子どもは親をよく見てる。

子どもは親をよーく見てるもんですな。
ちょっと前のことです。
息子が台所の棚に置いてある小さいホウロウのミルクパンを、さも大事そうに抱えて持ってきました。
そして、そのミルクパンを、小さめだけど軽くて重宝している踏み台の上に乗せて、何やらごにょごにょ言いながらミルクパンを動かしているのです。
あ、これはもしや……。
と、思った母は、木製のヘラを渡してあげました。
すると息子はそのヘラでミルクパンの中(に何かがあるかのように)をがちゃがちゃとかき回し、そして、ヘラをパクリを口にして、「んまい。」と言いました。
そしてそして、手を合わせて『ごちそうさま』をすると、床に転がって「ぐーぐー。」と寝たふりをしました。
この一連の動作を、何度も繰り返したのです。
まんまを作って、まんまを食べて、寝る。
その繰り返しです。
そのうち、母にも「まんま。」と言いながらヘラを渡してくれるようになったので、一緒に「うまいねー。」と言いながら笑って遊んであげました。
ごっこ遊びをする息子を初めて目撃した瞬間でした。
母、ちょっと感動。
そして、昨日の夜。
もらいもののお菓子の缶の蓋を使って、突然息子が「まんま。」と言いながら『ごっこ遊び』を始めました。
缶の蓋の上で何やら手をせわしなく動かして、どうやらまんまを作ってるつもりの様子。
そして、続いて蓋はお皿に早変わりし、そのお皿を「えいしえいし。」と私や旦那さんのところまで運んできては、一緒にまんまを食べろ、と催促をしました。
「まんま、うまいねー。」と一緒に笑った後、今度は蓋を縦にしながら、片手を上下に動かしました。
どうやら、お皿を洗ってるつもりのようです。
この一連の動作も数回リピートしてました。
お母ちゃんがまんまを作るところ、お皿を洗ってるところ、そんな日常の動作を見ていないようで見てるんだなぁ、と感心してしまいました。
そいえば、私が洗濯物を干している時、横で洗濯物をパンパンとやってる(つもりでも、ちゃんとはできなないけどね。)しなぁ。
洗濯物を伸ばしてから干す、というのも見てるんですよね。
自分自身を振り返ってみても、そういえば知らず知らずのうちにオカン……というか、死んだおばあちゃんの家事仕事の仕方の真似になってるんですよね。
死んだユリエさんは、それは几帳面な人だったので、家事仕事もそれはそれはキチンとしてました。
なので、私の中にもそれらがインプットされてはいるのですが、ユリエさんとは違って根が怠け者の私はなかなかあそこまで日々キチンとできないため、常に『私はダメ主婦だな~。』という感覚があります。
罪悪感とまでは言わないけど、高い理想像ができあがっているので仕方がありません。
それよりも、キチンとする日々見せてもらったことを、今頃になってとても感謝しております。
ユリエさんが生きている時はそーゆーことに感謝する心が持てなかったのよね……。ごめんね。おばあちゃん。
無理は続かないので、できる範囲での話になっちゃうけれど、それでもやっぱりできるだけ丁寧に暮らしていくことって大切なんだろうなぁ、と、ごっこ遊びをしている息子を見ながら、あたらめて思いました。
たとえば、食育って言葉を最近よく耳にするけど、母親に時間的にも精神的(健康面も含む)にも余裕がなかったら難しいことだろうなぁ、と、子どもを持ってみてよく分かるようになりました。
かと言って、子どもの教育のためってだけで無理しても母親にとってはストレスが溜まるだけだし。
手をかけること。
丁寧に暮らすこと。
これらを母親が『楽しめる』ようでなくちゃ、食育もうまくいかないんじゃないかなぁ~、と、息子の姿を見ながら思った次第であります。
美輪さまじゃないけど、『女の仕事って楽しいものなのよ。』です。
『女』として成長してないと、その喜びが分からんのですね。(人格的な成熟という話とはまた別ね。)
そんな私も、37歳にして、ほんとうに最近になってようやく少しずつ楽しめるようになってきたんですよね。
やっと女になってきたのかな?
今までは義務感の方が圧倒的に強くて、楽しいなんて思ったことはあまりありませんでした。
でも、チビすけを妊娠してから、どんどん変わっていってんですよ~。
この子は、アキオとは違った方向で私に変化をもらたしてくれる子なんだなぁ、と、感謝感謝であります。
…とは言うものの、面倒がりであることには変わりはないんだけどね。てへ。

