名前

以前、お父ちゃんと私の名前も観てもらった、と書きました。
お父ちゃんの名前は『あつ・き』の『き』を『樹』から『期』に変えるのが一番いいと、例の先生に教えてもらいまして、早速通称として使っておるようです。お父ちゃんは。
んじゃ、私は、というと……。
ユリコのためにお父ちゃんが作成した膨大な『名前リスト』を、先生が【私バージョン】でも観てくれたんです。
そしたら、『民絵』が私の魂にとっても合ってるんだそうです。
他にも2つほど良いと言われたのがありましたが、先生イチオシは民絵だったそうです。
家で娘のお世話をしながら電話で先生の話を聞いた時は、正直ピンときませんでした。
た、民絵っすか…。
でもね。
だんだん「民絵がいいかも。」と思うようになってきました。
民絵にすると、迷わなくなるんですって。私。
いいですねぇ~~~。とてもいいですねぇ~~~。
ただ、お父ちゃんだけで娘の名前を観てもらいに行った時のことなので、できれば私も先生から直にお話が聞きたいのですわ。
それから通称を変えようと思っているのですが、気がついたら3月ももう終わりじゃありませんか。
うむむ。
そしたらね。
例のmixiに誘ってくれた方が、ハンドルネームを変えたと言うではありませんか。
1人目がダウン症児で、2人目を産んでから本格的にスピリチュアルに目覚めたという人です。
私も、ユリコを授かってから自分の中で何かが加速的に変化してるんですわ。
そういう意味でも何だかシンパシーを感じていたんですが、まさか彼女も名前を変えたいと思ってたとは(もちろん)知らなくて、ちょっとビックリでした。
ああっ。先を越されたわ~~~って、笑っちゃいました。
出世魚のように、自分の成長に伴って名前を変えるというのは、とても良いことだと最近では感じております。

mixiに登録してみた。

mixiには全然興味がなくて、リアル友人から「どぉ?」と誘われても別にいいや、って入り込まなかったんですけど、リアル友人じゃなくて、ネットの知り合いから誘われましてねぇ。
そっちの日記も読みたいわ、と思いまして、mixiに登録してみました。
で、リアル友人の名前で検索もしてみたところ、別のリアル友人たちも芋づる式に見つかりまして、なんだか笑えちゃいました。
あー、おもしろかった。
んでも、当分は知り合いの日記を読むのと、そーゆー遊びかたくらいしかしないような気がする…。

それは『喉』からいつも始まる。

一昨日の夜、久しぶりに喉のあたりに『ある感覚』をふいに覚え、自分の身体がぼわ~んと大きくなるような感じになっていきました。
これって、以前は時々なった感覚です。
「あ。これって、自分の幽体を感じてるんだー。なーんだ。子供の頃からのこの不思議な感覚って、そーゆーことやったんや~。」と、何故かそう思いました。
てか、パンっと分かったって言った方がいいかな。
そうなんです。
どうしてだか『喉』から始まるのです。いつも。
そして昨日の夜。
たまたま見たブログに「お。」と思いました。
うん。
私もそうなんですよ。
サードアイ(第六チャクラ)より、喉(言葉)の方が力があるみたいなんだよねぇ。
だから『喉』から始まるのかー、と妙に納得しました。

一瞬買いたくなったもの。

死んだお父さんが好きだったので、ウチでは特捜最前線というドラマをよく見てました。小学生の頃。
Gメンも見てた記憶があるけど、やはり特捜最前線の方が記憶に残ってるなぁ~。
西部警察も見てたけど、やはり特捜最前線の方が見応えはあったと思うですよ。(ちなみに、太陽にほえろはほとんど見てないのだ。)
弟たちなんて特捜最前線の中のセリフで楽しそ~~に遊んだりもしてました。
てことで、そんな特捜最前線好きな弟たちに買ってあげようか、と一瞬思った商品がコチラ
いや、買わないけどさ……。
私が買いたいのはコッチだし。
……って、いえいえこれも買わないけどね。
買わないけどさ……。

