいただきました。
息子が8割がた食べてしまいました。

子供たちが大好きなジオマグ。
でも今はネットでも売ってないんですー(>_<)
息子が書いた『道』

ごろにゃん♪

「思い込み」はいっぱいあるに違いない。

twitterで、脳科学者の茂木さん( https://twitter.com/kenichiromogi )が、タトゥーについていろいろツイートされてたんですよ。今日は。
https://twitter.com/kenichiromogi/status/478689822983196673 とかね。
私もマオリの方々の件は以前ニュースで見て、なんじゃそれって思ったんですよ。
マオリの方々の刺青って文化的なものだってのは私も知っていたので、そーゆー人たちの入浴も断るというのは、柔軟性が欠けてるよなー、って思ったんです。
が、しかし。
一連のツイートを読んでいて、気づいたんです。
刺青してる人 = ヤクザ
という認識を私は反射的にするよなー、って。
あ、外国の人は別ですけどね。
日本人の場合ですよ。
だってね。
身近にいませんもん。刺青してる人なんて。
で、刺青ってのは観念的に「ヤクザの人がするもの」というのが定着してしまってるんです。
だからね、周りにいないんですってばー。
「ファッションで(?)タトゥーしてる人」ってのがー。
ですから、刺青の人は入浴お断りってのも、暴力団の人お断り、ってことなのねー、と思っていたし、
暴力団の人…っていうか、下っ端のチンピラがタチ悪いって話を時々(水商売してた)祖母から聞いてたので、そりゃ仕方がないよなー、ってなくらいに思ってたフシがあるんです。私は。
あ、ちなみに。
広島出身の先輩に聞いたんですが、
先輩の町内にそこそこ有名な暴力団の親分のおうちがあったそうなんですが、
もうそのクラスになると、町内の人たちに対してめっちゃ丁寧で親切な態度で接してくるそうなんですよ。
カタギの人に迷惑かけちゃいけない、というのが徹底してたそうで、ちっとも怖くなかったよー、とのことでした。
なので、茂木さんのバカだのクソだのという発言にですね、
「ええ~、いきなりそんなこと言われても~…。」みたいな気持ちになっちゃったのです。
海外ではサッカー選手でもタトゥーしてる人がいっぱいるとか、日本の常識 ≠ 世界の常識なんだとか、そーゆーこと言われても、それは自分の周囲で起こってるリアルな現実じゃないんだもの~。
海外では当たり前って言われても、田舎のおばちゃんにはピンとこないよぉ~(>_<) ……ってな気持ちになったのです。 けれど、一連のツイートを読んで、自分の中にはこういう「思い込み」ってのがたくさんあるんだろうなー、と思ったんです。
思い込んでて当たり前すぎて、それが「思い込み」であることすら気づかず、検証しようともしないことって、他にもいろいろあるんだろうな、と。

思い込みは、他人だけじゃなく自分自身をも苦しめることが多々あるし、
思い込みは、意図せずとも「差別」を生み出しやすいでしょうし、
できるかぎり少ない方がいいよなー、とは思っているのですが、人間って思い込みで出来上がってるとも言えるかもー…とも思うんですよねぇ。
「こうあるのが望ましい」と何かを選択すること自体が、もう思い込みなのかもしれないなー、と思ったりもするんです。
てことは、人間がしてることってすべて、
思い込みと思い込みのぶつかり合い!(←イメージは白鵬と日馬富士のがっぷり四つ)
なのかもしれないなー、なんてことすら思ったりします。
あ、そうそう。
今朝、ぷちっちがこんな記事を教えてくれました。
http://wirelesswire.jp/london_wave/201406170308.html
正反対のベクトルでも、日本の常識 ≠ 世界の常識 というのがあるわけですもんね。
ちなみにちなみに。
私の価値観としてはですね、
マオリのように文化的なものは別にして、
イキがるにしても、ファッションにしても刺青は要らないでしょー、って思っちゃうんですけどね。
だって痛そうだし~、気が変わった時に消すのも大変そうだし~。
中毒性があるのが分かっててなんでタバコを吸い始めたの?ってのと同じくらい謎。
多分ねー、普段ねー、身体がしんどいことが多いんでねー、わざわざ身体を痛めつけなくてもー、っていう感覚が強いんだろうな、って思います。
なので、これはアリです。
痛くないし消えるし。
ってか、実際にこれをしてるインド人の女性と何度かお会いしたんですけど、美しかったんですよ~♪
http://matome.naver.jp/odai/2136384332897877401
teruちゃんに描いて欲しいくらい!