確かに日本は美しくないよな。

ちょいとネットサーフィンをしていたら、数カ所のブログで『週間オルタ』というMLの記事について紹介されてました。
えっと、超有名な『きっこのブログ』のこの日の記事に転記されてます。
ま、読んでみてくださいまし。
(威勢のいいきっこさんの意見は好き嫌いがあると思うので、それはちょっと横に置いておいて、ここで紹介されているMLの記事を読んでみてね、ってことでリンクしました。)
えー。
私にはどこまで事実なのかは分かりませんが、本当に本当にこれが事実なら、気持ち悪いですね。
安倍さんがどうのこうのというだけでなく、こーゆー会が開催されていること自体が気持ち悪いですよ。
んでも、やっぱり次期首相がこーゆー会に出席してたとしたら、ほんとにイヤだわ。イヤイヤ。
戦争は、政治家が始めちゃうもんですが、巻き込まれるのは普通の人々ですからね。
ほんとに勘弁してもらいたいもんです。
「戦争は、外交の延長にあるもの。最終手段だ。」なんてことを現職の国会議員が発言してるのを聞いて、世界中の政治家の多くもこんなふうに考えてるんだろうなぁ~~、って思いましてね、そりゃ戦争がなくならんわけだ、と、トホホな気分になったことがありました。
ま、そんな議員さんたちを選んでるのは市民である私達なんですけどね。
民主主義って『全国民が賢い』ことが前提でないと機能しないと思うんですよ。
てことは、今のままでは地球上から戦争をなくすことは非常に困難だ、ってことだよなぁ~、と、これまたさらにトホホな気分になってしまいます。
……どうしたもんやろうねぇ?
とやかく言っても、次期首相は安倍さんらしいので、ここはひとつ、本当に日本を『美しい国』にしてもらいましょう。
とりあえず、道路のゴミがなくなるように知恵を絞ってください。ほんとマジでお願い。汚いもん。美しくないもん。
あと、東南アジアとかに少女を買いに行ってる日本人男性たちもなんとかして。
最近テレビ番組でチラっと見たけど、ほんと同じ日本国民としてえらいこと恥ずかしいよ。醜いよ。あれは。
それからねぇ……(美しくないことがたくさんありすぎるので省略。)
んー。本気で日本を『美しい国』にしようと思ったら、やることいっぱいで戦争なんかしとる暇ないよね。
ぜひとも頑張ってください。
日本中、ポイ捨てのゴミが1つも見かけなくなってから、改憲の話をしようではありませんか。

息子は実によくしゃべる。

いっこ前の日記で、我々親子のこんな会話を載せました。
「ちー、した?」
「した。」(笑顔で。)
「トイレでちーしてみる?トイレ、行く?」
「いかない。」(ムッとした表情で。)
「オムツ、オシッコでパンパンやねぇ。」
「ぱんぱん、ねー。」(お股を叩きながら笑顔で。)
「オムツ、替えようか?」
「かえないっ。」(ムッとした表情で。)
まだ最近まで、なんでも「ない。」しか言えなかった息子くんですが、先月の中頃くらいから「行く?」と聞くと「いく、ない。」と答えるようになり、それから間もなく「いかない。」と答えるようになりました。
五段活用の未然形に『ない』をつけている……!
一番最初に「いかない。」と息子が言った時、母は結構感動しました。
息子の言語野もどんどん育ってるんですねぇ。この子のペースなりに。
やはりデイサービスに通うようになって、いろいろ刺激を受けているんだろうなぁ~、と思ってます。
今月の中旬に実家に帰った時、弟1号も「急にいっぱい言葉が出るようになったねぇ。」とビックリしてましたもん。
まぁ、意味不明の言葉が圧倒的ではありますが、こうやって言葉を獲得してくのかー、と勉強になった母であります。

