「不和」は唆す。

人の子よ。我にカリカリを捧げよ。

黒丸さん、すっかりブ子兄さんよりデカくなっています。
チンコは無いけど元気です。
さて。
今朝のことです。
だら~っとツイッターのTLを眺めていましたら、こんなツイートがありました。


「ふはーー。」となりました。
この後、自分でもツイートしたので内容は半分くらい重複しますが、このブログにちゃんと書いておこうと思います。
この一連のツイートに対して「ふはーーーー。」となったのは、とどのつまり『自分を真に信頼する』という私の人生の命題から派生してる課題の1つだからなんです。
『自分を真に信頼する』ことと『傲慢になる』ことは別のことであるというのは頭では分かってるんですが、どうしても傲慢さ回避で自己評価を下げる癖が抜けませんし、本気で抜こうとも思っていないのかもしれません。
手を緩めると私はすぐに傲慢になる、という思い(込み)があるからです。
しかし、傲慢になることもなく真に自己を信頼するためには、『大元の神と呼ばれるような存在』…またはうんと下がって『己のハイヤーセルフ』にすべてを委ねきるしかないというのも頭では分かっています。
分かっているんですけど、それは非常に難しいことでもあって、ついつい(純度の低い)思考が走りまくって、いつものやり方に陥るのです。
すべてを『大元の神』または『真の自己』に委ねきることと、何も考えないこと、は、これまた違うことなのに、おそらく私のアイデンティティが「思考する自分」に置かれてるので、それを手放すのを怖がっているのだろうと思います。
違うと分かってても怖いんでしょうね。
「委ねきる」ことは思考しないことでも努力しないことでもないのに。
やるべきことをちゃんとやる、という、一番効率の良いことなのに。
五井先生が『人事を尽くして天命を待つ』のではなく、『天命を信じて人事を尽くす』のですよ、とおっしゃってますが、
この『天命を信じる』というのが『大元の神様や宇宙とかハイヤーセルフ…などと呼ばれる真の自分に委ねきる』ということで、ある意味では『降参する』なんですよね。
もう、この表層意識の自分のエゴエゴしい意識の欲求をエゴエゴしい表層意識の努力だけで叶えようと躍起になるのは無理無理ぃぃ~、と、潔く降参し、何があっても真の自己を信じきる、委ねきる。
それができて始めて、やるべきことをしっかりやる(人事を尽くす)ことができる……ということです。
頭では分かるんですけどねぇぇぇぇぇぇぇ。
と、まぁ、委ねきることの難しさを15年近く感じ続けてはいたのですが、現象界のレベルといいますか、表層意識のエゴエゴしい自分というレイヤーと言いますか……そこでの知的欲求の充足を自分自身のアイデンティティとしている部分があって、それを手放すことに対して(しかしそれは決して思考することを放棄するわけではないのは分かっているのに)強い抵抗感が何故あるのか、が分からずにいました。
そしたらですね、先日と昨日と2回に分けて、月子さんから興味深いメールが届きました。
私のネイタルチャートにおける火星についてと「絶対に勝てない相手」という意味のパラスという小惑星についてです。
実は私の火星は「避けられない不幸」という意味の小惑星と「不和」という意味の準惑星とで厄介なアスペクト(角度)を取っています。
この「避けられない不幸」な小惑星の度数が、サビアンシンボルでは「知的好奇心満々で新天地を冒険する」みたいな意味のところにあるんです。
知的好奇心満々で新天地を冒険するって、好ましいことのはず。
でもそれをやると避けられない不幸を呼び込むことになる……というのが、どうしてもピンと来てきませんでした。
しかし、月子さんのこれらのアスペクトと、追加でパラスの解釈を読んで、ちょっと分かったような気がしました。
「避けられない不幸」をさせようさせようと「不和」が唆し続けていたのです。
知的好奇心は絶対的に良いものだ、という価値観が自分の根底に在り、それによる恩恵をたくさん受けてきたのも確かなのだけれども、
その思い込みが私を容易に傲慢にさせることを、私自身は無意識に分かっていた………ので、(せっかく自己肯定感は根付いているのにも関わらず)自己評価を常に低くしよう低くしようと躍起になっていたわけです。
……ありがたいことに、「避けられない不幸」な小惑星のすぐ隣の度数に「パート・オブ・フォーチューン」があります。
この感受点の解釈も簡単ではなさそうなのですが、少なくとも私にとっては「最後の魔女」みたいなものなのではないかな、という気がします。
眠れる森の美女で、悪い魔女が呪いをかけた後に、最後に残った魔女がその恐ろしい呪いを緩和する祝福をする、というアレです。
なので、Curiosity killed the catの猫にならなくて済んでいるんだと思ったりします。
でも、それも今までの話であって、これからは違うんでしょうね。
気づいてしまったのですから。
「不和」の唆しを振り切って、真の自己を信頼しきって六芒星の示すところをやるしかない……のでしょうね。
嗚呼さりとて、「不和」の唆しに抗うことの難しさよ~~~~~!

