さつきのひかりさんのこの記事
http://satukilight.blog.fc2.com/blog-entry-1273.html
を読んで、今日の午前中にしたツイートが以下です。
まとめときます。
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さつきのさんが分かりやすい読みやすいいい記事を書いてる。さすが。
「自分」って、この肉体とこの精神・心だけが自分やと思うと、「世界」はものすごく理不尽に見えてしまうんやけど、
「根源(神とか)」から派生して「この肉体の次元」まで降りてきて「肉体で生きることを体験中」と(続く)
頭で知るだけでも、「世界」の見方が変わるし、
アストラルトラベル等で「肉体より少し高い次元の意識体」である自分をうっすらとでも認識できると、さらに「世界」の見方が変わって、
この肉体と環境を選んで生まれてきた自分ってものも、もっと真っ直ぐに見つめることができるようになるんよね。
なんて言うか……
「ひとつたりとも、他人のせいになんてできない」
んやと、だんだん分かってくる、みたいな感じかな。
それがだんだんと分かってくると、肉体として現実をどう生きるか、がより主体的になるというか、濃くなるというか、
己を知ることの意味を深く知る…ことになるんよね。
別に、それは、悟りを得て聖人になることではなくて、
どっちかってゆーと、ものすごくしっかりと現実を生きる、ってことにつながるんやと思う。
てか、グラウンディングが弱いと、それができんくて、ふわふわしてしまって、本末転倒になってしまう、ってことなんかなー、と思うんやけどね。
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で。
結局は、今の自分がどういう自分でありたいと思うのかによるのかなー、と思うです。
生まれつきの性格・性質もあるし、育った環境の影響も大きいけれど、
現実のここにいる自分が、どういう自分でありたいか、によって、上と下のバランスの取り方も微妙に変わってくるのかなー、と思うんです。
どれが正解というわけではないんでしょうけど、そういうのも含めて「自分らしさ」なのかな、と思ったりします。
クリロズがお引っ越し……で?
さつきのひかりさんのブログに予定が出てましたが、
クリロズがお引っ越しだそうで。
関係者のみなさん、お疲れさまです。
でね。
たみえかーさんはですね、クリロズにですね、お部屋を借りてる……んですよ。
多分。
でも、どうやって使ってるかというと、
たまーに全員集合してお茶してる、ってだけなんですわ。
や、どういうことかといいますと、
ウトウトしてると、たまーにクリロズの部屋にぽんと私の意識が持っていかれまして、
そこで見えるイメージって、ミルラ・ムねーさんと、タミエルと、ファウたん(←全員私の上のヒト)が、ただお茶してるだけなんですよ。
なーんか和やかにお茶してるだけ……なんですよ。ええ。
多分ね、私の意識に見せてるだけなんだと思うんです。
意味はあまり無いんじゃないかなー?
おそらくですけど、
私の意識が3人を同時に感知するのに、一番手っとり早いのがクリロズの波動域だったんじゃないかなー?と推測しておるんですがね。
かーさんとしては。
ステーションでもいいんだろうけど、個室ってのも感知力があまり長けてない私には良かったのかもしれんですね。
で。
お引っ越しだからどうすんのかなー??と思っていたんですが、
どうも引き払うみたいです。
新館にはお世話にならないみたい。
あ、いちおークリロズの個室をメインで借りてたのは、どうやらミルラ・ムねーさんだったんですが、
彼女が「もうココが無くてもいいでしょ?」ってゆーてきたんで……。
あのヒト、すげぇサバサバしてるんでねぇ、まぁそんな感じなんでしょうかね。
私としては、へーそうなのー、って従うだけなんですけどね。
というわけで、
長い間、お世話になりました。
ありがとうございました。
上だろうが下だろうが、愛してる人に触れて「愛してるよ。」と伝えることができることはすごく幸せなことなのだ。
いっこ前の記事をアップしてから、家族みんなでお買い物に出て、さっき田舎道を走ってる車の助手席でぼけーっと夕暮れの空を見ていたら、急になんともいえない幸せな感覚が身体中に満ちてきて、
……な、なんだなんだ??
