『マイフォト』なる項目が追加になってたので設定してみました。
そしたら、なんだか思ったように表示されないやら、ココログのサーバーの具合がイマイチやらで手間取り、更に変えた覚えの無い設定まで変わってるし…で、想像以上に時間をくってしまいました。
で、内容はというと、アキオの写真を適当に放り込んだだけのものです。
右にある『アキオの写真』がソレです。
風疹の予防接種
息子のことはたまらなくかわいくて、大事に大事にしているつもりなのだけど、私の性根がいかんせん基本的にナマケモノなので、おそらくかーなーり雑な子育てをしていると思われます。
そのため、予防接種も中途半端な状態になっておりました。
というのは、名古屋時代に済ませておけば良かったのに、だらだらしてたので、風疹と三種混合の追加接種が未のまま引越してしまったのです。
でもって、引越後もだらだらしておりました。
1歳半検診と歯科検診は呼ばれたんで行ったけど。(呼ばれたやつにしか行かないってところが、実にナマケモノよね。)
そしたらね、法律が変わって、来月からは2歳未満しかタダで接種してくれないんですって。風疹が。
それも、なんでも風疹と麻疹の混合接種になるとか。
タダでやってもらわんとやっぱヤダし、麻疹は済なウチの子の場合、混合接種では扱いが面倒になりそうなので、本日行って来ましたよ。保健所(健康福祉センターという名前だが。これがなかなかキレイな建物。)に。
今日がギリギリセーフの接種日なのです。
小さい町なので、予防接種は集団接種で、日にちが決められておるのです。
去年の11月にお知らせが届いたので、これだけは外せないわ、とカレンダーにちゃんと書いておいたのですよ。
本当はね、今月の頭にも接種日があったんですけどね、息子と私が鼻水だらだらの風邪真っ只中だったので、ラストに賭けるしかなかったのであります。
風邪も治り、なんとかラストの接種日に出向くことができまして、母はホッとしたのであります。
体温の計測でも問題無かったので、受付をしました。
すると、三種混合の追加接種を未だやってないのを見て、保健婦さんが
「市町合併で、来月からは個別接種になるので、小児科で接種してくださいね。」と言いました。
あらま。
ま、どっちでもいいんだけど、ここに来ると(地区の担当の)保健婦さんが「アキオくんは元気ですか?」とニコニコと話しかけてくれるので、それはなんとなくちょっと嬉しかったんですよね。
性根がいい加減なもんですから、積極的に保健婦さんに相談するなんてこともしないんですが、小さい町なので、当然ダウン症の子の数も少なくて、保健婦さんもちゃ~んと気にかけてますよ、ってオーラをばりばり出してくれてましてねぇ。
母としては息子を気にかけてくれる人がいるんだなぁ、と感じさせてもらえるというのは、ほんのり嬉しいものなのであります。
でも、くどいようだが性根がいい加減なもんですから、普段はすっかり忘れてるんですがね。
ああ。話しを風疹の予防接種のことに戻しまして。
番号を呼ばれて、お医者さんの問診が始まる頃になると、息子も周囲の雰囲気を見て、「これはアヤシイ。」と分かったみたいで、挙動不審になりまくり。
逃げようとするんですな。
お父ちゃんに捕まって、不安そうな顔つきでお父ちゃんのあぐらの中に座ってましたが、どんどん恐怖心が大きくなっていき、問診前に泣いてしまいました。
だってねーー、前の子が問診前からずーーーっと大泣きしてるんですもん。
そりゃ、アキオも不安になるよなぁ~。
母としては、問診までは泣かずにいてくれんかしら、と思ってたんですがね。
前の子の大泣きは誤算だったわ。
問診ではすっかり大泣き、接種の時ももちろん大泣きでした。
洋服を着せて、「じゃあ、帰ろうね。」と言うと、涙だーだーの顔がにぱ~と笑顔になり、バイバイをしながらテケテケと自分から出口に歩いて行きました。
相当イヤやったんやろうなぁ。
んでもな、もう1回あるんだよ。息子よ。
三種混合の最後のひと打ちがな。
ぼんやり
なんやら、ここんとこちょっとほんのり妙な感じやな、と思っていたら、もう桜が咲きそうではありませんか。
ああ、脳みそに霞がかかってるんだな、と気がつきました。
ええ、いつもこの時期は少ぉぉぉしオカシイのです。
日記の更新も滞り気味だしね。
すっかり木の芽時ですなぁ。
優勝しちゃったね。
