ダックさんのブログを読んで、「おお。私も今年の目標を設定しなきゃ。」と。
影響されまくり。
ちょっと考えてみました。
どーしよー。
うーん。
『無理しない。冷えを溜めない。』
だってね、今年は六星占術でいうところの『健弱』なんですもん。
健弱ってね、病気に気をつけないといけないんですもん。
ええ。12年前の前回の健弱で私は、学生の頃からずーっと持ち続けていた痔、厳密に言うと内痔核が急激に悪化して、手術ってことになったんです。
夏場に下痢が続きましてね、それでダダーっと痔が悪化したんですよ。
それまではドクターに『内痔核』としか言われてなかったのに、急激な悪化で『内痔核・脱肛』と言われちゃいましたよ。
脱肛ですよ。肛門がひっくり返るんですよ。
そりゃ、辛かったわけです。非常に辛かったですよ。手術前の2~3か月間は。
そして、レーザーメスで切り取られた内痔核は4つもありました…。
下半身麻酔なので、意識はしっかりありました。
自分の肉体の一部が焼け焦げるニオイを嗅ぐこともできましたよ。(これはちょっとイヤ。)
そんな私にドクターは
「ほら。切り取ったよ。」と、4つの痔核を見せてくれました……。きゃっ。
ああ、こいつらが私を悩ませていたのね。
でも、私の一部だったこいつらは廃棄されちゃうのか。
と、変な気分になりました。
そうそう。
それにね、お義母さんが去年『健弱』だったんですけど、お正月から調子が悪くなって、結局「リウマチ」って診断されることになったんですよ。
おそるべし。『健弱』。
ですから、万病の元である冷えを溜めず、無理をせんことが一番だよなぁ、と思うわけであります。
今年は攻めの年ではないのです。守りの年なのであります。
…って、今までも攻めてきたってわけじゃないけど。子育ての日々は保守本流。どーん。
さて、目標も決まったところで。
ダックさんのブログを読んでて、これまた少し考えちゃいました。
障害児の母の気持ちって、複雑なもんなんだなぁ、と。
子どもの障害を、子ども自身を時間の経過とともに受け入れることができても、やはりいろいろ『小骨』は喉に刺さってるんですね。
いろんな場面で、その『小骨』に気づき、飲み込んで消化する……ということが続いていくんでしょう。
実は、今日のお昼は師匠んちでエコハウスの人たちと一緒でした。
今日初めて会った人の中で、自閉症が重そうな男の子がいました。
私はダウン症児の母になった今でも、知的障害の人たちとの接し方がよく分かりません。
差別しているつもりは無いんですが、昔っから知的障害の人たちとの接し方が分からずに、機会があっても避けてきました。
ですから、軽くはない自閉症の言動に、本音を言えば逃げ出したくなりました。
障害児の母である私でさえそんな感じですから、彼のお母さんはいろんな人たちのいろんな目に晒されながら、辛い思いもたくさんしながら彼を育ててきたんだろうなぁ、と思いました。
自分自身との葛藤も大きかったんじゃないかなぁ、と思いました。
刺さった小骨はどれほどたくさんあったんでしょうね…。
そうそう。
『昔っから』と書きましたが、実は小1の時は、クラスに身体的にも知的にも障害のある男の子がいて、そこそこ普通に接していたんです。
とは言っても、やっぱりその頃から接し方が分からん、と思ってたんですけど、そこは子ども。
すぐに慣れちゃうんですね。
そして、それなりに彼のことを気づかったりしてるんですよ。クラスのみんなと一緒に。
ですから、小学校にはいろんな障害の子がいた方がいいよなぁ、と自分の経験からも思いますねぇ。
お野菜のお届け。
旦那さんが昨日収穫したお野菜のうち、葉物野菜は1晩お水(これがわざわざ汲みに行った湧き水)につけておきました。
自然農ということで、水をたくさん与えて育ててはいないお野菜なので、お届け前に十分に良いお水を吸わせてあげて、カワイイ姿が長持ちするようにしてあげるのです。
ウチのお野菜ね、ほんとにカワイイんですわーー。
そして、今朝は旦那さんと2人で仕分け作業。
息子は途中で目を醒ましたけれど、NHKの朝の子ども番組をずーっと見ててくれたので、お父ちゃんとお母ちゃんはお仕事ができたのであります。
