このところのアレコレ…番外編★まだその時期じゃないのね。


暑いですね。
昨日は息子がどうしてもお蕎麦屋さんに連れてって欲しいと言うので、お昼にみんなで行ってきました。
いつもは温かいものを注文する私ですが、昨日はとろろざる蕎麦を頼んじゃいました。
だって暑かったんですもん~。
やー、美味しかったです♪
…と、お蕎麦テロをかましたところで。
「このところのアレコレ」シリーズの番外編みたいなのをついでに書いておこうと思います。
新作の絵の紹介は明日にします。
……多分、できると思う。うん。
私の場合、20歳からの人生は健康問題を通してアレコレを学んでるようなものですが、
ブログを読んでくれてる方の中には、「もっとこういうやり方もあるのにー。」と感じる方もいらっしゃるかもしれませんね。
実際、2年くらい前でしたか、シータヒーリングを受けてみたらいかがですか?…と、コメントをくださった方もいらっしゃいました。
ご自身がシータヒーリングを受けて人生がスッキリ変わったそうで、その経験からアドバイスしてくださったようでした。
そういうお気持ちはとてもありがたいです。ほんとに。
私はブログでも時々シータヒーラーの方のブログやツイートを紹介してますし、シータヒーリングの本も持ってます。
時々ふと読み返したくなるので、本棚ではなくPCの近くに置いてあるくらいです。
私自身は一度もシータヒーリングを受けたことがありません。
でも、信頼できるヒーラーさんによるシータヒーリングならば、その時における最善の癒しが施されることになるだろう、と思ってます。
ならば、シータヒーリングを受ければ良いのでは?と、思われるかもしれませんね。
確かに何度か、もう受けてみようかな、と真剣に考えたこともあるんです。
アクティブ仙骨ワークを受ける前もそのような状態でした。
MAPをじぇいど♪さんに教えてもらう前なんて、もっと切羽詰まったような心境でした。
でも、シータヒーリングを受ける前に、まだまだやらなければいけないことがある、という感覚が何故かあって、
もう受けようか、と真剣に考え出すと、ひょいっと違う方法を提示されるのです。
ですから、「ああやっぱりまだまだ自分で見つけないといけないことがあるんだな。」と思うわけです。
なんとなくですが、「ひとつの大きめな区切りの総仕上げ」みたいなタイミングにならないと、するっと受けることにならないのだろうな、と思うのです。
強力なツールであると思うからこそ、そういうことになってる(している)のかな~、なんて感じたりしてます。
ヒーリングにしてもエネルギーワークにしても、たくさんたくさんあって、それぞれ特徴があって、どれも有効なんだと思いますが、
やはり縁があるものしか興味は湧かないような気がしますし、
興味が湧いても、受けるタイミングが重要になってくる気がします。
心のどこかで、(どんぴしゃりでハマった)ヒーリングやエネルギーワークを奇跡や魔法みたいに思ってる自分もいるんですが、
でもそれは結果的にそのように見えることもある、というだけであって、決して奇跡や魔法じゃないと考えてる自分も同時にいます。
健康問題に関しては、科学的(医学的)な考え方の方がまず頭に浮かびますし。
ヒーリングやエネルギーワークがどんなものかよく分かっていないのでこのようにいろんな自分が居るのかもしれませんが、
人としてどこかが極端に未熟だったり偏りがある場合は望むような癒しが起こりにくいんじゃないかなー、と思ったりしてます。
土台がグラグラな状態のような気がするからです。
その土台を直すところから始まると考えると、「望むような癒し」に到達するまでに時間がかなりかかりそうですもんね。
リフォームには時間がかかるもの!
というわけで、
私もまだまだ「家の基礎」を直してるようなものなのかも、と思ったりしております。
……床暖房が欲しいな♪
パントリーも欲しいな♪

このところのアレコレ…その3★自己信頼の欠如

さて。
ちょっとだけ時間を遡ります。

2月の中旬にMAPセションをしていたら「ああこういう想念があったのかー。」と気づいたことがありました。
すると、(自律神経失調や更年期障害ではない)持病の方の塩梅が2カ月間ほどではありましたがちょっとばかしいい感じになったのでした。
でもそれすらも、比較的浅いところにあったものだったのだろうなぁ、と後から思いました。
やはり根本的なところはそうそう簡単には辿り着けるものではないようです。
おそらくこういう「ちょっとした気づき」は「断片」でしかなく、
今までどおり、こういう「断片」をコツコツ拾い集めていくしかないのかー、と少し途方に暮れそうにもなりました。
それでもですね。
アクティブ仙骨ワークの1回目の日。
お昼頃にぼんやりあれこれ思いめぐらせていたら、こんなことをしみじみ思いました。
私は自己肯定感はあるけれど、自己信頼を失っている。
って。
これは、ブログでも以前どこかで書いたような気がしますが、どうしてもここに戻ってきてしまうのでした。
問題もちょいちょいある両親ではありましたが、私の自己肯定感はちゃんと育ててもらえていました。
とてもとてもありがたいことだと感謝しています。
しかし、私は自己を信頼していないのです。
己は肯定していますが、己を信頼してはいないのです。
私が、私の何を肯定していて、私の何を信頼していないのか、を考えると、途端に雲を掴むような感覚になってボヤけてしまうのですが、でもそうなのです。
そして。
私は、相反する想いを持っていて、まさしくブレーキをアクセルを同時に踏んでるよな~、というのも前々から分かっていました。
いろんな人に私の絵をもっと知ってもらいたいと願う自分もいるくせに、目立つのが怖くてイヤだと強く思う自分も同時に存在しています。
顕在意識では健康になりたいと希求してるのに、同時に癒されたくない自分がちょっと深いところにもいたわけです。
見事にアンビバレンスですね。
さらに、
ここ
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-1028.html
で書いたように、自分が何をしたいのかどうなりたいのかどう在りたいのかが、ぼやーんとしたままなのです。
自己信頼を失っていることを自覚し、アンビバレントな自分を自覚し、自分の欲求がぼんやりしていることを自覚してみると、まるで自分はドーナツみたいだと、感じたりもしました。
虚無の周りをぐるぐるしているだけのように感じたからです。
すると、
3回目のアクティブ仙骨ワークの後、数日経ってからMAPセションをしていたら、ビジョンが浮かんできました。
石の塔のような、そんな牢屋に、手足を重い鉄の鎖でつながれて、閉じ込められてる女性。
自分の排泄物で全身汚れていて、動くこともままならないけれど、長い髪の隙間から見える目だけは異様に光っている。
私はビジョンが見えても音やニオイなど他の感覚は感じないのですが、初めてニオイも感じました。
排泄物の臭いがしたのでした。
過去世の「石の牢屋に閉じ込められた双子の妹」というのは観たことがありますが、
モチーフは似ているのですが、これは過去世ではないな、と直観で思いました。
これは、悪魔だな、と思ったのでした。
石に囲まれて閉じ込められた不浄の女悪魔…が象徴する何かが私の中にあるんだろうな、と思いました。
と、そこに。
月子さんが、一緒に参加した鏡リュウジさんの講演会で購入した「土星の心理占星学」を読み直してみたら?とアドバイスをくれました。
私のプログレスの月がネイタルの土星とうんたらかんたら~ってのが月子さん的にはちょっと気になったようで、そう言ってくれました。
この本。
読みにくいんです。
翻訳本ならではの読みにくさに加えて、内容がとても抽象的なので、自分の土星の部分だけ読んでても「……で?」となっておりました。
しかし、今回は、ちょっと違ってました。
私の出生図の土星は、牡羊座で12ハウスにいます。
「私は私だー。」という火の牡羊座に(成長を促す目的で)厳しく抑制を課す土星が座するというのは、土星が「失墜」すると言われてますが、それは同時に「私は私だー。」というアイデンティティそのものに抑制や制限などがかかるということでもあると思います。
この本の100pにこんな説明がありました。

