「普通」というものの敷居の高さ

ツイッターで、イクラ(‏ @ikurakoikura )さんという方が、こんなツイートをされていました。

「正解」すらない「果てしなく難しい創造」を毎日やってかなきゃなんないってのは多分、連鎖よりも当人を疲弊させると思う。虐待事件が起きると世間はすぐ連鎖連鎖言うけど、あんなくだらない連鎖好き好んでしたいと思っちゃいないよ。それより怖いのは「普通」っていう敷居の高さに途方に暮れる事だ。
わすは被虐児ですが、世間様が思っているよりも遥かに「普通」を知りません。全てを想像で補うのは本当に本当に大変です。連鎖させないことと、子どもの心身を満たした生活を提供するのは違う。わすは後者を何も知らない。それはとてもとても怖いです。


「知らない」ということは、こういうことなんですよね。
知らないことを想像で補って創造し続けるなんて、ほんとにほんとにエネルギーをものすごく使い、疲弊しやすいことだと思います。
虐待と呼ばれるような経験ではなくても、私にも知らないことはいろいろあって、
娘が生まれた時に、「私、大丈夫かなぁ…?」と不安がよぎりました。
おかげさまで、いろいろクリアになって、今は「普通に」娘と接することができますが、
それができないままの人もいると思います。
そういえば。
このツイートを読んだ時に、小学校の同級生の子のことを思い出しました。
クラスが同じになったことはありませんでしたから、直接話したことはほとんどありませんし、
彼が何をどう感じていたのかも分かりませんが、
オカンが彼のお母さんから聞いた話が印象的だったのです。
(私が大学生くらいの時にオカンから聞きました。)
彼のお母さんは、弟くんの方はかわいいと思うのに、兄である彼のことはどうしてもかわいいと思えなかったんだそうです。
同じことをしても、彼がするとイライラしてしまう、と。
彼のお母さんが虐待めいたことをしたとは思えませんが、つまらないことで怒ったり…というのはよくあったでしょうし、
子供というのはそういう母親の心情を敏感に察知するものですから、彼の中には「普通のお母さん」は居ないままなのだろうな、と、思い出したのです。
「普通」ってのが一番難しいのかもしれませんね。

「数」というものをどのように認識しているか?

今朝ですが、
情報番組をかけっぱなしにしておりましたら、社会人に算数のテストをしたとかなんとかゆーてました。
80年代入社の人たちは9割が正解なのに、2007年だったかなー?入社の人たちの正解率が4割だったという問題がコレ。
9 – 3 ÷ 1/3 + 1 = ?
これは算数ですよね。
小学校の算数ですよね。
なんで4割の正解率なのー????と、ビックリしました。
あ、もちろん答えは1ですけど。
ゆとり教育云々と言ってしまうのは簡単ですけど、もっといろいろフクザツな問題が絡んでるような気もしました。
さて。
その算数についてなんですが。
うちの娘は小学校1年生です。
保育園時代にはほとんど勉強らしい勉強を教えませんでした。
私は早期教育は不要だー、と思ってるので。
小さい子供は、食べることと寝ることと遊ぶことが仕事ですもん。
ダウン症の兄のために、おとーちゃんが毎日お風呂で数の数え方や簡単足し算とかは教えてますので、それで覚えたというのはありますが、それでもね、ほんとに簡単なものです。
なので、小学校に入ってから本格的に勉強をしなくてはいけなくなり、最初は多少大変そうではありました。
算数も、どうも足し算がよく飲み込めてない……といいますが、
もういい加減パッと出ないといけなくない?ってなっても、指で数えてました。
担任の先生も5月頃に「算数、大丈夫かなー?」と思ったそうで、やはりちょっとマゴマゴしてたようです。
というわけで、おとーちゃんが手作りのカードを用意して、娘に「数」というものを叩き込むように仕向けていました。
今では算数のテストはほぼほぼ100点をになってます。
ちゃんと「数」というのが入ったようです。
でね。
その時の話なんですがね。
4+5はいくつ?と質問されて、9とパッと出る……というのは、頭の中にその組み合わせがしっかり存在するからなんでしょうけど、
おとーちゃんと話をしてて、私の場合はどうやらちょっとオカシイらしいのです。
おとーちゃんが娘のために作ったカードの絵は単に丸が並んでるものでした。
丸という図形の並びの印象で数を叩き込むわけです。
でも私は「色」で入ってるんです。
えー、たとえば、8はエメラルドグリーンなんです。
なんで?って言われても、最初っからそうなんです。
1~9まで、それぞれの色があるんです。
なので、繰り上がりの計算も、色と色の組み合わせになるんです。
が。
だからダメなんです。
20以上だともう色がぐちゃぐちゃになって、するりと計算できないんです。
そこで違う頭の使い方に切り換えないといけなくて、
そうなるとなんだかとても時間がかかるので、計算がとても苦手なんです。
ソロバンを習っておけば良かったのかもしれませんが、私は習字を習ってまして、ソロバンは習ってなかったんです…。
ちなみに、九九も段ごとに色がついてます。
2の段は黄色とか。
そっかー。
最初が間違ってたのかーーー。
だから算数が得意じゃなくて、数学もデキが悪かったんだなー。
と、この歳になって分かったんですが、後の祭り過ぎますねぇ。