本日は、3000円コースを4箱、1000円コースが3カゴでした。
◆3000円コース・16種類◆
◆1000円コース・7種類◆
朝食後に、息子も連れて豊橋方面の配達に行きました。
クリニックの先生に紹介してもらったお客様のおうちは、なんと私の父が死ぬ前に住んでいたアパートの近くでした。いやはや、ビックリ。
父は、仕事の都合で豊橋に少しばかり住んでいたのです。
週末に岐阜に帰ってくる、という生活だったのですが、肺ガンになってからは、オカンが豊橋に泊まり込みで行くようになりました。
私も何度かそのアパートにも行きました。
もう今年で10年になるけれど、やはり寂しいもんですね。
ちゃんとあの世にも迷わず直行したのも分かっているし、私達を見守っていてくれるのも分かっているし、私が死んだら会えるとも思っているんですが、やっぱり寂しい気持ちは消えませんね。
と。
そんな感傷ちっくな波動がアカンかったのかしら……、という事件がその後発生してしまいました。
今朝は起床時から喉のリンパが腫れてました。左右とも。
ツバを飲み込むのも少ししんどいくらいでした。
でも、咽頭炎ではありません。そーゆー痛みではなかったので、「ああ、リンパ腺でくい止めてるんだなぁ。風邪かなんかだなぁ。」と思いました。
それでも、朝から仕分け作業をして、家事もして、配達&お出かけとなりました。
配達後の出先でのことです。
そこのお宅にお邪魔した途端、頭痛がしてきました。
あれー?風邪のせいかなー?やだなぁ。
と、軽く思いました。
でも、帰宅後、どんどん頭痛がヒドくなってきました。
喉が痛いとか頭痛がする時の漢方薬を飲んで、少し寝たのですが、良くなるどころか、めっちゃ頭が痛くなってきました。
「もーー、辛抱できんっ。セデス・ハイ飲むー。」と、痛い頭を抱えながら、カップスープと薬を用意しました。
確かに薬は効いたようで、めっちゃ痛いってーのはひいてきましたが、それでもまだ結構痛みが残っていました。
いや、まだまだかなり痛かったんです。
困ったなーー、セデス・ハイでもダメかーー、と肘をつきながら思案していた時、あるものが目に入りました。
ある霊的なお水です。
風邪のせいだと思い込んでたんです。
クリニックがまだ開いてる時間だから、旦那さんに連れてってもらおうか、と診察券を確認してたくらいなんです。
が、気がついたらその水を手にして、頭にふりかけていました。
そしたら、ね。
あんなに痛かったのに、頭痛がスーーーっと消えてしまいました。
「あ……。なんか拾ってきてたんだ……。」
そういえば、お邪魔したお宅は、もともと霊的にいろいろありまくりのおうちだよなぁ……。
霊障に効くっていうグッズを嬉しそうに見せてもらったよなぁ……。
それで、私にピトっとくっついちゃったのかなぁ……。
私、少々感傷ちっくな波動やったもんなぁ……。
いかんいかん。自分の波動が憑きやすい波動になっとったんや。
お祈りお祈り。印も組んじゃうぞ。
大光明パワーだぁ~~っ。どりゃあああああ。
そいでもって、とりあえず九字も切っときました。
神棚のお塩もチピっと拝借してなめときました。
多分、これで大丈夫。
私のところに来ても何もしてやれんからな。
そんなわけで、今日はヘロヘロになっちゃったので、夕食の準備は旦那さんも手伝ってくれました。
ありがたや。
「とうちゃ。とうちゃ。」
おう。忘れんうちに、もひとつ息子のお話。
朝、息子は起きがけにオッパイを飲みます。
てか、オッパイ・サインをしながら叩いて私を起こすので、ヤツを布団の中にひきずりこんでオッパイをあげながら私は再びウトウトするのです。
オッパイを飲んで目も醒めた息子は、次にお父ちゃんの方にズリズリ這って行きます。
なぜ『這って』なのかと言うと、冬場は脚元が閉じているカイマキを着させられているので二足歩行が困難だからです。
そうして、お父ちゃんのところまで這って行った息子は
「とうちゃ。とうちゃ。」と言いながらお父ちゃんを起こし、頭をペコリとします。
これは「おはよう。」を意味しているものと思われます。