火の星座かハウスにいる土星の影響は「精神的な停滞」とされるが、これは適切な表現といえよう。日常生活においては、自発性と自己表現の欠如、生命力への内的信頼感の欠如、目的の喪失感といったカタチで現れる。


どうやら、第1ハウスまたは牡羊座に土星がいることで、表面的なパーソナリティと豊かな内的人格との接点が欠落してしまうから、生命力への内的信頼感が欠如としてしまう、らしいのです。
私が私を信頼していないというのは、これなのだろうな、と思いました。
そして、本を読んでいて、あの女悪魔の姿がチラチラとよぎりました。
私は多分、肉体というものを愛していません。
ものすごく重たい鎧のように捉えているフシがあります。
事実、身体が軽いと感じることは、年に数日間ほどしかありませんし…。
そして、美しい造詣や機動性の高い筋肉や賢い脳を好み、それが自分に備わっていないことを嘆くのも、身近にそういう人たちがいたために発生したコンプレックスだと思っていました。
しかし、そもそも「この現象界における魂の乗り物としての肉体」への敬意が私には足りていないからなのだろうな…と、女悪魔の姿を思い出しながら、そう思いました。
だからこそ、そのような状況・環境をデザインしたのでしょう。
表面的なパーソナリティと豊かな内的人格との接点が欠落して、石(意志?)に囲まれ閉じ込められた「生命力への内的信頼」が、動けずに自分の汚物にまみれて不浄の悪魔のように(見かけ上)なってしまったかのように感じたのでした。
私は、自己に関して失ったものを取り戻さなければならないのでしょうね。
自己信頼を失ってるから、恐怖に立ち向かうのが難しいし、だからアクセルとブレーキを同時に踏むようなことになるんでしょうしね。
アクセルとブレーキを同時に踏み込んでたらアカンよねー。
そりゃ、交感神経(アクセル)と副交感神経(ブレーキ)がめちゃめちゃになるわー。
けれども、
私の土星は同時に12ハウスにいます。
魂のハウスです。
この本によりますと、12ハウスに土星がいる場合、1ハウスから順番に形成してきた「自己」を(全体へと)投げ出してしまわなければならないというのです。
私のイメージとしては、サナギになった青虫がどろどろに融けてしまうのと同じようなものに感じました。
葉っぱをいっぱい食べて育て上げた自分を一度どろどろに融かしてしまわないと、次のサイクルに入れないのでしょう。
そしてさらに、
12ハウスのところを読んでいたら、今年になってからいろんな経路を通じて言われ続けてきた言葉が頭に浮かびました。
「おまかせしきればいい。」
「委ねきる。」
「自我が降参したところで、目が覚める。」
分かってます。
分かってます。
頭では十分に分かってます。
五井先生も何度も何度もそう言ってましたから、頭では分かってます。
自己を、意志を、「大いなる働き」に投げ出してしまうことしか、最終的には進む道が無いのは頭で十分に分かっています。
息子がアレのおかげで、部分的にはそれをせざるを得ませんでした。
息子に導かれたおかげです。
でもそれは自己のほんの一側面だけです。
とてもじゃないけど自己を委ねきることはできません。
(そして私はまずその投げ出すべき自己の回復をしなければならない!)
自分の身体のこととなると、しんどいのってほんとーーーにイヤなんですもん!
投げ出すことなんてどうしてもできません。
今朝もちょっとしんどかったのですが、とてもそんな心境になれませんでした。
ほんとは分かってます。
それすらも委ねて「おまかせ」してしまうことができたら、すべてはぐるりとひっくり返るだろうと。
でもできません!
「ほんとうにおまかせしきる」という絶対他力には、とてもじゃないけどなかなか至れないものだ、と五井先生は言ってましたが、
頭では分かっていたけど、今ここにきてその言葉がすごくすごく重いです…。
養老孟司先生が著書の中で確か書いていたと記憶してるんですが、
人間は自然をコントロールして、自分にとって推測可能な世界を、つまり「脳内の世界」を現そうとしてるけど、
実は自分の身体が一番の「自然」であって、コントロールできないというジレンマを持ってる…と。
だから私はしょっちゅー「初音ミクになりたい。」と喚くんでしょうが、
ほんとにどこまで肉体への敬意が足りないんだ私。
まずは「立派な青虫」にならないとですね。
サナギになるのはその後。
どうしたらいいか分からないけど、とりあえず、自分の肉体に敬意が足りないことを謝ります……。
ごめんなさい。

おれは立派なお猫だけどな。

このところのアレコレ…その2★それをデザインしたのは…?

「何やったってどうせ無駄。私ごときには効くわけない。」
ちょうど、この想念が出てきた頃に、こんなツイートを見かけました。
https://twitter.com/usamimix/status/592609657555849216
これがじわじわボディーブローのように効いてきまして、
「それは本人がその癒しを受け取るだけの正当な行いや在り方があってこそ。」ってことは、私は正当な行いをせず正当な在り方にないから癒されないのかなー?とか考え出すと迷路から出れなくなってきたので、
それでつい先日、mixiのつぶやきの方に、これがずっとじわじわきてる、と、書いたんです。
そしたら、さつきのひかりさんが以下のようなコメントをくれました。

ヒーリングを送っても、相手が癒されない場合っていうのが一定数あるんですが、「そもそも受け取るための器を用意していない」ときと、「器はあるけど蓋をしている」ときとある感触なんですよね。前者は不養生などで、うさみみさんはこっちを指されてると思います。
後者は養生したり内観したりで器はしっかりあるのだけれど、何かの理由によりブロックされている場合。それは、その「癒されない状態」が魂の課題に直結しているとか、何かのメリットがあってそれを望んでいる状態、あるいは癒しを自分に許していない状態なのだろうと思います。
ヒーリングとしては、ブロックされたところでエネルギーが消えるわけではないので(保存の法則)、その周辺に働いて、徐々にではあるけれど癒しを受け取れるように、課題をクリアできるように、自分を赦せるように、自然に養生したくなるように(笑)、少しずつ染みわたってゆくのがいいかなあと思っております。
なので、例えばヒーリングを受け取ってもすぐに効かないとかなかなか癒されないとかあっても、それはそれにちゃんとした個人(魂)の理由があるものだし、質の良いヒーリングであれば少しずつ全体的に変化してゆくものだし、たみえさんがご自分を責めたり気にされる必要は何もないと思います♪


ちょうどそのタイミングで、「神との対話」のbotがツイッターで
「起こることは全て完璧」
という言葉をパーンと投げかけてきたのでした。
すると、氣乃さんもブログでこんなことを書いていました。
http://ameblo.jp/kino-tasuku/entry-12025586643.html