【長文】娘出産の時のことを思い出して書きました。

1月21日の夜から陣痛が来た……と、入院したのに陣痛がフェードアウトして以来、毎日10分間隔くらいの前駆陣痛があり、「いつ病院に行けばいいんやろ?」と悩ましく感じていましたが、出産予定日の2月5日の夜9時くらいから『それらしい』痛みが続きました。
またフェードアウトしたならしたでいいや、という感じで病院に行きました。
内診の結果、赤ちゃんが少し旋回し始めている、とのことでした。
もともと赤ちゃんの頭がかーなーり下がっていましたし、子宮口も3cmほど開いていましたから、陣痛さえついてくれればすぐに生まれるだろうな、と思ってはいましたが、朝の5時までは前駆陣痛と同じくらいの『我慢できる痛み』がちょこちょことあり、眠れませんでしたが、また陣痛が消えちゃいそうでイヤだなぁ、という感じでした。
が。
赤ちゃんが俄然やる気を出したようで、朝の5時過ぎから痛みが増してきました。
「おおお。これは陣痛が進みそうだわ~。」と、一人痛みを我慢しながらも喜んでおりました。
部屋にはお父ちゃんとアキオと付き添いのチアキちゃん(友人)がいたのですが、みんな眠っていたので、『一人』で痛みを我慢していた、というわけです。
一人で小声でうんうん唸りながらも嬉しい……というのは、変なもんだなぁ、と自分でも感じていましたが、やはり今回の妊娠では身体がしんどかったのと、毎日の前駆陣痛で気持ちが落ち着かなかったので、「もう早く赤ちゃんの顔が見たーーい。」と結構強烈に思っていたので、痛みが嬉しく感じたのでした。
痛みが嬉しいなんて、人生の中で滅多にないことですから、本当に不思議な感じでした。
そのうち痛みがかなり増してきたので、お父ちゃんを起こしました。
まだ3分間隔だね~、なんて話してるくらい陣痛の合間には余裕があったのですが、突然強い『いきみ』が来ました。
驚きました。
たまらずお父ちゃんにナースコールをしてもらいました。
このあたりから『痛みが嬉しい』という気持ちはどこか遠くに行ってしまいました。
痛い。
とにかく痛い。
ああ、そうだった。
アキオの時もこんな感じだったっけ。
できれば逃げ出したいくらいの激痛だったんだっけ。
うわーーー。
痛いよ~~~~。
と、和室の分娩室に入ってからの痛みは本格的な強いものになりました。
でも、なぜか3分間隔だった陣痛が、痛みが増しているのにも関わらず5分間隔に伸びていました。
これではいつ生まれるか分からん、と少し気が遠くなりそうになりました。
この痛みにまだまだ耐えなければならないわけですからね。
痛みのたびにお父ちゃんの手をぎゅーーっと握ったり、途中からは抱き枕の端っこを口にくわえてぎゅーーーっと噛みながら耐えました。
口に何かをくわえてぎゅーっと噛むと少しばかり痛みに耐えやすい、ということを身をもって知りました。
強い痛みにとてもじゃないけど冷静ではいられませんでしたが、それでも人間って不思議なもんですね。
頭の一部では「ああ、そういえば昔飼ってた猫も出産の時にダンボールの端っこを噛んでボロボロにしてたよなぁ…。やっぱりこーゆーのって自然な動きなのかなぁ。」なんて思ったりしてました。
そのうえ、陣痛のたびに助産婦さんが肛門の辺りを押してくれてたのも非常に身体には『いい感じ』でした。
腰をさすってくれたのも本当にありがたかったです。
痛みの中にあっても、身体の各部の感覚をしっかり感じることができるんですから、人間の身体ってすごいものです。
アキオの時は、助産婦さんにこのようにはしてもらっていないので、ただただ痛みといきみ感に耐えるだけでしたが、今回は短い時間の間にいろいろ感じる陣痛となりました。
そうなのです。
結果的には『短い時間』だったのです。本格的な痛みに耐えていたのは。
正味、1時間くらいですかね。
そうなんです。
5分間隔だったのに、これまた突然ものすごーーーい強い『いきみ』がやってきたのです。
大声で「いきみたーーーーい!」と叫びました。
多分、いきみを逃して、と言われるんだろうな、と思いつつも叫ばずにはいられませんでした。
すると、予想外にも助産婦さんからは「自然な流れだから、いきんでいいですよ。」と言われました。
なんですと?
まだ間隔が短くなっていないのに、いきんでいいですと?