成熟するということ

誕生日からこっち、いろいろありました。
で。
まぁ、見えない世界のことで言いますと、
うぇぇぇぇー…。
げぇぇぇーー…。

という、過去世の物語が出てきたのでした。
2つの人生でのことですが、
1つはもう5年くらい前に分かっていましたし、
もう1つは、ここにも出てきている女性の人生でした。
ただ、その死についてはよく分かっていなかったのですが、今回、それらがハッキリ出てきまして、
うぇぇぇぇぇー、となっておりました。
うえぇぇぇー、となってはおりましたが、
おかげで、今の自分に関する問題の意味も(一側面でしかないにしても)分かりましたし、
5年くらい前に出てきてはいましたが、そのままになっていた女性も、癒されて光の蝶になって、私の上のヒトの1人であるファウの中に還ることができました。
もう1人の方は、肉体のこの私の意識であれやこれやと語りかけてみましたが、彼女が罪悪感から抜け出すことができないでいましたので、ファウに預けるということになりました。
さて。
そのファウですが。
さきほどリンクしたこの記事にもありますように、2年前の5月に、白雪と分離しました。
その後、白雪も成長したのですが、成長するにつれて、私の中では女性性の問題がぼこりぼこりと出るようになりました。
そのピークが2年前の秋でした。
しかし、去年の春に、白雪とファウが再統合したのです。
何かドラマチックなことがあったわけでもなく、なんとなくアレ?っと思って、上に繋いでみたら、あれれ???再統合してるやーん、いつの間に????ってくらい自然なものでした。
そしてその後も、別になんということは無かったのですが、
今回の件で、すっかりファウが成熟し、頼りになるハイヤーになっていることがハッキリと分かりました。
タミエルは、最初こそ少し頼りない兄ちゃんでしたが、認識してから2年ほどでかなり成熟してくれました。
しかしファウは最初から不安定で、ずーっと不安定なままでした。
それでももちろん、彼女なりにどんどん変容していきましたが、私の上のヒトのの中ではダントツで不安定でした。
それが、ようやく成熟に至り、かなりの安定感を醸しだしてくれるようになりました。
2つ前の日記にも書きましたが、誕生日が来て、人生を折り返したような、プチ生まれ変わったような、そんな感じがしているのは、ファウの成熟が無関係ではないんだろうな、と思いました。
ファウが成熟していなかったら、今回のうぇぇぇーという思い出しも許可されなかったのだろうな、と思います。
上と下は不可分で、
肉体の私の成長・成熟と、上のヒトたちの成長・成熟は影響し合っているのだろうな、と感じます。
そして。
どんな人生でも、どんな悲劇的な人生でも、そこには愛が隠れていること、
そして、肉体を持った存在にも、肉体を持たない存在にも、愛されているんだということ、

