まだです。

まだ生まれてません。
もちろん今現在でさえ予定日より早いので、のんびりしてりゃいいんですが、やっぱりね、一度ね、「もう生まれるか?」という状況になったので、なんだか落ち着きませぬ。
お腹はよくハルし。
時々、陣痛みたいな痛みもあるし。
ああ、こうなると早く顔が見たいわぁ、と思ってしまいます。
さて。
昨日は午後からとても疲れました。
息子の保育園で部会やら園長さんとの話し合いやら卒園式実行委員会やら…と、会社を辞めてからあまり使っていない脳の部分を稼働させたので、へとへとになりました。
これくらい、会社員時代だったら「へでもない。」って感じだったと思うんですがね。
その代わり、今よりも神経がピリピリしてるのが常だったような気もします。あの頃は。
そう思うと、今の生活はとってもありがたいなぁ~、と思います。
でもとても疲れたので、リポDを衝動買いしてしまいました。うへ。
てなわけで。
メールの返事ができてなくてごめんなさい。>柿○さん。
メールの返事もこないし、ブログも更新されないし…ってことで、生まれたと思ったかな?
まだなのよぉぉぉぉ~~。
まだなのよおおおおおお~~。

あれは確かに陣痛だったんだけど。

陣痛は、最初はそんなに痛みも強くなく、間隔も20分とか15分とかって感じなのですが、これがだんだん間隔が短くなってきて、それにつれて痛みもどんどん強くなります。
そして、そのうち『いきみたーい。』という感じも強くなってきます。
で。
21日(日)の夕方、もともと前駆陣痛が頻繁にあったのですが、計ってみると15分間隔の痛みが4~5回続きました。
「もしかして、陣痛?」
その後、10分間隔になったので、病院に電話しまして、入院することになりました。
1時間ほどの移動中に8分くらいの間隔になりました。
8分になったので、車の中から出産に立ち会う友達にも連絡しました。
そして、入院。
アキオの時は10分間隔を切ったら、すごーく痛かったんですが、今回は結構余裕でした。
でもって、高知県から研修に来ていた若い助産婦(見習い?)さん2人が、ずーっと指圧やマッサージをしてくれまして、痛みはあるのに、脳は気持ちいい方を優先するのか身体から緊張が取れているおかげか、以前ほどあまり痛みも感じませんでした。
もちろん痛いのは痛いんだけど、やはり身体がリラックスしているかしていないかってーのは、全然違うなぁ、と実感しましたね。
息子は友人や助産婦さんたちに遊んでもらってご満悦だし、なんだかとっても和んだ雰囲気の中で、陣痛の間隔が少しずつ短くなって行きました。
なのに。
3分間隔まで行ったのに、そこから陣痛が消えてしまいました。
ただのハリに戻ってしまいました。
結局、一晩眠れなかったんですが、マメジロウは生まれませんでした。
「こういうことって、時々ありますよー。」と、助産婦さんが笑顔で教えてくれました。
生まれてくるのは赤ちゃん任せなのです。
赤ちゃんが途中で「やーめた。」と思えば、そこでストップなのです。
または、生まれてみないと分かりませんが、臍の緒が首に巻きついてる場合などは、赤ちゃんが自分でゆっくり上手に生まれようとするので、陣痛が弱くなったり、弱いまま長期戦になったり……ということがよくあるんだそうです。
とにかく、赤ちゃんの心拍は元気な状態のままだし、なによりがんがん蹴ってくるし、助産婦さんも「本当に元気な赤ちゃんね。」と何度も言ってくれてるので、赤ちゃんが元気なら問題ナシってことで、3分間隔まで行ったんですから、できれば産みたかったけれど、まぁ仕方がないね、と、病院の美味しい朝食を食べてから帰宅しました。
他の産院だったら、促進剤とか使うのかもしれないねぇ、と帰りの車の中でお父ちゃんと話してました。
『待つ』ということができるのは、実は大変なことなんですよね。
あそこでは破水しても生まれてくるまで薬も使わず、じっと何日も待つくらいですから、私のような場合なんて「たいしたことない。」って感じなんでしょうけど、実際に体験してみて、なんとかならんかいな、と思う人間の性みたいなもの、コントロールしたいという欲求ってかなり大きいものだなぁ、と実感しまして、医療がお産の形をどんどん変えていっている状況というのも分からんでもないな、と思いました。
でも、やっぱり本当に医療介入が必要なお産って、吉村先生に言わせるとほんのわずからしいので、産む方も医者も『待てない』ことが自然なお産を少なくしている一番の原因なんでしょうね。
そう思うと、お産だけじゃないですよね。
現代人って、みんな『待てない』んじゃないかな、と感じます。
待てないから、子供を急かして早く大人にさせようとしてるし、だから何だかおかしな教育になったり、おかしな人間になったりしてることも多いような気がします。
そして大人自身も待つことができないから、ちゃんと日々を生ききっていない人が多いような気がします。
忙しいだけ。それだけ。
さてさて。
マメジロウは今回の陣痛でかなり頭も下げてきたし、子宮口もかなり柔らかくなりました。
ただ、まだ子宮口の開きは少ないため、生まれるにはまたまた本格的な陣痛が必要となってくるのですが、頭も下がってるし、子宮口が柔らかいので、生まれる時のお産の進みは早そうな感じはしてます。
ああ、いつ生まれたいのかな~~?マメジロウは。
ワクワクです。
それから、今回の予行演習で、「吉村医院の助産婦さんたちは、なんていい人たちなの~。」と感激しました。
アキオん時にお世話になった産院の助産婦さんたちも親切だったんですよ。
あそこも良い産院だと思うんですよ。ほんとに。
でも、やっぱり『普通の産院』なんだろうなぁ、と思いました。
吉村医院は、ちょっと違うと思います。
お父ちゃんに言わせると、「志を持った人(院長)のところには、やっぱりいい人たちが集まるんだよなぁ。」って。
なるほど、と思いました。