と、思った途端、身体が反応しまして、思いっきり声を出しながらいきみました。
すると、『ぼん!』という音がしたかと思うと、下半身から生温かいものを感じました。
破水です。
アキオの時は最後の最後まで破水しなかったので、お医者さんにチョンと切ってもらったのですが、今回はこんな形での破水となりました。
しかし、本当に水風船が割れるような音がするんだ~、と痛みの中でも妙に感動しました。
と、こんな具合に破水したと思ったら、一気にお産が進みまして、突如1分間隔になりました。
もう、いきまずにはいられない状態に突入です。
それまでも大声で「痛い痛い。」と言い続けてましたが、ここからは更にスゴい声になっていきました。
獣のような声です。
こんな声、出したことないぞ、ってな感じの声です。
私の野生の声、といったところでしょうか。
産院によっては、大声を出すと怒られるところもあるらしいんですが、吉村医院はもちろんそんなことはありません。
それでも、声を出しつつも、やはり頭の一部分では「こんなに奇声を上げてもいいんかしら?」と若干心配になったりもしてました。
それくらいの『声』だったのです。
破水後、2回いきんだところで股の間に赤ちゃんの頭が『やってきた!』という感覚がありました。
「は……挟まってる。」
波がひいた時に、この不思議な違和感にドキドキしてしまいました。
どうしよう。挟まってるよ……。
別にどうしようもこうしようもないんですが、アキオの時にはこんな感覚はなかったので、非常にドキドキしてしまいました。
だって、頭が出かかってるところで小休止ですよ。
変なんてもんじゃないです。感覚的に。
でも、するっと奥に戻ってしまいました。赤ちゃんの頭が。
違和感はなくなりましたが、せっかく出かかった赤ちゃんが戻っちゃった~~、とこれまた違ったドキドキを覚えました。
どうしよう。戻っちゃったよ……。
だから、別にどうしようもこうしようもないんですがねぇ。
そしてすぐにやってきた次の波で再び奇声を上げながら思いっきりいきむと、戻ってしまった赤ちゃんの頭が降りてきました。
またまた挟まってる感バリバリです。
「赤ちゃんの頭が見えてますよ!レモン大くらい。」と、助産婦さんが教えてくれました。
今度は戻りませんでした。
ですから、ずーっと挟まってる感じが続いていたわけです。
本当に変な感覚でした。
当たり前ですが、普段では感じることのない感覚ですから、変な感じ妙な感じオカシな感じ……としか言えません。
次のいきみでは『レモン大』から『オレンジ大』になり、助産婦さんから「次のいきみで生まれますよ。」と言われ、本当にすごい声を出しながら思いっきり思いっきりいきみました。
ああ、生まれた……。
と、思いました。
だって、ぬるっとした感覚と共に、あの強烈だった痛みといきみ感がスーっと消えてしまったんですから。
吉村医院では、生まれた赤ちゃんをそのまますぐにお母さんの胸の上に抱かせてくれましす。
臍の緒もついたままです。
本当に生まれてすぐそのまま胸に抱くので、私の肩に赤ちゃんが羊水をゲロっと吐きました。それもなんだか嬉しくなりました。
胎盤も引っ張って出したりしません。
もう力がほとんど入らなかったけど、胎盤も『産みました』。
赤ちゃんも狭い産道をぐるりと旋回しながら頑張って降りてきてるので、とても疲れているはずです。
初めての対面で私は「よく頑張ったねぇ。お疲れさまやったねぇ。」と我が子に言いました。
多分、私より大変な思いをしてるはずなので。
少しの間、我が子を胸に抱きながらも、気になってることがありました。
性別です。
多分男の子だろうとは思っていましたが、ハッキリとおちんちんを見たわけではなかったので、確信はありませんでした。
それまでも何やかんやと「予想外だ!」っていう出来事が続いてたので、ここでドカーンとものすごい予想外な展開になっちゃったら笑っちゃうよなぁ~、なんて実はお父ちゃんには内緒でこっそり思ってました。
「そろそろ赤ちゃんの性別を確認しましょうか。」と、助産婦さんが言いました。
赤ちゃんを抱き上げてくれたので、お股のところを見てみました。
最初は臍の緒が邪魔で分からなかったのですが、助産婦さんが臍の緒をどけてくれたところ………。
無い。
アキオにはあったカワイイおちんちんが、無い。
どう見ても無い。