と思っていたら、
タミエルが嬉し涙を流しながら、「あの子」を抱きしめているではないっすか!
もちろんその傍らにはあの親友さんがいて、
彼の顔を見て微笑むタミエルの顔は涙でぐちゃぐちゃ。
……展開、はえーなー。おい。
でも嬉しいや。
だいたいは楽しいのじゃなくて、しんどいのがメインなことが多いので、こうなってくるとなかなかキツい。
かの大戦時の、最前線部隊にいた頃のタミエルさんの記憶なんて、
さすがにもー出てこーへんよなー、とタカくくってたら、この正月からでろでろ出てきて、
なんてこったーい!
と、なっております。
なんでも侮っとってはいかーん、と正月から頭ぽこんと叩かれた気分でござる。
感情の高波に飲み込まれてあっぷあっぷー。
…とは言え、どこか客観的に冷静な自分もいるので大丈夫なんやけどね。あたしは。
だって、今のこのあたしの経験やないからな。感情は生々しいからキツいけど。
しかし、泣きすぎて目が腫れぼったいのはイヤン。
上のヒトの外見の変化
去年の冬至頃に、私の上のヒトの1人であるファウが、
どうやらどこぞの医療機関みたいなところに入院でもしたのか??っていうイメージが湧いてきました。
もう一人の私の上のヒトであるタミエルも治療チームに加わってるみたいでした。
ポッドのようなベッドに横になっていたり、ちょっと起き上がって話を聞いていたりしてるファウ。
右目はアイパッチみたいなのが貼られてました。
もう2年半前になるのかな。
最初に認知した時は、マルデックの赤ん坊で、その子が大きくなって12歳くらいの緑色の髪の女の子に成長したかと思っていたら、
ぴかぴかの白くて金髪な天使の少女になり、ステーションの天使エリアと思われるところでザドキエルさんがずーっといろんなことを教えてくれているようでした。
その時にも一度、入院・手術のようなことをファウがしていまして、それでかなり雰囲気が変わりました。
こんな感じ。
で、この頃からずーっと「ワーカホリックですか?」って感じで忙しなくお仕事をバリバリしてる姿ばかり感じてました。
そして印象的なのは、ヘアスタイルと服でした。
顔を隠すようなスタイルと、薄手の白い生地なんだけど、首から全部身体を隠すようなふわっとした服でした。
ツインが現れてワーカホリックな感じが落ち着いてもこのスタイルがずーーーっと続きまして………
そして、今回の入院で、またしてもガラリと雰囲気が変わりました。
こんな感じです。
フェイスラインが出ていて、以前よりうんと大人な女性って感じになってました。
上のヒトの「外見」の変化って象徴的なものなのかなー、って思うんですが、不思議なもんですねぇ。
上のヒト事情…その1
今朝、mixiの方では書きましたが、
起き抜けぼけーっとしてる時に、「上」のイメージがぼやーんとまた降りてきまして、
タミエルが、なんか紙をボードに挟んだやつみたいなのを持ってそれを見ながら、真剣な顔して、隣にいるラファエルと話している………と、
後ろで他ゴトしてたるーさんが、
「あ、それは違うよ。」
と、ニヤっとしながら振り向いて、でもマジメな顔にすぐになって、何か意見を言い始めて………
「おおおー!なるほど!」
と、タミエルが嬉しそうにすごく納得した顔で言って、ラファさんがニコニコしてる……
てな感じでした。
これ見て下のあたしが思ったことは、
「るーさんは、『ラファエル一門』において、タミエルの兄弟子みたいだ…」
だったのですけど、
癒しの天使ラファエルの門下生(?)としてミカエル系天使のタミエルがいろいろ教えてもらうことになったみたいだと感じるようになったのは、夏至を過ぎてからだったハズ。
るーさんとよく遊んでるうちに、じゃあラファさんちでしっかり教えてもらおうかな~、って話になったのか、
それとも実はラファさんちの門下生としてお勉強しようとお願いしたら、るーさんのお守り……いやいや、るーさんと遊ぶことも条件だったのか、
もっとふかーーーい事情があるのか………とにかく、るーさんは「兄弟子」で間違いなさそうです。
それも、かなり上の方の兄弟子っぽいぞー。
で。
今朝、メールの返事を書いてて「あれ?」と気づきました。
事情なんて知らんし、そーゆーことを詮索する気もなかったので「へー…。」って思ってただけだけど、
そもそもなんでラファさんところでお勉強してるんだ?
