ほんとうの幸い…なんてどんなものか分からないけど、
誰か……家族や友人や大好きな人…が幸せでありますように、といつも心の深いところで祈っていられるのって、
もしかしたら、それも幸いのひとつなのかもしれないなあ……。
なんとも切ないが。
と、プチ鬱の中でふと思ったです。
そしたらなんか泣けてきたー。
そうなのよ。
8月中頃から次々といろんな体調不良が出てくるし、気持ちもけっこー長いことネガネガだし、やんなっちゃうーー。
夏バテとなんかよく分からんけどなんかの浄化のせい、ってことにしとるです。(←なんかのせいにしとくとちょっと気が楽。)
早く秋になってくれー。
きっと、どんどん。
今日は午後から我が家でママ友……って言うのかなぁ。
とにかく、女3人とその子供たちと冷房の効いた部屋でお茶しておりました。
まーー、あれだねー。
やっぱ、管理職の管理能力にちょっと問題がある組織というのは、なんやかんやで機能不全に陥りやすいよねー、というのが結論でありました。
さて。
話はさっぱりすっかりひょっこり変わりますが……。
愛先生のこの記事
http://mademoiselleai.nifty.com/madeailog/2010/08/post-89cf.html
を読んでて、
「フリーエネルギー!フリーエネルギー!!」
と、心の中で叫んでしまいました。
やっぱり世界がガラリと変わるのって、エネルギー問題がどかんと変化した時だろうなー、と思うんですがね~。
……でね。
読んでて、そいえば最近はあまり私自身「アセンション」ってものをあまりガッツリ考えなくなってるよなー、とふと思いました。
2012年に何かがガラリと変わるのかもしれないし、変わらないかもしれないし、そんなのはどっちでもいいやー、とかそんな感じ。
でも、なんだかどんどんきっと世界は変わっていくんだろうな、とは思うんですよ。
5年後なんて……想像できないくらい~。
きっと、どんどんいい感じになっていくよ。
私も、あなたも、世界も。
夏はもともと苦手なのだー。
……暑いっすね。
暑いうえに体調不良なので、かなわんです。
……ああ、早く秋にならんかのぉ。
41歳で、今さらな感は否めませんが。
若い頃は長いのやら短いのやら、いろいろでしたが、
お母ちゃんになってからは特に基本は短めです。髪形。
で。
そろそろ伸びてきて、びみょーにくせ毛で梅雨時期はうねうねになりやすいために、ここんとこ毎朝おかしな頭になってましたから、美容院に行ってきました。
で。で。
シャンプーしてもらってる時に、ふと気づいたんですよ。
「あー。あたしってば、ずーっと自分の『女性性』を大事に育ててこなかったなー。」
って。
もともと自分のそーゆー傾向ってもんは自覚してましたが、今日はがっつりしみじみ思いました。
そしたら、自分の中の「なんでこうなのかなー?」といういろんなことについても、
『女性性』を大事にしていないから、そこのバランスをとるためでもあったんだなー、とかね、
そーゆーことにも「はた。」と気づいたのです。
子供たちを産んで育ててるうちに、ありがたいことに「母性」はふつーに育ってきたと思うし、
「人間性」ってのも、偏りはあるけど意識してきたことだし、「霊性」も勉強させてもらってるし。
……やっぱり『女性性』がおいてけぼりだよなぁ。
てことで。
今さらながらですが、大事に育てていきたいと思います。女性性。
ずっと気になってはいたのですが……。
常滑の小五の女児が、岐阜のキャンプ場で忽然と行方不明になってから1年です。
当時、ニュースで彼女の写真を見て、
「あれ?この子、ダウンちゃんじゃないか?」
と思ったんですが、ニュースでは何も言ってないのでハッキリしませんでした。
しかし、さきほど「とくダネ」でこの事件について扱っているのをチラリとだけ見たところ、やはり彼女はダウン症児とのことでした。
ほんと、不思議な事件(事故?)なんですよね…。
まさしく忽然と消えた、という感じなんですよね…。
解決した、見つかった、というニュースをちっとも耳にしなかったので、時々思い出しては気になってました。
……神隠しなのかなー。
同じダウン症児の親としては、さらに胸が痛いです。
もしかして、「章」が変わったとか、なのかなー……?