おれのは天然の柄だからな!

もうすぐ夏至ですね。

★まずは、お知らせ★
プレゼント当選者のみなさんに、普通郵便にてそれぞれ発送しました~。
関東地方の方は明日にも届くかもしれません。
それ以外の方は、明後日かなー?
どれが届くか、楽しみにお待ちください♪

******************
やー。
あっちゅーまに6月も半分過ぎちゃいましたね。
もうすぐ夏至ですよ!
夏至っ!
…っても、私の場合は、冬至の方がインバクト大なので、夏至はそんなに……って、
そんなことないやーん。
息子が4歳の時に発生した「ほんのちょっと目を離したスキにいなくなって、小一時間行方不明で、かーさん吐きそうになりながら探して、近所の人が連れて帰ってきてくれた事件@それもおとーちゃんが肺炎で入院中」って、夏至の日やったやーん。
4歳の時、まだ自分の名前も言えなかったんですよねぇ…。
それが今ではすっかり大きくなって、もうすぐ11歳ですよ。
いくつか漢字も書けますよ。
甘えてくると重たいですよ。
でも相変わらずの笑顔で、毎日かいぐりかいぐりしてますよ。
あの時、車にも轢かれず(←どうやら信号無視で道路を横断してたらしい)、増水してた用水にも落っこちず、無事に帰ってきてくれて、ほんとーに良かったですよ。
ほんとにもーー。(←今でもたまに思い出してはゾッとする。すっかりトラウマ化してる模様。)
というわけで、
夏至ですよー。夏至。
こんな記事もありましたからね。
http://astrologerthalia.blog34.fc2.com/blog-entry-2504.html
背中をどつかれる前に、自分からやり始めた方がいいですよ~♪
私ですか?
それなりにやってますよー。
そうですねー。3月中頃からトンネルに入っちゃった感があったんですが、試行錯誤して、5月末にようやく方向性が決まったー、って感じですね。
本格的に頑張らないとですわー。
みなさんも、夢を現実化してくださいね!
やりたいことをやっちゃってください!

人間だもの、ぐだぐだする時もあるけれど、そろそろ切り上げてみてもいいかもよ?

かーさん、また何か買ったんやろ?
何が届いたん?
おれにも教えろー。
うまいものか?かつおぶしか?かつおぶしなのか??
カリカリごはんにちょっとかけてくれるとすげぇぇぇうまい、あのかつおぶしなのか???

…ちょー。かーさん。
なんなん?これ?
かつおぶしやないやーん!
おいしいにおいがせーへんぞー!