願いと祈りの違いを娘に話した、というお話。


今日まで学校に行けない息子は、妖怪ウォッチのメダルを出し入れしたり、タブレットで「ぐるぐるマップ」(←グーグルマップのこと)を見たり、友達の名前をたくさん書いたりして遊んでおります。
しかし、おとーちゃんはお布団の中です。
実は、日曜日の午後からダルいと言い出し、月曜日に発熱しまして……。
インフルエンザA型でした。
多分、息子を休日夜間診療所に連れてってくれた時に罹ったんだと思います。
待合室に50人くらいいて、そのうち20人くらいがインフルエンザっぽいなー…と思ったそうですから、ちょっと喉が弱っていたおとーちゃんが罹ってもおかしくなかったと思います…。
おとーちゃんも熱は火曜日の朝から引いてるんですが、まだちょっとダルいみたいです。
お仕事をいろいろ抱えてて大変そうなので、与えられた休息と捉えてゆっくり休んでくれたらいいかな、と思います。
というわけで。
NOインフルエンザな私と娘が昨日は一緒にお風呂に入ったのですが、
娘が突然質問してきました。
「世界が平和であるように、と思ってることって、口先だけのことなの?」
学校で何かあったのかなー?と思いつつ、その疑問は横に置いておいて、湯船につかりながら娘の質問に答えていきました。
「もちろん、娘ちゃんが世界が平和であるようにと思って、何か行動したとしても、世界は平和にならんよね?」
「うん。」
「娘ちゃんがトランプさんみたいにアメリカ大統領になったとしても、それは簡単なことやないのは分かる?」
「うん。」
「ってことは、誰が平和を願って行動したとしても、世界はそうそう変わるもんやないのは分かるやんね?
でも、『自分1人が選挙で投票したって日本は変わらない。』と思ってたくさんの人が投票せーへんかったら、変わるもんも変わらんやろ?」
「うん。」
「だから、どうせ無駄だからって何も期待せんくて何もしないというのは違うってのも分かるやろ?」
「分かる。」
「そういう意味では、小学生の娘ちゃんであっても、世界を変える直接的な力が無いから無駄やと世界の平和を望まないというのは良いことやないってのは分かるよね?」
「うん。」
「でね。それとはまた別の意味でね、『祈り』と『願い』は違うんよ。」
「違うの?」
「違うんよ~。これが。願いは…娘ちゃんは立春にお稲荷さんの奥の院に行ったやろ?あそこでおじさんに『ダキニ天さんにお願いしてくださいね。』って言われたやろ?それで『ソロバンとトランペットが上手になりますように。』とお願いしたやろ?それはお願いなんよ。だから時間が経つとお願い事はどんどん変わっていくんよ。娘ちゃんが中3やったらきっと『第一志望の高校に合格しますように。』ってお願いするやろうし。」
「ああ、そうやね~~~。」
「でもね、お祈りは違うんよ。何歳になろうがどんなことが起ころうが、同じことを祈り続けるやろ?自分がお金持ちになったら世界が平和にならんでもいいや~、ってならんやろ?」
「ならんならん。」
「それにね、お祈りはね、あれは自分でしてるようで、自分でしてるんやないんよ。」
「どゆこと?」
「人間はみんな大元の神様から光っちゅーか、命をね、わけわけしてもらって生まれてきてるからね、みんな大元の神様とほそーーーい糸で繋がってるんよ。お釈迦様とかイエス様とかは、その大元の神様とずどーんと繋がったから糸がちょーーー太くて、体そのまんまの太さやけど、娘ちゃんやおかーさんはほっそーーーい糸くらいなんよ。あ、○○先生(←豊橋の霊能師さん)やと親指くらいの太さかもしれんね~。とにかく、普通の人はほっそーーーい糸で繋がってるんよ。でもね、大元の神様と自分の間に黒い厚い雲がどんよりかかってるとね、糸が繋がってることすら分からんくなってしまうんよ。」
「あー…。クラスメイトにそういう感じの子おる…。神様なんておらんって言う。」
「そうなると、大元の神様からの光がちゃんと届かんのよ。でも娘ちゃんはほっそーい糸やけど、ちゃんと届いてるから、世界が平和になりますように、って本気で思えるんよ。世界が平和になるようにって本気で思ってるのは、実は娘ちゃん自身やなくて神様からの光がそう思わせてんのよ。それが祈りなんよ。」
「あーーー!そうなんやーーー!分かった!すごい分かった!」
と、
娘は納得してくれました。
どうやら、学校で読んだ本の中に「そんなの口先だけだ。」という話があったようで、それで自分もそうなのかな?と疑問に思ったとのことでした。
ちなみに。
私は(入信はしてませんけど)五井先生の世界平和の祈りをずーーーーっと続けておるのですが、
五井先生も、それを教えてくれた豊橋の先生も、それこそ最初は口先だけでいいから続けてね~、と言ってまして、
それは娘に説明したことの「逆」のことが起こるからなんです。
口先だけで祈り言を言い続けると、それが少しずつ少しずつ大元の神様からの光を通してくれるようになって、いつしか口先だけの祈り言から「祈り」になっていくんです。
それはどんな宗教の祈り言でもそうなんですよね。
たまたま私は五井先生とご縁があったというだけで。
ですから、信仰というのは、「どんな状況であってもその祈り言をずーーーーっと言い続けることができるしぶとさ」とも言えるような気がします。
…とは言っても、これはやっぱり古いやり方なんでしょうね。
スピ的にはいろんなメソッドがあるようですし。
昔なら死ぬほどの修行でもせん限り知り得なかったことを本やネットで知ることもできますしね。(←あくまで「情報」という意味で、ですけどね。)
でも私は古いやり方が好きなんですよねぇぇぇぇぇ♪