お腹はよく痛むんだが…。

1日に数回、前駆陣痛があります。
その度に「うお!スクランブルか?」と思うのですが、毎回肩すかしとなっとります。
19日は弟1号の誕生日だったのですが、この日に生まれたら、弟1号とほぼ同じ星回りになるので、そうなるといいなぁ~、と実家では祭りになっとったそうです。
私としては、そうなると霊感バリバリの子になりそうなので、それはそれで面白かっただろうに、なーんて思ったりもしましたが、ハズレまして。
で、20日は私の誕生日だったので、これは避けた方が無難だろう、と思っておりました。
なぜなら、オカンと一緒の誕生日なんて、物心ついた時にちょっとイヤじゃないっすか??
なので、ハズれて良かったです。
てなわけで、まだマメジロウはお腹の中で元気にオカンを蹴飛ばしております。
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ココログが少しバージョンアップしたそうなんで、それに合わせて本箱とかをリニューアルしてみました。

子宮口が開いているらしい。

火曜日に産院に行ってきました。検診です。
10カ月になると週1の検診になるので、連れてってくれるお父ちゃんが大変だね。
さて、その検診の時に、大きい病院から来た若い研修の先生がいました。
その先生に吉村先生がいろいろ話してたんですが、「こんなふうに子宮口が開いていてもね…云々。」という会話がされてまして、つい先生に聞いてしまいました。
「私、子宮口が開いてます?」
「うん。」
「…やっぱりそうですか。先月からそうじゃないかと思ってたんですよねぇ。」
「はっはっはー。余計なことを言っても心配するだけだからね。」
どうやら妊娠9カ月の頃から子宮口がじわりじわりと開いているらしいのです。
確かにね、ただのハリという感じじゃなくて、「これって陣痛の痛みに近くない?」って思うことも多かったんですよ。
陣痛の痛みと共に子宮口ってのはすこ~~しずつすこ~~しずつ開いていくものなんだそうです。
アキオん時は10カ月に入ってから1cm開いてたんですが、先生の口ぶりだと結構開いてるっぽいです。
でも、自分の羊膜には自信があるので(アキオの時も最後の最後まで破れなかった。先生に切ってもらったくらい。) 、ちっとも心配はしてません。
が、こうやってじわりじわりと痛みがあるので、陣痛が来た時に分かるのか?というのは多少心配しております。
だって、近場の産院じゃないからねーー。移動に1時間弱かかるからねー。
と、言ってたら、今朝になってなんだかお腹が痛いのです。
でも、陣痛……ではないような感じもするんですよね。前駆陣痛かなぁ。
んーーー。
今日と明日は大潮だしなぁ~。
んーーーーーーー。