あたしの「上のヒト」であり「過去世のヒト」であり「守護存在」であるタミエルが。
身体の調子が不安定な私のため?
それとも、天使の絵のグレードアップのため?
そうなんです。
民絵屋の天使の絵って、ミカエル-タミエルが私に描かせてるものなのです。
なので、ラファさんちでタミエルが癒し系のことをがっつり勉強してくれたら……絵も変わるだろうなぁ~、と想像できるわけです。
どーーー考えても、私がヒーラーになるとは思えんのでね、理由は何かもっと他にあるに違いないのですよ。
でも分かんないんだけど。
これは私が感じてるだけなんだけど、
「上のヒト」たちって、一石二鳥が当たり前……だなぁ、と思うので、これもたった1つの目的でってワケないんだろうなぁ~。
タミエルの色が変わったら、選ぶ服の色も変わってきた……?
子供が生まれてから、洋服を買うっていってもユニクロがメインになりました。
だって、ヨダレやなにやらで汚されても気にならない服じゃないとー。
で、
オカンが以前言ってました。
下の子が保育園・幼稚園に入って、自分の時間が少しできて、ちょっとお出かけしようか……ってなった時に、
「着ていく服がなーーい!」
ってなるんだよって。
はい。そのとーりでした……。
というわけで。
久し振りに、ユニクロとは違う、もちょっとお値段のお高い服が売ってるところに出かけてきました。
そうは言ってもねー、名古屋で会社員やってた時に買ってた服よりは安いけどねー。
そこはそれ。主婦だからねー。
(会社員時代の感覚で「いいなー。」っ思うと、やっぱりそれくらいのお値段のお店だったりするので、やばいやばい~と退散したわよ。)
まぁ、妊娠直前に買って、すごく気に入ってたパーカーになってるジップアップのセーターの下に着るカワイイカットソーでも……と、思ってたんですが。
ですが。
それで、とあるお店で見ていたら、黄緑色の私好みのデザインのカーディガンタイプのセーターがありまして。
引き寄せられてしまいました。
他にも、キレイなブルーのオトナなデザインのカーディガンもあって、それもすごくいいなぁ~って思ったんですが、
試着したらすごくしっくりきて、どーしても黄緑色のが欲しくなり、買っちゃったわけですが、
そいえば、ここんとこずーっと青とか濃紺とかの服を買うことが多かったのに、
こんなキレイな黄緑色ってむかーし1枚だけセーターを買ったことがあったけど、ほんと久し振りだなぁ~……と思いました。
……ああ、そうか。
これ、今のタミエルの色に似てるわ……。
んで、そいえば青とか濃紺とかの服を選ぶ(←顔色が黄色み強いので水色は選べない)ことが増えたのって……タミエルの存在に気づいた頃からだわ……。
って、気づいたんです。
ミカエル系の天使のせいか、タミエルはその存在に気づいた時から透明感のある「水色~青」のヒトでした。
アクアマリン~ブルートパーズって感じの色です。
それが、今年の夏至過ぎてからだったハズなんですが、
ふと気づいたら、なーんかトパーズ色になってるんです。
あれれ?
でもって、なーんかラファエルんとこに弟子入りでもしたんか?って感じがバリバリしてまして、
あれれれれ?
