第5チャクラ云々って、最近のことを書いた途端にさー、
喉がひりひり痛くなっちゃうって、どーゆーことよ?
風邪だ。
風邪に違いない。
ダルいし。
そうだよね?そうだよね??
ラファエルってばーーー!
「プレゼントの追加情報」&「月光浴の時空間」
★★まずはプレゼント追加情報から★★
天使の栞プレゼントに、沢山ご応募くださいまして、感謝しております!
また、「ファンです~♪」というお言葉も書いてくださってる方がちょこちょこといらっしゃって、
中には長文で書いてくださってる方もいらっしゃって、ほんとーーーにありがとうございます♡♡♡
たみえかーさん、小躍りして喜んでおります♪
♪たりらりら~たりらりらたりら~
で、ですね。
たくさんエントリーしてくださっているので、これは栞3つでは申し訳ない!と、思いまして、
栞サイズではなく、名刺サイズなんですが、追加で2枚描きました。
いぬえるとねこえるです。
この2枚も含めまして、5枚をそれぞれ1名ずつにプレゼント、ということにしたいと思います。
ご応募の方は、引き続き★天使の栞 プレゼント★の記事のコメント欄にお願いします。
(当記事のコメント欄にエントリーしてもらっても、それはノーカウントになりますのであしからず~。)
〆切は、明日14日の21時ですので、ご応募される方はお早めに♪
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さて今日の本題。
さきほど、みけまゆみさんの占いをチェックしに行きました。
本日6月13日(金)の記事です。
http://horoscope.kkmaestro.com/article/399160066.html
昨日の夜、
家族がみんな寝てしまい、私も早めに就寝しようとしたら、障子の向こうが明るいんです。
月の満ち欠けってあまり気にしてない…といいますか、すぐに忘れちゃうんですが、
これだけ明るいなら満月か、満月に近いんだな、と思いまして、隣の部屋に行き、障子を開けました。
すると、雲の無い夜空に、丸いお月さまが煌々と照っておりました。
美しいなぁ……と、そのまま見とれておりました。
椅子に腰掛け、30分以上眺めておりました。
女性性の問題にぐりぐり効くハニエルの絵をアップしたばかりで、こんなにじっくり月を見つめる時間が持てているなんて、
やはりこれは月光浴させられてますなー、と独りでクスリと笑えてきました。
そして、
そんな独りで月光を浴びている時空間の中で、いろんな想いが湧き上がってきました。
チャクラで言えば、ずーーっと下3つのチャクラに関わることが私の魂と肉体にとって課題満載だったのですが、
ここにきて、第5チャクラに焦点が行くようになりました。
表現すること。
おそらくそれは、より高い周波数帯にダイヤルを合わせなければならないことなのだろう、と感じるようになりました。
技術的なことも大切ですが、もっともっと本質的な部分において、そうあろうとすることがいかに大事かを少しずつですが教えられてるような流れになってきているのです。
そんなの当たり前のことでしょ、って、思いますかね?
そうですね。当たり前のことですね。
でもそれって簡単なことじゃないなー、とひしひし思わされております。
または。
表現すること、は、生きることと同義語なのかもしれない、と思ったりしています。
そして、今まで以上にいろんな意味で「拡大」していくことを、やはり私は選択していかなければならない時期なんだなー、と、月の光を浴びながら感じていました。
何事もバランスはとても大切で、今まではどちらかというと「土星的な、きゅっと抑え込む力」が強く働いていましたが、
これからは「木星的な拡大していく力」も上手く使えるようにならないといけないんだろうな、とこの半年以上ずーっと感じています。
でも、まだ少し怖いです。
拡大していくことを選択しても、怖さが伴っています。
それでもなお、そうやって変化していくことを強く望む自分というのもいて、そんな自分を感じているのも紛れもない事実で、
そんな自分を見つめる月光浴の時空間となっておりました。
で。
さきほどリンクを貼っておいた、みけまゆみさんの記事ですよ。
やはり人間は己の欲望を満たしたい生き物。
それがダーティーであろうと、純粋であろうと、根源は一緒です。
自分が一番!なのです。(^ー^)
※母親は別です。母親は子供の為に自分を完全に犠牲にできます。
それを認識したうえで、自分が何をしたら、社会の中で満たされていくか?そしてその過程を通じて、どうやって社会に貢献していくか?というのは、全員に与えられた人生の課題とも言えるでしょう。
と、大きな事を書きましたが、なんのことはない。
自分の欲望、愛して欲しいという願望、自分のセンスを表現したいという気持ちは、どんな人でも持っており、それを満たすことが、実は何よりとっても大事な事なのです。
今は、というか、満月でこの配置ですから、次の新月までは、自分の欲望(愛がほしいという欲望)を満たすようにすることで、現実を構築することが出来ますし、そして目標への推進力や社会的な地位の向上へと繋がってくる、ということです。
昨晩、月の光の中でぼんやり考えていたこと、
そして、今朝方に観たリアルな感触の夢。
それらをすべて肯定されているように感じてしまいました。
「それでいいんだから、進みなさい。」と、言われているように感じてしまいました。
今年の1月に、誕生日プレゼントとしてじぇいど♪さんからコレをもらってから、じわじわと「拡大」の方向にシフトしているのは間違いありませんね。
あー、しかし、じぇいど♪さんはなんで木星をプレゼントしてくれたのかなー?