お父ちゃんは一瞬頭が真っ白になったそうです。
女の子の名前を速攻で考えなければならなくなったからです。
私もとても妙な感覚を覚えました。
自分が女の子の母親になったなんて……。
私は女の子は授からないもんだ、と何故だか強く思い込んでいたのです。
(というか、とても若い頃、お好み焼き屋の2階でやってた占い師のオヤジさんに「あんたは男の子を2人産むね。」と言われたので、なんとなくそんなもんなんだ、と思い込んでおった模様。)
女の子かぁ……。
ああ、本当に不思議だ。不思議だ不思議だ。
さて。
このような出産を、実はアキオは立ち会って見ておりました。
もちろん、私はアキオのことを気にかける余裕はありませんでしたが、チアキちゃんがいてくれてるので安心して出産に全力を傾けていました。
産後のうっとりタイムになり、息子を呼んでみましたが、ちっとも私に近づこうとしません。
「こわい。」と言うのです。
そりゃそうだ。
お母ちゃんがオカシクなってたんだもんね。
尋常じゃなかったもんね。
怖いよなぁ。そんな状況って。
結局、息子が私に近づいてきたのは産後1時間くらい経ってからでした。
お腹にかけてもらっていたタオルケットを持ち上げながら私のお腹を見て、「ないねぇー。」と言いました。
お腹がへっこんでる、という意味のようでした。
ここから息子の試練が始まった、と言えます。
その2日後から息子は夜になると高熱を出し、お父ちゃんがヘロヘロになりながら面倒を見る日々が続きました。
そして、癇の虫もいっぱいいっぱい出てきました。
それだけ小さい妹の存在を受け入れるまでの葛藤が大きかったのでしょう。
息子も大変。お父ちゃんも(お世話にゃんきてくれてたおばあちゃんも)大変。
立ち会わせて良かったのか悪かったのか、どうだったのかなぁ…、とチラっと思っていた時、娘を取り上げてくれた助産婦さんが教えてくれました。
アキオは娘が生まれるところを私の頭の方向から座ってじっと見ていたんだそうです。
吉村医院では、たくさんのお兄ちゃんお姉ちゃんが出産に立ち合うのですが、逃げ出す子もいるんだそうです。
そういう子にはやはり無理はさせない方が良いそうです。
また反対に、立ち会いをせずに、いきなりお母さんが赤ちゃんを抱っこしている姿を見ることになって、ものすごい拒絶反応を示す子もいるそうです。
子供によって反応はさまざまなので、どうすれば良いかの判断は難しいですが、アキオの場合は怖いながらもじーーっと母親の出産を見ていたというこのなので、きっとそれで良かったと思うよ、と助産婦さんから言われ、ホッとしました。
実際のところ、本当にそれで良かったのかどうかは分かりませんが、今ではユリコが泣くとすっ飛んで行くくらいのお兄ちゃんになっているので、私もきっとそれで良かったんだと思っています。
ちなみに。
ウチにある『あくびちゃん』のぬいぐるみを、アキオは「ちーこ(ユリコ)。」と呼ぶ時があります。
その『あくびちゃん』をアキオの洋服の中に入れて、妊婦さんみたいにしてあげると、「いたい。いたい。」と言いながらジタバタします。
私の出産の時の真似をするのです。
息子のユーモアにはまいっちゃいます。ほんと。
*****
アキオ出産の時よりも、激痛に耐える時間が短かったのと、やはり吉村先生の言うとおりに身体を動かしていたおかげだと思うのですが、産後もかなり楽でした。
産後は脳内物質の塩梅により、覚醒状態というかテンションが高い状態になるそうなんですが、アキオの時よりもテンションが高かったようです。
後日、オカンがそう言ってました。(当日の午後にお見舞いに来てくれたのでした。)
本人はそんなつもりは無かったのですが、自然なお産で安産だとああなっちゃうのでしょう。
『自然なお産』って、どんなものだと思いますか?
医療介入をほとんどしないお産、と言えばそのとおりなのでしょうが、単純にそれだけではないと、吉村医院で出産してみて感じました。
アキオを産んだ産院も良いところでした。
助産婦さんたちも親切でした。
カンガルーケアもさせてもらいました。とても幸せな時間でした。
もしもあのまま名古屋に住んでいたら、またあの産院で産んでいたでしょう。
でも、何かが違う、と吉村医院での出産後に感じました。