って不思議だったんです。
そしたら、タミエルがよく遊んでるじぇいど♪さんちの「るーさん」がある時「休養」に入りましてね。
で、じぇいど♪さんがそれを感知した時に、るーさんのところでラファさんがいろんなヒトたちとマジメな話をしてたそうなんですが、
なんとそこにタミエルもいて、いつものへらへらした顔じゃなくて、まじめーな顔してラファさんたちと話をしてた……ってんですよ。
その話を聞いて、なるほどなぁ~、と、ちょいと腑に落ちたんです。
るーさんは緑と金色のヒトで、ラファさんも緑って感じが私はするんですが、
ああやって上で「なんかいつも一緒に遊んでる」とか「弟子入りしたみたいな感じ」とか、そーゆーなんらかのつながりがある時って、エネルギー的にも影響があって当然で、
それを、私は「色」で識別してるようなので、ブルートパーズ色がペリドット色になったように感じたんだなぁ~、と。
そして、下にもその影響はあって然るべきなんでしょうね。
それが、服の色に顕れたんですね。
ああ、そいえば、秋に買ったあいふぉんのカバーも透明感のある緑色だ!あたし。
というか。
上も下も「自分自身」なので、影響があるとかないとかじゃなくて、『そういうもんだ』って感なんでしょうね。
上の2人はくだらんことして遊んでばかりですけど、
下のあたしたちは………えっと、くだらんメールも多いですけど、ちゃんと実り多いやりとりしてますから!
ええ!
なんだろ。
こーゆーのって。
あれかな。
たとえば、中学1年生で同じクラスになって、理科の実験の班が一緒になって、いろいろ実験して考察して結果まとめて……ってやってるって感じかなぁ。
同じ班でいるうちは、いろんなことを一緒に学びたいですねぇ。
ふふふ。
「なにみえ」が解散ということで。
「なにみえ」が解散っちゅーことで、感慨深いものがありますね。
やっぱり。
私は「なにみえ遠足・一期生」になってから、ネット上とはいえ、仲良くしてくれる人がぐ~んと増え、それがやっぱり一番ありがたいことだなー、感謝しとるですよ。
それが第一。
で。
そのうえで、「見えない世界」のことを、いろんな人と共有できたというのは、実に興味深い経験となりました。
「上で○○さんが△△してたよねー。」みたいな情報交換が、アストラルトラベルを始めた頃にはお互いにとても興味を惹かれたコトだったと思うけど、
だんだん、そーゆーコトじゃなくて、『肉体だけの自分・五感で感じるだけの世界』から少しばかり踏み出して見えてきたこと、分かってきたこと、自分が変化してきたこと……を、言葉にするようになってきた時に、
お互いが同じベースをどこかに持っている、ということが無意識にも「相手を理解しよう」とする力を強くしていたのかもしれないな、と思うんですね。
ある種の「仲間意識」といえば、そうなのかもしれんです。
それを好ましく思わない人だっているだろうし、合わない人だっているだろうけど、
とりあえず、共有する「世界観」があるというのは、そこをベースとしてさまざなことを発見するチャンスを与えられた、と捉えることができると、私は感じたです。
そして、「なにみえ」を通じて、いろんなスピ情報、スピ知識を得ることができたです。
スピに関することだけじゃなくて、どんな種類の情報・知識だってそうだけど、
その妥当性を自分なりにどうやって検証するかってことや、知識をどう扱うかということは、多分、どれだけたくさん「世界観」を共有してる人たちがいても、ものすごーーく「個人」に依るものであって、
自分という個人・人格そのものが試される
とすら言えることだと思うんです。
そして、それをつくづく感じさせてもらったです。「なにみえ」のおかげで。
私は、ブログにもコミュにもほとんどコメントしなかったし、スタッフとかもしてないし、恩恵受けるばかりだったけど、
「なにみえ」を通じて得たことが私の中で消化吸収されて、巡って巡って、私の中から何かしらの言葉となって出てきた時に、たった1人の人にでも「お。」と思ってもらえれば、それが恩返しかもなー、と思っとるです。(←なので、恩返しできるかどうは分からん。てへ。)
