多分、守護霊さまに言わされた。

6月の半ばからオカンがウチに来てくれてました。
自然農での田植えのお手伝いのために来てくれてました。
街育ちの人なので、田植えなんてしたことないのに、ほぼ毎日頑張ってくれました。
そして、もちろん孫たちの面倒も見てくれました。
ありがた過ぎであります。
そのオカンが、今日帰りました。
アキオは力一杯泣きました。
ばあばのことが大好きなアキオは、ばあばが帰ってしまうのがとってもイヤだったのです。
置いていかれるのがイヤだったのです。
そして、思いっきり泣いている息子を見て、私は少し羨ましい気持ちになりました。
私はいつから素直に泣けなくなってしまったんだろう…。
私はとても泣き虫です。
子供の頃からとても泣き虫で、大人になってもすぐに泣いてしまいます。
心理的動揺が少しあるだけで、涙が出てしまうのです。
「泣くほどでもないのに。」と自分でも思うんですが、コントロールできないんです。
そんな私なので、素直に泣いてるか、というとそうでもなくて、我慢しきれずに泣くことが多いです。
素直に泣いたら楽なのにね。
どうせ泣いちゃうんだし。
でも、素直に泣けません。
なので、息子が身体全部を使って大泣きしている姿を見て、少々羨ましく感じてしまったんでしょう。
大人だから仕方がない、というのは多分、嘘だよね。
そんなことを感じたのには、理由がありまして、実は数日前にオカンの前でどばどばと泣いてしまったのです。
どこの親子でも、なんらかの確執ってもんはあると思うんですが、私もオカンに対して結構キツいのがありまして。
いろんな理由から、言えずに自分の中に閉じ込めてしまった『想い』というのがあったわけです。
閉じ込めてしまうと、だいたいはぐずぐずのにえにえになって非常に厄介なものになってしまうわけですが、できるかぎり自分でなんとか折り合いをつけようとしていたんです。
アセンションを前に、身体の浄化だけでなく、心の浄化もキツくなってくるだろうな、とは思っていたんですが、それでもオカンに『それ』をぶつけるなんてことは無理だし、必要ないとずーーーーっと思っていました。
もう大人だし、自分のことは自分でなんとかいい塩梅にもってくしかないやん、と。
それがねーー、なんだかゲロゲロと出ちゃったんです。泣きながら。
なんてゆーか、『言わされた』感、バリバリでした。
精神的浄化の第一歩、って感じですかね。
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浄化はしんどいけど、まず、誰かに言えなかった言葉を思い出してみましょう。

妹の名前

息子からうつった厄介な風邪が、まだ私にコンコンと咳をさせています。
人生で最大級の量だった鼻水は治ったけど、まだ声が元に戻ってません。
風邪だけじゃなく、アチコチ日替わりで調子っぱずれてます。
……そーゆー時期っちゅーことで。
ところで。
アキオはユリコが嫌いな時もあるけれど、基本的には大好きなようです。
まだユリコが寝てるってーのに、自分が起きると、必ずユリコを起こしたりしてます。
そのアキオさん。
最初はユリコのことを「リコ。」って呼んでました。
ユが上手に発音できなかったのね。
そもそもダウン症児は発話が遅いだけでなく、単語を1~2音に省略したりするし発音も不明瞭なので、めっちゃオシャベリな息子なんですけど、母の私でさえ何言ってんのか分からんことだらけなのです。
それでも息子は妹を呼び続けます。
そのうち、「ユリコ。」に近い発音で呼ぶようになったのですが、一時期「ユッコ。」って呼ぶようになりました。
リコでもユッコでも、なんだかカワイイからいいや、と思ってました。
そしたら、ここ数日は
「イヤコ。」
と呼ぶようになっちゃいました…。
イはユとイの間のような音なんですが、さすがにイヤコは母がイヤなので、「イヤコじゃないわー。ユリコやわー。」と訂正し続けております。

もうすぐ夏至。

今週の金曜日が夏至の日ですね。
夏至の日に、変化の波に私は乗ります。あるがままの私を受け入れます。
なんて感じに宣言すると良いみたいですよ。
ありがたいことですね。
(コチラ参照。他にも夏至のことはあちこちでひっかかりますよ。)