それらをあらためて教えられました。
それで、です。
成熟することというのは、
立派な人格者になることではないよな、と思ったのです。
もちろん、誰にでも優しく、賢く、広い見識を持つ…ような人間になれたら、それに越したことはないのですが、
成熟するというのは、
自分のダメなところもよく分かっていて、且つ、それを受け入れることなのかもな、と思ったのです。
もちろん、受け入れたからといって、それをヨシとするというわけではないです。
それこそそのままで成長が止まってしまいますものね。
そうではないんですが、
自分というものを受け入れることができたら、そこに安定感か生まれるんだな、とファウを見ていて思ったのです。
それが成熟することでもあるんだな、と思ったのです。
とは言っても、それがカンタンだったら誰も苦しまないんですけどね~。
ファウだってどえらい紆余曲折があったし、私自身もここまで来るのに45年かかってますからねぇぇぇ。
節分の今日。
こんな記事が書けるようになって、良かったなぁ、と思います。

これくらいで嫌気がさしたり文句言ってちゃダメなんじゃないか、と思っていた。

今から思えば、子供の頃から自律神経のバランスが乱れやすい子で、
20歳からは本格的に自律神経のバランスが不安定になってしまいました。
社会人になって5年ほどは、それでも比較的元気でしたが、
それ以外はほんとにしんどいことが多くて、
自分の身体がほとほとイヤになることも多々ありました。
このところ不安定だったのですが、
昨日の夜にまた突然しんどくなってきました。
漢方薬を飲んで30分ほどしたら、しんどいはしんどいんですが、
なんとか動けるくらいにはなり、家事の続きをしたり、お風呂に入ったりしました。
そして、そのお風呂の中でのことです。
世の中にはもっと大変な病気でもっとしんどい人も多いし、
オカンだって昔はもっともっとしんどかったに違いないのに、
私は堪え性が無いなぁ~…。
タミエルたちは、もっと強い精神の人に仕立て上げれば良かったのに。
この肉体の精神をもっと強くすれば良かったのに。
ごめんね。こんな弱虫で。

と、思っていたら、
あんたねぇ。
あんたのしんどいってやつ、かなりキツいんやで。
ほんとによぉ頑張ってるって。

と言われました。
タミエルに。
(私の脳内言語変換なので、岐阜弁です。)
しんどいことに対して、自分に嫌気がさしたり、弱気の虫ばっかり出てきたり、うつっぽくなったことすらありました。
そんな自分にダメ出しばかり出して、罪悪感も感じていました。
人間って、どんなことでもすぐに罪悪感にしてしまうんだなぁ~、と、タミエルに言われた言葉のおかげで気づきました。
そして。
ハイヤーの1人に労ってもらったので、すごくホッとしました。
ほんとに、ホッとしました。

お誕生日プレゼント、いただきました♪

額入りくまえるの絵およびハガキくまえるハガキうさえるを、本日発送しました。
お受け取りをよろしくお願いします。

なお、くみえるさんからメールが届いておりませんので、発送できずにおります。
ハガキなら要らないよーってことなら、このままスルーで結構ですが、
忘れてたよ、ということでしたら、お手数ですがお名前と宛て先をメールにてお知らせくださいませ。
よろしくお願いします。