きっと意識してないよねー?
「たみーには惑星がいいよね~♪」って思っただけで、ピンポイントで木星を選んだというわけじゃないんだろうなー。
おそるべし!
もしかしたら。
土星的な、きゅっと抑え込む力の元で、ずっと力を蓄えてきたのだとしたら、
それは「真に表現していく」ために蓄えられたものだとしたら、
いつまでも土星の力だけに偏っていてはいけませんよね。
もしかしたら。
もしかしたら…。
がんばれ、あたし。
かーさん、昼寝の邪魔をせんでくれたまへ。
★天使の栞 プレゼント★
数日前、お客様の天使の絵を描いた時に、たまたま栞サイズになってた紙にミカエルを描いてみました。
アクリル絵の具で描いてます。
あ、紙もお客様に描いてる用のいいヤツです。
で。
ふつーの用紙なんですが、これも同じくらいになってたサイズの紙に、ミカエルとガブリエルもそれぞれ描いてみました。
ラクガキ程度のものですが、色鉛筆でちょっと塗ってあります。
すべて、栞として使えるようにラミネート加工しました。
以上3枚を、それぞれ1名ずつにプレゼントします~♪
どれが当たるかは、くじ任せってことでよろしくお願いします。
以下の応募要項を読んでいただいてから、応募の方をよろしくお願いします♪♪
★応募要項★
◆応募方法◆
・当ブログ記事のコメント欄に、「天使の栞希望」と明記してください。
・ハンドル名が他の方と被らないようにしてください。
◆募集期間◆
2014年6月14日(土) 21時 まで
◆抽選方法◆
くびじき(←子供たちに引いてもらいます)で行います。
◆注意事項◆
・当選者発表は、15日(日)中にできたらいいなー、と思っております。
・当選された方は、当ブログのメールフォームにて、『お名前』『郵便番号・住所』をお知らせください。
・栞は普通郵便で発送します。
ご応募、お待ちしておりま~す♪♪
これはおれへのプレゼントなのかにゃ?
月とハニエルの絵をアップした途端に……
昨日の記事を……というか、月とハニエルの絵をアップした途端にですね、
冷えたような痛みというか、生理痛みたいな痛みというか、そーゆー痛みが下腹部にドカンときました。
……これ、下位チャクラにキてるやつだね。
なんてこったい。
楽になったり痛くなったりを繰り返して、なんだかんだと結局寝るまで痛かったです。
今日はもう大丈夫ですが、昨日は「まー、かなわんなー!」ってミの字の親分とかに愚痴ってました。
だってさー、夕飯作るのもしんどかったんですよー?
お皿洗うのもしんどかったんですよー?
かなわんよーーーー。まったくもーーー。
いえね。
あの絵を描いた時に、
「この絵は、女性性のアレコレに効きそうやなー。」
とは思ったんですよ。
ええ、思いましたよ。思いましたー。
でもまさか自分にもドカンと効くとは思いませんでしたよぉぉぉー。
おそるべし。蠍座の月!