その後程なくしまして、
同じ様に全国各地で「光話」と呼ばれるセミナーを行っていらっしゃる。
「食事も取らず」「眠らずにそのかわり一時間瞑想を行っている」
いわゆる【真我覚醒】されているという「噂の先生」の存在を知りまして、
なんだかもう( ̄ω ̄)パーそこに無性に行きたくなっちゃったもんですから(笑)、
速攻でその会場に参加させていただきまして暫く通っていた事がございます。
その先生は会場でヒーリングもされるんですけど、
【病気治しの事はあえてされない】そうでございます。
その昔は『難病をどんどんその場で治してしまうので』
全国からそのヒーリングを受ける為に連日朝から夜中まで、
300人という方にヒーリングを行っていらっしゃったそうでございますけど、
「治しても2~3年経つとまた同じ病気が再発して」戻って来るそうでございます。
その先生もその有り様を見ましてですね、
【病気になるのは、自身の悪行、悪癖、思い癖などの結果であり、今生での宿題なのだ】、と
病気になっている根本的な(心の)原因に本人が気が付かない限りこの現象は永遠に続いてしまうからという事でですね、
それでその先生の場合はですね、
【自分の中の神を実感してください】
と連日、全国(現在は海外まで)光話を行われていまして、
「独自の瞑想」を指導されていらっしゃいます。


ヒーリングをしてもらったり、何かに気づいたりして、症状がすぱーんと良くなる……というのは何度も体験しています。
でも、だいたい1カ月もすると元に戻ってしまうのです。
この先生のおっしゃるように、根本的な何か(←月子さんと私はこれをラスボスと呼んでますが)…を、ちゃんと見つけ出さないと、真には変われないのだと思います。
それはもうとっくに分かってはいたのです。
…でもね。
ラスボスがそうそう簡単に見つかるわけないんですよ~。
簡単に見つかるならラスボスやないってーー。

。・゜・(ノД`)・゜・。
健康問題だけじゃないですよね。
場所が変わっても人間関係でいつも悩む人もそうでしょうし、
常に家庭がゴタゴタしてて苦しい人もそうでしょうし、
仕事に恵まれないとか、経済的な問題がなかなか解消しない人もそうでしょうし、
嫉妬とか怒りが沸き上がりやすくて、その結果、孤独になっている人もそうでしょうし、
自分の中のわけのわからない衝動にさいなまれ続けてる人もそうでしょうし…。
何か同じことでぐるぐるぐるぐる何十年もイヤな思い、辛い思い、しんどい思いをしている、というのは、深い深いところ、とてもじゃないけど簡単には見つからないところにラスボスが居るんだと思います。
私ね。
思ったんですよ。
今までの人生を振り返ってみて、
人を傷つけたこともたくさんあるし、それは自覚してる部分だけであって、きっともっと傷つけてるだろうけど、
自分もキツかったことがたくさんあるし、
そしてそれらを身体がしんどいことが多い中で、なんとかできる限りのことをしてきて、
人生まあまあ頑張ってきてたんちゃう?って思うんですよ。
もっとできたハズ、ってのはそりゃありますけど、まあまあ頑張ってきたね、って素直に思うんです。
ほんとーに身体がしんどいことが多くて、それでもよくやってきたやん、って。
なので、このままの感じ……身体があちこちしんどいわー、と言いながら、落ち込みながら、それでもできる限り目の前のことをなんとかクリアしていく、という生き方を続けて、たとえば90歳で死んだとしても、
多分、まあまあ頑張ってきたやん、って、及第点はなんとかもらえるんちゃうか?って思ったんです。
身体がしんどい、健康に難がある、って、すごく分かりやすいハンデですよね。
しんどいのによく頑張ったやん、って言いやすいですもん。
(や、ほんとに頑張ってるんやけどね!)
大学時代の友人が言った言葉が、今でも忘れられないのですけどね。
彼女は頑張り屋さんなんです。
それは、いわゆる自己肯定感がとても低いために、いろんなことを頑張って「誰かの役に立つこと」でしか自分を維持できなかったからなんだと思います。
そんな彼女が結婚して、会社を辞めて、旦那さんの仕事の手伝いをするようになったのですが、イマイチ業績が良くなかったようでした。
それは彼女のせいではないのですが、彼女はそんなふうには思えなかったようです。
そして、お姑さんも働き者だったのですが、何かしらの持病があったそうなのです。
身体が丈夫だと言い切れないのに、毎日頑張って働いていたのです。
何年かぶりにみんなで会った時に、そんな話をしながら彼女は言いました。
「私も、こんなに身体が丈夫じゃなかったらよかったのに。」
丈夫な自分がフルに頑張っても、それは当たり前。
だったら、身体が丈夫じゃなかったら……つまりハンデがあったら、今の頑張りがもっと価値のあるものになるのに。
という意味で彼女は言ったのでした。
身体が丈夫じゃない私からしたら、ちゃぶ台をひっくり返したくなるような、「そこに立て!歯をくいしばれ!」と言いたくなるような、そんな言葉ではありましたが、
そんなふうに思うくらい、自分をダメダメだと思って見てるなんて、ほんとに不憫な奴だなーおい、と友人であるがゆえに、苦笑いしかすることができませんでした。
その時は。
でも、今は、なるほどねー、と思うんです。
健康に難アリというハンデがあることで、実際に自分は自分に「まあまあ頑張ってきたんちゃう?」って言えてるんですから。
この肉体に宿る一番表に出てる顕在意識の「私」にしたら、身体がしんどいのなんてイヤ過ぎます。
のし付けてお返ししますー、ってなもんです。
でも、絶対、魂的なところの「私」がデザインしてるに違いないんですよ。
ラスボスをめちゃめちゃ分かりにくいところに隠してるのも、(トータルとしての)私なんですよ。
これは単なる「大リーガー養成ギプス」なのか、
それとも、かくれんぼの鬼を捜してるだけなのか、
それともそれとも、ラスボスどころか「我等四天王の中で最弱」と言われるものに負け続けてるだけなのか。
なにがなんだか、ほんとにまったく分かりません。
でも、デザインしてるのは自分自身なのです。
それだけは間違いないと思うのです。
苦しかろうが何だろうが、今の自分になるようにデザインしたのは自分自身なんですよね。
私が、健康もお金もおっぱいもある叶恭子おねーさまじゃないのにも、ちゃんと理由があるってわけです。
でも、デザインした意図がさっぱり分からないってのは、ほんとにトホホな気分に違いないわけです。
★もちょっと続く★