ムカついたので、箱に入って寝てやる。

方法はいろいろ。

本日2本目。
明日は時間取れそうにないので、今日書いちゃうです。
まず最初に分かっていただきたいのがですね、
これは、あくまで私がどう思ったか、というだけの話であって、方法の良し悪しや優劣を論じてるわけではない、ということです。
なんのことかと言いますと。
「なにみえ遠足」で同じ一期生で、マイミクさんでもあるみづきちゃんが、こーゆーお仕事を本格的に始めたそうなんです。
https://www.voicemarche.jp/advisers/98
肩書は「カウンセラー」でいいのかな?
で、ですね。
上記のページに書いてある文章を読んで、「あー、あたしとは違うんだなー。」と思ったんです。
みづきちゃんは、必ずしも掘り下げをしなくても、テクニックで心理的問題を解消できる、と言ってます。
くどいようですが、それについての良し悪しや優劣を論じようとしてるわけではありません。
ちっとも詳しくはないですが、そういう方法もあるんだろうね、って思いますし、あっていいと思っています。
ただ、私自身は、そーゆー方法は選択しないよなー、と、みづきちゃんの紹介文を読みながら思ったんです。
なんでだろう?って、お茶を飲みつつPCを眺めながらぼんやり考えていたら、思い出したんです。
何年も前になりますが、懇意にしてもらってたヒーラーさんに遠隔ヒーリングをしてもらった時に、
「○○時代のタミエルさんのとても辛い記憶を、(魂の記憶から?)抜いておきました。あまりに辛いので、思い出したらたみえさんが耐えられないでしょうから。これでもう思い出すこともありませんよ。」
と、ヒーリング終了後にメールで報告された、ということがありました。
もちろん、私はそんなことを頼んでませんが、そのヒーラーさんは親切心からそうしてくれたのでした。
ここで、
「ありがとうございます!助かります!」
と素直に感謝する人もいると思いますが、私はそうではありませんでした。
ヒーラーさんには言いませんでしたが、内心では
「なんで?なんで勝手に抜いちゃったの?」
と少し腹立たしくすら思ったのでした。
みづきちゃんも、掘り下げるカウンセリングをして数カ月間も体調を崩したことがある、と上記リンク先で書いてます。
もしかしたら、タミエルのそれも、手を着けたら寝込んじゃうくらいのことだったのかもしれません。
本当にそういう魂の大きな傷があったのかどうか、いつもの方法でそれに手を着けたら本当にとんでもない衝撃を心身共にくらったのかどうか、は、今となっては分かりません。
…分かりませんが、でも私は、今の自分自身の傷もブロックも、自分の上のヒト(過去世のヒト)の傷もブロックも、ちゃんと自分で確かめて認めて、その上で解消したいのです。
なので、今までもどれだけ「うぇぇぇぇーーーー……。」ってなっても、そうしてきました。
……ドMなんですかね?
いやいや、錦戸くんくらいのMだと思いたい。
私は、子供たち2人とも、おかげさまで自然分娩で、それも安産で出産しています。
安産といえども陣痛はほんとーーーに痛いです。めっちゃ痛いです…が、安産だったおかげで、めっちゃ痛い陣痛も経験できて良かったとすら思えてるんでしょうね。
陣痛を耐えて出産した時の感激や達成感は、ほんとうにほんとうに大きなものでしたから。
でも、私の先輩の1人は、1人目出産の時の陣痛があまりに苦しかったので、2人目は無痛分娩を選択しました。
そういう選択もアリだよな、と思いました。
だって出産の痛みや苦しさは人によって全然違いますし、その感度も人によって全然違いますもんね。
陣痛が怖いから(子供は欲しいけど)妊娠を避ける、ってくらいなら、無痛分娩を選択するってことで妊娠に臨んだ方がいいですもん。
なんとなく、それに似てるのかもなー、と、思いました。
痛いのはイヤだけど、でも出産の痛みも含めて全部体験したい、というのと、
痛みは最大限に和らげて出産したい、というのと、どっちにする?っていう選択と似てるような気がしました。
でね。
出産の時には麻酔は使いたくないと思う私だけど、虫歯治療で歯を削る時は絶対に麻酔をして欲しかったりするわけですよ。
私が子供の頃は麻酔無しで削るのが当たり前で、めっちゃ痛くて、それで今でも歯医者はほんとーに苦手なんですが、
トラウマ等に触るというのは、人によっては麻酔無しで歯を削るようなものなのかもしれないよなー、と思ったんです。
トラウマを解消しようと取り組んだけど、余計なトラウマ作っちゃった、ということになる場合もあるんだろうなー、と思ったんです。
私が歯医者に対して苦手意識を強く持っちゃったみたいに。
なので、懇意にしてもらってたヒーラーさんからしたら、「歯を削るから麻酔をしとくね。」という感覚だったのかもしれません。
でも、私からしたら「ふつーに出産しようと思ってんのに、なんで麻酔したの?」って感じだったのでしょう。
もしかしたら、歯を削るようなもんだっかのかもなー……。
でもなー、やっぱり自分でちゃんと掘り下げて見つけて認めてから解消したかったなー。
でもでも、それだとヤバかったのかなー…。
…ま、いいや。
済んだことだ。
確かめようのないことだ。
あはーん。
というわけで。
「前に進みたいけど、ミカエルのスパルタが怖いです。」とおっしゃる方が時々いらっしゃいますが、
そういうタイプの方は、無痛分娩……じゃなかった、必ずしも掘り下げなくても解消できる方法を選択してみるのもいいかもしれないですね。

かーさん、おやつは?