私に起こされると不機嫌な旦那さんも、息子に「とうちゃ。とうちゃ。」と言われて起こされると、いきなり笑顔で「おはよう。」と息子に挨拶をします。んまっ。
さて。
今日の晩御飯の後、キッチンで後片付けをしていたところに息子がいつも通りお母ちゃんにまとわりつきてきました。
ちょっと邪魔だったので、そばにあった『農協でもらった緑茶』(缶)を息子に渡して、「これをお父ちゃんにハイしてきて。どーぞしてきて。」と言いました。
そばにおらん人に渡せって言っても難しいやろな、理解してへんやろうな、と思いつつも、この缶で遊んでくれてたらいいや…くらいの気持ちで言ってみたんですね。
そしたらあーた!
息子が缶を持ったまま、お父ちゃんのいる居間の方にヨタヨタと歩いていくではありませんか。
それも、「とうちゃ。とうちゃ。」と言いながら。
そして、お父ちゃんに「ハイ。」と缶を渡したのですよ!
父も母も感激しましたよぉぉぉぉ。
ああ、ここまで成長してくれたのね。息子よ……。
てか、かわいいぞーー。息子よーーー。うおー。
でも、その後もう一度試してみたら、すぐに私に「ハイ。」と缶を渡そうとしました。
あらら。
…さっきのは偶然?
アキオは女の子が好き。
アキオとタァちゃんはライバル関係のため、お互いに距離を保ったまま遊ばなかった…と、書きましたが、昨日のお薬師さまの御霊泉では、自分より年下のカワイイ女の子にちょっかいを出してニコニコしていましたよ。アキオさんってば。
またこの女の子が本当にかわいらしくてねーー。
アキオにちょっとちょっかい出されてもニコニコしていて、彼女のそんな笑顔を見ながらアキオもニコニコしてました。
今日になって、オカンにこのことを電話で報告すると、
「今からそんなんで、先が思いやられるがねーーー。」
と、言われてしまいました……。
ええ、ほんとにそうです。お母様。
でもね、こんなんだからこそ、きっと息子はホモにはならないと思うんですよ。お母様。
なので安心してください。お母様。
鏡に映った自分のカケラ。
今日はひぃばあちゃんとおばあちゃんとお父ちゃんとお母ちゃんとアキオの5人で一畑山薬師寺に行きました。
もちろん、ご祈祷&御札&御霊泉入浴のためです。
今回はお義母さんの家系でのご供養であります。
49日後、お義母さんのリウマチの痛みも良くなってることでしょう。
病気にもイロイロあるのですよ。
と。
いい気分でお薬師さまから帰ってきて、夕方にメールチェックとサイトチェックをしました。
…ちょっとイヤな気分になりました。
毎日チェックしてるサイトってのはいろいろあるのですが、そのうちの1つを読んでイヤ~な気分になったのです。
てか、実はそこの記事にはちょくちょくイヤな気分にさせられるんです。
なのに何故かチェックしに行っちゃうんですよね……。
でね、イヤ~な気分になってパソコンを閉じてから気がつきました。
「あ。鏡の法則だ。」って。
みなさんも、誰かの言動にイヤ~な気分にさせられることってありますね。
そーゆー時って、『自分が無意識の領域へと押し込んで見ないフリしている自分の一部を鏡で見せつけられている』んですって。
例えばね、私はほんとに息子を妊娠するちょっと前まで、5~6歳から7~8歳の女の子がお母さんに甘えている姿を見るとすごくイヤ~な気分になってたんです。
これって、私はあの年頃の時に母親に甘えることを抑圧していたんだ、ってことなんですねぇ。(それは薄々気づいてはいたけれど、ハッキリ自覚するまで続いたんです。)
また、ホリエモン逮捕のニュースに関して「何でもお金で買えると思ってるような人だから……。」というコメントもちょくちょく目にしましたが、それはそういう面をその人も持っているから、そんなコメントが出ちゃうんです。
有名人の高慢ちきな態度にイラつく、という人は、高慢ちきな自分が隠れてるんです。
自分に無いものは鏡に映らないのです。
ですから、誰かの言動でイヤ~な気分になった時はチャンスなのです。大チャンス。
自分の抑圧されている部分の疼きなのですから、それを無意識の領域から意識の領域に引っ張り上げる大チャンスなのです。
誰でもそうだと思いますが、人に無視されるのって辛いですよね?