さて、本題。
40代に入って、身体の衰えをイヤっていうほど思い知らされてきまして、
あーもーイヤーーーってなることもほんとに多く、
精神的にも中年と言われる時期に、どこを目指したらいいのかもさっぱり分からず、
もたもたしっぱなしでした。
たとえば、分かりやすいところで言えば、
「中年になって、何を着たらええの?!」
とかね。
肌の衰え、体型の衰えと共に、やはり30代までの服ではアカンくなってくるんですよ。
そういうモロモロに抵抗したって仕方がないんですが、
抵抗したい自分がいたり、
けど、全くの無抵抗であきらめるというのも、やっぱり違うよな、と思ったり。
それがですね。
今年の誕生日が来て、なんだかそーゆーのがけっこーすぱんと抜けました。
多分、人生を折り返したんだと思います。
娘に94歳まで生きてね、と言われてるので、がんばるつもりではありますが、
そういう実年齢的なことというより、中身的なもの、濃度的なものとして、
ようやく折り返したのかもな、と思いました。
それは、たくさんもらったメールやメッセやコメントの中に、
今までよくがんばってきたよね、人生折り返しだね、
みたいな言葉がいくつかあり、あ~なるほどな~、と素直に思えたからです。
ちょっとね、
生まれ変わったような、そんな気分でもあります。
そしたら、こんな記事をちょうど読んだりしましてね。
http://plaza.rakuten.co.jp/siriun/diary/201401240000/
http://plaza.rakuten.co.jp/siriun/diary/201401250000/
今までの人生の積み重ねの上で、これからの人生も展開されていくのだけれど、
でも、新しい物語を選択していこうという節目にはもってこいなのかもな、と思いました。
というわけで、
(どういうわけだ。)
こんなプレゼントをもらっちゃいました。
2014誕生日プレゼント02
なおぴむからいただきました。
砂…じゃない、砂時計です。
これ、青い粒が上昇することで3分をお知らせしてくれます。
もちろん、比重差を利用してるのは明白なのですが、「上昇する」ように見えるというのがキモなのです。
まさに折り返し地点を過ぎて、新しい視点が必要となってきてる私にはピッタリなんじゃね???と、何度も何度もひっくり返して見つめています。
そして、これ。
20014誕生日プレゼント03
お花ちゃんが作ってくれました。
作品についての詳しい説明はコチラでお花ちゃんがしていてくれてます。
一目見て、
「ひゃはー♡ テオだ~。」
と、ニヤニヤしてしまいました。
そして、メッセのやりとりで、この石がオーストラリアのクイーンズランド産だとお花ちゃんが教えてくれて、なんともご縁を感じずにはいられませんでした。
私は、高2終了して1年間休学し、オーストラリアのブリスベン(←クイーンズランド州の州都)に交換留学という形で留学させてもらってるんです。
ええ、貧乏人でも行けるよ、というお話がたまたまウチの高校に舞い込んできまして、
それも、該当学年がたまたま私の学年だったのです。
そして、私より頭のいい子たちは大学受験を優先し、当時は心身共に健康だった私は、大学受験より目先の留学を選びまして申し込んだところ、学内選考で選ばれまして、貧乏人なのに1年間も留学させてもらえたのでした。
今から思うと、なのですが。
あの1年は、オーストラリアの大地から、その後の人生を生き抜いていくためのエネルギーを充填させてもらっていたように感じているのです。
……20歳から、ほんとしんどかったですもん。
なので、折り返し地点で、このようなプレゼントをもらったというのは、意味深いなぁ~、と、思ったのです。
すごいねぇ。お花ちゃん。
さてさて。
次はコレです。
2014誕生日プレゼント04
木星ですよ!
木星!
山羊座女の私。
山羊座の守護星は土星なのですが、
自分でも土星の影響って強いよなー、って思います。
そのせいもあるのか、どうも木星をうまく使えてないよなーって思うのです。
いえ、もちろん使ってるんでしょうけど、なんかちょっと下手な感じ。
ここらへんは課題のひとつだよなー、って思ってました。
そんなふうに私が思ってたのを知ってから知らずか、じぇいど♪さんが贈ってくれました。
拡大していくことを恐れない。
折り返したばかりの私は、まだまだ恐れを抱きやすいですが、これから少しずつでも木星を上手に使えるようになりたいと思っています。
そしてそして。
民絵屋のお客様でもある方から、ゼリーが届きました。
箱にキレイに入った色とりどりのゼリーに、娘が目をまんまるくさせていました。
私はやはり緑色でしょ!と、まずはメロンをいただきました。
2014誕生日プレゼント06
で。
最後に。
お金はおとーちゃんが出してくれたんですが、
娘が選んで買って、プレゼントだよ~♡とそれはそれは嬉しそうに渡してくれました。
2014誕生日プレゼント01
ラブリーです。
絶対、自分では選ばないですわー。こーゆーの。
さすが私より女子度が高い娘です。
この1年も、充実したものにしていきたいと思っております。
がんばるぞー。