マメジロウの名前、大決定。

アキオん時も名前を決めるのに、例の先生のところに相談に行きました。(ココ参照。)
あの時は結果的に生まれる10日前に決まったんですが、今回は予定日より早く生まれるだろうと思いまして、実は年末に1度先生のところに相談に行ってきました。
そして、アキオん時と決定的に違うのは、性別がハッキリしていないことです。
なので、年末の相談の時には男の名前と女の名前の両方の候補をたくさん持って行ったのですが、
「んーー。女の子の名前だと、みーんな同じような反応するなぁ。違うって。…多分、男の子だなぁ。」と言われました。
そいでもってなんとなんと、本人(の魂)から「総画41画でよろしく。」と言われちゃいました。
その意味はいろいろあるのですが、お父ちゃんはパスしていた画数だったので、またまた一回では決められなかった、というわけでした。
で、本日再び先生に新しい候補を観てもらったのですが、またまたありました!
飛び抜けた、『次元を超えた』名前が1つだけありました。
簡潔に言うと、天真爛漫で賢く、人生を楽しみながらチャレンジし続ける……という名前だそうです。
漢字二文字の名前なんですが、そのうちの『亨』という字がとても不思議な働きをしてくれるそうで、先生曰く「理屈の世界に降りてこなくて、まるで1文字の名前みたいになるんだよー。」とのこと。
理屈の世界というのは、おそらく言語化できる『この世的』な姿を映す部分のことだと思うんですが、そこに降りてこなくて、上の次元に留まったまま……っていうイメージみたいなのです。
ですから、まさに『次元を超えた名前』でして、良い意味で先生にも把握しきれないんだそうです。
(ただし、当然のことですが『亨』という漢字を誰がつけても同じような働きをする、というわけではないです。)
また『賢い』というのは、ちっちゃな自分の想いに囚われた『考え』なんぞに固執せず、本当のことを見抜く目を持っている、ということなんだそうです。(羨ましい……。)
年末の時に教えてもらってたのですが、お腹の子は自分の天命をハッキリ自覚して生きていく魂なんだそうで、その魂の邪魔にならんような、魂にピッタリくる名前をつけてあげたいねぇ、と話していたんですが、こんな良い名前が見つかるとは、本当にありがたいことです。
で、ですよ。
お父ちゃんが、子供の名前を一生懸命考えているうちに、自分の名前がどーにもひっかかったんだそうです。
それで、子供の名前もすぐに決まったので、最後に自分たちの名前を観てもらいました。
お父ちゃんの場合、本人が感じたとおり『あつ・き』の『き』の漢字がイマイチでした。
欲張りになっちゃって、やりたいことがいっぱいありすぎ~~っていう状態になるんだそうです。
で、私の場合ですが……。
想像以上にダメダメでした~~。
「これは可哀相だなぁ。」と先生に何度も言われました。
うえーーーん。
『よし・み』って名前、昔っからな~んか違和感があったんですけど、そんなにダメダメだったのかーー、と笑ってしまいました。
どうダメかを簡単に言いますと、『よし』は先祖の因縁を受けやすいですし、『み』は私の悪い部分を引き出しやすいんだそうです。
なので、先生に「あなたはこうこうこういう感じになりやすいでしょ?こういう部分があるでしょ?」と言われることが
本当に笑っちゃうくらい「そのとーーりです。」ってことばかり。
あー、名前ってコワいわ~~、と、あらためて思い知らされました。
というわけで、夫婦共々通称を変えようと思っております。
てか、変えなきゃ。