ましてや自分自身に無視を決め込まれてしまったら、その『自分の一部』は荒れるってなもんです。
で、困ったことに無意識の領域で暴れるから、自分ではよく分からないコトになるんです。
怒りやら悲しみやら病気やら……無視している自分の一部に振り回されることになるわけです。
長所と短所はコインの表と裏の関係です。
無意識の領域で暴れているうちは、それは決して長所にはなり得ません。
では、私は何を見せつけられたのでしょうか。
それは、『批判』です。
そのサイトの管理人さんは、よく人を『批判』しているのです。
『人』の中には自分自身も入っていて、自分自身への批判の時は『罪悪感』という形になります。
他人への批判の場合は言葉がトゲトゲしています。
読んでいると、本当にイヤ~な気分になります。
そして、私も毎日どれだけたくさん『批判』をしているか、ということをハタと思い知らされました。
もちろん、例えば「あなた、身体に良くないから、そんなに食べ過ぎちゃダメよ。」は、批判ではないですね。
想いがどこから出ているかで、それは批判なのか批判ではないのかは区別できます。
私は、口にしようがしまいが、よく『批判』をしているのです。
私の大好きな五井先生の教えに『自分を赦し、人を赦し』というのがあります。
私達は、すでに赦されてるんです。神様に。
赦されてなかったら、今ここに存在してませんって。
だから、どんな時でもどんな場合でも私達は自分を赦して、他人も赦さなくてはならないのです。
が。
それができないから、人間は迷いの中で輪廻を繰り返してるんですね。
そして、赦せないから自分を批判して罪悪感を持ち、他人を批判して怒りを持ってしまうのです。
しかし。
『批判』はいけない、自分も人も赦さなくてはならない……と、無理矢理自分を変えようとしても、それこそ不自然であって、上手くいくわけがありません。
だから、「自分はまだ赦しまくる境地にはなってないけど、それはまだ自分の魂が進化の途中だからであって、いつかはそうなれるんだ。お祈りしていれば大丈夫さ~~。」と、自分自身に言いました。
そしてお祈りお祈り。
隠れていた自分を見つけた時に「私ってダメだ~。」と罪悪感を持ったら元の木阿弥だもんね。多分ね。
***
『鏡の法則』については、ココを参照されるとよろしいかと。てか、是非。(あ、ちなみにPDFファイルだよ。)
この記事の元ブログはコチラ。
アウェーの試合
今日は早起きして、お父ちゃんと一緒にお野菜の箱詰めをしました。
そのお野菜を持って、名古屋に行きました。
ハヤノ薬局の先生の所とタァちゃんちにお野菜のお届けに行きました。
いや、タァちゃんちには遊びに行った、と言うべきですな。
いやいや、アキオのアウェーの試合だった、と言うべきですな。
(タァちゃんはアキオと同じダウンちゃんで、誕生日も3週間違いなので、やることなすことがよーく似てるのであります。)
遊びに……いや、アウェーの試合に乗り込んで行ったのに、お昼にお寿司をご馳走になるわ、お野菜をお買い上げしてもらっちゃうわで、タァちゃんちに脚を向けて寝られません。
ありがとうございます。ありがとうございます。
そして、試合はドローでした。
2人ともお互いが気になるのに【一緒に遊ぶ】ということをしないのです。
微妙な距離を保ち続けているのです。
これは、なんの心理的距離なのでしょうか?