もう、始まっている。

『なんで?』というのは、ちょっと横に置いといて、ともかく私達が生きている物質世界であるこの次元というのは、そもそも二元性が在るというか、それがこの次元の属性か?というくらいのものみたいなんですが、般若心経にもある『色即是空・空即是色』、つまり、どんどん自分のマインドの働きを止めていき、ゼロになった(空)になったところで、初めてこの次元の二元性に縛られている我々のマインドが【本当の意味】での自由自在を得ることができる、ということらしいので、個人的に悟りを得るというか、アセンションするというのは、非常に難しい課題であることには間違いないわなぁ、と、常々感じておりました。
そうは言っても、すでに『それ』は始まってるわけで。
うかうかしとれんのですな。
で。
コレ(長いよ。ヒマのある人だけどうぞ。)を昨日の夜に読んでいて、2007年は『衝突』の年なのかぁ……と、布団の中に入ってもなかなか眠れず、なんとも不思議な気分になっておりました。
対立でも闘争でもない、『衝突』です。
1つのものから2極が生まれ、それが臨界まで離れているのが今の状態で、それが引き合って、ぱぁ~~んと『衝突』して、再び1つになる、というわけですね。
その再び1つになる時に、『新しいエネルギー』が生まれる、と。
でも、その『衝突』の『事象』というか、ドラマというか、たとえば何かの天変地異とかね、そーゆーものとして現れた場合の、その天変地異そのものに心がフォーカスしちゃうと、せっかくの変化を自分のものにできずに、そこに立ち止まったままになるよ、というのです。
そして、きっとそれは、自分の心の中でも同じことなんでしょう。
ドラマというか、感情を『そのまま感じきる』ことに意味があるはずなのに、感情にフォーカスしたまま立ち止まっていては、動けんわな。
でもって、そーゆーうにょうにょした感情が出やすいってのもあって、ついついね……。
てなわけで。
最近、よく目にする『光と闇の統合』というのが頭の中のあちこちでチラチラしてしまいます。
もう、そういうステップに入ってるんだろうなぁ~。
そしたら、お気に入りのブログで再開された記事にも同じようなことが書かれてありました。
やっぱりなぁ、と、しみじみするお母ちゃんでありました。

まったく迷惑な風邪だぜ。

息子が1週間、ちゃんと保育園に行けて良かったわ~、と思っていたら、先週の金曜日の夜に発熱。
あれあれ、と思っていたら、これがなかなかしつこい風邪で、熱の後の咳やら鼻水が強烈でしてねぇ。
なんと、この風邪を家族全員が順番にもらってしまいました。
ええ、生後4カ月の娘ちゃんも、けほけほけほけほと咳しまくり。
もーーー、可哀相だし、夜中にお母ちゃんは寝てられないし……で、まったく迷惑千万な風邪であります。
今はお父ちゃんが一番しんどい様子です。
田植えができんがね。

水晶話。

水晶のことを書いてから、「携帯のストラップの他にもいろいろ水晶があったよなぁー。」と、ごそごそと探してみました。
死んだおばちゃんにもらった水晶のペンダントとネックレス。
どこで買ったかは忘れたけど、自分で買ったはずの丸い水晶のペンダント。
それから、10年くらい前に買った勾玉状のローズクオーツ。
この中で四角い水晶のペンダントが一番のお気に入りでして、子供の頃から、おばちゃんとこに行く度にこの水晶を磨いてました。
何故か心惹かれて大好きだったんです。
でも、子供がいてはペンダントやネックレスはできないし、勾玉のなら首から下げててもOKな感じなんですが、紐が切れかけてるんですわ。
丁度いい麻とか皮の紐を購入せんといけませんな。
(あ、玉いっぱいのネックレスも紐が切れてるから直さないと使えんのだった…。こっちはどっかのお店で直してもらわんと使えんわー。)
この勾玉のローズクオーツなんですが、実はこれをすると何故かいつもお腹を下しよったんですわ。
「私には合わんのかなー?」と思って、しまい込んでしまったのですが、今から思うとそれって『浄化』じゃん!
合わないどころか、どんどんしてた方が浄化が進んでナイスやん!
…と、昨日気がつきました。
てことで、いい感じの紐が欲しいお母ちゃんなのでありました。
水晶については、以下の記事もおすすめであります。
コチラ
やはり、1日に1回は子供たちに水晶を触らせてあげるべきやね。
水晶そのものの話じゃないけど、コチラもおすすめ記事であります。
おお。
そうそう。
毎週気功に行くようになったんですが、気功の先生んとこには、とっても大きくてキズの全くない水晶玉があるんですわ。
もーーー、見てるだけでウットリな私。
水晶って、いいねぇ~~。んっとに。
(ついでに、大きなキレイなタイガーアイの玉もあってねぇ。アレも素敵。お母ちゃんも欲しいー。ウチには小さいタイガーアイがあって、それは玄関で番犬ならぬ番虎になってもらっとりますわ。)
おおおお。
そうそうそうそうそう。
沼津に住んでた頃、河口湖の方まで遊びに行って、小さい水晶玉を買ったんですよ。
で、それを浅間神社のお水で洗ったのです。
それを父にあげたら、その玉を持ってると必ずパチンコで勝った、と生前言ってました。
その水晶玉は確か、弟2号が持ってるハズ。