明るい分娩台で産むことと、暗い和室で自由な姿勢で産むことの違いが、そんなに大きいものだとは実は思っていませんでした。
『カンガルーケア』にしても、生まれた直後から、臍の緒がついたまま抱かせてもらえるのと、さまざまな『処置』の後に抱かせてもらえるのとでは、大きく違うもののように感じました。
ひとつひとつのことが少しずつ違っていて、その違いの積み重ねが実はとても大きな違いだと感じたのです。
アキオ出産の時も、私はありがたいことに安産だったので、医療行為といえばギリギリまで破れなかった羊膜をチョンと切ってもらったのと、会陰切開とその縫合だけでした。
ですから、たいした医療介入だとは思っていませんでした。(会陰切開も部分麻酔のおかげで痛くなかったので、たいしたことではないという感覚でした。)
しかし、今回はそれらもありません。
膜は自力でボン!と破いたようなもんだし、会陰も最後のところで『ふわっ』と伸びたんだそうです。
これは後から(研修中の)助産婦さんから聞きました。
「ああ、伸びきらずに少し裂けちゃうかな?と思った瞬間に、『ふわっ』と伸びたんですよ。ビックリしました。」と。
その話を聞いて、私もビックリしました。
確かにその瞬間、お父ちゃんに「赤ちゃんの頭が挟まって苦しがってるよ!力を抜いて。」と言われ、『頑張って』力を抜いたのです。
助産婦さんに「力を抜いて。」と言われても抜けなかったのですが、赤ちゃんが苦しがってるよと言われたら、なんとかして力を抜かなきゃ、と思ったのです。
だから、力を抜くために『頑張って』大きく息を吐きました。
『ふわっ』と伸びたのは、その時だったんだろうとは思います。
でも、息を吐いたから余計な力が抜けて会陰が伸びた、というだけではないものを、その話を聞いた瞬間に感じたのです。
システマティックというか、こうしたらこうなってこうなる……という物理的な因果律だけではない、なにか神聖な力を感じたのです。
宇宙の力で産みなさい。
出産前の検診の時、吉村先生はそう言いました。
宇宙とは、自然そのものであり、神であり、摂理であり、そして愛です。光です。
出産時にはそんなことを考えてる余裕もありませんでしたし、神聖さをことさら感じるような出産でもありませんでした。
けれど、その時は気がつかなかったけれど、私は『娘を産んだ』のではなく、『産ませてもらった』んですね。
宇宙の力があってこそ、私は産ませてもらえたのです。
普通の産院では、お医者さんに都合の良いシステムの中でのお産となります。
私はそれを否定するつもりはありませんが、やはりそこには何かが見えなくなってしまっていると思いました。
母体のため、赤ちゃんのため……と、必要以上に先回りし過ぎている部分も多いような気がするのです。
アキオの時も、もしかしたら私の会陰は最後の最後で『ふわっ』と伸びたのかもしれません。もちろん、反対に伸びずに裂けてたかもしれません。
けれども、アキオの時は先回りして切開されました。
助産婦さんの話を聞いてからそれを思い出してみると、大事な何かが隠れてしまったような、そんな気がしたのです。
伸びようが裂けようが、そのこと自体はちっとも問題ではないことは分かっています。
ただ、宇宙の力で産むのだということを知っている産婦人科医と、そうではない普通の産婦人科医とでは、『全て』が違ってくるんだな、ということが、このことから分かったような気がしたのです。
そしてその違いが、ひとつひとつの違いとなって現れているような気がしました。
当然、そこに集まるスタッフのみなさんの『質』も違ってきます。
本物は、違うよね。
お父ちゃんから自然農の川口先生のことをいろいろ教えてもらい、「本物は違うなぁ。」とよく感じましたが、吉村医院での出産は、まさに身をもってそれを感じました。
そうそう。
そんな『ちょっと違う産院』の、妊婦さんのやりたいように産ませてくれる吉村医院ですが、産後も私のわがままを1つ聞いてもらっちゃいました。
血抜きをしてもらった胎盤を3切れほど食べさせてもらったのです。
哺乳類のメスとしては、どうしても食べてみたかったのです。胎盤を。
どう見てもレバ刺しのような感じでした。
(私、レバーは苦手です。)
それが、食べてみたら馬刺しのようでした。醤油が欲しかったなぁ。
たった3切れほどでしたが、とても満足できました。哺乳類のメスとして。

