まさに劣等感の裏返しに見える

57歳でヘイトスピーチしまくりのネトウヨおじさんについての取材記事です。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41047
あちこちから一斉にリツイートされて回ってきたので読みました。
奥さんにDVしてたってところで、トホホ感がMAXになったんですがね。
韓国や中国の反日教育の話をチラホラ見聞きすると、正直むかっときますけど、
だからってヘイトスピーチしていいわけじゃないよね、ってのが分からないのは、これはもう、頭が良く無いよね、ってところにしか答えが見つからないのです。
まともに議論もできないようですし。
知性を身につける機会も意欲もなかったのかな?と、感じてしまいます。
だから、多分、あまり褒められることってなかったんじゃないかな?って思います。
劣等感が大きい人なんじゃないかな、と。
それが、匿名のネットの世界で『同類』に賞賛され、持ち上げられるようになったら、そりゃ図に乗りますよね。
ネットにいる過激発言をするネトウヨさんたちは、そういう人が多いのかもなぁー、なんて思っちゃいました。
任意のことについて持論を表明するのはいいし、現状の問題点を指摘して、その対象を批判するのもいいんですけど、
個人や団体丸ごとの存在を否定するというのは、自分の中の知的検閲が弱すぎると思うんですよね…。
家の中で言ってるだけならともかく、いくらフォロワーが少なかろうが、ネットは公けに向けて発信されてる場ですもんね。
その意見、おかしいよね?
と、言ってくれる(まともな)人がいたら、それは絶好のチャンスなんだけど、
だいたいは自分の主張を言い張り続けるか、怒るか、逃げるか、が多いですよね。
大人になればなるほど。
(もちろん自戒を込めて書いております!)
先日ですね、このツイートにヒザポン!だったのです。
https://twitter.com/usamimix/status/533858605632462848
ぎゅうぎゅうな制限のある思考をしてる人って、一見まともそうなことを言ってたとしても、会話してても面白みが感じられないです。
自分の枠からズレたものを受け付けないので、深い会話になっていかないんですもん。
そして、私はエネルギー的な波動のことなんてがっつりハッキリとは認識できませんけど、『波動のコンフォートゾーンが低くて狭い人』というのも、なんとなく分かるような気がするんです。
そういう人も、なーんとなく窮屈で、一緒にいて楽しくありません。
大人になる、というのは、
思考はより柔軟になって、一緒にお茶してるだけで心地いいと思われるような人になる
とも、言えるのかもしれませんね。
ああ。
それって、目指してる「かわいいおばーちゃん」だ~~。

おれと一緒にいるだけで癒されるだろ?

大地の深い深いところに在るのは…?

お客様の天使の絵が、ピカピカしてたりふんわりしていると、あー良かったなー、って少しばかり思います。
やはり飾るならば明るい絵がいいですもんね。
でも、時々どーーーんと「重たい絵」になることもあり、大丈夫かなー?と若干心配になることもあります。
今回はそんな絵でした。
大天使サンダルフォンです。
オラクルカードはVictory!でした。
大天使サンダルフォン
「あー。またこのカードや~。最近多いな~。」
なんて思いつつ、絵を描く準備を整えて、さて描きましょうかー……と、座ったところで、ぽんとイメージが浮かびました。
描きながらカタチになっていくことが多い私には珍しいパターンです。
大地の深い深いところに、宝石が眠ってる
そんなイメージでした。
もちろん、この「大地の深いところ」というのは、お客様の心の深いところだと思いますし、
宝石というのも、心の深いところにある「宝物」のことだと思います。
背景は何層にも「大地の色」を塗り重ねていますし、全体として決して「明るい・軽い」雰囲気ではありません。
お客様も、ご覧になった瞬間に「怖い。」と感じられたそうです。
それでも、お客様はいつの日か、時間がかかってでも、暗く冷たい大地の底まで「宝物」を取りに行かなければならなくなるのだろうな、と思いました。
その宝物に触れることができた時、暗く冷たい大地は、豊穣の大地へと変換されていくのだろうなー、と思いました。
そういえば。
生命の樹」では、第10のセフィラであるマルクトは物質世界を意味していて、ここの守護天使がサンダルフォンと言われてますね。
象徴される惑星はもちろん地球。
ですので、大地の深い深いところにある宝石…という絵に、サンダルフォンがいるというのもこれまた象徴的な気がしました。
私自身は、サンダルフォンは宇宙的なものをよく感じるのですが、今回の絵を描きながら、サンダルフォンは地球の深いところから深宇宙までの「つながり」のようなものをカバーしているようにも感じました。
(なんとなく感じたってだけなので、テキトーに読み流しておいてくださいませ~。)

