言語の役割

人間の脳は、右と左の2つに分かれていて、その右側を右脳、左側を左脳といいまして、その間は脳梁と呼ばれる神経線維でつながれてます。
そいえば、この脳梁って女性の方が太いので、女性は平行していろんな家事ができるけど、男性は1つの仕事しかできない…なんて言われたりもしますね。
でも、右脳と左脳の役割については、まことしやかにいろいろ言われてますが、医学的には根拠は無いんだそうです。
まだよく分かってないってことですね。
で、
右脳は体の左半分を制御し、左脳は右半分を制御しているわけですが、
言語を司る言語中枢というものがどちらか片方に入っているんですね。
これが、不思議なんですが、
●右利きと左利きでは、右利きの人の方が圧倒的に多い
●右利きの人のほとんどは左脳に言語中枢がある
●左利きの人の4割が右脳に言語中枢がある
●ほんとに珍しい例だけど、左脳にも右脳にも言語中枢がある人もいる
ということらしいのですね。
だから、「言語中枢は左脳にある」とざっくり言われがちなんだそうです。
左脳に言語中枢がある人の方が多いから。
でも、左利きの私はもしかしたら言語中枢が右にあるかもしれんのかー、と思ったら、ちょっとワクワクしちゃいました。てへ。
(にのちゃんは、右脳に言語中枢がありそうだなぁ。なんとなくだけど。)
と、いうのをふまえてこちらを。
http://plaza.rakuten.co.jp/siriun/diary/201201140000/
左脳が…っていうより、言語中枢が破壊されたことで起こった変化ということですね。
たしかにね。
私が17歳の時にオーストラリアに1年間、交換留学で行った時に、
もともと英語がそんなに得意でもなかったので、最初はうまいこと言葉が聞き取れないし話せない状況に置かれてしまったのですね。
そうなんです。
まるで日常生活から「言葉」の力がすーっと消えてしまったような感覚に陥ったんです。
すると、不思議なもので、五感も五感以上もなんですが、「感覚」が冴えてきたんです。
いろんなことを「まるごと」で捉えて、そこからいろんなことを自分の中に落としこむ…みたいな感じですかね。
あの時に、いかに人間は「言葉」にべったり頼ってるかということを体験を通して理解させられたんだなー、と今更ながらに思います。
おそらく、「言語」というのは、「分離」するというのが仕事なんだと思います。
なにもないところに、水平の線を1本ひいて、空間を分離し、「上」と「下」という概念を生み出す……みたいな。
それが「言語」の役割なんだろうな、と思います。
分離して1つ1つを規定していくことが。
なので、言語にべったり頼っていながら「統合」に至ることは難しくて、だから「頭で考えてるだけではダメ」なんでしょう。
そして、自身の存在そのものまるごとで体感するということを通して到達した境地のことを言葉で語るというのは最初っからできないことなんだろうな、と思います。
でも、私は、こうやって言葉を使って何かを伝えようとすることを止められないんですねぇ…。
えへへ。