リレンザを上手に吸い込めるか問題


金曜日に支援学校から帰宅した息子がちょっと熱を出しまして、
その上、「今日は(隣の席の)○○くんがインフルエンザでお休み。」と言ったので、ヤバいな~~~~~……と思っていたら案の定でした。
土曜日は祝日だったので、市内の休日夜間診療所におとーちゃんが息子を連れてってくれたんですけど、
「薬はどうする?」とメールが来ましてね。
……小3の時にインフルエンザに罹った時にリレンザを処方されて、初回は吸い込めなくて吹き散らかしたんだよなぁ。
これって知的障害児あるあるらしくって、去年末に支援学校のクラスのママさんたちと『リレンザ吹き散らかし問題』を話してたんだよなぁ……。
でも、もう中学生だし、なんとかなるんじゃないかなぁぁぁ…。
と、思いまして、リレンザでいいよと返しました。
(その診療所では10歳以上はリレンザを処方されるらしいです。)
40℃近い熱でホコホコふらふらの息子に、リレンザを吸い込ませなければなりません。
深呼吸の仕方を見せて、一緒に息を吸ったり吐いたりしてから、いざ!
……1つ目を吹き散らかしました。
あああああ~……。
やっぱりダメだったか~~~~……。
しかし、2つ目は半分は吸えたみたいで、
さらに、「ラーメン食べるみたいにするんだよ!」で、しゅっと吸い込むことができました。
母は「ラーメン食べるみたいにするんだよ」という呪文を獲得しました!

夜はほぼほぼ吸い込めました。
やったね息子よ。
というわけで。
ラーメンを食べるみたいに吸い込んだリレンザのおかげで、今朝は平熱……いや平熱以下に下がっていました。
しかし、水曜日まで学校に行けないので、学校大好き息子は「治ったのにー。」と納得できずにおります。
熱が下がったら治ったと思うよねぇぇぇ…。
でもまだまだウィルス撒き散らしてるんから、おとなしくしててねぇぇぇぇ。

自分のケツを拭く覚悟

友人に、猫キャリーを借りっぱなしだったので、
それを返却する時に、お礼にコレを付けておきました。


トイレに飾ってもらうための絵です。
50年間ちびちびと開運のエネルギーが出るように…と設定しときました。一応。
*+*+*+*+*+*
さて。
2つ前の記事を引っ込めておるわけですが、
お客様に不快な想いをさせてしまい、本当に申し訳なかったと思っております。
(もちろん、メールでお客様には謝罪させてもらいました。)
今までずーっとお客様への絵とメッセージについては当ブログで紹介していましたが、「紹介する場合があります」とどこにも明記していなかったんです。(←なのでサイトに明記しました。)
暗黙の了解で理解してくださってる…と思い込んでいたんです。
単純に盲点だった、とも言えますし、「なにみえ」の遠足仲間に絵をプレゼントしてたところから、求められるに従って「お店」という形になって行ったという過程から、まだどこか「コミュニティの内側」という感覚が残っていたと言えるのかもしれません。
……ん~。
「コミュニティの内側」に近いような意識は、どこかにあったように思います。
ブログにちょいちょい遊びに来てくれて、私のことを多少なりとも知ってくれて、それで絵を買おうと思ってくださってる…と思ってましたから。
それは、「絵」の前に、「私」に対しての親近感や理解等を持ってくれたからに違いない、という無意識の思い込みがあったからだと思います。
「私への親近感や理解等」は関係なく、「絵」と(サイトでオマケですと言ってますけど)「メッセージ」に価値を見いだしてくださってるお客様もいらっしゃるのだ、ということを『ちゃんと』認めないといけない、と教えられました。
ちゃんと、恥ずかしがらずにちゃんと。(←ここが本当に難しい。自己信頼が人生のテーマなだけありますわ…。)
というわけで。
私にとっては大きな勉強となりましたが、お客様にとっては不快な気持になっただけのことなので、「あ~、申し訳なかったなぁぁぁ…。」と思っております。
失敗は取り返しがつきませんけど、せめて忘れずにいて、糧にしていこうと思ってます。

1つ前の記事を一旦非公開にしました。

1つ前の記事(『計算ドリルの答えを見るだけじゃダメだと思う。』)を一旦非公開にしました。
こちらの思い込みと説明不足のため、お客様の意に沿わないものとなってしまったためです。
お客様に不快な思いを抱かせてしまって、申し訳なく思っております。