昨日は朝から非常に気持ちが悪くて、漢方薬飲んでもなかなか復活せず。
なんだろう、この感じ……。いつもの気持ち悪いーってのがヒドいっていうか……
「なんか、まるでつわりみたい。」
と苦笑いでした。
いや、もちろん、生理中ですからね。妊娠なんてしてませんしてません。
でも、つわりって、子供の振動数と母親の振動数のズレのせい、というスピ的解釈を聞いたことがあって、
何か新しいこととか、そーゆーことへの準備だったりして~~、
なーんてことにしておきました。
いや、単に自律神経が乱れてるだけなんですがね。
そいえば。
ネットのお友達の妊娠話を立て続けに聞いたばかりだし、
mixiの日記に安産の話を書いたばかりだったんですけど、
昨日、お父ちゃんの職場の同僚さんで、私も仲良くしてもらってる方が出産したと聞きました。
……それも、車の中で。
病院まで間に合わなかったそうで、それはもう大安産だったってことですから、もちろんいろいろ大変だったろうけど、良かったなー、と喜んでおりました。
なんだろ。
なんか、やっぱり「新しいこと」とか「新しい自分」とか、そーゆーことを感じさせられるんですよねぇ…。
ただ、オメデタイってだけでなく。
そいえば。
2月頃だったかなー?
3月頃だったかなー?
観音様になにげに語りかけたら、
「6月から忙しくなりますよ。」
と言われたんだよなー。
入園・入学が重なって、春はバタバタと忙しかったけど、
6月って落ち着く頃なのになー、と不思議だったんですが、
もしかしたら、忙しいというのは、ちょっと今までと何かが変わってくるよ、ってことなのかもしれないですね。
なんだろうなー?
ちょっとだけ、ドキドキ。
「自分の道」を歩くのは自分一人。
もっと自分が他の「反応」ができていれば、全然違う結果になっただろうに、と思うし、
その時のことを思い返してみても、やっぱりその時にはその「反応」しかできなかったから、自分のダメダメな部分が強く出ちゃったせいで、人間関係が変わってしまった、というのも、悲しいけれど、それもちゃんと自分で受け止めないとねー、と思います。
んーー。
高校生の時のこととか思い出して、ひーーーー[emoji:v-356]ってなったりしますわ。
今でも。
例の件もからんで、のりすけちゃんが私のために良かれと思ってやってくれたことに対して、私が怒っちゃうという大人げない反応をしてしまい、のりすけちゃんからはその後何も連絡がありません。
そりゃそうだよなぁー、と思います。
でも、のりちゃんはブログで自分がどんどん軽くなってって楽しいって書いているから、
ああ、そうかー。
のりちゃんは、スッキリしてるのかー。
と、思ったら、寂しいのは当然寂しいけど、
なんかね、すごくホッとしました。
ほんとに、心から良かった、って思いました。
春の頃、シエルさんとのりすけちゃんは、私も一緒に連れて行きたいんだよ、と言ってくれました。
だから、ヒーリングを受けたりもしましたが、
やはり私はついていけなかったんですね。
ツインだなんてまったく知らずに、私はのりすちゃんとなぜかすごく仲良くなって、なぜかお互いを大切に思うようになったけど、
それでも、彼女の「感覚」をスーっと分かるのは、私よりも、たとえばかめちゃんの方だよな、とか、
そういうことも感じていました。
やはり、私がどこか「重い」のかもしれません。
だから、のりちゃんはのりちゃんなりに、私にひっぱられてしまっていた部分もあるのかもしれないなー、と今さらながらに思います。
だったら、
私と違う道に進んで、どんどん軽くなって、どんどん自由になることは、必然だし、良いことなんだろうな、と、
彼女がブログで楽しいと書いているのを読んで、本当に心からそう思ったんです。
そいえば。
シエルさんが言ってました。
今年の2月で、私とのりちゃんのツインのコードは切れたって。
今までののりちゃんとの過去世の物語を振り返ってみても、
私をフォローするように、のりちゃんが辛い経験をしていることが何度かあるから、