36週の検診

臨月突入一回目の検診でした。(臨月になると毎週検診となります。)
内診でまたもや先生が「あなたはものすごく安産傾向が出てるね~~。」と感心してくれました。
おかげさまです。ありがとうございます。
超音波診断でも、赤ちゃんがとても元気らしくって、「赤ちゃんもとても元気だし、言うことないねぇ。」とのお言葉。
ほんとうにおかげさまです。ありがとうございます。
妊娠期間中、ずーーーっと赤ちゃんが元気なのがなりよりです。
ただ、ね。
ウチから吉村医院までは車で1時間前後かかるのです。
渋滞する時間じゃなかったら、1時間弱なんですがね……。それでもやっぱ少し遠いよね。
けれども、どうやらお産の進みがアキオの時より早くなりそうな感じなので、ちょっとドキドキなのです。
「車の中で出産ってことはないと思うけど、水が降りてきたり、出血したり、陣痛かな?と思ったら、すぐに連絡してきなさい。それで、取るものもとりあえず来なさい。」と、言われちゃいまして……。
わお。
んー。
アキオの時は、夜の7時くらいから陣痛が始まって、そこから夕飯を作って食べたり、古新聞をまとめたり、お風呂に入ったり……で、入院が夜中の1時だったんですよね。
で、生まれたのが朝の4時半。
前半は結構余裕だったんだよなぁ~~。
しかし、今回は『つるん』と生まれてきてくれそうな感バリバリなので、余裕は無いかもしれません。
はてさて。
どうなりますやら。
ワクワク半分、ドキドキ半分であります。