とういわけで。
もしかしたら、効くんじゃないかな?と思います。
女性性に問題ある方に。
試してみたい方は、じーーーっと見つめて、ハニエルに「私の女性性を癒して♪」と、ゆーてみてください。
もちろん、浮き出てきたネガが痛みとか悪夢とかになっても、当方では責任は取れませんので、その辺はよろしくです♪
何か変化があった方はご報告してくださると嬉しいです♪♪
蠍座の月
今日は蠍座の月みたいですね。
海王星と(逆行してる)水星と、グランドトラインを形成してるそうですよ。
そんな日に、これをアップします。
大天使ハニエルのMoon Cyclesです。
お客様は、月に関することが今までにいろいろあったそうなのです。
ですから、このハニエルが届いて安心されたそうです。
ちゃんとその人その人に合ったカードが出るもんだなー、と、何年もこのお仕事をしてますが、毎度毎度とても不思議な気分になります。
蠍座の月から、何かを受け取ってみてはいかがでしょうか?
もう、ストッパーを外してもいいのかな…?
昨日の記事に、「私もたみえさんの絵と文章が好きですよ。」というコメントをいくつかいただき、
ありがたいなーありがたいなーー、と感謝の気持ちでいっぱいになっております。
エイトのみんなもこーゆー気持ちなのかなー、と思ったりしました。
もちろんその数は比べ物にならないくらい全然違うけれど、その気持ちは同じなのかな~、娘の言葉のとおりなのかな~、と、思ったりました。
ありがとうございます。
それでですね。
いただいたコメントの中に、楓さんからのこんなコメントがありました。
こんにちは。
あの、もしかしたら…なんですけど、送り手も受け手も同じくらいのエネルギーが双方向で流れているのではないのかな、とか思ってしまいました。
感謝を送る側も、感謝を受けとる側も、同じようにエネルギーを受けとる器ってのが潜在的にあるのかもしれないなって感じました。
私は、コンサートとかほとんど行ったことありませんが…友達に誘われて行った時に、エネルギーが循環しているのを感じました。
舞台上に立つボーカルに向かって流れるエネルギーが、ボーカルの歌声と共に青い光となって会場全体を包み込んでいました。
歌もすごく上手かったのですが、それだけじゃなくて声そのものにも凄い力を感じました。
10年以上前の事ですが、今でも鮮烈に思い出せます。
ただ自分にはそれだけのものを受けとる器なんて無いって信じているから、受け取り拒否していることもあると思うんです。
もしコンサートや総選挙みたいな非現実的な空間でなら受け取り可能だというのなら、ストッパーさえ外す事が出来たら…。
それに対して、私はこんな返事をさせてもらいました。
こんにちは。
コメントありがとうございます。
コンサートでアーティストとファンの間に双方向にエネルギーが流れている、というのは、私も多分そうなんだろうなー、となんとなくですが思ってました。
といいますか、感じていました。
やっぱりそうですよねぇぇぇぇ。
そして、「自分にはそれだけのものを受け取る器なんて無いって信じてるから、受け取り拒否していることもあると思う」というのも、そうだろうなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁー、と思いました。
私だけじゃなくて、たくさんの人がそうなんだろうな、って思いました。
私は、諸事情であまりに大きなエネルギーが流れるとぶっ倒れるということを繰り返してきたので、そんな器じゃないと思うことは、まったく不必要なことだった…というわけでもないのかもしれないのですが、
もうそろそろそーゆーのは要らないのかもしれないなー、と楓さんのコメントを読んで更に思いました。
この記事に書いたように、月子さんから「蟹座エキス」を少し分けてもらったわけですが、
これは、まさに堅い殻が必要だからなんだろうなー、と思っているんです。
月子さんに言わせると「あっぱっぱー」な私ですが、その「あっぱっぱー」加減にもかーなーり変動がありまして、
「けっこー開いてる時」と「閉じ気味の時」というのが、数年周期に入れ代わります。
「けっこー開いてる時」というのは、新たな人とのつながりもどんどん増えていきますが、ずーっとこのモードではいられないようで、「閉じ気味の時」というのがやってきます。
実はこの2年ほどは「閉じ気味」だったんです。
オーバーフローを起こす前に閉じるのか、整理整頓をするために閉じるのか……ともかく、そういう変動があるんです。
このような変動があること自体を良いのか悪いのか…と判断することはできませんが、
絵を描くという今のお仕事をこれからも続けていく上では、変動は無い方がいいよな、と思っていました。
無い……というのは無理でも、変動の振幅はより小さい方がいいよなー、と思うのです。
そのために、自分に足りないものはなんだろう?と考えてみると、どうしても結論はコレになるんです。
境界がふにゃふにゃ
これです。
人間にはいろんな「境界」があるんだろうな、と思うんですが、
どこの部分かはハッキリ分かりませんが、どこかの一部がふにゃふにゃだよなーと、自分でも自覚してるんです。
(あ。りゅーらたんもだぞ!私だけじゃないぞ!)