「バランスが大事」

じぇいど♪さんとも月の娘ちゃんとも、メールのやりとりやらなにやらしてて、どんなテーマであってもいつもいつも
「バランスが大事ってことに尽きるよな。」
って、おバカの一つ覚えのように3人ともゆーてるんですが、
なんかもー、万能調味料みたいになってきてます。
なにごともバランスが大事。
ほんとーーにそう思います。
んでも、この「バランスが大事」ってのは、すごくふかぁぁぁぁぁぁい意味合いがあるよなー、と思います。
真にピタっとバランスが取れてて、やじろべぇがまったく動かないというのも、おそらくはこの世的には面白くないだろう……ってか、それってもうこの世卒業やん、ってことになるんやと思いますしね。
で、
いい塩梅でバランスを取れるようになるためには、
「いろんな視点を持つ」
ということがキモなんじゃないか、ということを最近よく思います。
江原啓之さんの言葉ですけど、
***************************************
ある意味でこの世を舞台としてとらえ、壮大な脚本家的視点を持つべきでもあるのです。
***************************************
ってのは、私もそうだろうなー、と思います。
役に没頭して、自分がその役そのものになってる自分という視点も大事だし、
全体を見渡す脚本家的視点も大事だと思うのです。
そして、なんとなくそう感じるってだけなんですけど、どの視点においても斜に構えてちゃ勿体ないのではないか、と思うのです。
せっかくいろんな視点を持つことができても、斜に構えて観てちゃ、バランスを取るための視点とはなりにくいかなー、と思うのです。
私は「無理矢理なんでもかんでもポジティブ!」ってのは好きじゃないんですけど、自分としてはココはポジティブに、「真っ向から観る」ということを心がけたいなー、と思っておるのです。
なので、スピリチュアルなあれやこれやも、そこにがっつりコミットしつつも、それは「ひとつの視点に過ぎない」というスタンスを保っているつもりなのです。
その「スタンスを保つ」ということ自体も、バランスを取るということでもあるしね。
ほんと、「バランスが大事」というのは、深いです。

あけましておめでとうございま~す♪

あけおめくまえる
あけましておめでとうございま~す♪
今年もよろしくお願いしま~す。
2012年ですね。
スピ的にはいろいろ言われてましたけど、どんな1年になるんでしょうね。
それでは、たみえお母ちゃんが2012年の予言をしておきましょう。
●息子と娘がスクスク成長する
●とーちゃんの勤め先NPO法人の田んぼと畑が豊作
●るーさんとタミエルがさらにゆるゆるにやりたい放題
●ファウがどんどん変化する
●ミルラ・ムねーさんは相変わらず時環にラブラブ
●時環は某弟分のドラゴンとあちこち遊び回る
●天使の絵がさらにパワーアップどかん
●お母ちゃん、松潤とにのちゃんとたっちょんにさらに萌え萌え
●お母ちゃん、年末にはまた関ジャニ∞のライブ参戦
●お母ちゃん、すげぇ元気で丈夫になって10歳ほど若返る
●お母ちゃん、ユウユウとリュウリュウを捕獲する
そして辰年ですね。
ドラゴンの年ですね。
Viva!時環!
というわけで、関ジャニ∞の関風ファイティングを聴いて正月から子供たちと踊ってます。
♪ドラゴンがぁ~、ま~いおりてぇぇ~
♪ドラゴンがぁ~、お~どりだす~~
平和な元旦です。
ありがとうございます。

今年もありがとうございました。

大晦日ですね。
いろいろありすぎな1年でしたね。
個人的にもいろいろありすぎなくらいの1年でしたが、
愛にあふれた1年と胸張って言えます。
ほんとにほんとーにありがとうございました。
さー。
今年も紅白の時間の前までにお風呂もすませてー、
だらだらとしながら嵐の司会を堪能してー、
カウントダウンはジャニーズのやつを見てー、関ジャニ∞を堪能しまーす♪
☆☆☆
石井ゆかりさんの2012年の年報が出ました。
http://st.sakura.ne.jp/~iyukari/b2012/brightgreen_wk_mny.html