「リズム」や「間」って大事。

フジテレビの「ワイドナショー」がけっこー好きでよく観てるんですけど、
今さっき、SMAPの中居くんがゆーててすごく面白かったんですが。
ダウンタウン松本さんが、
「(ジャニーズとか)アイドルの子って、お芝居の巧い人が多いよね。」
みたいなことゆーたんです。
そしたら、中居くんが、
「それは、ダンスを(徹底的に)やってるから、リズム(感が鍛えられてるから)だと思う。」
と言って、スタジオのみなさんが「なるほど!」ってなってたんです。
(篠原涼子さんも満島ひかりさんも、アイドル出身だよね、と。)
坂上忍さんもゆーてましたが、お笑いの人も「間」というのもが分かってるから、お芝居の仕事に来ても「もう掴んだの?」ってビックリすることがあるそうです。
(宮迫とか泰造とかめっちゃお芝居巧いよね~~。)
私はダンスとかお笑いとかのリズムや間は身についてはいないですけど、
こうやって文章を書くにしても、自分だけの独特の文章のリズムってあるんですよね。
そして絵を描く時も自分だけの独特のリズムってあるんです。
そのリズムに乗れた時は文章も絵もさーーーっと流れるようにできあがるんですが、
このリズムに乗れないと、どれだけ書いても描いても、パチっとハマるものができあがらないんです。
そして、クリエイティブなことだけじゃなくて、
会社員をしてた時もそうだったんです。
思い返してみると、ちゃんとあったなー、と。
勉強もそうでしたね。
で。
さらに言うと、
リアルはもちろん、ネットを通してのやりとりでも、「自分に合うリズム」の人と仲良くなってる気がします。
(当然ですが、その「合うリズム」は1つだけではないんですが、そんなにたくさんあるわけでもないです。)
リズムや間って、すごく大事なものなのかもしれませんね。