今年の夏の課題だったけど、来年の夏の宿題ってことで。

昔は紙オムツなんて無かったんで、早くオムツをはずしてしまえ~、というのが当たり前だったのかもしれません。
お義母さんは「この子(旦那さん)はちょうど1歳になった頃にはずれたよ。」と言ってましたし、私自身は冬生まれだったので1歳半の夏の頃にはずれたらしいです。
昔のお母さんたちは根気良かったんだろうなぁ~。偉いなぁ~。
ひるがえって、現代の私。
紙オムツが便利過ぎるせいか、息子のトイレトレーニングは頓挫したままです。
高這いを全くしなくなった春先から、「3歳になる夏の間中にオムツがはずれるように頑張ろう!」なーんてちょっとは思っていたのですが、自分の悪阻のせいでドロップアウト。
とりあえず、こっちが気がついた時はトイレでウンチをさせてますが、自ら申告するなんてことはまだ数回あっただけです。
「ちー、した?」
「した。」(笑顔で。)
「トイレでちーしてみる?トイレ、行く?」
「いかない。」(ムッとした表情で。)
「オムツ、オシッコでパンパンやねぇ。」
「ぱんぱん、ねー。」(お股を叩きながら笑顔で。)
「オムツ、替えようか?」
「かえないっ。」(ムッとした表情で。)
仕方ねーなー、とここで諦める母はダメ母なんでしょうか?
でも、いかないって言うし……。
それで、ですね。
布のパンツに生理ナプキンのようにあてがって使う『濡れた感じが分かる』オシッコ用パッドも購入し、時々使ってみるのですが、最初だけ「なんか変な感じー。」とお股をぎゅっと握ったりしてた息子ですが、そんなもんなんともないわい、といった様子。
今日は朝からパッドの方を使い、ウンチ(と同時にオシッコ)をさせてからお散歩に行きました。
ウンチをしながらオシッコも絞り出していたから、2時間くらいはパッドでも大丈夫かな?と思ってたんですが、甘かったです。
確かに1時間くらいは大丈夫だったのですが、お父ちゃんの畑でお父ちゃんの軽トラの運転席でずーっと遊んでいた息子のお股がどんどん濡れ出してきたのです。シートもべたべた……。ごめん、お父ちゃん。
休み休みではありましたが、1時間近く歩いた息子は喉が乾いたのでしょう。畑に到着してから確かにたくさんお茶を飲みました。
けどなーー、絞り出した後なのに2時間持たずに漏れ漏れか~、とお母ちゃん、ちょっとガッカリです……。
以前から布パンツだけで様子を見てみると、ちびちびとオシッコしてるなぁ、とは思ってたんですがね……。
んーー。
帰宅後、お父ちゃんが言いました。
「アキオってさ、神経系統の発達がやっぱり遅いっていうか、鈍いよね。」
あ、やっぱり?お父ちゃんも気がついてた?
もちろん、痛みも感じるし、冷たいのも暑いのも分かってます。こちょこちょすると身体をよじって大笑いするし。
でも、この子、蚊に刺されてもかゆがらないんです。オムツかぶれの湿疹もかゆがったり痛がったりしません。
微妙に皮膚感覚が鈍いなぁ~、と思ってました。
だから、オシッコをしたことが分かるパッドを使っても、濡れていることは分かっても、それを不快とは感じてなさそうなのです。
そーゆー神経系統の発達の遅さ・鈍さの原因(ってたって1本多い染色体のことだがな。)が、膀胱の神経系統の発達の遅さともリンクしてるんじゃないかな~?となーんとなくですがニラんでおるのです。専門家じゃないから想像でしかないですが。
息子くん、夜中にオシッコを全然しない時もあるんです。
ウンチの時にいっぱいオシッコをすることもよくあります。
だから、おそらく機能的に膀胱にオシッコを溜めることはできるようになってるハズなんですが、上手にコントロールできるまで神経は発達してないんでしょうな。
うすうすは気づいていましたが、あー、やっぱりなー、といった感じの今日の出来事でありました。
てなわけで。
ダウン症の子でも健常児と同じくらにオムツがはずれる子もいるらしいですが、ウチは無理そうです。
今年の夏中には……というのは、とっくに諦めてましたし、基本的には「いつかとれるもんだしー。」といった(ダメ母かもしれんが)のんびりスタンスなんですが、早くとれてくれりゃそれにこしたことないものですからね。
冬より夏の方が親は断然楽チンだし。
なので、ちょっと残念ではありますが、アキオの成長に付き合っていくしかないですもんね。
おお。
そう思うと、デイサービスで真っ裸でプールで遊んだり、泥んこになったり、家の中を走り回ったりさせてもらってるのは、皮膚感覚をたくさん刺激してることになるから、本当にありがたいことなんだなぁ、とあらためて気がつきました。
いろんな理由から、なかなか家ではあそこまで自由にさせてあげられんもんで…。