だから、ブレてもブレても、ちゃんと自分の「芯」に戻れる自分であり続けたいなー、と思うです。
もちろん、だからって気負ったりはしないけどねー。
てことで。
じぇいど♪ボス、ちゅまちゃん、お疲れさまでした。
今までありがとうね。
マイドラ時環とともに、愛をこめまくりー。
2年前は、もちろん全然分かってなかったけどね。
ちょっと前にこの記事を読みまして。
http://fineengel.blog10.fc2.com/blog-entry-380.html
なんとなく分かるなー、という気持ちと、それだけじゃないんじゃないかなー、という気持ちと、まぜまぜになりました。
「依存」と「信仰」は違うよな~、とか「依存」と「お任せ」は違うよな~、とかってのもあるけど、それはさておき。
「依存」と「自立」。
多分、何かに誰かに依存するという状態よりは、自立してた方が良いんだろうなぁ。
おおざっぱに言えばね、そういうことになってると思います。
しかし、この記事を読んでて、そもそも「依存」とか「自立」って何だろう??って、ハタと考えさせられたのです。
赤ちゃんがお母さんに「生きるためのお世話」をすべて依存していても、それをダメ出しされることは無いわけです。
大人だって、自分の生命維持を「地球」や「太陽」に依存してるとも言えるし。
確かに依存「症」になるとアカンけどね。
分かりやすいところではアルコール依存症とか薬物依存症とか。
でもこうなると、「依存」と「自立」という話とはズレてくるのかもしれないです。
つまり。
宗教とかスピとかに「依存」している状態のままよりも個々が「自立」すべきなんじゃないか、という話ならば、それはアルコール依存症から離脱すべきという話じゃなくて、大人になったんだからそろそろ「自立」したらどうかしら?ということかな、と思ったわけです。
私は、スピとか宗教とかに「依存」しているという状態は、多かれ少なかれ「通る道」なのかなー、と思った、ということですね。
あ。
でも、スピとか宗教とかに「深くリンクする」のではなく……なんてゆーか、「型」に心を奪われてるだけという状態だと、それは端から見たら「依存症」みたいに見えるか~。
上記ブログ主さんからすると、そういう状態みたいに感じさせられる人が多いのかもしれんですね。
もちろん、「型」から入って「型」をガッチリ習得するというのも道のりの1つなんだと思うんですが、まだ「型」の世界にいるのにも関わらず、免許皆伝かのように振る舞うようになると厄介なんでしょうね。
いや、免許皆伝かのように振る舞うとまでは行かなくても、その「型」がさまざまなことに対する理解を深める手段として有効であればあるほど、その「型」にどこか知らず知らずに固執してしまって、「深くリンクする」ということがちょっと滞ることもあるのかもしれんですね。
と。
そんなことをつらつら思っていたら、さきほど「うお!」って思っちゃう記事を読みましてね。いろんな意味で。
「なにみえ」の遠足とか、クリロズへのアクセスとかを通じて、「上のヒト」という存在を認識するようになり、その「上のヒト」に関する物語がいろいろ出てきて……というのも、「型」だよなー、と思ったんです。
まぁ、だいたいはカルマの解消とか癒しのための「手段」となってるかなー、という感触がありますね。
いろんな人のそーゆーのをチラリチラリと目にしていると。
もちろん、私もそーゆー意味合いが強いと思ってます。自分自身。
でもって、その「上のヒト」と「その物語」は「自分の一部」だという感覚が強い人が多いだろうなー、とも思います。
人によっては、この「型」が非常に強力な手段となってるようにも見受けられますしね。
そーゆーの、いいと思います。単純に、ほんと。
……しかし、だからこそ。
強力な手段であればこそ、時には「あれ?あたし、大丈夫かしら?」って立ち止まってみる必要があるのかもしれないですね。
私の場合は、その「うお!」って記事を読んで、ちょっと立ち止まっちゃいました。
いや、だってね、自分のことをチェックするのって至難の業だけど、他人の姿見て「あれ?なんか変じゃない?」という部分から自分を省みることならなんとかできるもんね。