最終目標

昨日、オカンから電話が入りましてね。
「関ジャニ∞のコンサート、どうやった?」と興味津々に訊いてきました。
オカン、さすが私の母です。
ジャニーズがけっこー好きなので、「関ジャニ∞」も知ってくれたので、いかに楽しいライブだったかを語りましたよ。ええ。
で。
眼鏡の度がゆるいのでワンデーアキュビューも買ったよ~、
靴も服も買っちゃった~、って話したら、
どんな靴と服買ったん?って訊かれましてね。
何度もしつこくゆーてますけど、美人だった祖母・叔母と違って、オカンはぶちゃいくです。
でも3人に共通してるのが「オシャレさん」です。
ですから、祖母にしたら唯一の「孫娘」であり、叔母にしたら唯一の「姪」であり、オカンにしたら唯一の「娘」である私が小さい頃からオシャレに全く興味が無く、大学生になってもちっともセンスを磨かない……社会人になっても相変わらず……というのに、みんな多分ちょっとガッカリだったに違いないと思うのです。
さすがに沼津から名古屋に戻ってきた時はお店がたーーーくさんあるので、お洋服を買うことが楽しくなったもんです。
センスというのはそうそう簡単に磨かれるものではないですが、あの時期が「自分に似合うお洋服」について一番意識した時期でした。
そして、いかに私は「靴」が好きかってこともすごーく自覚されられた時期でもありました。
他人からしたら、同じような靴ばっかやんって言うかもしれないけど、本人にしたびみょーなこだわりがあるのですよ。
子供を産んで、子育てメインで「汚れてもストレスにならない服」ばかり買って着るようになって、すっかりおばさんになってしまいましたが、
久し振りにこんな感じの服を買ったよー、値段はこれくらいでねー、そのお店はこんな感じの服が多くてねー……靴屋は私好みのこーゆー靴が多いところを見つけてねー……って、オカンに話したんですね。
そしたらオカンが、いい買い物したね、これから本格的に「おばさん」になっていくんだから、今回みたいにキレイな色のキレイなラインのちょっとばかり質もいい服を選ぶようにしないとアカンよ~と言いました。
ヤボったいおばさんになっちゃつまらんよ、と。
……だよなぁ~。
と思いました。
見た目って、ある程度大切だと思うのですね。
若いうちはなんでもいいんですよ。
Tシャツにジーンズでも、キレイなんだから。
でも、歳を重ねるにつれて、中身も磨かないとアカンし肌も髪もそれなりにお手入れしないとアカンし、
そして「雰囲気のいい女性」になるためにはそれなりにキレイな色の服も着ないとくすんでしまうよなー、と思うわけです。
どんな女性になっていくか、をイメージできないと、どんどんくすんでいっちゃうよな~、と思うのです。
上手に歳を重ねて、最終的には「チャーミングなかわいいおばあちゃん」になるのが最終目標であります! (←長生きする気まんまん)

「重心」

と、そんなわけで。
私にしたら「ほとんど奇跡」としか言えない関ジャニ∞のナゴヤドームライブ参戦だったわけですが、
でもね、
「天使たちがサポートしてくれた」というのは、私には疑いようがないことなのだけれど、
『私の強い想いが、そういう現実を引き寄せた』と解釈しようと思えばできることだし、
『私の意志が、そういう現実を創造した』と解釈したっていいわけで、
なんでもアリだと思うのですね。
てか、いろんな解釈ができる方が良い気がするのですよ。手持ちカードが1枚だけってよりもね。
なので、スピ本やらスピ記事もアレコレ読んだりしてたわけです。
そのうえで、けっこー私はいろんな解釈をしつつ、それでもやっぱりこれは○○だよな~…という捉え方をすることが多いです。
……が、
それは頭で情報処理することと心で感じることのバランスを計ってるって感じがするんですよね。
自分的には。
んー。
なんてゆーか……
重心を感じながら、そこに辿り着こうとする
みたいな感じかも。
今年の3月11日以降、直接震災に合った人たちだけでなく、日本中の人たちが精神的にひっくり返ってしまって、
スピ系の人たちもいろんなことを言ってたですね。
津波で死んだ人たちの魂は、それを引き受けたのだ……とかって発言に、怒りまくった人も何人も見掛けました。
どっちの言い分も分かるのだけど、ガチガチに摩擦起こしてすれ違うのはみんながひっくり返ってしまって、重心がアチコチに振れまくってどこにあるかも分からないような状態だったからだよなー、って感じてました。
そういう時、重心を感じながらそこに辿り着こうとする私は、ほんのちょっと言葉にするだけがやっとで、ほとんどのことが言えなくなってしまってました。
だって、重心がどこにあるか分からなかったんだもの。
で。
重心ってのは、もう今は不要となったブロックが多ければ多いほど、『ほんとうの自分の重心』からズレたところに、『今の自分の重心』が生まれちゃうよなー、って思います。
そして、その重心でバランスを取ろうとすると、なーんかナチュラルじゃなくなるような気がします。
誰かに怒りを感じやすかったり、ニセモノに惹かれやすかったり、人を傷つけるのをうすうす分かってても我を通そうとしたり、うまく笑えなかったり。
…そだね。
すぱーんと開いた笑顔で笑えてるかどうか、がすごく分かりやすい目印かもしれんですね。
あたしはどうだろう?
笑えてるのかな?
笑えてるといいなぁ~……。
けどね。
いろんなブロックやいろんなモノを抱えて、それでも頑張って生きてる人って、素直にすごいって思います。
今はすぱーんと開いた笑顔じゃなくてもね。
遠くからこっそり応援しちゃうって感じですね。
……だって、重いのにひっぱられるのは当たり前だけどしんどいから離れて、ね。
そこらへんは私もまだまだ未熟者なので、自分自身で精一杯だから仕方がないよねぇぇ。