コードが切れたことで、もう、のりちゃんの魂は真に自由に、楽しく生きていくことができるようになったのかもしれませんね。
強がって、こんなこと言ってるんじゃないし、
寂しいのは寂しいんだけど、
でも、ほんと、なんか、これでいいのかもね、って、素直に思ったんです。
寂しさはもちろん残っていても、
それでも、ある意味、すごく晴れやかな気持ちです。
なーんてことを、土曜日につらつらと思っていたら、
さっき、takakoさんのブログ
http://marialetter.blog22.fc2.com/blog-entry-136.html
を読んで、(あいかわらず辛口だけど!)なーんかね、
「それでいいんだよ。」
って、言われてるような気がしました。
でもって、りゅーらたんが日記にやっぱり「袂を分かつ」ということを書いてたし、showさんもちょっと似たようなテーマで日記書いてたし。
目指すところはみんなみんな一緒なんだろうけど、
やっぱり道のりはそれぞれ違うんだろうな、ってしみじみ思いました。
一時的に、まるで同じ道を歩いているように思える人がいても、
やっぱり違う道を歩いているんだ、ってことを忘れちゃいけないな、って、思いました。
家族でも、友人でも、恋人でも、師弟でも。
ソウルメイトでも、ツインソウルでも。
「自分の道」を歩くのは、自分一人。
守護霊さまとか、ハイヤーさんとかがぴったり寄り添ってくれているけれど、
歩くのは自分の足だもんね。
どんどん、地球の波動が上がってるー、とか、どんどん現実化のスピードが上がってるー、とか、
スピ系の人たちはよく言いますが、
それって、「自分の道」がどんどんクリアに見えてくるようになるということでもあるかもしれなくて、
だとしたら、それこそ「袂を分かつ」ということに直面することが増えるのかもしれないですね。
それは、「みかけ」のことだけど。
ほら。
コリオリの力って、「みかけの力」だけど、私たちにしたら、お風呂の栓を抜いたら、どーしたってなんかの「力」が直接働いて水がぐるぐる回ってるとしか見えないもんねー。
あれと一緒で、「みかけ」のことだと思うのです。
そういう「みかけ」のことって、他にもいろんなカタチで現れてきてるのかもしれんですね。
向き合っているのは…。
いっこ前の記事について、mixiの方でいろいろコメントやメールをもらいました。
んで、まだお返事が全部済んでないんですが、コメントへの返事をぼちぼち書いて心の中を文章に置き換えてみたら、こんな言葉も出てきました。
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◆ひのこ☆ねーさん
認めてくれてありがとう。
でも、なんかすげー無理矢理キリキリ考えて、無理矢理吐き出してる感は否めないと思うわー。うはー。
でもでも、なんかね、ブログに書いて、ちょっともう何も出ないやー、ってなってから、ちょっとこの2カ月くらいのことを振り返ってみて、やっぱ私の優柔不断とか、人とモメるくらいなら黙っとこー、とかそーゆーところの積み重ねが「ひっくり返って」こうなっちゃったなー、って思うから、
なんかねー、なにみえがどーの、上がどーの、光がどーのなんて、ほんとは「取り替えのきくお題」で、これらが「問題」として現れたことそのものには意味がねーなー、と思ったよ。
問題に向き合ってるようで、向き合ってるのは「自分の心の癖」だと思った。
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書きながら、ちょっと泣きそうになってました。実は。
いつでも、きっとそうなんだろうなー、と思いました。
今までも、これからも。
これから、どんな「問題」が現れても、
「問題解決」に頭も心もいっぱいいっぱいになっても、
真に向き合ってるのは、「自分の心の癖」なんだ、って忘れないようにしたいな。
自分は「聞く耳」を持っているか?