潜在意識に書かれた厄介なプログラム

昨日の夜は息子が早く寝てくれたので、のんびりとブログの記事を書いておったのですが、いざ保存…となったらココログがビジーだったのか何かで、うまいこといかず、結果的に記事は飛んでしまいました。
あらら。結構時間かかった記事なのに。
んでも、こーゆー時は載せなくていい、ということなんだろうとスッパリ諦めました。
さてさて。
今朝のことです。
早く寝た息子は当然のようにいつもより早起きしました。
30分くらいは1人で遊んでいたようですが、だんだん腹が立ってきたようで、玄関で寝ころがりながら怒ってました。
そんな息子の手をひいて、居間(寝室)に連れてきたところ、「もう起きようよ。」と起こしてもまだ寝ている旦那さんの姿に、「しょうがないなー。」って感じの気持ちになりまして、丁度息子もお父ちゃんに突進していたので、そのまま突進させてみました。
無防備に寝ているお父ちゃんの上にどかーんと息子が乗り上げたわけです。
ビックリなのと痛いのとで、お父ちゃんは大声を出しました。
結構、この人ね、こーゆー時に(若干オーバー気味に思えるほど)大声を出すんで、息子も私もちょっとビックリしちゃうんです。分かってても。
なんてかね、ちょっと前に下痢気味でもよおした途端にオムツの中でウンチをしてしまうことが続いた息子に対しても、「ちょっとー!なんで言わないのー!」と、見つけた途端に大声で言うもんだから、少々息子が萎縮してしまってたこともあったくらいでして。
本人(お父ちゃん)はそんなつもりはなくて、おそらく自分の中ではナチュラルな反応なんだろうと思うんですが、普段がどっちかって言うと聞き取りにくいくらいの話し方をする人なので、咄嗟の時の大声とかって言うと、なんだかこっちがビックリしてしまうくらいに感じてしまうのです。
それにね、私は旦那さんと19歳の時からの付き合いなんですが、学生のうちは付き合っていても相手のことなんてよく分からんもんでして、時々のことではあるんですが、ちょっとしたことでも威嚇されてるような物言いに、すごーく顔色をうかがうようになってしまったんです。私が。
今では信じられんような話ですが、ほんとにそうでして、付き合っていても実はとっても息苦しかったのを覚えてます。(息苦しかったんだ、というのは、旦那さんが1年先に卒業して身近にいなくなってから気がついた。寂しいくせにいなくなってスッキリした気分になった自分に驚いたのであります。)
それが、なんやかんやとずーっと一緒にいるうちにだんだんいろんなことが分かってきまして、旦那さんは別に威嚇してるわけでもなんでもないことや、たまにちょっとしたことを怒ったような言い方をしてしまうのは、お義父さんに似ちゃったんだな、というのもこちらに引っ越してきて、頻繁にお義父さんに会うようになってかよーく分かるようになりましたし。
仲良し夫婦のお義母さんお義父さんですが、一度だけ、お義母さんがお義父さんのそーゆーところに対して「やんなっちゃう。」と漏らしたのを聞いたことがあります。
ああ、やっぱりお義母さんもイヤなんだけど、仕方がないって諦めてるんだなぁ……、と新しい発見に不思議な気分になったりもしました。
私だって物言いが悪いことが多々あるだろうし、旦那さんも私に対していろいろいろいろ我慢してるんだろうから、と思って普段はあまり指摘しないんですが、時々やっぱりカチンときてしまいます。
(若い頃はそーゆー物言いをされると萎縮してたのが、数年後からはカチンと腹を立てるようになった、というわけです。こうやって女は図々しくなっていくのですな。)
おそらく、旦那さんもお義父さんのそういう物言いは好きじゃないと思うんですが、知らず知らずのうちに取り込んでいるんでしょう。
私がオカンのイヤなところばっかりソックリなのと一緒です。
人間って、どうしてこーゆー取り込み方をしてしまうんでしょうね?
あ、それで、です。
お父ちゃんに息子がダイビングした話の続きです。
お父ちゃんは私が意図的に息子にそうさせた、と思ったようです。
半分はそうなんですが、半分は息子の好きにさせただけなんですがね。
それに、お父ちゃんの大声にちょっとビックリしてたら、怒った旦那さんに先に言われてましいました。
「あんたって、本当に謝らんね。」
ええ、私は旦那さんに謝るのが苦手です。
本当に悪いことやどうでもいいことは謝りますが、その中間のことって謝るのが苦手なのです。
なのに先にそんなこと言われたら余計に謝れんがね。