自分は、実はただ「型」をなぞっているだけなのか、
それもと、「深くリンク」していこうとしているのか。
それって全然違うんだけど、でも案外微妙なもんだよな、って気がしました。
自分を省みても。
多分ねー、何かに深くリンクするというのは、「自分に深くリンクする」ということになるんだと思うんだけどね。
そうなると、きっと「型」にこだわることも無くなるんだろうなぁ。
すべては、「ほんとうの自分」に還る道のり………なんだろうしさ。
というわけで。
じぇいど♪ボス、お誕生日おめでとうでござる。
スルーできなかったから、いっぱい考えてるうちに、こんなふうになった。
のりすけちゃんのこの記事
http://souhaite.blog105.fc2.com/blog-entry-252.html
に対して、いろんな人がいろんなことをそれぞれ感じたと思いますが、
じぇいど♪ボスがブログで自分の意見をあらためて書いてますね。
ただ、そのボスの記事へのコメントの中には、
(のりちゃんの記事を読んでるか読んでないかは知らないけど)のりちゃんの記事を「批判」とか「中傷」という言い方をしてる人がチラホラいたので、ちょっとだけショボンとなりました。
そりゃ、批判とか中傷と受け止められかねないとは思うんですよ。
んでもって、あれを批判・中傷と受け止めたら、そりゃ「せっかく、じぇいど♪さんたちはみんなのために頑張ってるのに!」って反応しちゃうだろうし、「中傷されて、大変でしたね。」と労いたくなるのも分かります。
でもね。
のりちゃんは、ボスたちを批判・中傷しようと記事を書いたんじゃなくて、自分が確信したことを「善意」からみんなに伝えたい!と行動した、ということと、
さらに、ボスもそれはちゃんと理解してる、ということを書いておきたいなー、と思いました。
そうなの。
ボスにちゃんと聞いたから、これはホント。
つまりね、ボスは別に「批判に対して反論してやるぜー!」って記事を書いた訳じゃなくて、このお題に対して、自分の意見をハッキリさせておいた、というだけなのですよ。
というわけで、これについては、非難やら中傷やらという次元の話じゃないということを念頭に置いてもらいまして。
それでもね、やっぱりスッキリしないままでした。
私はサイキッカーじゃないから自分では認識できないんだけど、シエルさんやのりちゃんが「危ないんだよ。」とでらために言ってるんじゃなく、やはり何か確信めいたビジョンを見てるなり声を聞いてるなりしていると思いたいし、
でも、ボスやさつきのひかりさんたちが道から外れているとか、「光の存在たちにそっぽ向かれた」ともも思いたくないですし、
どちらも、大変なこともいっぱいあるけど、いろんな人たちのために自分のできることを一生懸命やってる、と思うんです。
ただ、ボスたちは、なんちゅーか……、裏ではすごく大変なんだろうとは思うんですが、肩に力が入っていない感じを受けるのに比べて、
のりちゃんやシエルさんは、ちょっと「がんばって伝えなきゃ!誰も気づいて無いみたいだから、私たちが言わなきゃ!」という使命感というか責任感というか、そーゆーのが少し強くなってるように感じます。
なので、そういう部分が攻撃的だと受け止められ、批判・中傷だと思われてしまうのかな、と思います。
私も、ボスたちと、のりちゃんたちと、こんなに意見が違うのって、どういうことなんだろう?と、(前々からチラリとのりちゃんから聞いていたので)2カ月以上ああでもないこうでもないと考えたんですが、やっぱりどうしてもサイキッカーじゃない私には、自分なりのハッキリした事実確認ができないため、自分の意見を定めることができませんでした。
そりゃ、
「葛藤や恐怖を解決していないから、アストラルトラベルでネガティブなものを観る、体験する」
という一言で済んでしまうことなのかもしれないけど、
そうなると、なにかしら危険と思われるものを認識したのりちゃんたちが、そういう精神状態もしくは葛藤を抱えたままなんだ、という結論になってしまいます。