「書く」ことは最強ツール

有り難いことに何枚も描かせてもらっているお客様からのご依頼でした。
大天使ガブリエルです。
オラクルカードはCreative Writingでした。
大天使ガブリエル
以下にお客様からのメールを紹介します。

最初に箱の中から絵が出てきたとき、以前描いていただいた女神の絵と、雰囲気が似ていると思いました。
また、これまで描いていただいた天使たちは、性別はないと思いますが、私の中では男性的に感じられていて。
今回は、女性かな、と思えました。
女神さまから続く流れなのかな、と思います。
さて、一番は、この、輝く明るい背景に眼がいきましたが、すぐに、二重螺旋に気付き、驚きました。
羽ペンは、なんだろう。
DNA!?
つながり?
先祖からの流れ?
実はこの夏に、自分が望まなくても、先祖や、親子の絆、家族の絆について、深く深く考えさせられる大きな事件がありました。
家庭では大好きな家族の死も重なりました。
死にゆく人の足をさすりながら、自分だけでなく、周りの人たちの、数限りない御先祖さまのことを考えていました。
今、自分がここにいるのは、ここにいる家族を含めた御先祖さまのおかげ。
そのうちの一人でもかけたら、今ここには存在しない。
ぼろぼろに傷つきながらも、今、再生できているのは、支えてくれた人達のお陰だなぁと感じます。
そして、今、自分がここにある不思議。
愛する人ができたけれど、その人にも、先祖があり、家族があり。
成育の過程でうまれたゆがみがお互いにあり。
以前から、人間関係の中で、深く支えてくれる人が現れると、その好意を確かめて壊れるのをみたい、という願望が現れるのを感じていました。
その支えてくれる人に、会話ではうまく伝えられなかった言葉にならない思いを整理して手紙にする、ということを、最近は繰り返していました。
思った以上に相手のこころの闇も深くて、相手を癒すまでは及ばなかったかもしれませんが。
若い頃、小説を書くことで、自分の恐れや孤独が浄化され、癒されたこと、思い出しました。
民絵さんのブログや今回いただいたメッセージを読み、自分は成育歴だけが原因と思っていたけれど、もしかして、それよりもっと古い傷なのでは、と思いました。
そして、私は、セラピーとかよりも、自分が文章題を書いて、その傷を見つめるのが、向いているかも知れない、と思いました。


ちなみに「女神さま」というのはコチラの絵です。
背景にあるのはDNA……だよなぁ~、と描いていて思いました。
しかしそれは、肉体のDNAでもあり、魂のDNA(みたいなもの)でもあるのだろうと感じました。
お客様が「書く」ことによって、それらに刷り込まれ続けてきた(善くも悪くも)「業」のようなものが少しずつ 解かれていくのではないかとお伝えしました。
すると、もう既にお客様は「書く」ことを始めていらっしゃったので、それを続けなさいということだったんだなぁ~…と、唸りました。メールを読んで。
セラピーを受けることも有意義なことだと思います。
ヒーラーさんの手を借りるべきタイミングもあるかと思います。
しかし、自分を探求する旅において、「書く」ということは最強ツールの1つだと私は思っています。
ですから、お客様の旅はこれから更に深いものとなり、多くの喜びに至るのではないか、と思いました。

自分を再発見してみる


月曜日は娘の小学校がお休みだったので、2人でお茶してきました。
さて。
今週は更年期障害の頭痛でイナホの朝市に行けず、うまうま椎茸をゲットできずに非常に残念だったのですが、
今日は午後にちょいとイナホに行ってきまして、先客のお客さんたちと店長さんとおしゃべりしてきました。
というか、私がもにょもにょしてたことを聞いてもらいました。
というかというか、厳密に言うと、「もにょもにょしてたことの原因が分かって、分かったからこそうぇぇぇぇーってなってた」ので、うぇぇぇぇーってなってる~ってことを聞いてもらったのでした。
そんな会話をしていて、その流れの中で、
「あー、でも私はうぇぇぇぇーって(猫が毛を吐き出すみたいに)吐き出したものを、つつきながら観察して分析して、それからそれをブログに書くんだよねぇ。」
と、言ったんです。私。
すると、みんながそういうことはなかなかできるもんじゃないよ的なことを言ってくれました。
まず、うぇぇぇぇーって吐き出したものを観察しようとする物好きはそうそう居ない、と。
その上でそれを文章でもって成形するというのは、努力が必要だ、と。
褒めてくれたんだと思います。
ありがたいことです。
でも、ちょっと不思議だったんです。
自分は当たり前のようにずーーーっとしてきたことが当たり前のことじゃない、と言われて。
もちろん、文章を書くのが苦手な人もいるし、観察や分析や内観が苦手な人もいるので、誰でも当たり前にできることではない…に違いないのは頭では分かっているんですけど、「お腹が空いたからご飯食べるかー。」くらい当たり前のことだったので、人に言われて改めて「これも自分の特徴」なんだなー、と思えました。
多分ね、誰でもそういう部分ってあるんだろうなー、と思います。
自分では当たり前になってて、自分では評価しようともしていない自分の特徴が。
今年はそういう自分を再発見する年にしてみるといいかもしれないですね。
そのためには、家族や友達とお互いの特徴について話せるのが一番早いような気がします。
たくさん再発見できるといいですよね~♪