母は考えました。
おそらく、彼らはお互いをライバルだと感じていたのでしょう。
『王様は俺だ。』と。
まだ1人っ子のアキオとタァちゃんは、家族にはもちろん、じじばばおじおばにもたくさんたくさん手をかけてもらっているので、自分は王様だとすっかり勘違いしているハズです。
魔の2歳児の王様同士が出会ったんですから、こりゃ大変。
どうしてもお互いにキングの座は譲れなかったんでしょう。
しかし、ひっかく・どつく・叩く…といった攻撃は最終段階まで残しておいたものと思われます。
そのため、微妙に間合いを取りながら、お互いの出方を観察していたようです。
キッチンに立っているタァちゃんママを挟んで同じような行動をしていて、「お前ら双子か。」って感じに見えるけれども、あれもかなり高度な戦いだったのでしょう。
神経戦です。
2人のキングもかなり疲れた様子でしたね。
タァちゃんは途中でお昼寝を、アキオは帰りの車の中で速攻睡眠を取らざるを得ませんでしたもん。
父と母は、帰りの車の中で寝ている息子に向かって、「アウェーなのによく戦った…。」と、ねぎらいの言葉をかけてやりましたよ。
小犬のようにコロコロと2人して遊ぶ日はいつ頃になるのかなぁ~~。
お届けものでーす。
◆******◆私信◆******◆
海賊王さま
誕生日プレゼント、どうもありがとうございます。
今日、あまぞんから届きました。
毎年もらうアナタからのプレゼント本は、私が贈る本よりも高価なので、少々気がひけます。
なーんて、ウソです。全然ひけてません。
もらえるもんはガッチョリもらっときます。当然であります。
ありがとうございます。ありがとうございます。
◆***◆私信オワリ◆***◆
そうなんですよ。
もう何年になるでしょう。
毎年、お互いの誕生日にお互いの趣味の本を贈りつけあっているのですよ。海賊王とは。
あ、違う。間違えた。
彼は私の趣味を慮って選んでくれることも多いみたいなんですが、私は自分の世界を展開しっぱなしなのであります。暴走列車は止まれない止まれない。
こーゆーのも面白いので、できればどっちかが死ぬまで続けられたらなぁ、と思っております。(もちろん、私の方が長生きの予定。)
私も少しばかりオカシイような気がするが。
大寒の今日、私の37歳の誕生日であります。
オカン、産んでくれてありがとう。
朝の9時頃に産気づき、昼の12時丁度に生まれたんだそうです。
初産なのにめっちゃ早いお産ですなぁ。
でもって、出産予定日ピッタリだったそうですわ。
私が生まれた日は雪が降ってたそうです。
ヒプノセラピーで見た1コ前の前世では、雪の中で死んだので、雪の日に生まれたのも必然かも。
そんな私の原点である実家には、現在オカンと弟2人がいます。
今日になって、弟2号の新しい日記の存在を知りまして、つらつらと読んでみました。
……。
『普通の家庭』というものがどんなものかも分かりませんし、世の中の家庭の平均値を『普通』というなら、ほとんどの家庭はどこかしら『普通』からハズれていることになりますよね。
そうは言っても、ウチの実家はやっぱりちょっと端っこの方にズレてるというか、オカシイということに気がつきました。
もちろん、オカシイというのは褒め言葉で使ってますが、ちょっと頭がオカシイというテイストも若干含んでます。
私がその場にいたら、それこそ『普通』なやりとりなもんだから、なにがオカシイのか分からんやろな、と思ったんですけど、少し客観的に家族のことを見た(読んだ)もんですから、途端に「……オカシイ。」って気づいちゃったんです。
大笑いしちゃいましたよ。自分の家族のやりとりなのに。
こーゆー色の家族の中で育ってるんですから、私も少しオカシイのかもしれませんね……。
『オーラの泉』を見ていれば、自分というのは現世での環境の影響によって形成されているだけではなく、自分の前世での生き方・考え方の癖も持ち越してるんだなぁ~~、というのがよーーーく分かります。