おねーちゃんが遊んでくれるリズムが一番好きだにゃ。
おかーちゃんはなでなでのリズムが一番好きだにゃ。

ささくれのようなものだけど。

先日、お尻のとある場所に、小さい腫れモノができましてね。
ほんとにちょっとしたモノですが、触ると少し痛いので炎症が起きてるなーとは分かりました。
結局、小さかったので数日で自然に治ったんですが、ちょっと痛いなぁって時におとーちゃんに報告したら、
「オデキができたんか?」と言われました。
小さいとは言えどもお尻に炎症してるブツできた →→ 痔瘻だったら絶対イヤだ手術必須なので絶対イヤだ
という思考回路が走りましたが、これがオデキとは思っていなかったので、一瞬「へ?」ってなりました。
なぜなら、小学校に上がる前……何歳くらいでしたかねぇ。とにかく小さい時に、左右どっちかは忘れましたがお尻のほっぺに大きなオデキができたことがあったので、オデキというのは大きいものだと思いこんでいたのです。
http://health.goo.ne.jp/medical/search/10OC0200.html
オデキという言葉を聞いて、その時のことをぱあーっと思い出しました。
痛かったんですよ。
すごく痛かったけど、こわいから大人に言わなかったんですよ。
でもそんなの様子がおかしいからすぐに見つかって、近くの市民病院に速攻で連れて行かれて、切開してもらって膿を出してもらったんです。
で、その翌日も市民病院の外科に連れて行かれまして……。
ガーゼを取り替えるだけじゃなくて、おそらく傷口にお薬をぐりぐりと塗ってもらったんだろうとは思うんですが、それがめっちゃ痛かったんです。
泣き叫んでたら、看護婦さんが
「昨日の方が大変だったのに、お利口さんだったでしょ?なんで今日は泣いてるの?頑張って。」
…みたいなことを言ったんです。
だって昨日のよりうんとうんと痛いんやもん!
と、言いたくても泣いてて声になりませんでしたし、知らない大人に口答えする勇気もありませんでした。
そしたら、その翌日のガーゼ交換の時はおじいちゃん先生で、昨日のガーゼ交換の時のことを看護婦さんから聞いたのかオカンから聞いたのか、それは覚えないんですが、昨日は泣き叫んだと知ってて、
「かわいそうだったねぇ。」と言ってくれました。
このおじいちゃん先生のガーゼ交換はちっとも痛くなくて、私もビックリしつつホッとしました。
先生はガーゼにお薬を塗って、それをペタリと貼ってくれたようなのです。
「若い先生は教科書通りにやるからねぇ。こんな小さい子が痛がってるんだから考えてあげないとねぇ。」
と笑っていました。
その時のことを思い出しました。
なんとなく、このところ「昔の心のちょっとした傷」を思い出させるような症状がぽつんぽつんと出てるように感じていましたから、オデキに関することもそうなのかなー…?と少し考えておりました。
楓さんもこんなブログ記事を教えてくれたりして、やっぱりそうなんかなー?って思っておりました。
http://cocco32crystalbowl.blog.fc2.com/blog-entry-972.html
おじいちゃん先生のおかげで、痛くてすごくイヤだったという思いが全部がすーっと融けちゃったような気持ちになっていたのです…が、
確かに「痛み」についてのお医者さんに対するイヤな思いは残ってないなーと思うんです…が、
びみょーに残ってるものがありました。
看護婦さんのあの言葉でした。
看護婦さんは叱りつけるように言ったわけでもないし、昨日はちゃんとお利口さんだったんだから今日もできるよね、って励ますように言ってたんです。
それは小さい私にも分かってたんです。
でも、言葉で言えなかった気持ちは残ってるなー、と気がつきました。
誰も好き好んでめっちゃ痛がっとるんやないわー!
と言い返したかったんだなー、と40年ほど経った今になってあらためて分かりました。
そしたら、じぇいど♪さんがこんな記事
http://nanigamieterujpn.blogspot.jp/2014/11/blog-post_12.html
をアップしてたので、
ザ・トラウマ!ってんじゃないけど、こういうのって指のささくれみたいなものなんだろうけど、そういうのもあるよなー、と思いました。

おれも心のささくれがあるぞ。
おかーちゃんに尻尾踏まれたことがあるぞ。
はらたったわー。

めっちゃ久々に「夢みる惑星」を読みました。

最近のうちの子供たちのマイブームが、寝る前にお布団の中でマンガ(主にドラえもん)を読むことなのですが、
昨日はおとーちゃんが市の某会議に出席してたので、18時には夕食をとって、さっさとお風呂にもみんなで入って、
20時にはお布団でぬくぬくとマンガタイムとなりました。
(で、読んでる途中で子供たちは21時前に寝てしまったけどね~♪)
ですので、私も何かマンガを読もうかなー、と、昔のマンガを漁ってみたところ、
これが出てきました。

めっちゃ古いマンガです。
文庫本の発行が1996年ですからねぇぇぇ。
高校生の時に、佐藤史生のマンガを友達が1冊貸してくれて読んだことがあり、大人になってからこれを買った……のは覚えてますが、
(私にしては珍しく)1回読んでそのままになってたので、読み始めてもちっともストーリーを思い出すことができませんでした。
なので、新作を読むような感覚でだーーーーーっと読んでしまいました。
とある巨大大陸に住む人たちの物語です。
アスカンタという国の王と結ばれた女性が、実は王と父親が同じだったということが分かって、この女性は身を隠してしまいました。
彼女か死んだことを「谷」(神殿)に赴いた王は知るのですが、そこには彼女が産み育てた「息子」がいました。
銀色の髪と目を持つ彼は強い「幻視者」であるからと、200年不在だった「大神官」になるように「谷」で教育されることになって……
ああ~。
ネタバレなるのでここまでくらいでやめときます。
読みたい人もいるかもなので。
久々に読んで、やっぱり佐藤史生はすごいな!と思いました。
私の中で、少女マンガ系のSF(およびSFファンタジー)を描かせたら、やっぱり萩尾望都がダントツなのですが、
その次が佐藤史生かも。
竹宮恵子より上かも。
ストーリーが「ちゃんとしてる」んです。
この人は、ストーリーテラーなんだな、って思います。
多分なんですけどね、日渡早紀の「ぼくたま」などは、物語がどんどん成長していく…というか、物語任せで紡がれたマンガなんじゃないかなー?と感じるんですが、
佐藤史生さんの作品は、最初から最後までちゃんと見据えて描いてるんだろうな、という安定感を感じます。
そして、深いんだー。
…でも、絵は巧くないんですよねぇぇぇ。
文庫版2巻に載ってる松岡葉子さんのエッセイにこんなことが書かれています。