このところのアレコレ…その1★アクティブ仙骨ワークを受けました

ちょいとばかし、このところの自分のアレコレを書いておきたいと思います。
20歳になる直前に胃腸風邪をこじらせてから、25年以上自律神経失調が続いてるわけですが、
なんとかならんもんか、と私になりにもいろいろ試してきてまいりました。
もちろん病院も通いましたし検査もいろいろしました。
今も漢方薬は手放せませんし。
私の体調の不安定さが入り口となって、ご先祖様のご供養もけっこーさせてもらいましたし、
催眠療法も試しましたし、
ヒーリングも受けたりしておりました。
一番近いところでは、MAPがあります。
この体調の不安定さがなければ、五井先生のお祈りにも辿り着くことが無かったはずです。
いろいろなことをさせてもらって、まるでいろいろな垢を少しずつ落としてきたような、そんな感じがしています。
無駄だったことはひとつも無いと感じています。
でもですね。
どうしてもスッキリとは治らないのです。
体質だから仕方がない、と割り切ってしまえばいいのかもしれませんが、できることならこの不安定さをスッキリさせたいのです。
とにもかくにも、しんどくて苦しいのがイヤなのです。
もー、ほんとにイヤ。(←文字を大きくして主張してみた)
そしたらですね、
3月の下旬でしたかね。
氣乃 介(きのたすく) さんという知り合いのヒーラーさんが、アクティブ仙骨ワークというエネルギーワークのモニターを募集してるのを目にしたのです。
これです。
http://ameblo.jp/kino-tasuku/entry-12003754916.html
(現在はモニターを募集してませんのであしからず。)
彼は、長居和尚さんつながりで一度お会いしたことがありまして、
たった一度お会いしただけなんですが、それから何年後かに私が腰をちょいとばかし痛めちゃった時に、電話してきてくれまして、遠隔ヒーリングで腰の塩梅を良くしてくださったことがあるんです。
あれはねー、ビックリしましたねーーー。
まるで鍼だな、と思いました。
そんな方なので、ほんとーにエネルギーワークで仙骨の状態をいい塩梅にできるんだろうな、と思ったのです。
ちょうどですね、
こんなブログもたまたま見つけたんです。
http://karuna98.blog.fc2.com/
このブログのカテゴリ「姿勢から解くクンダリーニ活性」
http://karuna98.blog.fc2.com/blog-category-34.html
の記事が検索でひっかかって、それで読んだんです。
とーてーも興味深かったです。
それで、「仙骨って大事なんだなー。」と思っていたところだったので、モニター枠が空いてるならお願いしますー、とメールをしました。
おかげさまでモニター枠が空いていたので、4月10日、4月27日、5月7日と3回のセションを受けることができました。
氣乃さんは「普段は町人」とおっしゃっているように、日常は会社でお仕事をされているので、夜の10時からSkypeで会話しながらのセションとなりました。
仙骨ワークのエネルギーを流してもらったのは、ほんとに1分とかそれくらいの時間でした。
エネルギー自体はそうやってすぐに入れてもらえたのですが、氣乃さんに教えてもらったとても簡単な自己ワークをコツコツと毎日(気がついた時に)する、ということが大事だと言われました。
また、好転反応が強く出る人もいるので、それを和らげる「たすくゆ」というヒーリングエネルギーがいつでも呼び出して使えるように設定してくださいました。
この自己ワークは今もコツコツ続けてますし、たすくゆもよく使わせてもらっています。
とういわけで。
以下に私がノートに書いておいたメモを載せてみます。
◆4月10日◆
Skypeしながらヒーリングをしてもらった。
これといった体感は無かったけれど、途中で足の裏がぼわーーんとなった。
(ヒーリング前にチェックした時より)前屈が5cmほど深くなり、左右のねじれも深くなった。
寝入る直前、まさに仙骨のところがジンジンとした。
夜中にふと目が覚めると、とにかく足の裏がぼわんぼわんとなってて、足の指の間をぎゅうぎゅう揉まないと眠れなかった。

足の裏がぼわんとなるというのは、足の裏からネガが排出されてるからですよー、と氣乃さんがおっしゃっていました。
ということは、寝てる間にもどかんどかんと排出されていた、ということみたいです。
寝入る直前には、ほんとーーーにまさにドンピシャで仙骨のところがジンジンとしました。
これはビックリしました。(でもすぐ寝ちゃいました~。)
◆4月11日◆
朝から腰にハリがある。
腰痛というほどでもないけど、なっかなかのハリ具合。
右太股の前側にもハリがある。
ぼーっとしていた時に、ピンポイントで丹田のところがジジジジジー…と低く振動してるような感覚になった。

一度、かるーーーーいギックリ腰の手前みたいなものになった(←氣乃さんにヒーリングしてもらったやつね)ことはありますが、おかげさまで基本的に私は腰痛はほとんど無いのです。
そんな私ですが、これだけハリがあるというのは、仙骨ワークの好転反応としか考えられないなー、と思いました。
そして、丹田のところがピンポイントで低く振動しているような感覚になったのも、仙骨ワークの影響だよなー、と思いました。
だってこんなこと初めてでしたもん。
これは数分続きました。
あ、そいえば、丹田のところで黒い小さい珠が振動しているようなイメージも一緒に浮かんでいました。
◆4月12日◆
少し腰が張ってるくらい。
◆4月13日◆
夕方から腰が少し痛い。
◆4月14日◆
(この日は10時出勤だった)お父ちゃんが出勤した直後からしんどくなって、14時頃まで横になったいた。
15時頃から動けるようになって、スーパーも行けた。

と、だんだん腰のハリは収束していったわけですが、14日はしんどかったです。
でも、この時にガイドに文句を言ったら、「これも好転反応だから。」と言われて、ほんとかー??と疑ってた…のですが、
確かにね、おとーちゃんが出勤してすぐにしんどくなって、子供が帰ってくる少し前に回復する…なんて、出来過ぎてるよな~、と思いました。
◆4月25日◆
夜中に目が覚めて、発作になりかけた。
朝からしんどかったけど、(土曜日で授業参観のため)なんとかお弁当は作って、その後ダウン。
お昼近くまで寝ていた。

発作になりかけた時に、自己ワークをしながらたすくゆを受け取りつつ、緊急MAPでWBHのチームを呼んだりしてました。
寝る前まで体調はちっとも悪くなかったのですけどね……。
とにもかくにも、発作にはならなかったし、しんどくてもお弁当は作れたし、お昼からは段々と楽になったので、ヨシとしました。
と、そんな体調変化がドカンとあってから翌々日に、2回目のセションを受けました。
◆4月27日◆
まだ少し身体が重く、お昼頃にしんどくて小一時間ほど寝ていた。
夜10時から2回目のセション。
氣乃さんがスキャンして確認してくれた。
 ・自己ワークは効いている
 ・たらいの法則を試す
 ・たらいの法則+自己ワークでみぞおちあたりの感情のブロックをじわじわ解消していく → 頭から抜けるようなイメージが浮かび、ほんとうにイヤな感情が減った
 ・たすくゆは病名ではなくて症状にフォーカスして受け取るとよい