私が悪いんですけど、なんだかだんだん腹が立ってきましてねぇ。
あんただって物言いがよろしくないこと、多いやん。
自分が不安や心配なことがあると、私に怒ったように言うやん。
自分の不安やイライラを私にぶつけること、結構増えたぞ。あまり言わんようにしとるけど。
なんて、普段はスルーしていることが沸き上がってきてしまい、どんどん腹が立ってきてしまいました。
いけませんね。
自分の悪い部分を指摘されて、素直に聞き入れないばかりか、相手の悪い部分に対する愚痴を心の中で繰り返してるんですから。
もーー、私の周りからイヤ~~な波動がどよーーんと出まくっているな、と自分でも分かってたんですが、こうなるとなかなか止まらんのです。
お祈りをしても続かないし。
あー、そんな自分がやんなちゃう~~、と思ってる反面、怒りがなかなか収まらんのです。
そうしいるうちに、だんだん怒りが自分の中の何かに向かっていこうとするし。
なんだろ?
自分の中の何に向かってんだろ??
で、家事をしながら怒りながら、ふと思い出したのです。
私がなぜ、(家族に対して)謝るのが苦手になったのか、を。
まだ小学校に上るか上らないか、だったと思います。
何かしでかして、オカンが激怒して、私を家から追い出したんです。
私は追い出されるのがイヤで、泣きながら「ごめんなさい。ごめんなさい。」って言ったのに、オカンの怒りは収まらずに追い出されてしまったのです。
一通りわんわん泣いた後、私はすごく怒りを感じました。
私が悪かったのには違いないないけど、私は謝ったやん。
なのに、追い出すなんてヒドい。謝ったってどうせ追い出されるなら、謝っても意味ないやん…ってね。
だから私はひどくスネてしまって、祖母や隣のおばさんがなだめにきてくれても、なかなか家の中に入ろうとはしませんでした。
同じ反応を、下の弟がしたことがありました。
気持ちが分かるから、私がなだめに行きましたが、弟は絶対に家に入ろうとはしませんでした。
その気持ちもよく分かりました。
同じようにされた時、弟1号は追い出されてもぐるりと回って玄関など、違う入り口から入り込んでケロっとしていたので、同じ兄弟でも事柄の受け止め方は全然違うんですね。
今なら、オカンだって未熟な人間だから、子どもに対する躾けと怒りを混同してしまって、泣いて謝ってる子どもに対して『諭す』なんてことができなかったんだろうな、とよーーーく分かるんですが、小さい子どもには分からんわけですよ。
だから、私はオカンの『怒り』に対して自分の中に『怒り』を蓄積させていくしかなかったんでしょう。
こんな昔々の出来事を、突然思い出したのです。
そして、「あー、だから、私はオカンのイヤなところばっかり似ちゃったんだなぁ~……。」と、分かりました。
旦那さんがお義父さんのマイナス面と(無自覚のまま)似てしまったのも、子どもの頃に同じようなメカニズムが働いたんだろうなぁ、と思いました。
みんな、そうやって『厄介な偏り』を潜在意識に植えつけられていくんですね。
斎藤一人さんの言葉を借りれば『劣等感』ってことになりますね。
これは、決して『個性』ではなくて、本当に厄介な偏り、しこりになって、何かの事象に対して自動的に(だいたいは良からぬ方向に)反応してしまう元凶になってしまうわけです。
潜在意識の力はとてつもなく大きいので、いくら顕在意識で「こうなりたい。」と思っても、潜在意識のプログラムを書き換えない限り、思ったような人生には決してならないわけです。
健康になりたくても、健康になっちゃダメだと反対方向に無自覚のままひっぱられたり。
お金持になりたくても、自分はそんな能力が無いと潜在意識の中から強く信じきっていたり。
幸せになりたくても、幸せになる価値が自分にはないと知らず知らずのうちにプログラムされていたり。
このようにプログラムは自動的に運用されてしまうのです。(でもね、それを書き換える方法はいろいろあります。その気になれば大丈夫。ただ、そういう仕組みに気がついて、その気になるかどうかが難しいところ。ほんとに難しいですよねぇ……。とほほ。)
てなわけで。
最後にお薦めの本の紹介。
斎藤一人さんの『地球が天国になる話』です。
すぐ読めますし、なんてったってCDがついてますから、通勤時間などを利用して何度も何度も聞くと良い思います。
何度も何度も聞いていると、それこそ潜在意識の偏ったプログラムの書き換えができちゃうんですねぇ。これが。