殻がある・境界線がちゃんとある、というのは、自と他を区別するということで、
スピでいうところのワンネスの概念とは反することかもしれませんが、
この現象世界・物理世界で生きるということは、その境界をしっかり持つ、ということに他ならないのだと思うのです。
自と他の境界線を適度な強度で引くことで「自己の世界をより善く、より美しく創りあげる」ことができ、
そうすることで、「他者の世界も正しく尊重する」ということができるような気がするのです。
自分というものがちゃんとカタチを得てこそ、ワンネスを目指せるのではないか、と思うのです。
おそらく、境界の強度が強すぎるのも問題なのでしょうけど、ふにゃふにゃな部分がある私にしたら、蟹の甲羅のような「自と他を分けるもの」は必要な要素なのだろうな……と、ここ数年のアレコレを通して感じるようになりました。
柔らかい中身を守るために、エゴを強くするという方法もあるかと思いますが、それは賢い選択でないのは明白ですしね。
エゴはこの物理世界で肉体を維持するために上手に使うべき道具みたいなものかなー、と思うので、柔らかい中身を守るために使うというのは、用途が違うよなー、と思うんです。
なんでも用途を間違えると、うまいこといきませんよね。
それで、話を戻しますとね、
大きいエネルギーが流れるとぶっ倒れていた、というのは、
過去世からのさまざまなブロックがエネルギー管にどっさり詰まっていたためだったわけですが、
最近ではそれだけじゃなくて、境界の甘さもその要因の1つなのではないか、と考えるようになったんです。
もちろん「そうじゃないかなー?」と考えるようになったのは、ワームを取り除いてもらって蟹エキスを分けてもらってからです。
そんな感覚がジワジワ~っとするのです。
あ、そいえば私のホロスコープには蟹座の「惑星」って1つもないや~。小惑星とかは分からんけど。
そして蟹座の守護星である「月」は海王星とハードアスペクト取ってるしー。
そりゃふにゃふにゃだよなー。あっはっはー。
そこに楓さんのあのコメントだったので、
「もしかしたら、そろそろもうストッパーを外しても良さそうな時期に来てるってことなのかな?」
と、思ったのでした。
境界がハッキリしていれば、自分にとって良い影響を与えてくれるモノだけ受け取ることもできるようになるのかも、と思ったのです。
なーんてつらつらと思っていたら、mixiでPさまがこんな動画を貼り付けてくれていました。
他の方の日記に貼り付けてあったそうなのです。
バシャールの動画です。
http://www.youtube.com/watch?v=4ExfcLqJGrM
もうそろそろストッパーを外してもいいんだよ。
そして外したら、このように周波数のチューニングを「自分にとって望ましいところ」に合わせ続けなさいよ。
それができるなら、恐れることは何も無いんだよ。
と、言われてるようにビリビリと感じました。
今まで何度も何度もこーゆー言葉は耳にしてきましたが、今までとは少し違った感覚で私の中に入ってきました。
とりあえずー
ええところにチューニングを合わせにくくなったら、
ゆるゆる上機嫌なタミエルにチューニングを合わせるように心がけようと思いますー。
自分のハイヤーなんだから、合わせやすかろう!