★★くまえるの絵プレゼント、当選者発表★★

民絵屋5周年記念プレゼントに53名もの方々がご応募くださりました。
ほんとうにありがとうございました♪

ご応募のコメントに5周年おめでとうというお言葉、応援してますよというお言葉をたくさんいただきまして、ほんとうにほんとうに感謝しております。
ありがとうございます。
さて。
たくさんのご応募をいただきましたので、
追加で、くまえる4枚とうさえる1枚のメッセージ葉書を用意しました。
色もついていませんが、いちおー1枚1枚手描きですので、気に入ってもらえたらいいなー、と思っております。
(写真は3枚だけですが、5枚用意しました。)
ハガキ3枚
どれが届くかはお楽しみということでよろしくお願いします。
(シャッフルして、絵を見ずに住所とお名前を宛名の方に書かせてもらおうと思っています。)
というわけで、当選者発表です!
娘と息子にくじをひいてもらいました!
額入りアクリル画くまえるの当選者は……
きう さん
です。
おめでとうございます~♪
そして、追加のくまえる&うさえるのハガキの当選者は……
きぷりす さん
なんしー さん
くみえる さん
リオール さん
あかや さん
でした~♪
くじ結果
ご当選された方は、当ブログのメールフォームかmixiのメッセで以下をお知らせください。
・お名前
・ご住所
・きうさんのみ電話番号(←レターパックライトで送るためです。)
週明けに発送したいと思っております。
ほんとうにたくさんのご応募、ありがとうございました。
今年の民絵屋もどうぞよろしくお願いします。

★民絵屋5周年記念プレゼント★

5年前の1月19日が天赦日で、この日を民絵屋の開業日としました。
おかげさまで民絵屋も5歳になりました。
ほんとうに、ほんとうにありがとうございます。

というわけで、
感謝の気持を込めまして、5周年記念プレゼントを1つ用意させてもらいました。
いつもは、くまえるの絵はパステルか色えんぴつで描きますが、
今回は天使の絵と同じくアクリル絵の具で描きました。
11.5cm×11.5cmの額にも入っています。
プレゼントくまえる
プレゼントくまえる額入り
たくさんのご応募、お待ちしております♪♪
これからも精進していきますので、ひきつづき民絵屋をよろしくお願いします。
ありがとうございます。

★プレゼント応募要項★
応募期間 : この記事をアップしてから2014年1月23日(木)22時まで
応募方法 : この記事のコメント欄にハンドル名と「くまえるの絵希望」と明記してください。
抽選方法 : いつものくじびき
注意事項 : 当選者の方を24日か25日の記事で発表しますので、当選者の方はブログのメールフォームかmixiのメッセでお名前とご住所と電話番号(←多分レターパックで送るので)をお知らせください。

エゴとは??

イメージ的にはあったんですが、言葉として形成されていなかったので、これを読んだ時に、「そうそう!そんな感じ!」と、膝ポンでした。
木葉功一さん ‏@kibakoichi

自我とかエゴは人間の皮膚だ。一番外側を覆ってる。中心にあると感じてるものは、本当は最前線にある。脳の皮質構造と同じ。
エゴが受動的で依存的で支配的であるのは、「輪郭」だから、と思うと、腑に落ちる。中心にないし、中心でない。
もっとも激しく新陳代謝を繰り返しているところは、中心じゃない。言葉は皮=境界線。ツイッターとかSNSも皮だ。外と内から書き換えられ、せめぎあい、新陳代謝をひたすら繰り返す。新陳代謝に本質がある。
言葉を使って概念を切りわけ、正しさを追求していくことは、境界線をはてしなくズームアップしていく行為に等しい。あるポイントを超えると何も無くなる。
エゴの本質が「新陳代謝する境界線」であるのなら、エゴは人間存在をスッポリと覆ってる皮膜であって、中心じゃない。エゴの皮膜が言葉で編まれたものであるなら、自閉症スペクトラムの一部の人達の、言語抽象的なIQが低く、自他の区別が曖昧になってしまうことには、納得がいく。