何年たってもほとんど絵が上達しないのも、佐藤史生の不可思議。
(中略)
まったくのところ、絵が進化せずにひたすら深化していくタイプの作家はこの人と、男性でいえば諸星大二郎くらいのものじゃなかろうか。
そういえば二人とも絵がヘタなところも、そのくせ登場人物に強烈なカリスマ性があるところも、よく似てるわ。


めっちゃ首を縦にぶんぶん振ってしまいました。
絵がめっちゃ巧くて、物語も「ちゃんと最後に閉じている」のが、清水玲子だと思うんです。
彼女はまた違った意味ですごいなーーーといつも思うんですが、
でも、自分のちょっと深めのところの、それも隅っこの掃除しにくそうなところにべちゃーっと「残る」のは佐藤史生の物語の方なんですよね。
絵は巧いに越したことないんですけど、べちゃーっと残るような物語を書けることの方が貴重だと思います。
私の場合は、マンガじゃないので、物語をそこに明に提示しているわけではないのですが、
絵の技巧も大事ですけど、伝えるべきものが伝わる程度に描けていたら、まずはそれでヨシとしてもいいのかも、と思いました。
佐藤史生のマンガを久々に読んで、ちょっとそんな気持ちにもなりました。
じゃあ、さらにうちにある諸星大二郎のマンガも読むか!(あの人はほんっとに絵がヘタですよねぇぇぇ!)
…あ。
でも、佐藤史生の「ワン・ゼロ」を先に読もー。