または、のりちゃんたちのビジョンを正しいとすると、ボスたちがいつからか徐々にズレてきてしまった、という解釈にすらなってしまう。
のりちゃんたちは、ちょっと頑張り過ぎじゃないかな、と感じたのは確かだけど、
でもね、私はサイキッカーじゃないからこそ、自分で見えないからこそ、のりちゃんもボスも、どっちもホントだと思いたいと、やっぱり思うんです。
どっちかだけを信じる、どっちかだけが正しい、んじゃなくて、どっちもホントを含んでいる、と思いたい、という気持ちがどうしても捨てられないのです。
と。
そんなことを考えていたら、ボスのブログのコメント欄に、興味深いコメントを見つけました。
http://plaza.rakuten.co.jp/californiajade/diary/201005310001/
「みつばち」さんのコメントです。
このコメントを読んで、さらにあれやこれや考えたんです。
今回ののりちゃんの問題提起って、
「アストラルトラベルは思ってるよりもアブナイものだから、ちょっとよくよく考えてみてよー。みんなー。」
ということになると思うんですよ。
すげーーーーはしょってますが。
で、それに対して、ボスは、
「自分の中に恐れを抱えたままのアストラルトラベルをしたら、そりゃいろんなネガティブな体験にもつながるだろう。
でも、やはりそういうことも理解した上で、トライしてくださいとしかこちらは言えない。」
と言ってるんだと思います。
これまた、すげーーーーはしょってますが。
この「問題提起」と「回答」。
なるほど、と思いますよね。
でもね。
もしかしたら問題の本質はもっと別のところにあるんじゃないか、と、「みつばち」さんのコメントを読んでいたら思ったんです。
私、Landのことはよく知らないんで、ちょっと横に置いておきますが、
クリロズみたいな場所は、他にもいろいろあるんですよね?
「浮島」とかよくみんなが言ってるけど。
△△という浮島が○~□次元にあります。
と、言われた場合、みなさんはどのようにそれらを捉えますか?
なんだか分からんけど、ココより高い次元のとある場所に、島のようなものが存在している
とイメージすると思うんです。
なにか固有のものが、固有の場所に存在する、というイメージ。
でも、もしかしたら、たとえば「クリロズ」という名前から「場」を探して、その「場」に行ってみたとしても、
そこが他の誰かが認知したのと全く同じ「場」であるかどうか、というのは、アヤシイのではないか、
……って、実は前々からうすうす思ってたんです。
根拠はありません。なんとなくです。
「大きな葛藤や恐怖を抱えたままのアストラルトラベルは、それに応じたものを経験する可能性が高い」
というのは、言い換えると「場」を選んでる、またはそれに応じた「場」に行かざるをえない、ということではないか。
そして、その「場」の数はトライする人の数だけあるのではないか。
てことは、たとえ主催者のボスでも、クリロズという「場」の「すべて」を認知できない、(とりあえず覚醒者でない凡夫なら)誰にもできないのではないか、と思ったわけです。
となると。
「みつばち」さんの言葉を借りれば、
『あの場所が、何かおかしいよ、致命的な事態になる前に対処したほうがいいよ。と言ってくれている』と、と捉えたとしても、
対処のしようがない
ということを示しているかもしれない、という考えが浮かびました。
さらに仮説を進めてみます。
たとえば、ボスやさつきのひかりさんが、「クリロズというのは、5000~5500オングストロームくらいの波長域にあるよ。緑~黄緑色だよ。」と認識しているとしても、
実は、いろんな人がアクセスすることによって、徐々に波長域が広がって、7000オングストロームの赤色までに拡大していたとしたら?
そして、もしも「場」というのものは一方通行ではなく、「人」と「場」に大きな相互作用があるとしたら?
ボスやさつきのひかりさんの上の人たちが、定期的にクリロズの「波動調整」みたいなことはやっているとは思うんですが、もしもなんらかの理由で拡大した部分までうまいこと手が回っていなかったら?