スピではエゴを悪者扱いすることが多いような気がするんですが、
エゴが全く無くなったら、この次元で生きていくのがとても難しいんじゃないのか?となんとなく思ってました。
もちろん、エゴに振り回されっぱなしではダメですけど。
「新陳代謝する境界線」という捉え方は、なるほどしっくりします。

身体をゆるゆるとゆるめていこうか。

健康問題をなんとかしたいということで、去年の6月からMAPに取り組んでいるというのはコチラ
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-754.html
でも書きましたが、
めっちゃおおまかな表現になりますが、半年以上にわたる週3~週1のMAPセションのおかげで、以下の2点がやはり特筆すべきことだ思われます。
◆ みぞおちあたりのエネルギー管の詰まりを取ってもらえた……らしい。
◆ 第三の目あたりのバージョンアップをしてもらって、五感と再リンクしてもらえた……らしい。
あまりこちらのブログには詳細を報告していないのでアレなんですけど、まぁ…その、いろいろあったんです。はい。
まだまだ問題はあるのですが、
とりあえず、詰まりを抜いてもらったことでボトルネックが一応解消されたらしく、大きめのエネルギーに触れても、私の一番の懸念事項であった「わけのわからん発作」が起こりにくくなったらしいのです。
(完全に解決してないので「起こらない」というわけでは無いようで、ヤバそうな時は緊急MAPのコーニングを開いて調整してもらうことで、発作に至らずに済んでおります。)
また、症状をまとめてすべて「自律神経失調」と思っていたのですが、(外的エネルギー状態の変化に伴う)内的エネルギー攪乱による「独特のしんどさ」というのは、肉体的・精神的問題による自律神経失調の症状の時とは区別すべきだと、セションで教えられました。
そして、まだ1カ月ほど前(←東京出張のすぐ後)のことですが、ガイドに第三の目あたりのバージョンアップと五感との再リンクをしてもらってからなんですが………
いえ、別に何かが視えるようになった、とか、何かが聞こえるようになったとか、っていうわけじゃないんですが……
なんて言えばいいのか困るんですが、
明らかに「それまでとは違う」んです。
まるで、自分の在り方そのものが違うというか、自分の在り方をどう感じるかが違うというか……。
それを境に、ガイドとの距離感がぐっと縮まったといいますか。
うまく表現できなくてすみません。
さて。
昨日のことですが、大倉くんの載ってる雑誌を買いに本屋に行き、ついでにふらふら~としておりましたら、
「愛しあうからだ 感じるからだ」
という本の背表紙が妙な存在感でもってすこーんと目に入ってきました。
健康関係の本棚で、です。
冷え取りの本の隣に並んでいました。
取り出してみたら、