キューバに勝つとは思わなんだよ。
はぁ~~~~っ。すごいもんだ~~~~~。
古田の「ちょっとうらやましいです。」のコメントが良かったな。
【追記】
ソフトバンク川崎の日記。
結構、好みの顔なのよん。
姫さま。
今夜は「オーラの泉」SPでしたね。
宣伝を見て、「おおおー。一茂が出るんかーー。楽しみー。」と、何故かやたらワクワクしておりました。
別に長嶋一茂のファンじゃないんだけど。もちろん、ミスターのファンでもないんだけど。
そしたら、やっぱりビックリな展開でありました。
なんと、江原さんが一茂の後ろに富士山が見える、と言うではありませんか。
『うわっ。姫さまだ!』と思いました。
旦那さんも同時に「姫さまだーーー。」と言いました。
そうなんです。
一茂の守護神さまは、木花之開耶姫さまだったのです。
ミスターと一茂は姫さまの霊系にあるそうなんです。んまーーっ。
なんでそれにビックリしたかというと、この記事に関係が大アリなのです。
説明すると長くなるのでめっちゃ簡単に書きますと、私達は姫さまのお姿を拝見させていただいたのです。
もちろん、そのままのお姿ではありませんよ。(仮にそんなことになったら、姫さまの光で我々は瞬時に丸焦げになってしまうわ。)
二次元で、です。
私と旦那さんは「……?」って感じだったんですが、弟1号はものすご~~~~い反応を示したのです。
神様のお姿から溢れ出してくる『神様の波動』に卒倒しそうになってたんです。
さすが霊能の芽がぴよぴよ顔を出しているだけあります。弟くん。
と、そんなご縁をいただいている私達なので、姫さまの名前が出てくるだけで妙にハイテンションになってしまうのであります。
「かーーっ。一茂は姫さまにかわいがってもらってるのかぁぁぁ~~っ。」と、興奮しておりました。
やたらワクワクしてたのは、こーゆーことだったんだなぁ。
そいえば。
昔々。沼津に住んでいた頃、ドライブの途中に偶然『浅間神社』の前を通り掛かりました。
姫さまの神社だなんて全然知らなかったのですが、なんとも言えない荘厳な感じに、「おお。なんか神様がいるっぽい~~。」と、強烈に思いました。
なので、御参りを兼ねて、買ったばかりの小さな水晶玉を浅間神社のお水で清めさせてもらいました。
その水晶玉。
お父さんにプレゼントしたんですが、なんとなんと、それをポケットに入れてパチンコに行くと必ず勝ったんだそうです。
お父さんが死んで、その水晶玉は弟2号のものになったんですけど、今でもちゃんと持ってるかなぁ~?
そいえばそいえば。
初めて富士山の姿を見た時も、とてもキレイな山だと感激しました。
中3の、修学旅行の新幹線の中でした。
あの感動は、忘れられんですよ。
ひっつき虫
さらに『ひっつき虫』度が高くなった息子くん。
とは言っても、気が向いた時に『ひっつき虫』になるだけで、四六時中『へっつき虫』になってるわけではないですよ。
でも、なんてーのかなーー、ひっつき方がグレードアップしてるんですなぁ。
足にぎゅーーっとへばりつく。
でもって、母のお尻に顔をぐりぐりする。
そして、ケラケラ笑う。
(これを何度も繰り返す。)
お母ちゃんが台所で洗い物をしている時によくこーゆーパターンの『ひっつき虫』になっております。
カワイイっちゃあカワイイんだけど、さすがにお尻に顔をぐりぐりされるのはなんかイヤだなぁ~。
そんなアキオさん。
今日は療育手帳の再判定の日でした。
もーー、好き勝手に遊んでて、知能の発達を見るためのテスト(積み木とかパズルとか)には一切興味を示しませんでした。
さすがアキオさん。大人の思う通りになんかならないよな。
始終そんな感じだったので、「今回は、前回よりも判定結果が重くなるかもー。」なんて思ったりもしましたが、結果は去年と同じでした。
アキオなりにそこそこ順調に発達してるっぽいです。
そうそう。
親にもいろいろ質問されるんですけどね、「太鼓とか叩きますか?」という質問に、お父ちゃんが
「(ウチには太鼓のオモチャが無いから)叩いてるのを見たことは無いんですけど……。でも、木魚はポクポク叩きます。」と答えてたんですよ。
ちょっと可笑しかったっす。
しかし、「できません。」「気が向いたらやることもあります。」って答えた質問が多かったんですよね。
「仏像やマリア像、神棚を見たら、のんのんあんをしますか?」とか