理性と情熱

今、ちょいと事務仕事をやっておりました。
で、とあるお客様からのメールに返事を書かせてもらっていたのですが、
その方の絵は、ハニエルの「情熱」でした。
その返事の中で、こうやって書いたんです。
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理性と情熱のバランスをとるというのは簡単なことではないと思うのですが、
基本的にそのバランスがとれる…といいますか、理性的な視点もありつつ、情熱に従い生き生きとした人生を創造していく、というのが「美しい大人の女性」なのではないか、と最近になって私も感じます。
お互いに、ハニエルのように美しい大人の女性を目指しましょう!
********************************

あまり深く考えず指が動くに任せるように書いていたら、こーゆー文章が出てきたので、
書き終わってから、
おお!そうだよそうだよー。そうなんだよなー。
と、思ったのでした。
ナイスおれ。
けどね。
「視野の広い知性に支えられた深い洞察に基づく理性」を培うなんてそんな簡単にできることじゃないし、
沸き上がってくる生々しい情熱をうまくカタチにして認識するというのも案外簡単なことじゃないし、
ブロックがたくさんあればあるほど、理性の使い方にも偏向が出やすいし、「情熱に従い生き生きとした人生を創造する」というのも難しくなるし、
美しい大人の女性への道は平坦ではないのだー。
でも目指すのだー。

「かわいい私」を取り戻したいなぁ。

この数カ月、mixiの日記にちょこちょこと(一部限定公開ではあるけれど)私の女性性の問題についてゲロっていたわけですが、
最近になって、ぽろりとそれなりのカタマリでブロックの一部が外れた……ら、
おかげさまで女性であることに素直に喜びを感じられることが多くなりました。
が。
同時に、
すごくストレートに「女の子」を表現して、すごくストレートにその欲求を口にするもうすぐ5歳の娘を見ている時に、
ああ……なんで、あたしは小さい時にこんなふうじゃなかったんやろう。
これくらいの時にはもうカワイイ服を着させられてカワイイって言われるのがすごくイヤやったもんなぁ……。
こう言っちゃなんだが、小さい時ならまだエラも張ってへんかったし、こいつより私の方が(写真を見る限り)ずーっとかわいい顔やったんやから、
『かわいい私』ってーのをなんでもっと堪能せんかったんかな~???
と、自分にダメ出しし放題にもなってきました。
そうなると、なんで高校生の時にもっと……とか、なんで大学生の時にもっと…とか、なんで会社員時代にもっと……とか、なってきて、
どれだけ自分は女性であることに後ろ向きやったんかな~、と苦笑してしまいます。
そのくせ、その抑圧されたものは違うカタチとなって私を翻弄し続けていたし。
やっぱりストレートなのが一番ですね。
もういい歳のおばちゃんで、今更感は否めませんが、
それでもね、せっかくだものね。
ここから「女性である自分」を大事に大事にして、表現していきたいと思います。
「かわいい私」は取り戻せないけれど。
……まずは、ちょっといい靴を買いたいなぁ。
新しいところに私を連れてってくれる靴を。

オールマイティでなんでもござれなスペックがこのハード(肉体)にあったら?