今から思うと…。

ユリコの一カ月検診で吉村先生に診てもらった時に、
「なんの異常もありません。それにこの子は精神的に非常に安定してますなぁ。」
と、言われました。
非常に嬉しい言葉でした。
ですので、ほぼ確実にダウン症ではないと思っておりますが、実感としても「ダウンちゃんと、そうじゃない子ってのはやっぱり違うなぁ~。」と、最初っから感じていました。
というのも、アキオが新生児の頃は、横抱きでオッパイを上手に飲ませられなかったんです。
なので試行錯誤の末、縦抱きで飲ませてたんです。
今から思うと、やはり身体(筋肉)が柔らかかったから上手に抱けなかったんですね。
それが、ユリコは最初っから横抱きでも大丈夫だったんです。
お父ちゃんも言いました。
「この子、しっかりしてるねぇ。」
お肉もどんどんついてきて丸くなってきているユリコを抱っこすると、まるで小犬を抱っこしているように感じます。
アキオはそれと比べてどうだったかと言うと、猫を抱っこしてるみたいでした。
それくらいの違いがあります。
ユリコはすでに少し首も座り始めているし、成長スピードの違いにもこれからますます驚かされるんだろうなぁ、と思っています。
第一子がダウン症児だと、それがスタンダードになっちゃいますからねぇ。
「ユリコは赤い彗星だ~。3倍速いぞ~。」なんて夫婦で冗談言ってます。
その我が家のスタンダード君ですが、実は先日の療育手帳の際判定で、C判定からB判定になりました。
療育手帳とは18歳以前に知的な遅れがみられる人に対して交付される手帳です。
知能指数の程度により、重度(愛知県ではA判定、IQ=35以下)、中度(B判定、IQ=36~50)、軽度(C判定、IQ=51~75)に分かれます。
ずっと軽度でいられるとは思っていなかったので、お父ちゃんから結果を聞いても「そっかー。」と反応しただけなんですが、心の一部分では何やらひっかかりがあったようで、ちょっと妙な感じが続いてしまいました。
自分でもイマイチよく分からんのですが、ユリコが生まれていなかったらひっかからなかっただろうな、というのだけは分かっています。
こーゆー感じって、同じような立場の母親だったら分かってくれるような気がしますが、やっぱりなんだか上手に言語化できません。
ま、それでもね、続いていた妙な感じはだんだん収束していったので、このまま言語化されずに放置されちゃうんでしょうけど、何かの拍子にまたひょっこり顔を出す類だな、とも思ってます。
若干、厄介…っぽいなぁ。
我が子が障害を持って生まれたというのは、母親にしたらやはり非常に重たいものなんだってことですねぇ…。
時々、思いがけずにチクンチクンとやられるのです。
その重みに。
というわけで、今日は覚書の日記でありました。