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久々にアカンやつになりまして。

40代半ば。
もともと自律神経失調がヒドい私は、おそらくちょっとした女性ホルモンのアンバランスも体調の変化に出やすいのだと思います。
どちらかと言うと低血圧だったのに、40代になってから、時々ぽこんと血圧が上がるようになり、これも更年期障害の代表的な症状だと知り、ガッカリしたものでした。
どうしても若い頃から目を酷使してるせいか、老眼も早くやってきたので、ダブルパンチで非常にガッカリした40代の初めでしたね。
先月の終わりには、生理が10日以上早く来ました。
おかげさまで生理不順とはほぼほぼ無縁の私でしたから、閉経に向けて徐々にこういうことも増えてくるのかなぁ…と、思わずにはいられませんでした。
少しずつ少しずつこうやって「枯れていく」のかな、と。
そして、その先には「死」があるのだな、と、じんわりと感じたりもするのです。
観念的な「死」ではなく、身体の変化に伴った、少しばかり実感を伴った「死」を感じるのです。
それは忌むべきことではないけれど、己にも死がやってくるというのを身体の変化でもってうっすらとでも「実感」するというのは、やはり気持ちのいいものではありません。
けれども、それを観ないフリするのも勿体ないことだと思うので、やってきた時にはちゃんと感じようとしてはおります。
そんなこともあり。
体調の不安定要素が多少大きくなっていたのかもしれません。
水曜日は、なんだかちょっと「変だな。」と感じていました。
痛いとか辛いとか苦しいとかは無いけれど、なーーーんか変。
何がどう変かは表現できないけれど、自分の身体の「トータルな感じ」が少し妙だったのです。
時々雑音が混ざるような、そんな感じでした。
すると、木曜日は朝からスコンと体調が悪くて、お布団を畳むのもしんどかったくらいでした。
子供達も登校し、おとーちゃんも勤め先のNPO法人に出勤して…1時間くらいしてからでしたかね。
久々にアカンやつになりました。
ほんとにしんどくて、横になっていてもしんどくて、下手したら発作が出そうなくらいでした。
漢方薬を飲んでも良くなるどころか、どんどんアカンくなってきたので、緊急MAPもしてギリギリまで一人で耐えてましたが、とうとうおとーちゃんに電話して、帰ってきてもらいました。
ほんとうは畑仕事をしなければならない時間だったらしくて、理事長さんに代わってもらったそうです。
すぐにいつものクリニックに連れていってもらい、足湯や鍼をしてもらいました。
特にこの1年半は、ほとんどクリニックのお世話になっていなくて、数カ月に一度、漢方薬を処方してもらいに行く程度になっていました。
や、ほんとにね、
関ジャニ∞のライブに年に1度行くようになってから、(あくまで当社比だけどね!)すごーく元気になったんですよ。
なのに、久々にアカンやつになっちゃって、おとーちゃんにも理事長さんにも迷惑かけちゃって、息子も登校前にめっちゃ心配してて、
てことは、息子の支援クラスの担任の先生(←純粋で優しい女性)もめっちゃ配してくれてるハズで、
他にも、おとーちゃんの勤め先にいる私のママ友たちもきっと心配してくれてるハズで、
みんなに心配かけたり迷惑かけたりするってのが、ほんとーーーに情けなくて、泣きそうになってました。
クリニックの先生は、うちのオカンと同い年のおばーちゃん先生なのですが、クリスチャンで信仰が篤くて一本気な人なのですが、その先生が東洋医学だけでなく、代替医療の方向にも突っ走ってるために、他のお医者さんたちとソリが全く合わないらしいのです。
市内の某婦人科で、あそこのクリニックで漢方薬出してもらってると言っただけで、散々なコト言われたこともありました。
正直、私も「先生ぇぇ、それはちょっと…。」と内心思うこともあるんですけどね。
でも、深いところで優しい人だって分かってるので、甘えが出た……のでしょうかね。
それまでそんなこと言ったこともないし、したこともないのですが、
先生の顔を見ていたら、何かに突き動かされるように、何も深く考えずに、
「先生ぇぇー、ハグしてください…。」って泣きそうになりながら言ってしまいました。
すると先生はハグしてくれて、ぽんぽんと背中を叩いてくれて、
「あなたはよく頑張ってるよ~。たまにはこうなっちゃうこともあるよ~。」
と言ってくれました。
ばーっと涙が出ました。
すると、しんどかったのが半分くらいすーっと無くなりました。
帰宅後にハッとしたんですが、
先生は時々患者さんから「もらってくれちゃう」ことがあって、診察後に先生の調子が下降しちゃうことがありまして、
ああああーこれは先生、もらってくれちゃったんだ~、後から先生しんどくなっちゃうかも~~~、と申し訳なく思いました。
そして、帰宅後はすっかり良くなっていました。
食欲だけはまだ無くて、ちゃんと食べられないこともあって、少し動くとフラフラしてましたが、身体の感覚としてはかなりスッキリしていました。
実は、こういうことってありがちなのです。
まるでリセットするみたいに、ブレーカーが落ちるみたいに、動けなくなるほどしんどくなったり、最悪な場合は発作が出た後は、スッキリすることが多いのです。
認めたくなかったのですが、そういう場合が多いのです。
1~2週間くらいダラダラとびみょーに不調なのが続いて、だんだんと良くなる……というのもありますが、
激しい症状の場合は、逆に1日2日でケロっとすることが多いのです。
いろんな人に心配や迷惑をかけるのもすごくイヤだし、
なにより動けなくなるほどしんどいのなんてイヤですし、発作なんて死ぬほどイヤなので、こんなふうにリセットすることないやん?やめてよー、って心底思います。
受け入れ難いです。
受け入れたくありません。
ヤダ。
とにかくヤダ。
……でもね、深いところでね、『コレ』を頑なに拒否するんじゃなくて、
こんな自分、こんな自分の身体、こんな症状…『コレ』をふんわりと受け止めてしまった方がいいんじゃないか?という声も聞こえてくることがあるんです。
ええ、あるんです……。
でも、人に迷惑かけるのも、耐え難いくらいしんどいのも、受け入れられない!と、頑なに拒否し続けてきました。
と、思いつつ、横になりながらスマホを触っていたら、この記事に辿り着きました。
http://www.1101.com/rie2014/2014-11-06.html
読んでる時の私の顔は、おそらく「なんとも言えない表情」をしてただろうな、と思います。
丈夫で健康になることをあきらめるわけではないし、
耐え難いしんどさを我慢し続けろというわけでもなくて、
そうじゃなくて、
「かわせない時はかわせないんだ」ということを認めるだけで、全然違うのかも、と思いました。
全部かわそうとしてたんです。
でも、それって、傲慢だったのかもしれません。
すごくイヤなんだけどね。
イヤなんだけど、でもかわせない時はかわせないんだ、と認めることにしました。
なーんて考えてたら、じぇいど♪さんから「ぐるぐる同じことを繰り返す問題」についてちょっとしたメールが届きましてね。
そのやりとり中に、私が何でぐるぐる同じことを繰り返してるかはすごく分かり易いよ、と羅列してくれました。
●おっぱいが小さすぎる問題
●美人じゃないことがイヤだ問題
●絵についての劣等感で悶々とする問題
●身体が丈夫じゃない問題
もうねー、的確すぎてスマホ片手に笑い転げました。
画力も含めてですけど、さまざまの「自分で足りないと思っている能力」というのは、脳の機能といいますか、DNAといいますか、とにかく霊的or心理的or精神的なものというより、「この肉体で表現できる能力の閾値」の問題だよなーと思ってまして、
そういう意味では、
私がぐるぐるしているのは、この身体をちゃんと受け止めてない、文句ばっかゆーてる、できることなら取り替えたいとすら思ってる、ってところ
なんですよね。
そいやすぐに「初音ミクになりてー。草薙素子になりてー。」ってゆーてますもんね。
完全なる「筐体」が欲しいと思ってるところが問題!
まさにこの肉体は錨(アンカー)ですね。
なんだよー、ほんとにもー、あたしってば同じところでぐるぐるしてんなおい。
ま、そんな『完全なる筐体が欲しくてぐるぐるしている私』がだらだら書いてるブログですけど、これからも生温かく見守ってくださると嬉しいです。
よろしくお願いします。