……って、あくまで仮定なんですけどね。
でもね。
なんかね。
たしかに遠足が終わった後から、なーんとなくアストラルトラベルの感想とかをコミュのトピとかに書かれてるのをぼや~っと読んでるうちにね、なーんか不思議な違和感を感じることがチラリチラリとあったのですよ。
だからほとんど読まなくなっちゃったんだけど。
なので、もしそうだと仮定したら、
葛藤がたくさんたくさん残ってる人がクリロズにアクセスするということは、緑~黄緑色の「場」ではなく、赤色の「場」に毎回触れることになり、「場」の赤色に知らず知らずに染まってしまうことになって、それが危険なことなんだよ、
ということが「アストラルトラベルは危険なんだよ。」の本態かもしれない、と思ったんです。
手が回らないなんて、そんなとこあるかーー?
と私自身思いたくもなりますが、どちらかだけを否定することなくいろいろ仮定してみると、こんなふうにもなる、という一例として読んでもらえるとありがたいです。
でもね。
それすら「問題の本質」ではないな、とだんだん思えてきたのです。
ここにもうひとつのキーワードを当てはめてみます。
「なにみえから、高次の存在たちは手をひいた」
ありえんだろー?と思いますよね。
私もありえんと思いたいです。
ていうか、そもそも高次の存在たちはどんな人たちをも見捨てるなんてことしないもんだと思うし。
でもね、シエルさんのエグいビジョンよりも私の中が混乱したのはこの言葉でした。
これって、肯定しても否定しても、どっちもキツい言葉なんです。
いえね。
どうでもいい人が騒いでるなら、「あー、そうなのねー。そーゆーところにいる人なんだねー。」でスルーしちゃうんですが、今回は私に限ってはそういうわけにはいかないので、思いつく限りあらゆる可能性を考えてみたいので、こうやってあーでもないこーでもないとやってるわけですが…。
肯定すればボスたちの波動がどっか低いよーってことになるし、否定するれば「のりちゃんたちの一部波長が荒い部分が、なにか変なものを引き寄せて、変なこと言われたんだよ。」ということになるし。
でもね。
どっちにせよ、どっちかだけがちょっと変だよと言い切るということは、もしかしたら「光に囚われてる」のかもしれない、とふと思えたんです。
つまり、もし、のりちゃんたちがそうやって確信するなにかビジョンなりチャネリングなりを得たとするなら、
それは、「どっちが光側の人間でしょうか?」という当てっこをするためなんじゃなくて、
「問題提起する側」も「される側」も、今まで当たり前だと思ってて意識に上ることすらなかった自分の「思い込み」を、この件で自分で見つけてみたらどうかしら?と、促されてるのかもしれない
な、と思ったんです。
実際、青い月の親方なんて、すぐにのりちゃんの「問題提起」からエッセンスを取り出して、すごくうまいこと自分の中に取り込んで生かしているんですよ。
あれは見事だなー、とホレボレしたですよ。
「上」では、もしかしたらすべてがうまいこと治まってるのかもしれない。
ただ、それを「下」で解釈する時に偏りができてしまってるだけかもしれない。
それは、波動が高いとか低いとかというより、もっと簡単にいえば「思い込み」というものなのかもしれない。
そして、私ものりちゃんもシエルさんもボスもさつきのひかりさんもそこのアナタも……、みんなみんなある意味どこか「光に囚われている」のかもしれない。
良かれと思って「中傷されて大変でしたね。」と労うのだってそうかもしれない。
しんどい思いして葛藤をがんがん手放してきたとか、さんざん浄化をしてきたとか、そういうことの次にくるのは、
「光に囚われている部分」を自分で見つけて、自分でなんとかしろ、ということなのかもしれないな、と思ったんです。
人間は、上でも地上でも、見たいものを見る。
ほんとーーーーに「見たい世界」を見てると思うんです。
私は、ね。
何かしらの「不調和」が自分の目の前に現れたら、やはり何かを問われているんだと思います。
特に今は「光に囚われているんじゃないか」という視点で。
私の場合は………
サイキッカーじゃないから分からない、(そういう面での)人の手助けができない、と思い込んでる部分とか、
答えを「誰かの中にある不調和」から見つけようとしてしまいがちだとか、
ちょっと考えてみただけでもなんかいろいろありますね。
お恥ずかしいですが。
あれやこれや考えてみて、今はこんな感じです。
結局は自分を省みることになる、という、まさに王道ですね。