顔が見えないと言いやすいってのはありますがね。おおいに。

以下は、一昨日に私がツイートしたものです。
セルフコピペ。

私がフォローしてる某さんに対して、
あなたのアカウントの内容はこれこれこういうものなので鍵をつけた方がいいですよ。マナーですよ。
というリプがついてた。
もの言いは丁寧だし、本気のアドバイスなんだろうと感じた。
言われた方は、不快な思いをさせてすみません、と返してた。
それを眺めてて、なーんかもにょっとした。
そもそもそのマナーってのが分からない。
本当にそれはマナーなのか?
Twitterのマナーにそーゆーのがあるのか?
誰がいつ決めたの?
「それはマナーです。」という言葉は、実は相手をコントロールしやすい言葉なんじゃないか?と思った。
Twitterで時々見かけるが、いきなりのリプで非難を浴びせるというのは、ものすごく不思議で、不快なら読まなきゃいいのに、と思うのだが、それができなくて、勝手に内圧を上昇させて、非難したくなるんだろうなー、と推測してるのだけど、やはり不思議。
そーゆーのは論外だけど、でも、いきなりのアドバイスというのも、かなり暴力的だなぁー、と感じたのだ。
リアルでは、いきなりのアドバイスなんてしないだろうし、いきなり非難するなんてしないだろうし、
ネットでの人との距離感って独特だなぁー、と、あらためて思った。


これに先立って、この数日は、私がフォローしてる何人かの方が、似たようなことをツイートしているのを見かけていました。
いきなりタメ口のリプが来るのって苦手、って書いてる人もいましたが、苦手っていうその感覚の方がまっとうだと思うよーって、スマホ片手につい声に出しちゃいましたよ。ええ。
フォロワーさんにしたみたら、ツイートを毎日読んでるうちに、相手のことをよく知ったような感覚や、身近に感じるようになったとか、そういうのもあるのでしょうけど、
リアルだとそんなことないだろうに、なんでネットだとこーゆー不思議な距離感になっちゃう人が多いんでしょうね。
ネット上の自分というものは、ペルソナなんでしょうかね。
日常生活の地味な自分とは違う自分……とか???
ほんとうの自分じゃないから、(言われる方にしたら)いきなりの非難とか、いきなりの(求めてもいない)アドバイスとか、いきなりのタメ口とか、そーゆーことができちゃうのでしょうかね…。
強度の差こそあれ、どこか暴力的だな、と感じます。
なーんてことを今朝もまたちょっと考えておりました。
や、また見かけたんでね。朝から。
そしたらですね、
あれ?
なんか、この感じって、ちょっと覚えがあるぞ…。
と、なってきたんです。
……ああ。
スピに傾倒してる人にもあるやん。こーゆー不思議な距離感って。
と、気づきました。
もちろん、みんながみんなそうというわけじないです。
…わけじゃないんだけど。
たまにいるんですよね。
そんなに面識がない(または知らない)人なのに、求めてもいないアドバイスをいきなりくれる、とかね、そーゆーの。
もちろん善意で、なんですけどね。
でね。
これがね、
『的確なアドバイス』もあれば『(ちょっと困惑しちゃう)お節介』とに分かれるんですよーーー。
上のセルフコピペは「お節介」だと思うんです。私。
自分の考えの押しつけなので。
でも、事実のお知らせ系は、言葉が普通(←高圧的でないとかね)だったら当然OKですよね。
(……まぁ、その「事実」ってのが何かってところでモメるってのはまた別の話になりますが。)
しかし、スピの場合、「事実」というのを規定するのは難しいですよね。
ミカエルがこう言ってましたー。
○○がこういうのを見せてくれましたー。
つながっちゃって、分かっちゃいましたー。
事実でしょう。
アナタにとっては、それは事実でしょう。
言われたんでしょう、見たんでしょう、分かったんでしょう。
でもね。
それはアナタだけの事実なんです。
そこが抜けてる人が、時々いるなーって感じるんです。
客観的に証明できない自分だけの事実を、求めていない人に伝えるという場合って、ものすごーーーーく慎重にならないといけないし、
伝えなきゃいけない、という動機がよほどのものじゃないと、いきなりのアドバイスなんてすべきじゃないだろー、って思うんです。
そこまで慎重になれる人の言葉なら、いきなりでもやっぱり入ってくるんです。これが。
でも、それができない人ってね、多分だけどね、憶測だけどね、
スピを知って、いろいろ……やって、「なんかちょっと分かる、見える、感じる」みたいなのがね、できるようになってね、
どこか浮足立ってるってゆーか………こっそりエゴがざわざわしてるってゆーか……そーゆー印象を感じてしまうんです。
それが極端に肥大すると、あさはらしょーこーになるんだろうな、って思います。
や、ほんとにめっちゃ極端な例だけどね。
でも構図は同じかな、って感じます。
なーーーんてね!
お節介おばさんの私が言うのも片腹痛いよな!
はっはっはー。
とにもかくにも。
人と人との距離感をいかに上手く量って絶妙なポイントを見つけるか、というのは、日々の鍛練しかありませんよね。
リアルもネットもスピも同じですー。