おれはこの身体で十分素敵お猫だけど?

自分の中にソレがあると分かった時のショックといったらもう。

昨日の記事の続き…と言えば続きですかね。
同じことを繰り返すその回路にエネルギーを供給してるのはさまざまなブロックだったり偏った思い癖だったりすると思うのですが、
それらの中にあるのは罪悪感とか劣等感であることが多いんじゃないかなぁ~、と思うんです。
確か、斉藤一人さんの本だったと思うんですが、昔読んだ本の中に、「罪悪感は一番要らない感情」みたいなことが書かれてあったのを覚えてます。
もちろん、人を傷つけたら反省をするためにも罪を償うためにも、罪悪感を持つことが必要だと思うんですが、
おそらく我々は不必要に罪悪感を持ち続けやすい傾向にあるんじゃないかと感じるのです。
毒親に傷つけられても、「私が悪いんだ。」と罪悪感を持ってしまい、その罪悪感のせいで自分をなかなか肯定できない…という構図を見てもそれは明らかではないでしょうか。
そして、私自身がそうだったのですが、今生のものだけでも厄介なのに、前世から持ち越してる罪悪感が存在する場合もあって、それがオートマチックにマズい回路にエネルギーを供給してることもあって、
そうなるとなかなか自分で「同じことを繰り返してる原因」を見つけることが難しいよなーと思います。
同じように、劣等感も人生にオートマチックに関与しやすいよなー、と思います。
これは最近になって知ったことなんですが、
友達に紹介された記事を読んでみたら、そこに書いてあったんです。
劣等感と優越感は裏表だって。
言われてみればその通りなんですよね。
劣等感が大きければ大きいほど、優越感も大きいハズなんです。
なぜならば、人と比べて自分を評価するというやり方を、これまたオートマチックにしてるために発生する感情だからです。
私はあれこれ劣等感を持っていますが、このところは特に「絵」に対する劣等感がすごく強くなっていました。
思いがけず「絵を描くことが仕事になった」ために、だんだんと劣等感が強くなっていったのでした。
今年の夏過ぎから、イヤでもそんな自分と対峙せざるを得ないことになり、自分の中であれこれとあったのですが、
そもそも持ってるのが絵に関する劣等感だけじゃないわけでして、劣等感そのものと向き合っていると、
自分でもすごく気持悪かったんですけど、自分自身の中にある優越感の大きさにも気づかされることになりました。
ものすごくショックでした。
でもね。
優越感って隠しちゃうことが多いと思うんですよね。意識的にせよ無意識的にせよ。
謙遜するフリをして。
ええ、フリですよ。フリ。
またはそれが上手くできなくて卑下するんです。
そうやって優越感を隠すんです。自分からも他人からも。
でもね。
隠しても存在するので、ちゃんと反応しちゃうんです。
その優越感が脅かされるような状況が発生すると。
その人の言動になんだかイラっとする。
(上手に言葉を選びつつ)陰で批判する。
「あの人、きらい。」と感じる。
正論を盾とするとか、または、人間だからそういう気持ちになる(言動をする)ことがあっても仕方がないよねー、という言い訳を自分にするとかで、またしても誤魔化すんです。
自分の中に優越感があることを。
そのため、良いものを良いと素敵なものを素敵だと「フラットに」判断できなくなりやすいと思うのです。
でね。
劣等感and優越感も、人生の推進力になることって大いにあると思うんです。
それはそれで経験であり、学びでもあり、喜びに結びつくことでもあるはずです。
けれど、蓮村先生の言葉を借りるなら、それは誰もが持って生まれている使命みたいなもの(ダルマ)ではないと思うんです。
だってダルマは「純粋さ」から(己の中で)再発見されて意図されて行動が生まれるものだということですから。
なので、誰にでもいつか時期が来るのだろうな、と思うんです。
どうして繰り返してばかりなのか、と真剣に自分に問いかけるような時期が。
罪悪感や劣等感and優越感など、燃焼したらススがたくさん出るようなエネルギー源から、もっとクリーンなエネルギー源にシフトしていくための時期がやってくるのかな、と思うんです。
シフトできたら、その時は自分という「個」を【真に】愛することができるようになっていくのかもなー、なんて想像したりしてます。