おれはいつもゆるゆるだぜ~。
友人が育てたトウモロコシです。
今年お初です。
うまうまでした~♪♪
自分はそっち側の人間じゃないので関係ないと思いつつアレコレ考えていたら…
えー。
昨日の夜はですねー、
AKBの総選挙をけっこーな時間見てたんですよ。
……娘にせがまれましてね。
娘はまゆゆが好きなんです。
まゆゆが今年は1位になるのかどうか、が気になって仕方がなかったようです。
良かったね。まゆゆが1位になって。
てなわけで、見ておりましてね、
味の素スタジアムから生中継なのかー、あれー?すげぇー雨降ってんじゃねー?AKBオタのみなさん風邪ひかないといいけどなー……と、ぼんやり思ってたんですが、
すると、
あー、そいえば、エイトの大阪での野外ライブも雨だったよねー、エイターも雨の中ずーっとライブに参加してたんだよねー……と、DVDで観まくった2012年の野外ライブの映像がぽこんぽこんと浮かんできたりしました。
関ジャニ∞を好きになってから、初めてファンクラブなるものに入会しライブにも行くようになったし、
AKBもなかなかエゲつないようですけど、ジャニーズもけっこー上納金が必要になりましてね、お金をそれなりに貢ぐようになっておるんですね。
なので、AKBオタのみなさんの気持ちも分かるんです。
てかまー、オタクという方々の気持ちってのは、分野を越えて分かる気がしておるのです。
そしたらですね、
順位ごとに呼ばれて前に出てくる子たちが、ファンのみなさんに感謝の気持ちをスピーチしてる姿を、これまたぼんやり見ているうちに、あれ?って思ったんです。
私はAKBのファンでもなんでもなくて(あ、でも高橋みなみはすごいなーと思ってる。)、
でも、オタのみなさんの気持ちは分かるので、「バカみたい。」とかは思わないんだけど、
でもでも、やっぱり引いた目線で見てるわけです。
そうすると、メンバーがファンのみなさんに向かって話してる感謝の言葉が、なーんとなく不思議な感覚として感じられ始めたんです。
エイトがライブで私達エイターに向かって、熱量の高い感謝の気持ちを言葉にしてくれると、それはめっちゃダイレクトに私の中に響いてきて、素直にそれを受け取るんですね。
それは一方方向のものじゃなくて、双方向のエネルギーの流れとして感じられるんです。
個人に向けられた言葉じゃないんだけど、メンバーと自分との双方向の流れでもあり、同時にたくさんの「個人」が集まった「ファン(エイター)」という総体との双方向の流れだと感じるんです。
……や、言葉にするとそんな感じだよなー、と初めて思ったんですけどね。
いろいろぼんやり考えてて。
感覚としてはあったけど、言葉にしてみるとこんな感じだなー、と。
で、ですね。
おそらく、昨日のあの場にいたAKBオタのみなさんも、同じような感覚なんだろうなー、と思った……んですが、
端から客観的に見てると、そういう流れって、やっばりめっちゃ特殊なものなんだよなー、というのがイヤでも分かっちゃうわけです。
そうなると、ですよ。
エイトにしても、AKBにしても、他のいろんな有名人にしても、
「何十万人ものたくさんの人から好意を寄せられる人たち」が、「ファンのみなさんに熱く感謝の言葉を言う」時の感覚ってのは、一体どういうのものなんだろう????って、すごーーーく不思議に思ったんです。
私はそーゆー立場になったことがないので、
ステージの上から、不特定多数の「自分に好意を寄せてくれてる人たち」に対して、感謝の気持ちを伝える時の気持ちというのが分からないわけです。
よくよく考えてみたら、不思議なことですよね。
何かのやりとりがあって、誰かに対して感謝の言葉を伝えるというのは日常でもよくあることですが、
顔も名前も知らない大勢の人たちが、自分のことを大好きだと思ってくれて、お金もいっぱい使ってくれて、自分を応援してくれてる……って状況は、ものすごーーーく特殊なケースですもんね。
ごっそりひとまとまりにして、たとえば我々のような「エイター」という総体に対して、感謝する場合の感覚っていうのは、なんとなくですが分かるような気がするんです。
が。
そのひとまとまりになった「ファン」という総体は、それぞれさまざまな人生を歩んでる個人の集まりなわけで、
総体の向こうにいる個人個人に対して、顔も名前も知らないけれど、思いを届けようとする……みたいな感覚でもって感謝の気持ちを述べているとするなら、
それって、エネルギー的にめっちゃデカい器じゃないとできないことじゃね?
と思ったんです。
思った途端に、ゾッとしました。
その容量のデカさを想像して。
もしかしたら、そういうことが無意識にできるくらいじゃないと、有名人として売れないのかもしれないですね。
なーんてことを、総選挙を見ながらつらつら考えてたわけですが、
考えてることがつい漏れて、ぼそりとゆーたんです。
「こーゆー人たちって、ありがとうってゆーてるけど、たくさんのファンに対してどーゆー気持なんやろうなー?こーゆー立場になったことないから分からんなー。なんか不思議やわー。」
って。
すると、娘が間髪入れずに言いました。
「おかーさん!おかーさんの絵が好きだって言ってくれる人たちがいるでしょ?そういう人たちもファンって言うんだよっ。そういう人たちにありがとうって思う気持ちと同じだよ!」
……え?
えーと。
そりゃありがたいことに、私の絵とか文章が好きだとゆーてくれる人は時々おるけど、それはめっちゃたくさんのファンの人たちに対しての気持ちってもんとは数からして違い過ぎてだなー、同様には論じられな………って、でもなー、顔も本名も知らない人が私の絵とか文章を好きだとコメントしてくれるってことについては、構造的には似てるよな、確かにー………って、でも、何万人何十万人って数でのことを考えていたわけで………あれれー???