臨月突入

発熱が続いたための休みと冬休みも終わり、久々に本日より息子くんはまたまた保育園生活が始まりました。
車の中ですんごい不安そうな顔をしておりました。
がんばれ、息子。
久々に息子のいない時間に、お父ちゃんとお茶を飲みながら「なんだか静かだねぇ~。」と、庭に来る鳥なんぞを見ながらのんびりしてしまいました。
んでも、息子がいない間に掃除とかしちゃった方が楽なので、結局は重たいお腹にひーひー言いながら掃除をしました。
ここんとこなるべく安静にしようと心がけていたんですが、昨日から妊娠36週に入りまして、ええ、そうなんですよ。
とうとう臨月突入なのですよ。
もういつ生まれてもいいのです。あ~、早産にならなくて良かった良かった~~。
てことで、適当に身体を動かして、掃除もマメにしとかんとね。
しかし、お腹、ほんとに大きくなりました。
さすが臨月。動きづらいです。んっとに。ひー。
****
そうそう。
出産したら、最低1カ月の間は目をあまり使っちゃいかんのですよ。
これは昔っから言われてることらしくて、名古屋時代にお世話になってた薬局の先生に何度も言われたのです。
ですから、新聞も本もネットもダメダメになるわけですが、読みかけの本があるんですわ…。
1カ月以上前に購入して、チビチビ読んでいるのですが、ちっとも終わらないのです。
コレです。
いわゆるスピリチュアル系といいますか、お祈り系といいますか、そーゆーブログやサイトはいろいろいろいろありますが、「これはいいね。」と感じて気に入って毎日チェックしている所が3つ4つありましてね、その人たちがこの本を推薦してるんですよ。
あー、いつかは読まなきゃならんだろうなぁ、と思っていたのですが、なかなか購入までには至らず。
それが、アマゾンの割引をもらったので、「ここはひとつ。」とようやく購入することかできました。
ハトホルの書はちびちびと言いながらも、ざーーーっと読めてしまいましたが、ヨギの自叙伝は面白いけれどなかなか進みません……。
注釈が多いというのも1つだし、なによりインド人特有の雰囲気に飲まれてしまって、ほんとーになかなか進まないのです。
ああ、このままだと読み終わる前に出産ってことになりそう……。
しかし、この本は「今だから読める本」だなぁ、としみじみ思います。
五井先生の本を何冊も読み、お祈りを続けてきたおかげで『分かる』のです。
ハトホルの書にしてもそうでしたしね。
五井先生の後継者の昌美先生の本にしたって、読み返してみると、「ああ、そうよね~~。」と、以前より深く理解できるし。
少しずつでも霊性の開発が深まっていってる証拠だと思えば、実に嬉しい限りであります。
もちろん、まだまだなのは重々承知ですがね、それでも嬉しいもんです。
あ、でもね。
そうそう。
年末にお父ちゃんと話をしていて、言われたことがあるんですよ。
そりゃ守護の神霊の方々から見たら、50歩100歩なのは分かっているんですが、自分の立場からするとね、やはり自分より霊格が低い……というか、あ、いや、ちょっと違うな。
えっと、霊格はどうなのかは分からんのですが、とにかく現在の時点で『目が開いてない人』と会話をすると、とても疲れることが増えたのです。
そこで、お父ちゃんに言われたのです。
「あー、それが来年(今年)のお母ちゃんの課題だねぇ。」って。
どんな人と話をしても疲れないようにならなきゃね、ってことです。
それは、なかなかハードな修行だと思われます。
「私は君より上の人間なんだけど、わざわざ下に降りてきて話を合わせてあげてるんだよ。」という傲慢な気持ちになっては、もちろんダメダメの超ダメダメでして、そうじゃなくて、『無理せず自然に合わせる』というこが必要となってくるわけなんですね。
この『自然に』というのが難しい、と。
自我(小我)が傲慢にもいろいろ主張してくるので、すんげー不自然になっちゃうわけですわ。
だから疲れるんですよね。
こうやって書くと、自我(小我)は厄介者でしかないように思えてきますが、そんなことはなくてですね、大我が物質界で働くために必要なものとして存在していると思うんですよ。
ただ、キリスト教的に言えば『原罪』、五井先生風に言えば『過去世から積み上げてきた業想念』に主導権を取られちゃってるんで、自我が暴走してしまうだけでね。
ま、そのために『心の働きを止めて、悟りを得る』という方法で大我に直接アクセスしようとする『修行』があるんだと思うんですが、私の今年の課題というのも、その『修行』の入り口みたいなもんだなぁ、と感じるのであります。
お父ちゃんの口から出たものではありますが、これは守護霊さまからの課題だと思っております。
ではどうやってその課題にとりくんで行くのかというと、これはお祈り(と印)しかないなぁ、と思っております。
つまり、『絶対他力』なのです。
もちろん、昌美先生のおっしゃる『我即神也』という真理の元での、絶対他力、です。
『お任せ』というやつです。
しかし、『私の中の神様に全てお任せしきってしまう』という境地になるのが難しいわけでして、そこに至るための課題の1つが今年の課題でもある、ということなんでしょう。
なので、どうやって課題にとりくむかというと、お祈りしかないわけです。
なんだかぐるぐるしてしまいますが、そーゆーことなのです。
てなわけで、まずは出産から、ですな。

私は岐阜市生まれの岐阜市育ちなんで、冬は雪が時々降って、たまに積もるもんだ、と思っておったのですが、今住んでいる旦那さんの生まれ故郷である三河地方は雪が滅多に降りません。
ちょっと寂しいです。
それが、昨日の午前中は雪が降りまして、お母ちゃんってばちょっくらワクワクしてしまいました。
もちろん積もるほどではなかったんだけどね。
すぐにみぞれになり、雨になっちゃったし。
私は雪の降る日に生まれたそうで、自分で見たひとつ前の過去世では雪の中で死んでるってのもあるので、やはり雪には何か心惹かれるものがあるんでしょうねぇ。