最近、「聞く耳」に関することがチラリチラリと目につきます。
とある障害児のお母さんが、自分の子の状態について、他の人たち(それも自分より専門性の高い人たち)に、お母さん自身が我が子について認識している以上に問題がいろいろありそうだ、と指摘されて怒っちゃった、とか…ね。
なんだか「痛々しいなぁ……。」と感じることが多いです。
自分の意見を支持してくれる人の言葉は、そりゃ誰でもすんなり受け入れるもんだし、嬉しくも思うもんだけど、
その人の真価が問われるのって、きっと、自分の思っていることと全然違う意見に出会った時なんだろうな、って思います。
「あなたの意見はあなたの意見として、いちおー聞いておきますが、
私はあなたの意見を聞いて、自分の意見を変えるつもりはありません。」
と、いう態度で臨むのが良い場合もあるけれど、
たとえ耳がすごーく痛くても、その言葉を切り口として、今の自分とじっくり向き合わなくてはならない場合もあるハズです。
自分の感覚や考え方、自分自身に自信を持つということは大切だけど、
他人の意見をまったく聞かなくていいということではない。
そして、逆もまた然り。
すごく難しいな、と思います。
けれども、実はそんなに難しいことではないのかもしれないな、とも思います。
多分、自分の「中」が風通しよい状態になっているかいないか、という違いなんだろうな、と思うからです。
でね。
自分の「中」がすーすーと風通し良い人なら、特別になにかのヒーリングメソッドを用いなくても、
ただ、その場にいるだけで、なんだかみんなが癒されるんだろうな、と思うんです。
(あ。五井先生も同じようなことを言ってるな。そいえば。)
私は、自分が何がしたいのかよく分からないし、もちろん発展途上だし、お父ちゃんに耳のイタイこと言われて「むっきー!」って逆切れするし、ダメダメなんだけど、
でも、いつか、その場にいるだけでなんだか和んじゃう~って人になれたらいいなー、と望んでます。
そのためには、いろんなものをリリースして、軽やかになっていくことを志向してます。
……いや、その、ほんと、今はまだまだダメダメで、聞く耳もちゃんと持ってるかどうかもアヤシイけどさ、いちおーね、目指すところはそーゆー感じってことで。
えへへ……。
昨日は満月だったのかしら?
よく分からんのやけど、昨日がいわゆるウエサクの満月だったのかしら?
確かに月は丸かったちっくだったけど。
(今年は月カレンダーを購入してないから、ぜんぜんチェックしてない。新聞の月齢も見てないや。)
てのも。
ウチは障子の部屋で寝てるんですが、
子どもたちもとっくに寝て、私も嵐の番組を堪能し終わり、仕事で遅くに帰ってきたお父ちゃんがお風呂に入ったので、
さて寝ようかね~~~、と思ったら、
障子の向こうが明るいんですね。
ああ、そうか。
今夜だか明日の夜だかが満月らしいよね。
と、障子を少し開けたら、すーーーーっと月明かりが部屋の中に入り込み、丁度、私の枕を照らしていました。
お?
これは横になりながらお月見ができるんじゃないか???
と、思い、いつもは付けている豆電球を消して、障子を少し開けたまま横になってみました。
おおおおおおお。
丁度いい角度でお月さまがキレイに見えるぞ~~~~~。
月光浴や~~~。
と、(外したらすげーボンヤリとしか見えないため)メガネをかけたままお月さまをのんびり眺めていました。
が。
ふと気づいたら、寝てました。あたし。
あーあ。
多分、お月さまをまったり眺めてたのって、ものの数分だよな…。
眠気の圧勝。