と、3秒くらいぐるぐるーっと考えていて言葉を返せずにいたら、
おとーちゃんが、
「お前、すごいな!おとーちゃん感心したよ!」
と、娘を褒めだしたので、余計に何も言えなくなりました。
あれれー???
……ま、でもね、やっぱりね、そーゆーのはファンって言わないよねー。
なーんて思って、そこで考えることはやめちゃったんですが。
そしたら、そっこーで、こちらの日記に、
「たみえさんのファンになりました」なんて言葉が入ったコメントが入りました………。
もちろん、コメントをくださった方は、軽いノリで書かれたんだと思いますが、
タイミング良すぎです!
私は何十万人というレベルでの話を考えていたので、私とは全然関係ないところのことだからよく分からんなー、と思ってアレコレ考えたのですが、
これっぽっちも関係ない…というわけじゃないんだよ、と言われたような気がしました。
もちろん数の大小は全然違うけど、だからって全く関係ないわけじゃないんだよ、と。
だから私自身も、そのあたりの意識をもう少ししっかりした方がいいよ、と言われてるんだろうなー、と思いました。
じゃなかったら、ふいにこんなことを考えて、こんなタイミング良くコメント入りませんよねぇー。
え?
誰に言われたか?って……そんなもんねー、そりゃもー、ミの字の親分でしょうよーー。
ははーん。
ドラえもんだらけ、ってゆーオモチャなんだけど、全部のドラえもんを乗せるのはなかなか難しいんだよー(>_<)
どうしても受け入れがたくて、泣いてしまいました。
昨日の夜、これを見てたんですよ。
http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2014-06/05.html
出生前診断についてとか、受精卵の選択とか、
そーゆーことについて、さまざまな立場の人のさまざまな意見を聞くことができました。
出生前診断については、今は妊婦さんの血液から染色体異常の赤ちゃんの可能性ってのが分かるそうで、
その多くはダウン症ってことになるんでしょうね。
ダウン症児の母親としては、ひじょーーーーーに複雑な思いを抱いてしまうテーマです。
でもね。
障害児を育てるのは大変だろうというのは、私は子供の頃から知ってました。
出産時の酸素不足で脳性マヒになった親戚の子もいましたし、脳性マヒの同級生もクラスにいましたし、
近所には耳の不自由な子もいたので、子供ながらにも障害児を育てるのは大変だというのは簡単に想像がつきました。
うちの息子は手のかからない方だと思います。
それでもいろいろあります。
もっともっと障害の程度が重い子供を育ててるお母さんたちは、どれだけ大変だろう、と思うこともあります。
けれど、私は第二子の娘を妊娠しても、羊水検査はしませんでした。
不安が全く無かったわけではありませんが、羊水検査はしませんでした。
授かった命が生まれてくるのなら、育てるのが親の役目だと思っていたからです。
…というと、かっこいいですね。
ほんとはね、私は中絶するという選択ができないなーって思っただけなんですよ。
チキンなんですよ。
だったら検査する必要なんて無いですもんね。
ゆうべ見たハートネットTVで、検査を推進してる方(産婦人科の先生だったかな?)が、今までに接してきた方々の中で、
ダウン症の子が施設に入ることが決まって、これから自分の第2の人生が始まります、と、報告してきてくれた親御さんがいたと話していました。
そういう人がいるから、検査は必要だと思っている……みたいなことを言ってたんですが、
それを聞いて、泣けちゃったんです。
確かに、ダウン症でも知的障害がとても重い子だと、育てるのがとても大変なのは、知っています。
ダウン症の子は感性が豊かで優しくて…と、いい面をいろいろ言ってはもらえますし、そういうのも確かなんですが、
そういう子ばかりじゃないんです。
だから、親が、特に母親が自分の人生をその障害児のお世話で費やされてしまう、という場合もあると思うんです。