私は、マイナスまたはネガティブな感情が沸き上がっている時というのは、みぞおちが張ったような、固くなったような、そんな感じになるのです。
そもそも、こーゆー「透明の栓」がみぞおちにあったくらいですし。
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-176.html
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-177.html
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-178.html
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-179.html
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-180.html
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-181.html
すると、ネガティブな感情が溜まるのがみぞおちあたりで、それを自覚できているなら話は早い、といって、氣乃さんが「たらいの法則」を教えてくださいました。
えーと…氣乃さんのブログに「たらいの法則」の記事があったと思うんですけど、ごめんなさい。見つけられませんでした。
気になる方は、グーグル先生に検索を頼んでみてくださいませ~。
これを教えてもらってから、みぞおちあたりが固くなった時に、
「このみぞおちの緊張を引き受けます。」と心の中で言ってから、自己ワークをしています。
今もやってますー。
そして、先週になりまして、最後のセションとなりました。
1回目が15分ちょっと、2回目が30分ちょっと、3回目が1時間オーバーでした…。
氣乃さんにあれやこれや質問しまくってたので、めっちゃ長くなってしまいました。
申し訳なかったですが、とてもありがたかったです。
◆5月7日◆
3回目のセション。
セション前にフリーダムエナジー(←氣乃さんのオリジナルヒーリングエネルギー)を流してもらったら、足首より下がぼわんとした。
体感はそれくらいだけど、流してもららってる間ずーっと細く白い螺旋状のものが身体の中を通っていくイメージが湧いていたので、そのことを氣乃さんに伝えたら、フリーダムエナジーはほんとうに螺旋状のエネルギーだそうで、体感よりもインスピレーション優先ですね、と言われた。
体感は、身体の緊張が取れてくるとだんだんと分かるようになると思います、とのこと。
(確かに私の身体は無駄に緊張している。これは心療内科でも実証済み。)
MAPのエネルギーを氣乃さんに流してみて、と言われて、どうやったらいいか分からなかったけど、とりあえずWBHのチームに「私のセションの時のエネルギーを氣乃さんにも流してみてくださーい。」と心の中でお願いしてみた。
すると、かなりのエネルギーが流れていて、とても気持ちの良いエネルギーですね、と言われた。
キリスト、マリア、ミカエル、ラファエルなどを感じるとのこと。
私のチームはめっちゃたくさんの人(?)が関わってるというイメージは最初からあったのだけど、マリア、ミカエル、ラファエル、そしてガイドの2名くらいしか私自身は認識していないので、キリストがいるというのはちょっと嬉しかった。
(子供の時に2年ほどプロテスタントの教会に通っていたので、やはりイエス様はちょっと特別なのですよ。私にとって。)
これはとても気持ちの良いヒーリングエネルギーなので、ぜひ続けるべきとのこと。
たらいの法則で身体の緊張してる部分を引き受けてから自己ワークしてみたら、一時的にせよ、確かに身体が少し柔らかくなった。
これからもネガティブな感情が出てきた時に緊張していたりイヤな感じのする身体の部位を引き受けると宣言してから自己ワークすると良い、とのこと。
3回目の仙骨ワークのヒーリングではかなりのエネルギーが流れたとのこと。
私は体感無しでさっぱり分からず。
昔、オーラやチャクラには大きな問題はないが、エネルギー管が細くて詰まってると言われてて、ヒーリングを受けたこともあり、今でもそういうセルフイメージなのだが、と伝えたら、
そのヒーリングやちまちま使ってるREFにコツコツ続けたMAP、和尚さんに入れてもらったアレなどなどのおかげで(自分で思っているよりも)かなりエネルギーが通るようになったんだと思いますよ、だってほんとにかなりのエネルギーが流れたんですから~、とのこと。
かなりビックリ。
このところ鬱っぽいのは、実際の体調のアップダウンが激しいためにそうなってる部分が大きいと思うが、
仙骨ワークでネガが浮き出やすくなってるためかも。
また、いろんなヒーリングに対して、「何やったってどうせ無駄。私ごときには効くわけない。」という想念がちょっと深いところにあるのが2回目のセション以降だんだん分かってきた。
これも浮き出てきたのかも。

セションの後に、MAPのメモノートを読み返してみたところ、最初の頃のセションで、自律神経失調はエネルギー管の問題というより、破壊的細胞記憶の方が影響している、というメモがありました。
やー、すっかり忘れました。
セルフイメージを刷新していかないといけませんね。
自分で思ってた以上に、エネルギーの通りが良くなっていたというのは、ほんとに嬉しいです。
ちまちま使ってコツコツ続ける、って大事なんですね…。
あ、アリーナ席でエイトのライブに参戦するために、調整されてたのもあるしね!
と。
1カ月かけて、3回のセションをしてもらったのでした。
氣乃さん、ほんとうにありがとうございました♪♪
そして、2回目のセション以降に出てきた、「何やったってどうせ無駄。私ごときには効くわけない。」という想念が、なかなか厄介かもなー、と思ったのでした。
★続く★

くまえる栞の当選者発表とお知らせ

★★お知らせ★★
月子さんの星読みの5月分枠が募集中となっております。
ご興味のある方はコチラをチェックをしてみてください♪
*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*
さてさて。
ご応募ありがとうございました。
くまえる栞の当選者を発表いたします♪
当選者は……

あおさん

まめさん
です。
おめでとうございまーす♪♪
あおさんとまめさんは、お手数ですが、当ブログのメールフォームまたはmixiのメッセージでご連絡ください。
お名前・郵便番号・ご住所を教えてくださいませ。
普通郵便で送らせていただきます。
どうぞよろしくお願いします。
ハズレちゃったみなさん、ごめんなさい。
また思いつきで何かプレゼント企画をしますので、その時にまたご応募ください♪

★お知らせ1つとプレゼント2つ★

★★お知らせ★★
以前お知らせしましたが、とうとう始まりました!
teruさんの展示会が池袋の梅舎茶館さんで始まりました!
fc2blog_20150417165730718.jpg
5月30日(土)までの開催です。
2月からこっち、血圧が上がったり下がったりと体調がなかなかの不安定っぷりのため、私は行けるかどうかまだ分かりませんが、いい塩梅の体調だったら行きたいなぁー……と、こっそりひっそり思っております。
だってさー生の絵を見たいやん?
繊細なあの絵を見たいやん?
teruちゃんに会いたいやん?
ヨーダさんにも会いたいやん?
どこでもドアが欲しいところですね。
ほんとにもー。
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★★プレゼント★★
さて。
おんぽたんぽさんにくまえるカードは売り物ですか?と質問されたのですが、
残念ながら、売り物としてのカードを作成しようとすると、なかなか大変だなー、と思っておりまして、
ついつい手つかずになっております。
で、
売り物は作ってないのですが、プレゼント用に栞を2つ作ってみました。
約12cm×5cmです。



ご希望の方は、以下の募集要項に沿ってエントリーしてくださいませ♪
よろしくお願いします♪♪
●○● 募集要項 ●○●
募集期間 : 2015年5月6日(水)~5月7日(木)20:59 ※今回は募集期間が短いよ!
応募方法 : 当記事のコメント欄に以下を記入してください。
  『ハンドル名』  
  『くまえる栞希望』
  『くまえるが読んでる本のタイトル又は内容』(←別にクイズじゃないから思いついたものを書いてね♪)
選考方法 : うちの子供たちがくじびきします。どちらが当たるかは届いてからのお楽しみ♪
結果発表 : 8日以降に当ブログにて当選者の発表をします。