真冬生まれの私。

今日は雪の非常に少ないここ東三河でもアラレみたいなのがお昼頃にパラパラと降ってきました。
小学校が代休の娘と一緒に慌てて洗濯物を取り込みましたよ~。
しかし寒いですねぇぇぇぇ。
真冬生まれのせいか、夏より冬の方が好きなのですが、それでもやはり寒すぎるとスーパーへ買い物に出かけるだけでも自分を奮い立たせないといけませんからねぇぇぇぇ。
というわけで。
先日の誕生日に、またまた今年もプレゼントが届きました♪

黒い傘の中はこんな宇宙が広がっています♪
(宇宙の前を通りすがりの「ダークマター」が……)
丁度、おとーちゃんが自分用の黒い傘を無くしたところだったので、閉じていたこの傘を見た娘が
「お父さんにあげたらいいのに。黒い傘なんだし。」と言ってきたので、「開いてごらん。」と返すと、
ぱかんと傘を開いた娘が、「あー…。これはお母さんのだね。お父さんのじゃないね。」と納得してくれました。
ふふふ♪

大分県にあるはぴまるというお菓子屋さんのお菓子です。
めっちゃかわいいし、美味しいんですよ~♪
これをプレゼントしてもらったら、箱を開けた時にみんな「わぁ♡」って声が出ちゃうと思うな~。

身体にいいもの詰め合わせです♪
ザクロが更年期障害に良いというのは知っていたのですが、ザクロの種が食べられるなんて知りませんでした。
今の私にめっちゃピッタリです♪♪
ひゃっはー♡
羽
もう、見てお分かりかと思いますが、お花ちゃんの作品です。
作品の説明はコチラにありますので、ぜひ読んでみてください。
私はあまり石に詳しくないので、タンビュライトも知らなかったんですが、さきほど調べてみました。
すると、なんだか凄そうなんですよ!
Google先生が最初に出してくれたサイトには「自律神経の癒し」とも書いてありましたし、他のサイトもいろいろ見てみると、オーラやエネルギーの強い浄化作用があって、波動が高くなるサポートをしてくれるっぽいですね。
そんな強そうな石だからなのか、届いた日から毎日身につけています。
普段着がダラダラなので、こーゆーキレイなものは身につけないですし、お花ちゃんの作品はアートだと思っているので、遠出する時にしか身につけず、日常はチラチラと眺めているんです。私。
身につけてて失くしたらイヤすぎるし~~~。
しかし、これはどうしても毎日少しの時間でも身につけた方がいい…と何故か思いまして、その直観に従っています。
いろいろサポートしてくれてるのかもしれんですね♪
何歳になっても誕生日を祝ってもらえるのは嬉しいものですね♪
そして今年は六芒星の示すところを外さないように、粛々とやるべきことをやっていきたいと思います。