でも、それでも、『子供が施設に入ることが決まったから、これから第2の人生が始まる』という言葉は、リアルタイムでダウン症児を育ててる私には、どうしても受け入れがたいものでした。
そういう考えもあるよね、と、どうしても思えずに泣いてしまいました。
そのお子さんが生まれてきて、その親御さんは幸せだと思ったことが無かったのか?責任感だけで育ててきたのか?と考えてしまって、泣けてしまったのです。
悲しすぎたんです。
そういう悲しいことを、検査をすることで減らす、というのは、
障害のある赤ちゃんは中絶して、生まれてこないようにする、ということですよね。
全く理解できない、というわけじゃないんです。
そうなんです。
全く理解できない、というわけじゃないので余計にもにょもにょするんですが、
でもね、やっぱりね、そこには命というものに対しての、人間の傲慢さを感じてしまうのです。
「それでいいの?ほんとにそれでいいの?」って、もにょもにょもにょもにょし続けてしまうのです。
科学進歩、科学技術の進歩は、その技術を使う人間の、人類の、その資質をシビアに問い続けているように思います。
それは、原発事故とその後のアレコレが如実に示していますよね。
私達は、どうあるべきなんでしょうね。
おれは素敵お猫として生きるだけさ。
方法はいろいろ。
本日2本目。
明日は時間取れそうにないので、今日書いちゃうです。
まず最初に分かっていただきたいのがですね、
これは、あくまで私がどう思ったか、というだけの話であって、方法の良し悪しや優劣を論じてるわけではない、ということです。
なんのことかと言いますと。
「なにみえ遠足」で同じ一期生で、マイミクさんでもあるみづきちゃんが、こーゆーお仕事を本格的に始めたそうなんです。
https://www.voicemarche.jp/advisers/98
肩書は「カウンセラー」でいいのかな?
で、ですね。
上記のページに書いてある文章を読んで、「あー、あたしとは違うんだなー。」と思ったんです。
みづきちゃんは、必ずしも掘り下げをしなくても、テクニックで心理的問題を解消できる、と言ってます。
くどいようですが、それについての良し悪しや優劣を論じようとしてるわけではありません。
ちっとも詳しくはないですが、そういう方法もあるんだろうね、って思いますし、あっていいと思っています。
ただ、私自身は、そーゆー方法は選択しないよなー、と、みづきちゃんの紹介文を読みながら思ったんです。
なんでだろう?って、お茶を飲みつつPCを眺めながらぼんやり考えていたら、思い出したんです。
何年も前になりますが、懇意にしてもらってたヒーラーさんに遠隔ヒーリングをしてもらった時に、
「○○時代のタミエルさんのとても辛い記憶を、(魂の記憶から?)抜いておきました。あまりに辛いので、思い出したらたみえさんが耐えられないでしょうから。これでもう思い出すこともありませんよ。」
と、ヒーリング終了後にメールで報告された、ということがありました。
もちろん、私はそんなことを頼んでませんが、そのヒーラーさんは親切心からそうしてくれたのでした。
ここで、
「ありがとうございます!助かります!」
と素直に感謝する人もいると思いますが、私はそうではありませんでした。
ヒーラーさんには言いませんでしたが、内心では
「なんで?なんで勝手に抜いちゃったの?」
と少し腹立たしくすら思ったのでした。
みづきちゃんも、掘り下げるカウンセリングをして数カ月間も体調を崩したことがある、と上記リンク先で書いてます。
もしかしたら、タミエルのそれも、手を着けたら寝込んじゃうくらいのことだったのかもしれません。
本当にそういう魂の大きな傷があったのかどうか、いつもの方法でそれに手を着けたら本当にとんでもない衝撃を心身共にくらったのかどうか、は、今となっては分かりません。
…分かりませんが、でも私は、今の自分自身の傷もブロックも、自分の上のヒト(過去世のヒト)の傷もブロックも、ちゃんと自分で確かめて認めて、その上で解消したいのです。
なので、今までもどれだけ「うぇぇぇぇーーーー……。」ってなっても、そうしてきました。
……ドMなんですかね?