なかなか昼寝をしてくれない息子。

昨日も今日も、息子が昼寝をしてくれない……。
ブログの更新もできんではないか。
今は、そばで踊りながら「いないいないばぁ」を見てるけれど、すぐにパソコンを触りたがるので困っちゃう。
最近、お昼寝が遅くなる傾向が続いておりまして、午前中にデイサービスで散々遊んでくるのにもかかわらずなかなか寝ない。
そうは言っても、一度寝てしまうとこれが長かったりするもんで、変な時間に寝られるとこれまた困っちゃう。
こうやって昼寝ナシになっていくんですかねぇ。
成長ってもんかな。
けれども、母は午前中に畑仕事を手伝ったり家事をしたりで結構疲れててね、午後はまったりとしたいわけですよ。(もともと働き者タイプではないので、午前中に頑張ると午後は持たないのよ。とほほ。)
ブログ更新だけじゃなく、本も読みたいし、居眠りもしたい。
なんてったって妊婦は眠いもんだし。
ただゴロゴロしてるだけってのもなんだからと、横になりながらのねじり運動(ヨガで教えてもらったやつ)を100回もすると、これはこれで眠くなるんだなぁ。
ここを我慢してスクワットを20回ほどして、ストレッチをすると、もうかなり眠い眠い。
ここをさらに我慢して寝ゆる体操をすると、もうウトウト。
足の裏を軽くもみもみなんざしてごらんなさいな。自分でやっててウットリですわ。
なーのーにーーー、息子は元気なのーーー。
目が離せないのーーー。
(と、言いつつウトウト寝てしまうことも多々アリ。)
てなわけで、ブログの更新が滞っておりますが、なんとかウンチさまも出てくれております。
実は、月曜日の夜からお腹がきゅーっと断続的に痛くなりまして、「こりゃ、漢方薬が効き過ぎになってきたな。明日、先生んとこに行こう。」と密かに思っておったらですね、なんとクリニックの先生の方から電話がかかってきたんですよ。
「なんだか気になってね。」って。
ああ、またチビすけ(胎児)が呼んだな、と思いました。
なんかね、この子、先生を呼んでくれちゃうんです。
それに応えてくれる先生ももちろんスゴいというか、ええ、ありがたいです。ほんと。
「そのうち電話も要らんくなるな。」とお父ちゃんは笑ってました。
やっぱり麻子仁丸と黄連解毒湯はそこで止めになりまして、翌日クリニックに行って診てもらいました。
5日の大便秘に対する処置はそこまでで、今は以前にも処方された当帰芍薬散を飲んでます。
これはずーっと飲めるやつだそうです。昔々毎日飲んでた十全大補湯と同じように長いこと飲めるやつですな。
ちなみに、十全大補湯ですが、これも不味くてねぇ……。
良いお薬で、私にはよく合ってたんですが、不味いって感覚はとうとう払拭できませんでした。残念。(←なんか十全大補湯に負けたような気分。)
当帰芍薬散は軽いもんです。うははは。
今、パソコンを触ろうとしてきたので、「ダメ。」と牽制したら、ウソ大泣きして倒れ込んどります。息子くん。
「ダメ。」「やめて。」「あかんてー。」と言われても言われても、やりたいことを貫徹しようとするその根性はスゴいもんだ、と感心してしまいます。母は。

ウンともスンとも言わないなんて、困っちゃう。

ウンチさまの話です。
先々週は浄化もあって下痢が続いておりましたが、先週の火曜日からパタっと出なくなりました。
下痢の後に少々便秘気味になるのはよくあることなので、2日目までは気にしてませんでしたが、3日目からちょっとこれはいけませんねぇ……と思うようになりました。
なんだか、ヘンなのです。
お腹は痛くなるのに、ガスしか出ない。
4日目も、それこそウンともスンとも……という感じ。ガスばっか。
急にお腹が大きくなったので、子宮に押されて腸が動きにくくなってるのかな~?と思い、家事や畑仕事だけではアカンかも、と以前ヨガ教室で教えてもらった身体をよじる運動にスクワットに股関節をがーっと開くストレッチをやってみました。
驚きましたねぇ。
もともと固めではあったのですが、急激に股関節が固くなってるではありませんか。
どんどんお腹が大きくなってきて、その重みの負荷だけでなく、どうしても動きがにぶくなってきて股関節をあまり開かずに動き回ってるようなのです。
これはいけません。
便秘にならんかったら気がつかんかったですよ。ほんと。
気がつけて良かったです。
便秘対策とは別に、毎日ヨガとスクワットとストレッチを続けなきゃね。
で、とうとう昨日は5日目。
相変わらず出てくれないので、例のクリニックの先生んとこに行きました。
O-リングで漢方薬を診てくれまして、動きが悪くなっている腸のために麻子仁丸を処方してくれました。
それとはまた別に、身体に熱があるね、と言われました。
ええ。実はですね。
体温計で計っても平熱なのですが、身体が少々熱っぽいのです。
自分でも芯熱がこもってるなぁ、とは思っていたのです。
その前の2日ほど、すごーくダルくて仕方がなかったのですが、木曜日に熱の吹き出がプチっと出て、しんどいのは楽になったんです。
それでも、芯熱がある感じは続いてました。
急に朝晩が涼しくなってきたから、ちょっと身体がついていけんのかな?と思ってました。
お父ちゃんも風邪ひいちゃったみたいで、喉が痛い喉が痛いって言ってるし。
こっちからは何も言ってないのに、先生には分かっちゃうんだなぁ、とあらためて感心しきりでありました。
(後からネットで調べてみたらこーゆーページを見つけました。妊婦の便秘の原因の1つが芯熱とは知らんかったっす。)
てなわけで、黄連解毒湯も処方されました。
……が、この黄連解毒湯はですね、昔飲んだことがありましてね、比較的漢方薬を飲み慣れている私でも「不味い。」と思う独特の味なのです。
実に不味い。不味い不味い不味い。
しかし、不味いからって飲まないわけにはいきません。
毎回、「まずーい。」と言いながら頑張って飲んでます。
そのおかげか、6日目の今朝、出てくれました。ウンチさまと久々の対面であります。感動的であります。
♪ちゃららちゃっちゃら~~。
ありがとうございます。ありがとうございます。みなさん、ありがとうございます。
でもね、予想してたようなお姿ではなかったのですよ。ウンチさま。
ずーっとお腹の中にいたわけですから、きっとコロコロになって出てくるんだろうと思いこんでたんですが、これがなんとバナナに近い形状。
ほんとに腸が動いてないんだなぁ、とウンチさまをまじまじ見ながら思いましたね。
妊婦の身体は不可思議であります。
さてさて。
今回の便秘のおかげで股関節が固くなっている、ということを教えてもらったのですが、それとは別にまたプチお悟り(と呼んでいるが、ちょっとしたスピリチャルな気づき、という意味)をいただきました。
今朝、早起きしてトイレでぼーっとウンチさまが出てくるのを待っていた時にまたまた気づかせてもらいました。
そこで一時休戦しまして、まだ旦那さんと息子は寝ていたので、私一人で窓際の椅子に腰掛けて、気づかせてもらったことをじっくり自分の中で整理してみました。
空を見ながら涙が出てきました。
ほんとにプチな、プチプチな気づきなんですが、それでもそれを説明するとめっちゃ長くなっちゃうので、今回は割愛しますが、地球霊王さま(by五井先生)の大きな愛を想うと、ほんとーに涙がだらだら流れました。
あ、でもキーワードだけ自分の覚書のために書いておきましょう。
『地球生命の強烈な自己保存本能』(←坂本さんのこの本にチラっと出てくる)