そこが入り口。

この数日、ネットワークを通じて学生時代の同級生と「スピリチュアル談義」をほんの少しばかりしております。
彼女は自分でも「つい最近まで唯物論者だった。」と言うくらいなので、スピリチュアルな情報に対してまず『懐疑的』に接しておるようです。
それはとても良いことだと思いました。
だって、玉石混淆だもん。特にネットの世界は。
私もこれでも結構『ほんとかねぇ?』と疑ってかかるスタンスをとりますもん。
んでも、最近では感覚的に「あ、これはOK。」とか「これはちょっと…。」とか、判断することが増えてきましたが。
その彼女が、スピリチュアリストかどうかというのは、死後の世界があることを信じるかどうかだと言ってました。
ま、確かにね。そうかも。
そういうふうに考えたことがなかったので、なかなか面白い意見だなぁ、と思いました。
だとすると、私なんて物心ついた頃からスピリチュアリストってことになるわけでして、立ち位置が違う人の意見って、ちょっとしたところが新鮮で面白いなぁ、と感じました。
でも、死後の世界があるとか、輪廻があるとかを信じる信じないというのは『入り口』だと思うんです。
そこから『信仰』を持ち、『祈り』に入ることが、入り口から歩き始めることだと思います。
(もちろん『信仰を持つ』というのは特定の宗教に入ることではないよ。)
そこからが本番、です。
光への長い道のりです。
で。
その長い道のりをちまちまちまちま歩いている私に、今までは優しいばっかりの感じだった守護霊さまが、どうも最近はちょっと厳しい感じがするんですよねぇ……。(あくまで感覚の話。別に私は何かが見えたり聞こえたりする霊媒じゃないから。少しばかり肉体感覚として「実感」を伴うことがあるだけ。)
赤ちゃんから幼児くらいに成長したってことなんですかね?私が。
赤ちゃんは叱られないもんねぇ。
ところで、ふと思ったんですが。
『自然農』って、『祈り』に似てるなぁ、と。
どこが?と言われても困るんだけど。

信じられん人には何のこっちゃ、という話しだけど。

西暦2012年12月23日に、地球がアセンション(次元上昇)するのに伴い、人類もアセンションする……と、一部の人たちは言ってますが、それがそのまま本当かどうかは怪しいと思っております。
【その日】にどかーんとアセンションする、なんてことは無いんじゃないか、というのが、今のところの私は感覚的にそう思ってます。
や、ほんとになんとなく、の感覚なんだけどね。
が。
ピチっとした日付の部分は別にして、地球が次元上昇しているところである、というのは間違いないよな、と感じます。
それに伴い、人類もまた【目覚めつつある人たち】が増えてるなぁ~~、というのが実感としてひしひし感じます。
いえね、私の周囲でもそうなんですよ。
今まで、そーゆーこと(いわゆるスピリチュアルなこと)に対して無関心だった人が関心を持ち始めたり……というのを結構見かけるんです。
そういう意味では、江原さんの功績は本当に大きいですなぁ~。
さて。
ハトホルさんたちも2000年から2020年の間に、人類の意識もかなり変容するようなことを言ってますが、実際にどんなことが起こるのかは分かりません。
人類が二極化していって、目覚めることができない人は違う惑星に行くこと(転生)になるのかなぁ……。
坂本さんもこの本でサラっと、2012年をピークにして起こるであろう地球での一大イベントを観察しようと、高次の存在(宇宙人とかね)が待機してる……みたいなことを書いてますし。
んーー。
えっとですね。
実を言えば、割と呑気にしてたんですよ。
「どんなことになっても、五井先生のお祈りをしてるから大丈夫さ~。」みたいな感じで。
それがですねーーー、なんて言いますかねーーー……。
娘(絶対に私よりうんと高い霊格の魂やで。この人。)が生まれてから、どうも「あれ?」っと感じることが時々ありましてね……。
守護霊さまに「あんたもうかうかしとったらアカンよ。」と言われてるような感じが、すっごいするんですわ。
今までは見過ごしてもらってたことを、見過ごしてもらえない……みたいな感じって言ったらいいですかね。
より高い霊性の進化を求められてる、ってことだと思うんですが、『ダメ出し』が身体に出てるみたいなんですよ。
最近、やっとそれに気がつきました……。とほほ。
とにかく。
先日もシェアインターナショナルのサイトを見てたら、いきなりすんごい波動を感じまして、やっぱり【その時】は近いんだろうなぁ、と思わざるをえないですわ。