洗濯機と棚の間の距離をちゃんと測ってだなー…。
ここに入り込んでだな、おれは落ち着きたいんだ。
『やめて。どいて。』

誰かのせいになんてしてる暇は、人生には一秒も無い。

個性と言えば聞こえがいいですが、
結局はなんらかの「性格的・人格的な偏り」なわけで、
それを活かして使っていれば個性で、
それに振り回されて、自分も他人も傷つけていれば偏り、と言ってるんだろうな、って思います。
でね。
他人に対して怒りをしょっちゅー感じてしまうようなら、やはりそういう部分で偏りがあるんだろうし、
恋愛関係で問題があるなら、そこに偏りが、
家族との関係で問題があるなら、そこに偏りが、
健康問題なら、そこに、
セックスに問題があるなら、そこに、
経済的なところに問題があるなら、そこに、
…なにか偏りがあるんですよ。
あるんです。
あるんですよ。
というのが、自分の経験でよーーーーーーーーく分かりました。
(ごめんね。名前出しちゃう。)じぇいど♪さんと月子さん、それぞれと、
表面に表れてる問題についての整理とその考察から始まって、
内面の深いところへの洞察、
過去世と思われるさまざまな物語を通して解読できる魂の癖や在り方……
…を、語り合うことで、
霊的、魂的、肉体的、精神的……トータルとしての自分というものを、客観的に見て、ブロックの在り処を探り当て、それと向き合い、そこから沸き上がる感情をしっかり感じて受け止め、認めて……という作業を何度も何度も続けていったんですよね。
一人では無理でしたね。ほんとに。
そういう「友人」を得たことは、ほんとうに「宝物」を得たというのと同義だと思っていますが、
それを「縁」だと一言で片づけるのは、ちょっと違うのかもな、と思いました。
もちろん、縁なんですよね。
だけど、同じようにたくさんのご縁をいただいて、たくさんの人ともそういう関係になれるチャンスは等しくあったのに、
私は、彼女たちに深く信頼を寄せたわけです。
誰を選ぶか。
誰に選ばれるか。
それは、過去世からのご縁とかじゃなくて、
「今の自分」が自分のすべてでもって選び、「今の自分」のすべてでもって選ばれる、ということなんだよなー、と、あらためて思ったんです。
しみじみと思ったんです。
だから、
偏りがヒドくて人生がえらいこっちゃになっていても、そんなのは言い訳にならないんだよなー、と思うんです。
誰かのせいになんてしてる暇は、人生には一秒も無い。
と、あらためて思いました。
それは、私が恵まれてるからだ、と言う人もいるかもしれないけれど、
日常の些細な夫婦喧嘩とかではありますけど、そんなのどーでもいいことで、
もっと根本的な部分において、自分の人生の諸問題を誰かのせいにしたことは無いよな、って自分で思います。私は。
もしたしたら、そういう部分が、今の私を創りあげてきてて、
そういう部分のおかげで、私は宝物のような友人を得ることができたのかもな、と思ったんです。
さっきね!
のんびり紅茶飲みながらね!
瞬間湯沸器で、ほんとーに扱いに困るオカンですが、
そのオカンが、そういう人なんです。
私とは比べ物にならないくらい大変な、しんどい人生で、
その苦しみの多くは、母親(私の祖母)と旦那(私の父親)のせいなんですよ。
でも、オカンは、自分の人生の苦しみを誰かのせいにしたことはありませんでした。
少なくとも、私達子供にそんなことは言いませんでした。
(私は言語外のいろいろを感じ取って、小さい頃から苦しかったけど、でもそれは今は分かるからいいの。私も大人になったからいいの。)
だから私も、こうやって生きてこれたのかな、と思います。
オカンに感謝です。
すみません。
推敲全くナシで、心のままに書いたのを、投下します。
オチ無し!
All is well …だよなぁ。
All is Well