たまごかけご飯

たまごかけご飯。
いや、私の実家では『たまごご飯』と呼んでました。
なぜなら、うちの実家では、卵の黄身だけを器に入れ、そこに醤油をたらし、それをかき混ぜてから、ご飯を盛って再びかき混ぜる……という手順であったため、決して『たまごかけご飯』ではなかったのです。
大学生の時に、学科の泊まり旅行かなにかの時に、みんなが白身もコミで『たまごかけご飯』を作って食べているのを見て、軽くカルチャーショックを受けたことを今でも覚えています。
もちろん、旦那さんも『たまごかけご飯』派であります。
おそらく、実家での食べ方はマイナーな流派なのでしょう。
とは言え、子どもの頃からの食文化というのはなかなか修正しにくいもののようでして、メジャーな道に軌道修正することなく、今でも私は『たまごご飯』として食べております。
美味いんだよねぇ。
さて。
こんなのを見つけました
ああ、たまごご飯が食べたくなってきた~~。

心のベクトルはどっちに向いてる?

ここんとこ数回分、オーラの泉を見ておりませんでした。
息子を寝かしつけてるうちに、私も寝てしまうというパターンばかりで。
それが、先週はなぜか『見させられた』という感じの状況でありました。
田中美里さんの回です。
もぉね、聞いてて「あ、遊廓だ。」とか「あ、肺病だったんだ。」とか、江原さんたちが言う前になんとなく分かっちゃたりして、自分でもなんだか変な感じでした。
そいでもって、大嫌いだった『女性の仕事』が好きになっていった、というくだりなんぞは、最近の私もそのまんまでして、とにもかくにも田中さんへの言葉が自分への言葉のように思えてならない回でした。
番組を通して守護霊さまが教えてくれたんだなぁ、と感謝せずにはいられませんでした。
そして、今週。
プロレスラーの前田日明さんの回です。
キツかったっす……。
内容が内容なだけに。
三島由紀夫が前田さんを今日ここへ連れてきた、なんて話になった頃から見てて気持ち悪くなり、将校たちの亡霊がたくさん前田さんに憑いているって話になってからは、も~~~~柏手を打ちたくて打ちたくて仕方がないくらいの気持ち悪さでした。
柏手というのは、五井先生がなさっていたことなんですが、白光の方たちで霊性が上っていった方たちは今でもお清めでなさっているそうです。
自分でもよく分からんのですが、ぱんぱんぱん!と柏手が打ちたくて仕方がありませんでした。(夜中だからやらなかったけど。)
多分、よほどの霊気だったんでしょうなぁ~。テレビからでもイヤ~な波動が伝わってきてたんでしょうなぁ~。
そんなふうだったので、五井先生を想いながらテレビを見ておりました。
変なモノが近寄ってこないようにね。
そうそう。
あの回を見てて、私はすぐに「うおー。」と思ったのには予備知識があった、というのも大きかったと思います。
ある白光の会員さんのブログにこんな記事があったからです。
コレコレ
恐ろしいですな……。
でも、ただ成仏していない執念深い霊が怖いってんじゃなくて、生きている私達の『心』のベクトル次第だということが、ある意味怖いなぁ、とつくづく感じました。
五井先生ももちろん、ハトホルさんたちも、他のスピリチャル系の人たちの多くも、異口同音に『すべては波動だ』と言ってます。
すっごい簡単に説明すると、一番精妙な波動が神様で、そこからどんどん粗くなっていって、最後の最後、どんじりにこの『三次元の物質世界』を現す粗い波動が存在している、とのことです。
で、もちろん『心』というか『想い』も波動なわけでして、物質世界のひとつ上の波動の世界が幽界とかアストラル界とか、まぁいろいろ名前はあるんですが、幽霊といわれるような成仏できない霊たちが彷徨ってる世界があるそうで、我々の物質世界のお隣ですから、近いんですよね。
近いもんだから、成仏できてない執念深い霊が、自分と似たような波動をキャッチすると「ラッキー。」とばかりに憑いてしまったりするんだそうです。