「大人には見えないものを見てる様子はありますか?」とか
「神界の五井先生と毎日お電話してますか?」とか
「キレイな女性とそうでない女性の区別をチビのくせにしてますか?」とか……
そーゆー質問だったら、「はい!します。できます。」って即答できるのになぁ~~。
深い意味があるような気がしてきた。
お父さんが肺癌だと分かったのが10年前の夏です。
まだ私が沼津に住んでた頃です。
結局、3カ月で亡くなったんですが、その亡くなる直前に、私は旦那さんと一緒に『レイキ』のアチューンメントを受けました。
「レイキって何?」って方はググって調べてね。
今はたくさんページが拾えますから。
しかし、当時はこのサイトくらいしかレイキのサイトはありませんでした。
必死だった私は、ここの管理人さんに御殿場のティーチャーを紹介してもらって、一応お父さんが生きているうちにアチューンメントを受けることができました。
そうです。
私は、お父さんのためにレイキのアチューンメントを受けたのです。
しかし、その翌日にお父さんの容体が悪くなり、私は十分にレイキを使ってヒーリングすることができませんでした。
レイキを知ったのは、ある雑誌の記事でした。
お父さんのために何かしたかった私は、旦那さんに頼んで一緒にレイキのアチューンメントを受けたのですが、3rdまでの2人分の料金はお安いものではありませんでした。
せっかくお金も使って得たヒーリングの力なんですから、お父さんが死んだ後も真剣にセルフヒーリングとかすれば良かったのかもしれませんが、気が抜けてしまい、ほとんど使わずじまいのままとなっています。
(1stのシンボルとマントラは思い出した時にたまに使うけど。)
しかし、この数年でものすごく増えたレイキに関するネット上の記事を目にすると、レイキを『実体験として』いろいろ感じている人が多いのに驚きます。
なぜなら、私はレイキでさまざまなエネルギーを感じるなんて経験がほとんど無いからです。
一度アチューンメントを受けたら、ずーっとレイキは使える、と最初に聞いたのですが、自分には劇的な変化は何も起こらないのです。
本当にレイキが使えるようになったのか??と思わずにはいられないくらいです。
レイキそのものを疑うことはありませんが、自分に何かブロックでもかかってるのか、セルフヒーリングをちっともやらなかったせいなのか、とにかく、自分に何か問題があるんかなー?と感じたりしていました。
でも、それもすぐに忘れてしまうんです。
私とレイキの関係って、それくらいのものなのかなぁ、とうっすら思ったりもしていました。
が。
「何のために、レイキのアチューンメントを受けたんだろ…。」
と、ふと思ってしまいました。つい最近になって。
それは、この記事を読んで、そこに書かれているヒーラーの方のことが気になって仕方がなくなったのがキッカケでした。
記事を読んで2~3日後、やっぱり読みたいという気持ちが強くて、2時間近くかかってそのサイトを探しました。
そして、ようやく見つけました。ドキドキしましたね。
その記事に書かれている通り、そのヒーラーさんのサイトにはすごい体験が書かれてありました。
宇宙人や高次の存在との交信は素晴らしくもあり、また非常に壮絶です。
彼女には、どんどん新しいシンボルとマントラを『降ろされる』のですが、そのたびに『浄化』が起こるのです。
心身ともに。
詳細には書いてないけれど、かなりしんどいだろうな、と簡単に想像できます。
こーゆー『選ばれた人たち』(厳密に言うと『お役目を担った人たち』)の高次元の存在に導かれていく過程というのは、必ず大きな苦しみがセットになってるもんなんですもん。
お釈迦様然り。五井先生然り。
とにかく、「すごいなーーー……。」と、口をアングリさせたまま読み始めたのですが、すぐに『親近感』を感じるようになってきました。
それは、私自身との親近感ではなく、五井先生の本に書かれていることと同じようなことを彼女自身または天界の臼井先生など高次の方々が言うからなのです。
私にとって非常に親しみ深い感覚を呼び起こす言葉の数々だったのです。
つまり、『ヒーリングの手段としてのレイキ』という段階をぐぐーーーんと超えているんです。
そっか。
レイキも、真理への道の1つだったんだね。
よく考えてみればそんなの明らかなのに、そんなふうにレイキを捉えてみたことがなかったよ。