おれはいつでもいつまでも素敵お猫だけど?

自分のソレは全く分からない。

ちまちまと絵を描いているので、なかなかブログも更新できてないんですが、
さらに予約録画してある番組もあれこれ観れてません…。
錦戸くんのドラマもね、ちっとも観れてません…。
あ、ぬ~べ~は子供と一緒に録画したのを昨日までの分全部観ました。
息子が私の手袋を持ってきて、はめてました。
ええ、ぬ~べ~になりきってましたよ。
ぷぷぷ。
(やー、しかし真面目な顔してる時のマルちゃんって、ほんっとカッコイイなぁ~♡)
さて。
そんな日常ではありますが、ツイッターをたらたら見てたり、友達とメールし合ったりはしてまして、
そーゆー中で、いろいろなことを思ったり感じたりしてたのですけれども、
それらはすべて、
人はみんな「同じことの繰り返し」をしてる
ということに収斂していくんですよ。
もちろん、繰り返してる内容といいますか、テーマといいますか、課題といいますか……は、人それぞれなんですけど、
それぞれ違うことではあるけれど、みんな「同じことの繰り返しをしている」んだなぁ~としみじみしました。
けれど、本人は分からないんですよね。
同じことの繰り返しをしてる、ってことが。
何をどう繰り返してることによって、同じような事象が起こってしまうのか、というのが、自分ではなかなか分からないと思うんです。
だって、分かってたら止めますもんね。
分からないから繰り返すわけでして…。
(だからどんな出来事も『すべて』自分の責任なんですよね。)
でね。
この「何をどう繰り返してるか」が、他人の私が観ててすぐ分かることもあれば、
ちょっと離れたところからずーっと観てても、すぐには分からなかったりもすることもあるんです。
この「すぐには分からないケース」で、何年越しかで分かった時が「うわー…。」となるのです。
根深い…といいますか、ややこしい…といいますか、デッドロックになっとるやん!って感じ…といいますか、
とにもかくにも「うわー…。」なんですよね。
でも、そんなこと本人には言えないし、言っても分かってもらえないだろうと思うんです。
言われて分かって止められるほど「軽い」ものなら、わざわざ生まれ変わっても同じことを繰り返してるわけないですもんね。
そうなんですよね。
「重い」課題は、生まれ変わってもチャレンジし続けてるからこそ、「同じことを繰り返してる」んだと思うんです。
だから、自分で気づくしか無いんだろうな、と思うのです。
と。
他人のそーゆーのを見てて、そんなことをしみじみ思ってたわけですが、
じゃあ、自分はどうなのよ?と自問しまくってみたんですが……
やっぱりよく分からない
んですよねぇぇぇぇぇ…。
や、分かってるのもあるんですけど、おそらくラスボスに関してはその存在すら気づいてないんだろうなーあたしー…と、思います。
あ、でもさ、うん。
それを知る旅をしてるようなものなんだろうし。
人生って。
うん。