以前にも日記に書いた覚えがありますが、
一時期よくかわいがってもらってた会社の先輩が教えてくれたことを、たまに思い出します。
ソフトウエアの基本設計をする時に、どういう発想で辿り着くんですか?
みないなことを残業中になにげーに聞いたら、
隣の席だったその先輩が、
まずな、ハードがカンペキで容量も無限大のなんでもアリのやつを想定するんや。
そしたら、どんなソフトでも載せられるやろ?
そこから考えてみるんよ。
「何をしようか?何をこいつにさせようか?何したいかな?」って。

と、教えてくれました。
現状の制限ありありのところから、何ができるか……を考えるんじゃないんだー、と、ちょいと眼からウロコがぽろぽろと落ちました。
で。
それって、自分に対しても同じかもなー、と、なんだかさっき、あらためて思ったのでした。
子供の時は自分の中に制限なんてほとんど無いから、純粋に夢を見られたよな、って。
私は、7歳の時に子供用図鑑の「宇宙・宇宙旅行」って巻を見て、魂をわしづかみされてしまったような衝撃を受け、
それからずーっと科学者になるー、って純粋に、ほんとーに純粋に思ってましたもん。
純粋に純粋に、ひたすら宇宙のことが知りたかったし、
宇宙がどのようなモノで、どのように生まれて、どのように終わるのかが科学的に知ることができれば、
「なぜ、『私』はここに在る?」という疑問も解けると何故か強く思ってたし。
でも、中学生になって、数学脳に欠陥があると自覚した瞬間に私は夢を手放してしまい、
あの虚しさといったら、13歳の私にはアイデンティティーの危機ってくらいの勢いでした。ほんとに。
それ以来「純粋に夢を見る」ってことができなくなってしまいました。
そして、大学生になって身体を壊してからは、体調に振り回されるばかりのため、やりたいことを我慢するのが当たり前になってしまい、
私は何がしたいのか…すら分からなくなってしまいました。
それでも優しい旦那さんとカワイイ子供たちに囲まれて、なんだかんだと言いつつも幸せな毎日をおくっているので、それで十分っちゃあもちろん十分なんですけど、
でも、もし、オールマイティでなんでもござれなスペックがこのハード(肉体)にあったとしたら、私はどんなことをしてただろうなー……って、ちょっと考えてみると、
きっとやっぱり天文学の科学者になって、いっぱいいっぱい観測して、いっぱいいっぱい宇宙のことばっかり考えてんだろうな、と思いました。
ガリレオのように。
歌手にもなってみたいけど、やっぱり科学者だろうなぁ。
ほんとに、なりたかったなぁ…。
なので。
タミエルという堕天使が人間に天文学を教えた、という記述を読んだ時には、納得する自分と、なんとも悲しい自分がいたのでした。
おそらく、私はあの時の、純粋な夢を手放した時の真っ暗なほどの虚しさを、未だ癒しきれてないんでしょうね。

急に秋が深まって

日が落ちるのがすごく早くなり、
娘をお迎えに行く時間にはもう寒いなぁって感じて、
でも空はうんとうんと澄んで高くて、キレイなブルーで、
昔、見上げたあの青い青い秋の空を思い出して、少し胸がチクっとして、
つないだ子供たちの手が温かくて、
庭の大きな木からドングリが落ちてきて、
ああ、あたしって、スマートじゃなくて、すごくバカなんだけど、
でも、こんなあたしでもいいよね、って思う、秋の夕暮れ。