子供の障害を受容するということ

NPO法人パルクさんから原稿依頼をもらいまして、昨年書いたものです。
子供の障害を親が受容するというテーマでしたので、実体験を書きました。
利用者さんのご家族等に配布する年4回発行のお便りに載せてもらいました。
掲載がコンプリートしましたので、このブログにもアップしておこうと思います。
ちいさいちいさい私の子供たち
【その1】
息子がまだマメタロウと私に呼ばれていた頃、それもまだとてもとても小さい頃、私は夢を見ました。
マメタロウは夢の中で、たった12週なのに生まれてきてしまったのです。
生まれてきてしまったマメタロウを、私は慌てて水をはった洗面器の中に入れました。
水の中からこちらをじーーっと見ているマメタロウの目は、それはそれは綺麗な青色をしていました。
さすがに12週で生まれてしまったのはマズいと思い、私は股の間から子宮へとマメタロウをするんと押し込みましたが、すぐにお腹の中でボコボコ動き出したマメタロウは再びつるりと出てきてしまいました。
二度目に出てきたマメタロウはもう青い目ではなく、つやつやの黒い目をしていました。
「お腹に戻ろうよ。マメちゃん。12週で生まれちゃうと、何か障害が出ちゃうかもしれんで…。」と、私はマメタロウに言いましたが、マメタロウは
「目が見えんでも、耳が聞こえんでも、そんなのはたいしたことやあらへん。俺が生まれたいんや。」と、言いました。
「でも、やっぱり…。」と、私がまごついているうちに目が醒めました。
息子は一カ月検診の時に聴力検査でひっかかりました。その上で、「もしかしたらダウン症かもしれないので染色体検査をしませんか?」と小児科の先生に言われたのでした。
その瞬間、私は高校生物で学んだダウン症についての知識を猛烈な勢いで自分の記憶の中から引っ張りだしていました。
『何番だったかの染色体が1本多いんだよね。1000人に1人くらいの確率だったはずだよね。独特の顔つきになるんだよね。いろんな合併症があるんだよね。そして知的障害があるんだよね…。』
今振り返ってみると、自分の中で大きな雑音がガーガー鳴っているような感覚の中で、その記憶を反芻することで自分を見失わないようにしていたように思います。
しかし、先生の話が終り、聴力検査のための大学病院への紹介状を書いてもらっている間に、だんだん涙が溢れ出てきてしまいました。
驚きと、申し訳ないという気持ちがいっぱいになって、涙が止まらなくなりました。
家に帰っても、ずーっと涙が止まりませんでした。
「目が見えんでも、耳が聞こえんでも、そんなことたいしたことあらへん、って言ってた子やもんなぁ…。」と、思いつつも、やはり涙が止まりませんでした。
人間は、過不足なしで生まれてくるものだと、私は思っています。
もし、なんらかの障害があるのなら、それは必要だから持って生まれてきたものだと思っていましたし、息子がたとえダウン症だったとしても、息子に対する私たちの愛情が変わるわけでもないし、彼がかわいそうな子になるわけでもないのです。
でも、私は泣けて仕方がありませんでした。
すごく不安だったのです。
【その2】
しかし、泣きながらも、私は何を不安がっているんだろう?と、ふと思ったのでした。
そしてそれは、息子がダウン症じゃないことを願っているからこそ、不安が生まれるのだとすぐに気づきました。
では、私は息子がダウン症じゃなければいい、健康な普通の子であってくれ、と何故願っているんだろう?と、考えました。
ダウン症やその他の障害を持っている人を差別しているつもりはありません。
けれど、自分の子供は普通の健常児であって欲しいと願う気持ちは、一体何なのでしょう?
親だから?
母親だったら当然なのでしょうか??
「普通」に産んでやれなかったとしたらとても申し訳ない、と思う気持ちが自分の中でこんなに強いものだと知り、戸惑いにも似た気持ちにさえなりました。
「頭で知っていること」と「当事者の感情」があまりにも乖離していたのでした。
けれども、実家の母親と電話をして会話しているうちに気がつきました。
「ああ、これって、『親の欲』なんだなぁ。」と。
親の『愛』ではなく、親の『欲』だなぁ、と。
だから『涙が止まらないような感情』が生み出されているのか、と分かりました。
そんな不安の中、染色体検査の結果が出たので、小児科の先生の説明を聞きに行きました。
縞々模様の小さな21番染色体が3本ありました。
その写真を見た瞬間、私は自分の心臓がドクンと音をたてるのを聴きました。自分の心臓の音をあんな大きな音で聴いたのはこの時が初めてでした。
もちろんショックでした。ぼろぼろ泣きました。
それでも、あの夢のことも、知り合いの霊感の非常に強い方に「この子にはかなわんよ。だって、修行したお坊さんが隣にいるようなもんだからね。この子は余計なことを悩まずに、やるべきことをして生きていけるよ。」と言われたことも、私の中の半分では『息子はダウン症なのだろう』という予感となっていたので、それがまるで緩衝材のようになってくれました。
そしてなにより、息子に大きな合併症が無く、毎日元気におっぱいを飲んでくれることが、母親の私に安心感を与えてくれていました。たとえそれが一時的なものだとしても、我が子が元気であることが一番の癒しとなってくれていたのです。受容のプロセスの最初の段階で、すでに私は息子に助けられていたのでした。
しかし、それでも私も主人もこの「親の欲」に2年間ほど試練を与えられることになっていきました。
【その3】
母親というものは、今子供に食べさせてやらないと…というのが常に命題としてあるため、場合によっては強いのかもしれません。
私の場合も日常の育児のおかげで、ぽろぽろと涙が零れてしまうことよりも、落ち着いた気持ちでいる時間の方が少しずつ少しずつ増えていきました。
つまり、私は目の前の命題優先で先々のことに思いめぐらせることがあまりできなかったのですが、父親というものは違うようです。
元々の役割として、父親は『子供が自立して生きていけるようになるために、今すべきことは何か』を考えることが多いような気がします。
だからなのでしょう。主人はネットでいろいろ調べていくうちに、どんどんダメージが深くなっていったようでした。
息子がかわいくて仕方がない主人は、息子の将来のことを考えると、たまらなく不安になるようでした。
しかし、主人はその大きな不安と真正面から向き合い、その結果として自分の人生を大きく転換させたのでした。
当時、あるダウン症の子を持つ親のサークルのサイトに医師による講演の記事が載っているのをたまたま見つけました。子供が何らかの障害を持っていると分かった時、親の心は以下のプロセスで回復していくと書いてありました。
1)ショックを受ける。
2)事実を否認する、認めない。
3)悲しみとか、怒りとか、不安が錯綜する。
4)事実を受け入れる事が出来る。
5)再起、新たな価値を見つけて取り組む、前進する、立直る。