娘が羨ましい。

連休前日に息子の支援クラスの担任と、娘の担任の先生が家庭訪問に来ました。
娘の担任の先生は1カ月弱の間に、娘が『気の強い子たちに対して自分を無理に通さない』という部分をしっかり見てくれていました。
さすがベテランの先生だなー、と思いました。
そして、その夜。
娘といろいろ話していて、話の流れからAちゃんとBちゃんの話になりました。
2人とも保育園からの娘の友達です。
Aちゃんはハキハキしていて、自分意見はしっかり言う押しの強い女の子です。
多分、娘にとってはなんだかんだ言って、3歳からの一番の友達なのだと思います。
もちろん優しいところもたくさんあるのですが、時々(普通のレベルで)悪口っぽいことも言います。
悪口が嫌いな娘はそこがとても気になるようです。
娘とAちゃんと2人で遊んでる時はとても楽しいけれど、そこにさらに押しの強いCちゃんやDちゃんが加わると、空気が悪くなるからイヤだ、と言うようになりました。
それぞれ個人だと面白いのに、集まると悪口を言ったりいじわるをすることがあるからイヤなのだそうです。
CちゃんもDちゃんも保育園の時からの友達なのですが、確かにアクが強いです。
個性的で面白いのですが、ちょっといじわるな面があるのは、私にも見えています。
Aちゃんも、CちゃんやDちゃんと一緒にいるとつられて悪口を言う、と娘は言います。
集団になった時の女子のイヤな感じ…というのは、こういう小さい頃から発現されていくものなので、そこはある意味仕方がないなー、と思ったりもします。
Bちゃんは保育園の頃からぼーっとしたところがある子でした。
CちゃんやDちゃんとは対極にいるような子です。
のんびり……とも違うと私は感じていました。
よくは分からないのですが、外では自分を上手に表現できないんじゃないか、と思っていました。
(ご両親も明るくて優しいし、妹ちゃんはハキハキしているので、やはり生まれ持っての性質なんだと思います。)
クラスの女の子たちを、「押しの強い子」「普通の子」「何も言えない子」に分けると、自分は普通の子なのだと娘は言いました。
でもそれは小学生になってからで、保育園の時は何も言えない子だったと。
小学生になって、1年生の時の先生が、
「人と違う意見でも、どんどん発言してください。」
と(おそらく国語とかの授業の時に)言ったのだそうで、それを聞いてから(言うべき時には)自分の意見を言ってもいいんだ、と思えたのだそうです。
「だから、私は普通の子(の下)になれたけど、Bちゃんはずっと何も言えない子のままで、私にはBちゃんの気持ちがすごく分かるんだ。」と、娘は言いました。
「Bちゃんは、ほんとうはいっぱいいろいろ考えてるんだよ。でもそれを上手に言えないんだと思う。だから自分から何も言えないんだよ。何を考えてるのかは私にも分からないけど、Bちゃんが愛想笑いしてるのか本気で楽しいのかは私には分かるよ。」
娘の観察・分析と、私が感じていたことが一致していたようです。
で、ですね。
学校の休み時間に、Aちゃんだけでなく、CちゃんやDちゃんも一緒に遊んでいた時のことだそうです。
ひとりぼっちになっていたBちゃんの姿が目に入った娘は、Aちゃんたちに「あの子も一緒に仲間に入れて遊ぼうよ。」と提言したそうなのですが、つまんないからイヤだ…みたいなことを彼女たちが言ったのだそうです。
いつもは「いいよー。」となることが多いらしいのですが、その時はちょっといじわるが発動されたらしいのです。
そしたら娘は、
「じゃあいいよ。」と言って、自分がAちゃんたちから離れて、Bちゃんのところに行って2人で遊んだのだそうです。
いじわるな空気がイヤだったし、Bちゃんがひとりぼっちなのもイヤだし、Bちゃんと一緒に遊びたかったからそうした、と娘は言いました。
気の強い、押しの強い子たちに自分から無理矢理意見を押し通すということはしない娘ですが、
譲れないところは譲らず、自分の信念に忠実である、ということを、小3になったばかりなのに淡々と貫いている、ということを知り、私は少し驚きました。
驚いたと同時に、そんな娘が羨ましくも感じました。
と。
娘が寝てから、おとーちゃんに娘からこんな話を聞いたんだよ、と伝えたところ、
「自立してきたなー。」とおとーちゃんが言いました。
自分の中にちゃんとした軸があり、人に依るんじゃなくて、自分の軸に拠って生きていける人になるように、と思いながら娘には接してきたからなー、と、おとーちゃんが言ったのです。
癇癪持ちで、ほんとーーーーーに手のかかる娘でしたが、
そんな時もおとーちゃんは娘に根気よく付き合って、筋道立てて話しかけ続けました。
保育園の年少さんの時、わーわー泣いてる娘に本屋さんで30分近く付き合ってたこともありました。
私はダメなんです。
根気よく付き合おうと努力はするのですが、10分もするとさすがにイラっとしてきて、実力行使(抱えて連れて帰るとか)に出てしまうんですが、おとーちゃんはそれはそれは根気よく諭していました。
そして、小さいながらも自分で自分の感情を収めることができるんですよね。
筋道立てて説明されたことを理解して、納得して、自分の感情を収めるんです。
ずっと、それを「おとーちゃん、ほんとにありがとう!」と感謝してきました。
感謝だけしてきました。
でも、その夜は、そんな話をしながら、そんな姿を思い出しつつ………「あ!」と声をあげてしまいました。
「私も、そうやって育ててもらいたかった!」
って。
こんな記事
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-1028.html
を3月に書いてますけど、
「ちゃんとしなさい。」ってのを、オカンだけじゃなくて大人たちにしょっちゅー言われて育ったために、ちょっと前までは掃除を適当に済ませたりすると、「あー、おばーちゃんに叱られるー。」って心のどこかで思うことがちょいちょいありました。
それくらい「ちゃんとしなさい。」とよく言われてたんだと思うんですが、
でもですね、オカンは昔から瞬間湯沸器で、子供からしたらいきなり怒りだしてカオスになってると感じることが多かったんです。
自分が親になり、オカンの気持ちもよーーく分かるようになりましたけど、そこを差し引いてもやはりカオス感は否めません。
……ちゃんとしなさい、って何よ?
子供はちゃんとしてないものやん?
怒鳴りつけるんやなくて、おとーちゃんみたいに根気強く諭してもらいたかったわ!
ああああ、親父さんは優しかったけど、子育てにはちゃんと関わってなかったよねっ!
オカンだけじゃああなるって分かりきってるのにっ!

と、かなり強めの感情が湧いてきたのでした。
すると、子供の頃のある光景がばーっと出てきました。
何かやらかしたのでしょう。
怒鳴りつけられて怖くて泣いて謝ったのに、オカンは家から私を放り出しました。
ひとしきり泣いた後、私は黙り込んだまま壁にもたれて立ち続けていました。
怒りがふつふつ湧いていたのです。
納得できなかったのでした。
何をしでかしたのか、何がオカンを怒らせたのかは覚えていないのですが、
「納得できない!」という強い怒りがずーーーっと自分の中でぐるぐるしていたことは忘れていなかったのです。
怒鳴られて放り出された…というのは、2、3回ほどしか無かったと思います。
その度に、泣いて泣いて、そして怒りでぐるぐるになっていました。
祖母か、隣の家のおばさんか、はたまた叔母か…誰かが声をかけてくれて、
オカンも怒りがおさまって、家の中に入れてもらって……だったのでしょうし、
私の怒りもその頃には消えて無くなっていた……と思っていたのですが、
「ちゃうわ。私…というか、子供の私は、まだ怒ってるわ。」
と、気がつきました。
なんとなくうやむやになってただけなんでしょうね。
怒りが。
納得できてないまま。
娘みたいに、納得して自分の感情を収めたのとは違ってたのです。
親には感謝してますけど、
自分をありのままで受け入れてもらっている感、というのは残念ながらありませんでした。
いっぱい笑ったし、いっぱい話もできたし、面白いこともたくさんあった家庭でしたが、
私はどこかいつも微妙に緊張していました。
でもそれは、大人になって親や祖母の人生を断片的にでも知ることで、仕方がなかったんだと思えたのです。
それでスッキリしてしまった部分がたくさんあります。
ですから、
まさかそんな怒りがずーっと残っていたとは、自分でもビックリでした。
「あー、私、怒ってるわー。怒ってるよー。でもって娘が羨ましいんだよー。」
と、まるで他人のことのようにおとーちゃんに言うと、おとーちゃんは笑っていました。
そうかそうかー、って。
自分の中に、自分では認識していない怒りがあって、
自分の「外」で起こっている事象や人に対して、自分の「内」にある怒りが反応して怒ってる……というパターンの人をこのところよく目にしては、イヤな気分になっていました。
それは、私自身の中にも解消されていない怒りがあるから目に留まってイヤな気分になるんだろうなー…とは思っていたのですが、自分のことはやっぱりさっぱり分からなくて、ちょいちょいとイヤな気持ちになるばかりでした。
まさかねー、
こんな怒りがあったとはねー、思いもしなかったよーーー。
やー、ビックリしまくりですよ~。
ほんとに。
あー。
娘が羨ましいっ!