いやいや、錦戸くんくらいのMだと思いたい。
私は、子供たち2人とも、おかげさまで自然分娩で、それも安産で出産しています。
安産といえども陣痛はほんとーーーに痛いです。めっちゃ痛いです…が、安産だったおかげで、めっちゃ痛い陣痛も経験できて良かったとすら思えてるんでしょうね。
陣痛を耐えて出産した時の感激や達成感は、ほんとうにほんとうに大きなものでしたから。
でも、私の先輩の1人は、1人目出産の時の陣痛があまりに苦しかったので、2人目は無痛分娩を選択しました。
そういう選択もアリだよな、と思いました。
だって出産の痛みや苦しさは人によって全然違いますし、その感度も人によって全然違いますもんね。
陣痛が怖いから(子供は欲しいけど)妊娠を避ける、ってくらいなら、無痛分娩を選択するってことで妊娠に臨んだ方がいいですもん。
なんとなく、それに似てるのかもなー、と、思いました。
痛いのはイヤだけど、でも出産の痛みも含めて全部体験したい、というのと、
痛みは最大限に和らげて出産したい、というのと、どっちにする?っていう選択と似てるような気がしました。
でね。
出産の時には麻酔は使いたくないと思う私だけど、虫歯治療で歯を削る時は絶対に麻酔をして欲しかったりするわけですよ。
私が子供の頃は麻酔無しで削るのが当たり前で、めっちゃ痛くて、それで今でも歯医者はほんとーに苦手なんですが、
トラウマ等に触るというのは、人によっては麻酔無しで歯を削るようなものなのかもしれないよなー、と思ったんです。
トラウマを解消しようと取り組んだけど、余計なトラウマ作っちゃった、ということになる場合もあるんだろうなー、と思ったんです。
私が歯医者に対して苦手意識を強く持っちゃったみたいに。
なので、懇意にしてもらってたヒーラーさんからしたら、「歯を削るから麻酔をしとくね。」という感覚だったのかもしれません。
でも、私からしたら「ふつーに出産しようと思ってんのに、なんで麻酔したの?」って感じだったのでしょう。
もしかしたら、歯を削るようなもんだっかのかもなー……。
でもなー、やっぱり自分でちゃんと掘り下げて見つけて認めてから解消したかったなー。
でもでも、それだとヤバかったのかなー…。
…ま、いいや。
済んだことだ。
確かめようのないことだ。
あはーん。
というわけで。
「前に進みたいけど、ミカエルのスパルタが怖いです。」とおっしゃる方が時々いらっしゃいますが、
そういうタイプの方は、無痛分娩……じゃなかった、必ずしも掘り下げなくても解消できる方法を選択してみるのもいいかもしれないですね。
かーさん、おやつは?
「女子の人間関係」
女子の人間関係 (2014/04/10) 水島広子 |
この本を読みました。
女性なら分かると思いますが、女子のイヤなところって……ありますよね。
そーゆー部分をカギカッコつきの「女」と呼びながら、書かれています。
「女」度が高いか低いか、で、生きにくさって全然違うよなー、って思います。
「女」度がゼロという女性はいないと思うので、高いか低いか、ということになると思うんですが、
自分はそんなに高くならないように心がけてるつもりでも、この本を読んでると、自分の中にもあるあるーって思わされます。
ある……んだけど、なるべく低く抑えてる。
でも、「女」度が高い人の言動を間近で見ると、自分の中の「女」が刺激されて、すげぇぇぇイヤ~な感情になる。
そんな時に、どういう考え方をしてうまく対処したらいいか、なども書かれています。
いろんなケースを取り上げて。
そもそも、
なんで女性には「女」の部分があるのか、ということも、一番最初に書かれています。
考えられる要素はさまざまあるようですが、その中で著者が一番注目しているのが、
「社会的に作られる」というものです。
伝統的に女性が「選ばれる性」であることが、「女」をつくり上げる大きな要因だということです。
そして「女」とは、癒されていない心だと言っています。
そういう観点から論じられています。
もちろん私も、それだけが原因だとは思わないのですが、大きな要因であるのは同意できます。
というか、「なるほどね!」と、納得だったのです。
自分の中の「女」と照らし合わせてみても、認めたくはなくても、あああーそういう反応なのかー、と納得できてしまうのです。
なので、「女」度の高い女性と関わった時に、自分の「女」を低くキープしつつ相手の「女」を刺激せずにどう対応するか、というのをケースごとに書いてあるのもなかなか参考になりました。
(相手の「女」を刺激しない、というのは、自分を守る上ですごく大事!)
女性のみなさんは、小学校の後半くらいから中学生くらいの間で、「女」とどう対応していくべきか、を実地で学んできたと思いますが、
そこで『自分の「女」度を下げて、うまく対応する』ということを身につけられないと、大人になってもずーっと「女」の問題に悩まされることになる……気がします。
周囲の女性たちを見てきて、私はそう思います。
中学生のうちにそれを身につけられなかった人はもちろん、うまいこと身につけることができた人も、理論的な裏付けになるので、読んでみると面白いかと思います。
おれは箱入りお猫。
ベルメゾンの箱がちょうどいいんだ。