でも。
そうすると、さらに疑問が深くなりました。
「何のために、レイキのアチューンメントを受けたんだろ…。」
って。
キッカケはもちろんお父さんのため、だったんですけど、そうじゃなくて、もっと深い意味があるんだろうなぁ、と感じたわけです。
レイキのアチューンメントを受けたことも、そのくせレイキの威力をちっとも感じないことも。
んーーー……。
もしかしたら、私や旦那さんにとって、ヒーリング・ツールとしてのレイキは必要ではなかったのかもしれないですね。
違う使い方をしてるのかもしれんなぁ~。
それが何かは分からないけど。(当然、守護霊さまは知ってるがな。)
と、こんなことをつらつら書いていると、そのうち『ピッ』と繋がるんだろうな。
****
そうそう。
レイキとは離れるけれど、週末に実家で弟1号に『五井先生の統一CD』を貸したのですよ。
統一とは、先生の口笛と柏手を聞きながら、心の中でお祈りをするというものです。
統一をしている時ってのは、救世の大光明とつながる…と、先生は講話でいつも言ってます。もちろん、自覚なんかできなくても、です。雑念でろでろ…でも、です。
私はCDをようやく聖地で購入して、うはうはだったのですが、うはうは過ぎて、ちゃんと統一をしてませんでした。
あんぽんたんちん。
で。
弟が先に統一をしてみたんです。
そしたらあーた!
弟が部屋から飛び出してきて、「すごいよーーーーー。」と叫ぶではありませんか。
さすが霊能の芽が出てる弟。
雑念が出るどころか、身体をひっぱり回されたらしいです。どかーんと『感じた』らしいです。
高次の方々は、いろんなふうに示してくださいますなぁ~。
また見てしまいました。
金曜ロードショーでは時々ジブリの作品を放送してくれますね。
新聞を見て、「お。今日は見なくちゃ。」と、ついつい何度目でも見てしまうのが、ナウシカとラピュタと、そして今日放送された『耳をすませば』です。
トトロと魔女は、気が向けば見る程度だな。
ナウシカとラピュタは自分の中でど真ん中なんですが、耳をすませばは自分の中では異色です。
でもね、見ずにはおられんのです。
なぜなら、私の中の『女の子』が見たがるからです。
見るたび、『彼女』がキュンとしてます。
別に雫ちゃんみたいな中学生生活を送ってたわけでもないし、あーゆータイプの女の子でもなかったんだけど、耳をすませばを見るたびに私の中の『女の子』が喜ぶんですなぁ~。
実は小さい頃から『女の子』であることが、違和感とまでは言わないけれど、少しシックリこない感じを持ってました。
それを『男の子だったら良かったのかなぁ?』と幼いながらに自己分析したりもしましたけど、それもちょっと違ってたんですよね。
私の中の『女の子』は、私の中の『少年』に憧れ続けていたのです。それもかなり強烈に。(理由は知らんがな。)
なので、言語脳が確立する8歳頃から、私は徐々に実生活において少々ややこしい想いを持つようになりました。
それを象徴するのが『女の子であることが少しシックリこない感じ』なのです。
今から思うとね、がっつりと『女の子』を満喫してれば良かったのに勿体ないなぁ、と思うんですけどね。
まーー、憧れと同化しようとするのは、よくあることだから仕方がないかーー。
それも無意識だったしな。
そんなわけで、どこか不完全燃焼の『女の子』を抱えたまま大人の女性になってしまった私は、耳をすませばを見るたびに、私の中の『女の子』を喜ばせてあげているのです。
多分、少女漫画(今はほとんどLaLaばっかりだけど)が止められないのも、『彼女』の存在が大きいな……。
すると、ナウシカとラピュタが『ど真ん中』な理由も明らかですねぇ~。
てへ。
愛のある庭
情けは人のためならず。
昔っから占いは好きで、沼津時代には、友人と一緒にタロットやら西洋占星術やらを分厚い本を見ながら読み解く時に冗談で「リリー・フェルナンデスです。」なんて自称しとりました。
名前の由来は……何もないです。友達に冗談で「先生のお名前は?」と訊かれて、咄嗟に降りてきた名前であります。
そんな占い好きな私が、時々まとめ読みしてるのがマドモアゼル愛先生のブログです。
この先生がおじさんだと知った時は、プチ衝撃。
そのマドモアゼル愛先生のこの記事には、ちょっと「おーー。」とキました。
いろんな意味で。