まぁまぁ、一緒に寝ようよ。おかーちゃん。

おすすめ記事3つ

イトーヨーカドーの公益財団法人(伊藤謝恩育英財団)が大学進学をサポートしてくれるとのこと。
http://www.ito-foundation.jp/system/
経済的な問題で進学をあきらめる、というのはとても辛いと思います。
私の家も経済的な問題アリアリでしたが、国立大学だったら…ということで行かせてもらえました。
親にはすごく感謝してます。
その時、経済的な問題のあるお家の子は授業料を免除しますよ、という国立大学にあった制度を利用させてもらいました。
今はそういう制度があるのかどうか分かりませんが、大学で学ぶことを経済的に援助してもらえるというのは、本当に本当にありがたいと身に沁みてますので、伊藤謝恩育英財団のような援助がもっといろんなところから出てくるといいなぁ、と思います。
で。
大学で学んだ後は、就職ですよね。
仕事って何?
https://job.cinra.net/series/zoonie2/
山田ズーニーさんの記事です。

仕事は「他者貢献」である。
これが勉強と仕事の最大の違いだ。
どちらも努力や忍耐が要るけれど、勉強は最終的に自分を満たす。
他者を満たすのが仕事だ。


頭では分かっていても、腑に落ちているのとは違いますもんね。
他者を満たすのが、仕事。
これは肝に銘じるべき言葉だなぁ、と思いました。
さて。
最後は、うさみみさんのこの記事です。
焚きつけるまでもなく、自分が変われば他人も変わる
http://celestie.blog23.fc2.com/blog-entry-2099.html
これはほんとうにそうなんだろうな、と思います。
人間って、そういう部分でもみんなつながっているんだから、自分をいい感じに成長させていくというのは、人類への貢献にもなるんですよね。
ただし、自分が変わっていく過程で、ちっとも変われない他人は離れていきますよね。
人類というくくりのパーティーで見れば、離れるも離れないも無いのでしょうけど、
身近なパーティーというくくりで見ると、そのように見えます。
……私本人の話ではないのですが、最近そーゆーのを目の当たりにしまして、しみじみしていたところだったりします。
あ、「自分をいい感じに成長させる」って言いましてもね、
昨日たまたまmixiの日記にこんなふうに書いたところなんですけどね。

でもさ。
穏やかで、常に凪のような心で、博愛を具現化したような、愛と光に溢れた人…になりたいわけじゃないのよねー。
そんなの、高次元の自分に任せておけばいいかなー、と思うのよね。
偏りがあって、欠点があって、本気で泣いて本気で笑って、いつまでもアイドルに萌えてる笑顔の可愛いおばーちゃんになれたらいいな、と思ってるからねぇ。
だけど、
過剰な怒りは手放したいなぁ、と思うのよね。


月子さんが、
「怒りも二次的な感情で、そもそもは何か満たされないものがあるんじゃないかなぁ。」
ということをメールのやりとりの中で言ってまして、
なるほどなーー、と最近思ったばかりなのですが、
満たされなかったことを満たしてくれる人を探すよりも、自分で満たしていくことの方が近道なんじゃないかな、と、思ったんです。
というか。
それが「最初の一歩」なのかもしれないですね。
自分で満たしていこうとするからこそ、満たしてくれる人が現れるのかもしれません。
もう許してやれ

初めて授業参観を欠席してしまいました。

25日(土)が今年度初の授業参観だったんですよ。
で、毎年、授業参観の後に学級懇談会があり、PTA総会があり、各子供会の集まり(会費等の支払いもアリ)があるのです。
半日仕事です。
そして、お弁当も作らないといけないので、なかなかハードなのですが、
この一週間はそこそこ体調が良かったので、このまま行けると思っていたのです。
そしたら。
金曜日の夜…から日付が変わって夜中の1時頃に、パッと目が覚めまして…。
発作になりそうなくらいだったのですが、そこは回避できたのですが、とにかくしんどくて、3時頃までなかなかぐっすりとは眠れませんでした。
でも、5時半に起きて、お弁当を作り始めたのですが、とにかくしんどいわけです。
何の苦行?ってくらいでした。
おとーちゃんは学生の頃からの独り暮らし歴がそれなりにあって、家事が全くできない人ではないのですが、さすがにいきなり子供たちのお弁当を作れ、と言われても困るだろうし……と、気合だけでなんとか作りました。
まぁ、でもね、朝食まで用意したところで、バタリと倒れ込みまして、
「おとーちゃんは行ってくれるけど、おかーちゃんはもしかしたら授業参加には行けないかも。」
と、娘に言うと、みるみる娘のお目目がうるうるになっておりました。
それでも我慢していたので、健気な娘でありました。
結局、私は行くことができませんでした。
自律神経失調だけじゃなくて、それがキッカケで血圧もぽこーんと上がってしまい、ダブルでしんどかったので、もう動けませんでした。
しんどいわーしんどいわー、と、何度も寝返りをしながら、ウトウトしてやり過ごしていました。
PTA総会を欠席しておとーちゃんが帰ってきてくる直前に、お猫の「家に入れてー。」という合図があり、起き上がったところ、しんどさMAXから、5~6割ってところまで回復していたので、お弁当に入れるために切ったリンゴの残りを少しずつ食べることもできました。
そしたらですね。
息子の授業参観が、クッキー作りだったんですけど、
お土産に持って帰ってきてくれました。
お手紙と一緒に。

息子のお手紙って、しょっちゅーもらうし、書いてあることもいつもとそんなに変わらないんですけど、
めっちゃしんどくてもお弁当だけは作ったことに対して労ってくれてるかのように思えました。
(書いたのは前日とか前々日だってのは知ってるんですけどね。)

お母さんへ
お母さんいつもぼくにおいしいごはんをつくってきれてありがとう。
お母さんといっしょにいるとぼくはえがおいっぱいです。
おいしいクッキーたべてね。


しんどい時は食欲が全く無くなる…といいますか、全く食べられなくなるのですが、
息子が帰ってきた頃には、横になっていなくても座椅子に持たれて座っていればOKなくらいまで回復していたので、おいしく食べることができました♪
今日もまだ完全復活ではありませんが、(昨日はおとーちゃんがお休みだったから甘えさせてもらったけど)今日は一応通常運転してます。
ちょっとバタバタと動くとまだしんどくなるんですが、その度に横になってます……けど、お腹すかせた子供ってーのは容赦ありませんからねーー。
なんとかやってます。
さつきのさんもコチラで、

なんとなく調子を崩している人が多い印象なので、月曜午前中からGOでございます。
低気圧は通り過ぎていいお天気ですけど、季節かな、星の巡りかな~?
まあこの三次元にはいろいろな波がありますからね、落ちていることをあまり気に病んだりせずに、
そういうときもあるさ~♪ とまったりヒーリングでも浴びてw のんびり乗り切ってゆきましょう~♪


とおっしゃってますけど、気に病んでても仕方がないので、エイトと嵐が載ってる雑誌でも読んで萌えることにします。
(実は気に病んでた。というか、しんどくてイヤんなってた。ミカエルにちょっと愚痴ってた。)