んでも、やっぱり現世の影響ってスゴいね。
家族みんなで影響し合って、なんだかみーんなオカシイんだもん。
そして、その『ちょっとオカシイ』色は、確実にアキオにも出てきてるし。
さすがに旦那さんは、オカシイ色には染まってないけど、だんだんだんだん馴染んできてるしなぁ~。
でもね。
あのオカシイ人達の中で、私は1番『普通』なのであります。
23歳から実家には『住んでいない』ので、色が褪せてきて『普通度』が徐々に高くなっていったんでしょう。
実際、弟1号にはよく「おねーちゃん、社会人になってからツマらんくなった。」と文句を言われてましたし。
…そんなコト言われてもなぁ。
そんなオカシイ弟2号の日記はコチラ。
1月11日(あ。オカンの誕生日やないの。)の日記がオカシイ度高いです。
1日早いけれど、お誕生日プレゼントをもらっちゃった(ようなもんだ)。
先日はお野菜の配達でしたが、今日は相談ってことで例(霊)の先生の所に行ってきました。
農園名はこれで問題ないかしら?とか、まぁいろいろ盛り沢山な相談・質問だったのですが、先生との時間は『神様への信仰』という基礎の上にありますから、どんな相談であっても雑談であっても非常に濃厚なのであります。
全てが『神様トーク』ってわけですな。
しかし、最初っからそうだったわけではないんです。
私の体調不良についての相談から始まったのですが、3年くらいの間はずーーっと行く度に成仏していないご先祖さまがどっかんどっかん見つかるため、今ほど濃厚な『神様トーク』はしてもらっていなかったんです。
それが、一段落ついてからですねぇ。今から思うと。
徐々に濃くなっていきました。『神様トーク』が。
そうすると、やっぱり有り難いもんでして、さらに私達の意識(霊性)も少しずつではあるけれども目覚めていきまして、もっと先生の『神様トーク』への感度が鋭くなっていく……という、好ましい循環が続いていってるのです。
もちろん、その間、いろんな人の話や本からもお勉強させてもらってますしね。
それに、『成長痛』も大きいのから小さいのまで、じくじくやられて変容を迫られ続けてますし、息子のダウン症っていうエラいことデカいインパクトも推進力になってますし。波動エンジン並。
つまり、ご縁はちゃんとそれぞれに合った形で最適な時にいただけるもんなんですけど、それを大事にするか、そこからちゃんと学ぶことができるかどうか、というのは各人の自由意志に任されているってことですね。
たとえそれが病気や事故などマイナスの形で現れたとしても、とにかく『好ましい循環』を掴むためのチャンスは目の前にいーーーっぱい転がっているんですもんね。
そして、その道は様々なのです。
植芝先生のように武道を極めていくことで神様への道が開けた人もいますし、マクロビオティックから神様への道が開けた人もいます。
この世は神様が大いなる意図の元で創造され、この世は神様が遍満する世界なのですから、全ての道が神様への道であるというのは、当然と言えば当然なのですが。
ですから、ご縁をいただいたら大事にして素直に学ばないと勿体ないっちゅーことですな。
大事にできない理由(言い訳)なんていくらでも思い浮かぶけれど、それではいつまで経っても変わらんしね。
私自身も山ほどチャンスをポイ捨てしてきてんだろうなぁ~~、って思いますもん。ああ、勿体ない。
でもね。
あまりにポイ捨てし過ぎると、さすがに負荷がかかるようになるんですよ。
事故とか治りにくい病気とかね。
できれば、負荷がどーんとかかる前に気がつけるといいんだけどねーー。
でも、私にしたって負荷がどーーーんとかかってから慌てたしねーーー。
人間って、そーゆーふうにできてるんでしょうかねぇーーー。ああ、勿体ない勿体ない。
で。
今日は最後の最後に、先生からプレゼントをいただきました。