これらは、配偶者を亡くした時の心のプロセスと同じなのだそうです。喪のプロセスです。
障害児の親というのは、「自分が思い描いていた健常な子供のイメージ、自分にとって大切なものを失う。」「健常な子を産めるはずだった自分というものを失う。」と、二重の喪失を味わい、心に深い傷を負うのだそうです。このような喪失による心の傷が回復するのに、個人差はもちろんありますが、およそ2年かかるのだそうです。もし、このプロセスのどこかで無意識に感情を押さえ込んだりすると、いつかどこかで破綻するのだそうです。心が。
私の場合は2)を理性がねじ伏せてしまったために、その歪みが『あれだけ幸せだった妊婦生活に嫌悪感を感じて振り返ることができない』という形で後からじわじわと出てきました。
その点、主人はこのプロセスをより深く経験し、5)において、まるで惑星探査機が惑星の重力を利用して軌道を変更し加速する「スイングバイ」みたいなことをしたんだなぁ、と振り返る度に私はそう感心します。
ですから、今このプロセスの中にいる方には、非常に辛いでしょうけれども、逃げずに立ち止まらずに深く深く体験し、新しい自分自身に出会っていただきたいと願うのです。
【その4】
回復のプロセスを経て、息子が2歳になる頃には私も息子の障害をほぼほぼ受け入れることができていたように思います。この経験があったおかげで、小3で娘がディスレクシア(読字障害)であることが判明した時も、心の中は大嵐ではありましたが、同時に客観的な眼差しを自分自身に向けつつ、不安や悲しみや怒りが発生する根源を己の中に探し出し、それを比較的短時間で受容していくこともできました。
しかし、です。
しかし、息子の障害については完全には受け入れていなかったのだ、と最近になって気付くことになりました。
だんだんと成長していき、体もどんどん大きくなっていく息子は、同年代のダウン症の子たちの中でも大きい方だと思います。ガッチリした体で肩幅も広いです。小さな頃から笑顔がチャーミングで、自分よりも小さな子にとても優しいです。コツコツと勉強もします。
「この子の染色体が46本だったら、きっと背も高くて肩幅もあって優しくて賢くて、いい男になっただろうなぁ~。」と、最近になって私が冗談半分で主人に言うようになったのです。
ええ。冗談半分。半分は本気です。
バカなことを言ってるなー、と主人は笑っていますが、私は半分本気なのです。
「自分が思い描いていた健常な子供のイメージ、自分にとって大切なもの」を失ってしまったことを、私は完全には受け入れていなくて、ちびりちびりとこうして漏れ出てくるようになったのです。この件のみならず、人生に「たら・れば」を適用してもそこに前向きな創造性は生まれません。ちょっと切なくなるのが関の山です。それが分かっていても冗談半分で言ってしまう自分がいて、ハッと気がついたのでした。完全には受け入れていなかったのだな、と。
けれども、よくよく考えてみれば、私は自分自身の人生ですら完全には受け入れていないのですから、息子の障害だけを完全に受け入れることができているわけがないのです。私はとても往生際が悪いのだということを忘れていました。
ですから、きっと私はまだまだ息子の障害を完全には受け入れることができないのだろうと思いますし、それでもいいと思うのです。一生かかって成していくことなのだろう、と開き直りました。
子供の障害を受容するということは、一般的なプロセスを経ることが多いとは言え、非常に個人的なものであり、同じケースというものは有り得ないと思います。それは実は人生そのものであり、生き方そのものであり、それこそ「個人の神話」だと私は確信しているからです。一生かけて織りなす神話の登場人物に我が子たちがいてくれて良かったと最期に心から感謝できれば、それで十分なのではないか、と思えたのです。そしてそうありたいと願いつつ、今日も今日とて子供たちを可愛がりまくる親バカなお母ちゃんとして生きております。

民絵屋誕生日の今日、自分のダメ母っぷりを書いてみる。

民絵屋8才
民絵屋を開店したのが8年前の今日でした。
お仕事を続けていられるのもみなさんのおかげです。
ありがとうございます♪
これからもどうぞよろしくお願いします♪♪