愛しあうからだ 感じるからだ 愛しあうからだ 感じるからだ
(2013/09/28)
高岡英夫

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こんな表紙で、こりゃ買えないでしょー!と思ったんですが、
著者が、「ゆる体操」の高岡先生でした。
まだ娘がチビっこい頃だったので、5年ほど前でしょうか。
高岡先生の本を買って読んで、カンタンなゆる体操をちまちま続けておりました。
そのうち、DVDが欲しくなったので購入し、たまたま家に遊びに来ていたオカンと一緒にDVDを見ながら一通りやってみたのです。
DVD一通りやった直後は、軽い運動を小一時間ほど続けた爽快感があったんですが、
10分もしたらしんどくなって、寝込んでしまったのでした。
(今ならアレは「独特のしんどさ」であって、エネルギー的な問題が発生していたというのが分かりますが、当時は分かりませんでした。)
そんなことがあったので、それ以来ゆる体操からは遠ざかっていましたが、なんとなくこれは読んでみたいと思い、ちょっと恥ずかしい表紙の絵だけれど、大倉くんの雑誌と一緒に買ってきました。
そして、体操の説明部分は知ってるため、とりあえず飛ばしたので、昨日のうちに読み切ることができました。
この本の中で「センター」という言葉がよく出てくるのですが、ここで言われているのは、おそらく昔から「身体の芯」と言われてるものと重なってるのかな、と思いましたし、
なにより、これってエネルギー管とも重なってるよな、と思いました。
ゆる体操で身体がゆるまってくると、センターもだんだん通ってくると書いてありました。
まだエネルギー管にバリバリの詰まりがあり、上下が分断されていた私が、ゆる体操を小一時間しただけで「独特のしんどさ」を感じて寝込んだのも、身体がゆるまることで身体の中をエネルギーが動きやすくなったからだったんだろうな、と5年ほど経ってからですがようやく腑に落ちました。
(なので、それだけ効果的な運動なんでしょうね。)
明治の頃までの庶民は、日常生活で身体をたくさん使っていたので、身体が適度にゆるんでいて、そしてインナーマッスルがしっかりしていたのだそうです。
そういう状態だと、特に女性は毎月の生理と旦那さんとのセックスと出産を通して「センター」がしっかり構築されるのだとか。
そこらへんの説明はとても興味深かったです。
そして、適度にゆるんでいて、筋肉がしっかりついている男女のセックスというのは、現代人のそれとは比べ物にならないものだったという説明も、現代人の性についての諸問題はみんなの身体がかたくなってしまっていることから発生していることが多いという説明も納得でした。
明治生まれの方々がまだ70代の頃に高岡先生は聞き取り調査をされてたそうなんですが、紹介されていたおじいさんの言葉が素晴らしかったです。

「とにかく、かあちゃんの体が可愛くて可愛くて、いつでも触っていたかった。
今(夫婦共に70代後半)でもそうだけど。
かあちゃんも触られるのをとても喜んで、手や足をからめあったりするようなことをものすごく喜ぶんだよ。
挿入してどうこうというのではなく、挿入しないで手足をからめあっているだけでも最高なんだよ。」
(p156-p157)


身体がゆるんでいると「感じる力」も高いのだそうです。
ちなみに、「身体がゆるんでいる」というのは、開脚がすぱーんとできるとかって意味では無いそうです。
この本は、身体がゆるんでいないことによる不具合が性の問題でも発生しているんだよ、ということをメインに説明してありますが、もちろん性の問題だけではないんですね。
かたくなってしまった身体では、精神もゆとりがなくなり、すぐキレたり、「許せない」と思うことが多くなると書いてありました。
これは逆も真なりで、身体をゆるめることで、心の傷やトラウマなどを解消しやすくなるらしいのです。
身体と心は密接な関係にありますから、確かにそうだろうなー、と思うんです。
というか、心に傷を受けるようなことがあれば、身体はかたくなっちゃいますよね。きっと。
なので、まずゆるめてあげて、傷と向き合う、傷を癒す、という取り組みをするというのは効果的なんじゃないかと思いました。
ですから、精神的な取り組みにしても、たとえばロングブレスみたいな肉体的な取り組みにしても、平行してゆる体操を取り入れると、その効果がさらに上がるんじゃないのかなー?と思いました。
というわけで。
今朝、起床時にお布団の上でカンタンな「寝ゆる体操」をひさびさにしました。
これから子供たちと一緒にやっていこうかと思っとります。
「もぞもぞ」とか言いながらやるので、多分、子供たちも笑ってやると思うので。
特に娘は生まれつき癇が強くて、(身体は柔らかいけど)筋緊張が高めなので、一緒にゆるゆるしていきます。
※追記※
パートナーがいるいないに関わらず、女性性の問題があるなーと感じてる人は一読してみるといいかな、と思いました。
身体からのアプローチも大切ですもんね。