そうなると、憑かれた人の人生は狂ってしまうわけです。
困った霊にいらんことされちゃうからね。
ですから、心は常に神仏(光)に向けなければならんのです。
以前、ポジティブシンキングのことを書きましたが、心の奥からの前向きさが持てず、身体の調子も悪かった頃、自覚はありませんでしたが思いっきり私も憑依されてました。迷ってるご先祖さまたちに。
心が光に向いていなかったからそうなったのか、そうなっていたから心が光に向かうことができなかったのか、は分かりませんが、自身の体験からも美輪さまがおっしゃってたことはよ~く分かりました。
特に信仰する宗教宗派がない場合、私としては一番手っとり早いのは五井先生の『世界平和の祈り』を一日一回でもすれば、時間は少々かかりますが、確実に自分の中の本心(神)につながっていくことができる道だと思うんですがね。
これも縁なので、できる人とできない人がいるんですなぁ。
できない人には何度言ってもできないんですよね。なので仕方がありません。
とにかく頑張れ、君の魂……としか言えないです。
しかし、忘れてならないのは、私達は自分だけでは自分を救えないってことです。
私達は神の分け御霊であるけれども、それを真に自覚するに至るまでは、守護の神霊の導きがどうしても必要なのです。
そういう意味では他力ですね。
けれど、自分自身の心のベクトルを常に神仏(光)に向ける努力をする、という『最初の一歩』がなければ他力の道には入れません。
そういう意味では自力ですね。
とは言うものの、人間なんて多かれ少なかれ憑依されてるもんだ、と聞いたことありますし、自身のカルマも血族のカルマもあるわけですから、最初の一歩が一番厄介なのかもしれないですね。
偉そうなことを言ってますが、そんな私だってまだまだまだまだなわけでして、そんなことは百も千も承知なのですが、なんだかまたまたこんなことを書かされておるわけです。
きっと誰かのためなんだろうな。
誰かさんの守護霊さまが、うちの守護霊さまに「ひとつ頼むよ。」ってな感じで。
とにもかくにも。
実はそんなに悠長にしていられる時間がないので、地球霊王さま(by五井先生)の波動がどんどん上がっている今、その波動上昇にシッカリチャッカリついていかんと留年しちゃうんでね。
留年しちゃうとどうなっちゃうのかは、ハトホルさんたちでも分からんそうです。
あ、でもあれは10年前の本だから、もうだいたい予測はつくようになったんかも…。
「よしみさんの言ってること、何がなんだかさっぱり分からん。でも、ちょっと興味あるかも。」という初心者の人には、坂本さんのわかりやすい!絵で見る「死後体験」がすんごい分かり易いし薄い本なのでお薦めです。
坂本さんはバリバリの理科系の人なんで、理科系の人には特に良いのではないかと。
あ、そうそう。
さっきのリンクのところを見てる時に、アツコ姉さんからメールが届いたんですよ。
「美輪さんの講演会があるよ。」って。
シンクロニシティなんて結構慣れっこになってきたけど、ちょっと驚いた。
これは行けってことか?

ロハスなお店だそうだ。

ふらふらネットサーフィンしていたら、こんなん見つけました
へぇー。
私達が名古屋に住んでた頃に知ってたお店って、この中で数件しかないなぁ。
やっぱり、こーゆーのが流行りなんですなぁ~。
子どもがいるから行けないけれど、行ってみたいのは以下のお店かな。
marica
momo
スモークサーモンとクリームチーズのベーグルサンドなんて、超・大好物だがね。
くどいようだが、小さい子どもがいるからこーゆー『おされ』な店には行けないので、私の代わりにチビタくん、行ってきなさい。
連れていく女の子がいないなら、タマゴ姉さんを連れていきなさい。
または、海賊王と一緒に行ってきなさい。
そして、こーゆーとこに来るお姉ちゃんに2人で声をかけてきなさい。