赤ちゃんの産着

先月実家に帰った時、アキオのお下がりばっかりじゃマメジロウが可哀相だからと、オカンが「産着を買ってあげなさい。」とお金をくれました。
なかなか買いに行けなかったのですが、昨日ようやくサティの新春マタニティ・赤ちゃん用品バーゲンで産着やら上着やらを買ってきました。
アキオの時は名古屋三越にあったキムラタランの某ブランドで揃えたのに、えらい違いですな。
(あのころはまだ私が働いていて、お金があったから~~。うほほほ。)
で、今日はそれを洗って干したのですが、取り込んで畳みながら思いました。
……新生児ってどうやってお世話してたっけ?
というわけで、お父ちゃんに聞いてみました。
「あたし、どうやって新生児のお世話をしてたっけ?」
するとお父ちゃんが言いました。
「オッパイあげてた。」
そうやね。
それが一番のお世話やったね。
またオッパイライフが始まるわけですなー。うはー。

あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

健弱の年も明け、12年に一度の達成の年に突入したよしみでございます。
今年は出産予定なのでありますが、健弱で身体的に結構しんどかった(毒出しをドバドバできた)ので、吉村先生も「あんたは安産間違いなし。」とも言ってくれていることですし、きっと安産でしょーーー、と本気で思ってたりしてるんですが、なんと、お父ちゃんが元旦にひいたおみくじに『お産・やすし』とありまして、もー、本当に安産しかないね、と確信しましたよ。
(ちなみに私のひいたおみくじは別の種類のもので、『お産』という項目が無かったのであります。小吉だったけど、とっても良いアドバイスが書いてありました。)
そんなおめでたい元旦でしたが、朝から大忙しでありました。
まず、朝はお父ちゃんが神棚にお参り、私が庭のお大師にお参り、そして近所の神社に家族でお参り。
その後続けて、三河一宮の神社にお参り。
ここもね、えらいこと混むもんでね、朝から行ってきたのでありますよ。
それから簡単なものでしたが、形ばかりのおせちとお雑煮を食べ、急いで旦那さんの実家に行きました。
お義母さんに送ってもらって、おばあちゃんと一緒に豊川稲荷にお参りに行きました。
もう毎年の恒例となっているお参りです。
ご祈祷をしてもらうのですが、息子を連れてのご祈祷はなかなか大変であります。
やっぱり飽きるんだよねー。
お父ちゃんが子守に疲れ果てておりました。
お楽しみの食事も、なんだかとっても慌ただしくて、「来年はばぁばんちに置いてくぞ。」と、息子はお父ちゃんに言われておりました。
はてさて、来年はどうなることやら。
それでも、奥の院でのお参りも済ませることができ、お参り三昧の元旦となりました。
そして夜には、息子は従姉妹と遊んで、とても楽しそうだったし。
んでも、やっぱりバタバタとしてたもんで、2日はお腹がハリハリになっちゃいました。
「まだ生まれたらアカンよー。」と言いつつ、ごろごろと寝正月となりました。
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なにやらアッと言う間に2006年が過ぎて行った気がします。
毎日もアッと言う間に過ぎて行ってるなぁ~、と感じるのですが、そのせいか毎日毎日同じような日々なんだけど、おかげさまだよなぁ、としみじみ感謝せずにはおられんがねー、って心境です。
日々刻々と生命を頂き直して、この物質界・地球界に生かされているということを以前よりもよくよく感じるようになってきました。
もちろん、まだまだ未熟なんですけど、どんどん自分が変わっていくなーー、という感覚に少々ワクワクさえしてしまいます。
そーゆー系の人々が言うには、地球の次元がどんどん上がっていって2012年頃をピークに『何かが起こる』らしいのですが、自分の変化や周囲の変化、ニュースなどを見ても、やっぱり二極化してるよなぁ~、と思わずにはいられません。
そーゆー系の話だけではなく、アーヴィン・ラズロ博士も2010年の臨界点までになんとかしないと、2012年のカオスポンイト以降は『破壊』と未来予測してますしね……。(ココ参照。)
私達が、この物質界の地球生命圏に、この肉体を持って存在できるのは、もしかしたらあと数年……なんてことかもしれないですしね。
そんなわけで、今年も日々祈り言を忘れずに、同じような毎日をありがたく生きさせていただけたらと思う次第であります。