箱があれば何度でも入り込む。
何度でも同じことを繰り返す。
それがお猫。

夢や希望は捨てたら勿体ないかも。

メタトロン指定でご注文いただきまして、描かせてもらったんですが、
この絵は未来への希望みたいなものを示してるなぁー、と感じました。
大天使メタトロン
夢とか希望って、自分でその芽をむしり取っちゃうことって案外多い気がするので、
ちゃんと大事に育てる…と言いますか、その夢や希望を忘れないことが必要かもなって思います。
そして、ガムシャラに頑張るとか、めっちゃ努力するとか、ってのが必要なのは、もしかしたら人生のほんのワンポイントなのかもなー、って思うこともあるんです。
つまり、
ここぞ、というところで最大限の努力をして、結果を出す
ってことです。
いつもいつも最大限の努力をするなんて、私にはできませんもん。
けれど、ここぞというところで頑張って結果を出したから、今の自分があるよなー、とは思うんです。
そういうポイントって、誰の人生にも何度か訪れるんじゃないかなー、と思います。
で、普段はこっそりひっそり心の中に夢や希望を持ってて、やるべきことをほどよくやって、できる限りご機嫌でいられる自分をキープしようとしていればいいのかな~、と思ったりしてます。
(できてるかできてないかは、別ねー。ごめんねー。おかーちゃんよく怒るよねー。ごめんねー。)
や、実はですね、私は高校生の頃に
「お母さんはお家にいた方がいいと私は思うので、結婚して子供が生まれたら、家でできるクリエイティブな仕事をしつつ、子育てしたいなー。」
と、思ってたんです。
でも、自分が会社員の頃は、子供を産んでも会社勤めを続けるのかもなー、と漠然と思ってたんです。
それは自分が望んでそうしたい、というものではなく、経済的なことを考えてそうすべきかなー、と思ってたのです。
(勤め先では、子育てしながら働いてる先輩もたくさんいたので、余計にそう思ってました。)
お家でクリエイティブなお仕事をしつつ子育てしたい、というのは「望み」であり、
子供が生まれてもお勤めをつづけようかな、というのは「望み」では無かったわけです。
それでもなお、できることならお家にいてクリエイティブなお仕事をしつつ子育てをしたいなー、という希望は常に自分の中にありました。
…ありましたが、それを実現できるとは思ってなかったので、現実的に見える方を選ぼうとしていたのです。
そしたらですね、
いつもならいろいろ考えちゃって、なかなか行動に移せない私が、
妊娠中(←身体の変化が激しくてあまり深く考えることができないんですよ。妊娠中って。)に旦那さんの意見を素直に「そっかー。」と聞いて、11年お世話になった会社を辞めたり、
癇の強い娘の子育て中(←毎日すげぇ疲れてた!)に弟が思いつきで言った意見を素直に「そっかー。」と聞いて、天使の絵を描いてみたりしたところ、
気づいたら、望みが叶っていたんです。
驚きです。
これって、どこかで望みを捨てきれずにこっそり持ち続けていたのが良かったんじゃないかなー、と思うのです。
なので、夢や希望は、うっかり捨てちゃわない方がいいと私は思います。
また、お客様が追加で聖母マリアの絵もご注文くださったので、描かせてもらいました。
聖母マリア
経済的なことだけでなく、お客様のいろんなことの「巡り」が良くなるといいよなー、と、描いてる途中で思ったので、もしかしたらそーゆー絵になってるのかもしれません。
なってるといいなぁ~♪
みなさんにも、良い循環が生まれますように。

さらに箱猫おブ子。