なんだかなぁ。

全然知らなかったですよ。
韓国では、拉致被害者は帰国してくれるな、というのが一般的な世論らしいってこと。
たまたまこのブログの記事を読んで知ったんだけど、ちょっとビックリしたです。
お国の事情ってもんもあるんだろうけど、なんだか寂しいねぇ…。

夏でも冷え取り

梅の実の収穫を手伝ってくださったNさんは、実はアトピーで長年しんどい思いをしていて、夜もかゆみで度々目が覚めてしまうほどなのだそうです。
そんなNさんが冷え取りの『5本指絹の靴下』を試してみたそうです。
靴下を履いてみたら、夜中に起きることが減ったそうです。
それだけでも本当に良かったなぁ~~、と私も嬉しくなりました。
そんな私も冷え取り用に5本指の靴下をちゃんと履いてますよー。夏場でもね。
さて。
名古屋の冷え取りのお店のサイトがリニューアルしていました。
冷え取りについての記事もたくさんありますので、興味がある方はチェックしてみてね。

つわりって前回はいつまで続いたっけな?

非常にダルいし、少し家事をするだけでもしんどいし、気持ち悪いし。
家事も育児も最低限のことしかできません。
それでもなんとか食べることはできるし、オエオエだけれど吐きもしないので有り難い……とは思っているけれど、ずーーーっと『口が不味い』のには辟易しますな。
ご飯(お米)が美味しくない。
湧き水で炊いているので、旦那さんは「とても美味しい。」と言うけれど、私には分からない。
味がよく分からないので、私の口に合わせて味を調整していくと、すっごい酸っぱい野菜スープになっちゃったり。
(なので最近は味見をせずに勘だけで料理している。)
身体には良くないと分かっていても味の濃いジャンクフードが食べたくて仕方がなかったり。
はー。
気が滅入ります。
ところで。
私信になりますが。
ながえ先生。
今回の作品は上手にまとまっていて良かったと思うですよ。
次回も期待しとります。

実は『世界』は公平にできている。

お母ちゃん、銀河水のおかげで「おえおえ。」は激減しましたが、それでも大変であります。
ブログの更新もままなりません。
ということで。
コチラをリンクしときます。
『世界』は実はまったく公平なのです。
前世からの業は、自動的に『時期』を得て発現されるのです。
では、その時、自分はどのように考えて振る舞うのか、が修行であり、霊性進化の道を進むのか後退するのかを瞬間瞬間選択しているのですね。
第三者としての意見を持つ場合でもそうだと思います。
知らず知らずに、私達は人を裁いているという怖さが常にあると思うのです。
そう思うと、「あの人たちの天命が完うされますように。」と、被害者に対しても加害者に対しても祈る気持ちにしかならなくなっていきます。

基本的に低空飛行の体調ですが、梅の実は待ってくれません。
庭の梅の木にたわわに実った梅の実を、お父ちゃんとお客さんのNさんが収穫してくれました。
なんと。
14kg近くもあったのですよ。
息子が昼寝してから梅の実を洗ってたんですが、洗うだけで2時間弱かかっちゃったよ。
あー。
これから梅酒、梅昆布酢、梅昆布醤油を仕込まねば。
梅干しも初挑戦してみようかしら。
でも、しんどいので困った…。

つわり中。

まーねー、今週はほんとにしんどいっすわ。
つわりも、ですが、いつもの自律神経の暴走もあったため、気持ち悪い×気持ち悪い。そしてダルい×苦しい。
起き上がるのも辛いほどだったので、いつものクリニックでお灸をしてもらってきましたよ。
漢方薬も出してもらって、今はなんとかなっております。
『銀河水』も届いたし~~。
アキオがお腹にいた頃に銀河水を常飲してました。
最初はお世話になってた薬局の先生が「これ、いいよー。」と薦めてくれたので、「そっかー。いいのかー。」って単純に飲み始めたんですが、『銀河水』を飲んでると、つわりが結構楽になってたんですよね。
そして面白いことに、銀河水を1日飲まないと2日後につわりが重くなったのであります。
ただ、お高い水なので、共働きの頃のようにホイホイとは買えません。
それでもオカンが少しお金を出してくれたので、10本まとめ買いをしました。
大事に飲みます。はい。
あ。
中日の落合監督も飲んでるらしいっす。銀河水。