かーちゃん、おれのカナヘビは?
どこやった?
「おねーちゃんの虫かごの中だけど、アレ、学校に持ってくから。宿題だから。」
……そうなんですよ。
娘ってば、理科の宿題のために昨日から庭でカナヘビorトカゲを探してたんですけど、見つからなくて諦めたところに、お猫がカナヘビをくわえて持ってきたので、それを横取りしたのですよ。
ぷぷぷ。

求めよ、さらば与えられん。

昨日、mixiの日記の方に、以下のような記事を書いたんです。

ちょっと前にも彼女のブログ記事をここで紹介しましたが。
吉原のお店で働く風俗嬢で、ライターでもある月緒さん(@tsukio_xoxo )が、
先日、こんなツイートをしてました。
(お母さんと電話で連絡が取れない、という話から。翌日連絡は取れたそうです。)
*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*
実家に行こうか考えるけど、母とはたまーに連絡を取っても妹や弟達とは絶縁しているからなぁ。きっと、彼等なら母になにがあっても私には連絡してこないだろうし、それならもう全部捨ててもいいのかなって思ったり。私にとって何が大切なのか、今一度考えてみなきゃね。
欲しかったのは母の愛情と、家族としての居場所だったんだけどね。どんなに声に出しても、どんなに手を伸ばしても、遠くて、届かなくて、だから諦めたのに。いい年齢して、まだ欲しがっている自分が馬鹿みたいで情けなくなる。母を嫌いになれなくて、兄弟だって嫌いになれない。でも帰れないんだよね。
ずっとずっと私が欲しいのはそれだけで、それ以外は何もいらなくて。私が風俗でお金を作る事で家族を養えた。私が諦めた事を兄弟にはしてあげられた。沢山の事を諦めて捨てて、何を信じていいのか分からない中で、私少しは頑張ったと思うよ。でも、家族は遠くなる一方で。頑張ったって全部無駄だった。
お金で愛情は得られるわけがないんだけど、それしかわかんなかった。今だってわかんないよ。欲しいのはひとつだけなのに。私が悪いのかな。もっと頑張らなとダメなのかな。これ以上どう頑張ったらいいの?お母さんと兄弟がお金以外で私を見てくれるには、どうしたらいいの。お家に帰りたい。
こういう事があると、私がやる事は仕事のみで、楽しむとか幸せを感じるとか、誰かを好きになるとか、そんなのしちゃいけないんだって痛感させられる。気を引き締めて、もっとお仕事を頑張らなきゃ。
*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*
同性愛者だけど、風俗のお仕事が好きで、プロ意識が高くて、それを文章にして発信してる人なので、
興味深くツイートも読ませてもらうことが多いんですが、
この一連のツイートは、やっぱり切なかったです。
もちろん、月緒さんの気持ちも切なかったんですが、
兄弟と絶縁になるくらいなので、向こうには向こうの言い分があるでしょうし、
さまざまなケースが考えられますけど、なんにせよ切ないなー、と。
機能不全の家庭に育つというのは、ある種の「ハンディキャップ」みたいなもんかもなー、と思いました。
生まれつきの身体的(知能も含む)なハンディキャップも生きるのは大変ですけど、
(うちの息子だって、ダウン症はイヤだと言うよ。みんなと同じが良かったって。)
機能不全の家庭で育つというハンディキャップも生きるのが大変そうですもん。
でもね。
そういう家庭を選んで生まれてきてる、というのも魂レベルでは事実だと思うので、
持つべくして持ったハンディキャップなんだろうな、とも思うのです。
それとどう向き合うか。
そうは言っても、切ないですがね。


その後、以下のようなブログ記事を読みました。
『ちゃんと育ってきた、と感じさせる人が好き・・・? 』
http://kimikoishizaki.blogspot.jp/2015/04/blog-post_22.html
この中に
それは生まれた環境に左右されることもあるだろうから、必ずしも本人に選べるものではないし、運不運もあるだろう。
もしかしたら酷なことかもしれない。

とありますが、確かに酷なことかもしれません。
正直に言いますが、
家庭環境に問題があって、そのために生きづらい思いをしているように見受けられる人の中には、あまり付き合いたくはないなぁ…と私が感じてしまう人もいます。
なんらかのインプットに対しての、その人の反応が、あまりにも自分の想定範囲を超えていて、更にそれが大きな怒りなど非常にネガティブなものの場合、どうしてもスッと引いてしまいます。
私の器が小さいために、受け止めきれないのです。
ですから、「ちゃんと育ってきたと感じさせる人が好き」というのは、分かります。
でも。
人間は、大人になってからは、自分で自分を育てるものだと思うのです。
もう少し言い方を変えるなら、
大人になったら、自分をより良い方向に育ててくれる人との縁を大事にすることで、自分を育てていくことになるのだと思うんです。
それは、リアルの知り合いだけじゃなくて、本やネットを通じてでもそうですし、映画やアニメ作品や、それこそアイドルだってそういう対象になり得ると思います。
環境が人を育てる。
子どものときは無理でも、大人になれば少しづつ自分で環境を選ぶことができる。
自発的に学んでいくこともできる。

と、書かれてますが、その通りだと思います。
当然ですが、友人やパートナーとして1対1の深いやりとりができる相手と出会えたら、それはとても幸運なことで、その密度の濃さは己の成長をどんどん促すものになると思いますが、
自分を育ててくれるような人に出会っていても、自分自身がその縁を大事にできず離れてしまう場合もたくさんあるような気がします。
その場合は、育ちの問題が認知の歪みを生み出してるせいが多いと思うので、そこには大きなジレンマが存在してますが、それでも『少しずつ自分で環境を選ぶことができる』はずなのです。
本気ならば。
求めよ、さらば与えられん。
尋ねよ、さらば見出さん。
門を叩け、さらば開かれん。

これは、真実だと私は思います。
でね。
ヤンデル先生( @Dr_yandel ) がめっちゃいいこと言ってたんですよ。

誰かと一緒に働くとか遊ぶとか、誰かの作った商品を買うとか食べるとか、そういった場面で「相手のことをもっと知りたい」という欲求が出るのは当然なんだけど、「相手の真実を知りたい」まで行くとたいていは踏み込みすぎ・やりすぎで、「相手が自分に対して作った仮面」と誠実に向き合えば概ね十分
相手が自分に対して作った「仮面」は必ずしも「真実を覆うウソ」ではない 礼儀としての化粧とか、スマイル¥0 みたいなものなので、その仮面をつけてくれることに感謝すれば十分な場面は本当に多いと思う 一方人間関係でしくじる人の一部は仮面を見るとすぐに剥がそうとする 無修正が好きなんだね


環境に問題があって、自分の求める愛情を十分に注いでもらったという感覚が乏しい人の場合、こういうしくじりをするパターンもあるんだろうな、と思ったんです。
私は、このように言語化して意識はしていなかったのですが、確かにそうなんです。
特に大人になってから。
『「相手が自分に対して作った仮面」と誠実に向き合うこと』を(できる限り)してきたと(まったくもって私の主観ではありますが)思うんです。
それが「大人として信頼される」ということにつながると思います。
*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*
最後に。
話題は大きく変わりますが。
注文したオニオンスパイスが届きましたー♪
くろねこさんが届けてくれましたー♪

1月の展示会に来てくれたりりさんがプレゼントしてくれたオニオンスパイス。
めっちゃ美味しいし、めっちゃ使えます!
オススメであります♡
私はコチラで購入しましたー。
http://www.rakuten.co.jp/narutochidori/