さてさて。
こんなツイートを目にして、思わずリツイートしたのですが。


はぁぁぁぁぁぁ~…と、ため息が出ました。
実は先日、うわわわわわわ!と叫びたくなることがありました。
どれだけ優しそうに見えるお母さんでも、怒ると怖いし、よく怒ってるものだ……というのは、自分が子供の時に怒られる立場として、今は怒るお母さんという立場で実感していることではあるのですが、
それでも、ちょっと異常な怒り方をする自分というのに薄々気づいていました。
それは、「普段の怒り方」ではなくて、何か特殊なスイッチが入るかのように怒る「異常な怒り方」なのです。
暴力をふるうことはありませんし、怒鳴り散らすわけでもありません。
でも、「コントロールできなくて高圧的にいつまでも怒り続ける」という普段の私ではなくなる怒り方をするで、娘はとてもしんどいと思います。
ええ。
毎回、後から「しまった。」と思うのです。
でも、娘にそのように怒ることが時々あるのです。
先日もそのように怒ってしまいました。
そして、後から娘に「怒りすぎて悪かった。娘ちゃんの話もちゃんと聞かなくて怒ってごめん。」と謝りました。
……謝ったのですが、同時にさすがにこれはアカンやろ、と、初めて真剣に思いました。
それまでも「反省」はするのですが、「これはマズいやつや。アカンやつや。」と初めて気づけたのです。
なので娘には
「今はお母さんを許してはアカンよ。許さんでいいから。娘ちゃんが『いいよ。』と言ってくれるとお母さんはまた同じことを繰り返すに違いないから。」とも言いました。
娘も真剣な顔をして頷いてくれました。
そこから「どうしてそうなるのか」をじっくり探してみました。
今まで自分が「異常な怒り方」をする時はどんな状況だったのかを、できる限り思い出してみました。
すると、娘が小学生になってからが多くて、それも最近増えてきたのが分かりました。
そしてハッと気がついたのです。
これこれこうする…という自分の中の予定を、娘が突然ねじまげるような行動をしたり、友達と約束してきたりすると、怒りのスイッチが入ってしまうケースが圧倒的に多かったのです。
しかし、子供が親の予定していることを無効にしてしまう…なんてことは日常のことです。
なのに『怒りのスイッチ』が入ってしまう場合があるのです。
それは、娘の言動に対して
身体がしんどいことが多い中で、なんとかやるべき家事等をこなしていくために体調を見ながら自分なりに予定を組んでいるのに、それを知りもしないでいきなり予定を変更するようなことを言い出す・やらかす、と私が無意識に解釈してしまう時にスイッチが入ることに気がついたのです。
ですから、後から「なんであんなに怒ったんやろ?あんなに怒るような案件じゃないのに。」と冷静になって反省するのです。
娘の言動に大きな問題は無いからです。
20歳で体調を崩してから、体調の不安定さを抱えながら大学に通い、会社にも勤めていました。
特に会社では、いつ寝込むことになるか分からないので、予定を前倒しにして仕事をするように心がけていました。
みんなにかける迷惑を最低限のものにしなければないならい、と、ある意味では強迫観念みたいなものになっていました。
その癖がまだ残っているのか、端から見たらゆるゆるな主婦でしょうが、自分では「自分の体調の不安定さを常に考慮しつつ予定を組んで行動している」という意識があるのです。
そしてそれは、いつも心の中に重苦しい「不安」を生み出しています。
「自分が動かないといけない時に、しんどくなったらどうしよう。」という不安が意識と無意識の狭間にいつもいつも横たわっています。
ですから、子供を迎えに行かなければならないのに体調が思わしくない……と、我慢できる限界の気持ち悪さや頭痛を抱えてながら運転することも時にはありまして、そんな時はそんな自分の身体がほとほとイヤになります。
ついでに言うと、運転が得意ではなく夜道は特に苦手なのに、暗くなってから娘をソロバン塾に迎えに行かなければならない時も、目が良くなくて反射神経も良くない自分の身体がイヤになります。
昨年一年間のアレコレで、身体が楽な日がかなり増えてきて、精神的にも相当楽になってきたのですが、私はまだ『自分の身体を信頼する』というところまで至っていなかったのです。
信頼するどころか、怒っていたんです。
つまり、娘に対しての異常な怒り方をしてしまうというのは、自分の身体に対しての怒りを娘にぶつけていたからだったのです。
イヤだ~…イヤだ~~……とは、ずーーーーーっと思っていましたけど、自分が自分の身体に対して怒っていたというのは、全く認識していませんでした。
病気というものは人に「人生の方向転換を促すもの」という捉え方は、ほぼ同意できます。
そういうものだと思います。
そして、自分の人生においての「体調の不安定さ」への解釈もある程度は前向きにしてきました。
しかしその過程で、私は「怒りをまともに感じることができなかった」のだと思います。
怒ることをヨシとしないからなのか、怒りを潜在化することで楽になろうとしていたのか、そこらへんはまだよく分からないのですが、
とにもかくにも「ちゃんと感じることができないままの怒り」は溜まり続けて、娘にぶつけることになってしまったことには違いありません。
娘がお膳立てしてくれるから「やっと怒れる!」という感じだったのかもしれません。
本当に娘に申し訳ないです。
ですから、『加害者は被害者に依存しているからだ。』という言葉、そして、『一番現実的なのは、自分で自分を救う作業に没頭することなのだと思う。』という言葉は刺さったのでした。
あれらのツイートをリツイートして、こんなことをツイートしました。


このツイートの裏にはこんなことがあったのでした。
「娘に対して時々異常な怒り方をする自分だけど、弱い人間だもの。そんな自分も赦さないとね。」という意味ではないことはお分かりいただけると思います。
ちなみに。
「自分の身体を信頼する」というのは、「絶対に健康で丈夫で元気になると思い込む」こととは違うんだ、とようやく分かったような気がします。