とうとう悪阻。

非常にダルいのだが、ダルいだけだからラッキー!と思っていたのですよ。
…でも、やっぱり甘くなかったっす。
土曜日の朝から本格的に『つわり(悪阻)』となりました。
気持ち悪いです。
特に今日はダメダメで、朝からオエオエと空ゲロ連発です。
「おえー。」という母の姿を見て、息子が「おえ。」と真似して笑ってます。
面白いけど、しんどいので和めません。
週末は実家にいたので楽だったけど、これから大変だーー。
…って、今日も既にお義母さんに昼食と夕食をお願いしちゃったのだ。
午後からは息子を預かってもらってるし。
ありがとうございます。ありがとうございます。
オカンは自分がつわりのヒドい人だったから、娘が「うえー。」と言ってるのを見てると非常に心配してくれます。
オカンに比べたら私のつわりなんて軽い軽いもんなんだけどね。
そうは言っても、やっぱり辛いや。

こんなお母ちゃんでゴメン、と何度も思った。

先輩の奥さんが少々自虐的になっていました。
初めての子育てをしながら、主婦の仕事もして、お仕事にも復帰して……となれば、そりゃ上手く行かない方が普通じゃないか?と、私なんぞは思うんだけど、そこはなかなか客観的にはなれんものなんでしょう。
こうあるべき、という観念だけが先走るんですな。
と、かく言う私も、よくひろころさんに『ほどよく適当にやっていればいいよ。いろんな人の手を素直に借りるといいよ。』と、掲示板などで励ましてもらっていました。
みんなそれぞれの形で通る道なんだなぁ、と思いました。
それまでは、全て自分に返ってくるだけだったのに、子育てがスタートすると、自分の不甲斐ない部分の多くが子どもへ反映されてしまうような感覚を持ってしまいました。
今だから言えるけど、アキオがダウン症だってことも多かれ少なかれ負荷となっていました。
アキオがかわいそうだとか、自分や家族がかわいそうだとかは少しも思わなかったけれど、ちっとも葛藤が無かったかと言えば、そんなわけはなく、それ相応の葛藤と日々向き合わなくてはなりませんでした。
かと言って、早期療育に熱心な親にはなれませんでした。
自分の葛藤を、「この子のためにできることを精一杯してあげよう。」という方向へ振り替えることは、何か自分自身を誤魔化しているような気がしたからです。
そうなんです。
自分をすっ飛ばして、『この子のため』とはなれなかったのです。
(それは、アキオに重篤な合併症もなく、元気に成長していってくれていたから、という大前提ありき、なのですが。)
それが良かったのか悪かったのかは、正直分かりません。
そんなわけで、自分のことがなかなか解決できずにいた私は、どこかで自分を不甲斐ないと感じていました。
その延長で「こんなお母ちゃんで、すまん。」と、つい思ってしまってました。
身体の調子を崩した20歳の頃からずーーーっと自分に対する不甲斐なさは感じていたので、「ああ、不甲斐ない。」とすぐに感じてしまう癖もついてはいましたけどね。
でも、やはり親としての不甲斐なさ、というのは初体験ですから、ちょっとたまらんなぁ、といった具合でした。
でも、自分を100点満点の親だと思ってる人なんて、ほとんどいないだろうし。
「あーあ。私ってダメ母…。」と、何度も落ち込むのが普通なんでしょうし。
親としての責任を感じているからこそ、のものなんでしょうし。(てことは、育児放棄するような親は自分をダメ親だとも思っていないのかな?)
こうやって親も成長していくってことなんですね。
それでもやっぱり、できれば自分を責めるのは止めた方がいいですね。
自分を責めるのは簡単だけど、自分を責める人は必ず自分以外の人も同じ強さで責めるから。
(海より深く反省……。)
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本文とは関係ないけど、運転中の息子。
Akio77
お父ちゃんの軽トラの運転席に座るのが大好きなのですよ。