阿弥陀様のお写真です。
「これ、性(しょう)が入っちゃってるけど、あげるわー。」って。
明日は私の誕生日なので、素晴らしい誕生日プレゼント…ということにもなっちゃいました。(もちろん先生はそんなコト知らないよ。)
おばあちゃんたちとお留守番していた息子に阿弥陀様のお写真を見せたら、スッと『のんのんあん』をしました。
さすがだ。分かっとるなぁ~。この子は。
そうそう。
農園名は『かぎしっぽ農園』で問題ナシでした。やったー。
『かぎしっぽ』って名前は旦那さんがお百姓をやりたくなるずーっと前から私が温めてきた名前なんですわ。
由来は実家の猫、ハナちゃんのしっぽです。
かぎしっぽは福をひっかけて招き入れるんだよん。おほ。
てことで。
これから、『かぎしっぽ農園』をよろしくお願いします。
お野菜の販売、始めました。
去年の3月にこっちに引っ越してきまして、旦那さんがお百姓見習いを始めました。
畑と田んぼを借りて、師匠にいろいろ助けてもらいながら、それなりにいろんなお野菜やお米が収穫できました。
本当にありがたいことなので、1年目は家族や親戚、知り合い友達に配って食べてもらい、1年経ったら少しずつお野菜の販売をしようか、って旦那さんは言ってました。
でも、去年末からお客さんがついてくれました。
いつも夕食会に招いてくださるクリニックの先生と、ずーっとお世話になってる例(霊)の先生です。
お野菜が美味しいからって、定期的に買ってくれるって言うんです。ありがたやありがたや~~。
というわけで、予定より早くお野菜のお届け販売を始めちゃいました。
日曜日には例の先生の所に、今日はクリニックとくすりのミヤノさんにもお届けに行きました。
しかし、値段のつけ方が分からんのです。非常に難しいのです。
今までサラリーマンだったし、商売したことないし、お百姓って言っても慣行農法じゃないしー。
なので、無農薬野菜を通販で購入しているユウスケ母に電話して、利用している所はどんなもんか教えてもらいました。(ありがとね!)
そして、くすりのミヤノさんにもサンプルを持って行って、「お値段のつけ方が分からんのですー。」と相談しました。
いろいろ親切に相談にのってもらった上に、サンプルをとりあえずの値段でお買い上げしてもらっちゃいました。
あああ、ありがたや~~。
クリニックの夕食会でも、先生や先生のお母さん、夕食会に来ていたみなさんがいろいろ意見を言ってくれました。
値段のことだけじゃなく、いろんな面でもアドバイスをいただき、家に帰ってからも旦那さんといろいろ話し合いをしました。いや~~、ほんと勉強になるですよ。
クリニックの先生は全面的に協力してくださるみたいで、本当に嬉し過ぎです。
「俺らは、みんなに育ててもらうんや~。」と、旦那さんはニコニコしながら言ってました。
うん。ほんとそうだなぁ、と思います。
もちろん、こうやって直接関わってくれている人たちだけじゃなく、旦那さんが会社にいる頃から理解を示して応援してくれていた家族や友達にも『育ててもらっている』と感謝してます。
今年はまだまだ我が家の収支は赤字だと思うけど、少しずつ少しずつ理解者(お客さん)も増えていくと思うし、私達もできることを増やしていけると思うし、自然(神様)への感謝を常に持っていれば、きっと美味しいお野菜がずっと育ってくれると思うんで、脇道に逸れて行かないように注意していきたいと思います。(←脇道に逸れやすいのは旦那さんじゃなくて私の方。まだまだ業が深いんで。)
てなわけで。
お野菜の販売を始めました。
名古屋方面のお友達で「買ってもいいよ。」と言ってくれる人も少しだけいますが、購入希望が10件前後あれば1ヶ月に1回くらい配達に行けるんだけどなぁ~、と思ってます。
きっと、これもそのうち実現できると思ってるんですけどね。いつ頃になるかな~?楽しみ~~。