月子さんの星読みお仕事9月分のお知らせがありました。
4枠で早い者勝ちなので、ピンときた方は早く申し込んだ方がいいですよ~♪
記事&申し込みはこちらとなっています。
というわけで、お知らせでした~★
強いプロテクターが欲しいなら……?
今さっきですが。
「今の私にアドバイスください~。」と、めぐみんにもらったヒーリングカードをひいたら、
静寂の中で、私たちはもっもと高潔さを保つことができます。
が出ました。
瞑想をちゃんと続けなさいよ~♪
ということですね?
はい、分かりましたーー。
あ。
そういえばですね。
2日前でしたかね。
瞑想中というか、ぼーっとしてる時というか、そんな時にミカエルがぽこんとアクセスしてきました。
プロテクトに関してでした。
「境界」が薄い私には、プロテクトは欠かせないものになるわけでして、
今年の1月に梅舎茶館さんで展示会をさせてもらった時なんですが、初日の移動中ってのがしんどかったんですね。かなり。
その時にミカエルにプロテクトをお願いしたんですけど、それを「プラチナプロテクト」と私は呼んでおります。
池袋で「プラチナなくま」を見かけたので、そう呼ぶことにしただけなんですけどね、コードネームみたいな感じで呼び出しの時にその名前を使っています。
なので、そのことかと思ったんですが、全然違ってまして、
「強いプロテクターが欲しいなら、『私』を身につければいい。」
と言われました。
むりくり翻訳すると、そんな感じです。
で、一瞬、ミカエルのゆるキャラを着るようなイメージが浮かびまして、
その次は、デカいミカエルにフェードインするようなイメージが浮かびました。
コレですよ。コレ。
ゆるキャラミカエルの着ぐるみを着るにしても、デカいミカエルにフェードインするにしても、ちょっとプロテクトとしてどうよ?と思ったので、それは結構です、って断った……んですけど、
よく考えたら、イメージをもっとシンプルにすれば良かったんですよねぇぇぇぇ。
天使ってそもそもヒトガタじゃないんだし。
光の玉でいいんだし。
や、昨日もですね、
REFでもプロテクター作ればいいだよねー……と、思った途端にイメージで出ていたのが甲冑でしたしね……。
さつきのさんオススメは卵だそうですけど、なんで甲冑かね。私。
てなわけで。
敏感体質で境界が薄い、ということを自覚し、
めっちゃタフになりたいという願望を手放して、そこそこいい塩梅をキープ…というのを目標に、瞑想をしたりイメージング(←プロテクトもこの範疇)をしたり、その他モロモロをし始めたわけですが、
そしたらですね、昨日の朝です。
スマホのアラームを止めて、ふとスマホを見たら、
液晶パネルと本体に隙間ができてるではないですか!
……これ、ちょっと前に友人がなってたやつじゃね?
ヤバいやつじゃね?
ええ。
バッテリーが膨張しておりました。
数日前から急にホームボタンの利きが悪くなったのも、このせいだったようです。
昨日の午前中は、本当ならば小学校の学校整備で、参加できる保護者は草抜きやら何やらをすることになってたんですが、
雨で順延になったので、お休みを取ってもらってたおとーちゃんにすぐにアップルのお店に連れてってもらうことができました。
(ちょっと遠いところにあるお店なので、運転苦手な私だけだったら行けなかったのですよ~。おとーちゃんがお休みの日でほんとーに良かった!「スマホ バッテリー 膨張」でググってみてね~。こわいよーこわいよー。)
や~、ほんと、よくぞこのタイミングで……って思いました。
そしたらですね、
内部にある水濡れチェッカーもOKだったので、まるごと無料交換ってことになりまして、新品のスマホになりました。
無料ってのが本当にありがたいです。
あー良かった~……と、思った次の瞬間、
……なんか、これ。
私もこれからこうやって筐体が生まれ変わるよ、的な暗喩じゃね?
と、思ったんです。
なんの根拠もなく。
ふと。
つまり、
今やるべきだと感じたことを毎日続ければ、ガタがきてるところも新品同様にだってなれるよ♪という励まし
ということですね。
スペックはそのまま(超タフではない敏感体質)でも、新品同様になれば全然違いますもんね~。
毎日の家事同様、ルーチンワークになっちゃうまで、ちょっとだけ努力します。
ルーチンワークになっちゃえばこっちのものだー♪
敏感さんのお話、つづき。
敏感すぎる人のことを「HSP」と呼ぶそうですが、
そのHSPについてたくさん書かれたサイトを、月子さんが探してきて教えてくれました。
こちらです。
『HSP(Highly Sensitive Persons)をご存知ですか?』
このサイトの中に、『HSPの改善に必要なもの』という記事があります。
とても共感できました。
20歳から体調がひどく不安定になってからというもの、それがコンプレックスのようなものになっていきました。
誰もそんな不安定な体調の私を責めやしなかったのに、です。
唯一、そんな私(の身体)を責めていたのは私自身だったのです。
いろんな人に対して「申し訳ない」という気持ちがいつもありました。
だから、余計に「迷惑かけないためにやらなきゃ。」というのが行動原理になっていたような気がします。
責任感から動くことが増えるとエネルギーが足りなくなって、「楽しむ」ということが徐々に減ってしまったように思います。
今、振り返ってみると。
(だからこそ、エイトは私にとっては人生のカンフル剤でもあるわけですよ!すごいなエイト!)
おかげさまで、トータルとしては「自己肯定感」は備わっているのですが、こと肉体、この身体のことになると、不安定さだけでなく頭のデキや容姿のことも含めてNGばかり出し続けていました。
否定し続けていました。
これはこれで、ひどくバランスの悪い状態だよなー、と、あらためて思いました。
いや、もしかしたら、初めてそう思えたのかもしれません。
それこそ頭では分かっていただけのような気がします。
上記の記事では、
「存在意義なんて関係なく、自分はここにいていい」と感じるようになったと書かれていますが、
私の場合はそこまで大袈裟じゃないんですけどね、
「なんでこんな不安定な身体なんだよー。もうやだよー。」という気持ちはずーっとあって、
それはしんどい度にこれからも出てくる気持ちのような気がしますが、
それでも、そういう気質で生まれてきちゃって、境界も薄くなっちゃってるんだ……、ということを認めて、心身共にめっちゃタフになりたい!という願いを手放したら、すごくスッキリしたんです。
そこそこな感じをキープできればそれで十分で、そのためには、本に書かれているように瞑想を続けたり、防御のイメージングを続けたり、今まで教えてもらったセルフヒプノやヒーリングも活用すれば、きっとそれくらいにはなれるだろう、と希望が持てたのです。
自分の肉体、自分の身体にNGばっかり出し続けていたので、その反動で「めっちゃタフになりたい」という強烈な願いを知らない間に育てていたんでしょうね。
そこそこでいいのにね。
あ、それで、ですね。
その「瞑想」ですが、ググればやり方はゴマンと出てきますが、その中に「瞑想の危険性」というのもひっかかったりします。
確かに、瞑想にも危険性ってあるらしいのですが、それって「魔境」ってやつですよね。
とは言っても、一日10分とか20分とかの瞑想でそこまでにはならないような気がしますし、そもそも守護霊やガイド、ハイヤーセルフとのつながりをしっかり意識していれば、そういう方向には行かないんじゃないかなー?と私は思います。
もちろん、肥大したエゴを隠し持ってる場合、そーゆー罠にひっかからないとは言い切れませんけど。
とにかく、HSPの場合は過敏になってる脳の状態を鎮静化する必要があるので、何も考えずにお風呂でぼーーーっとするとか、他ごとを考えずにお経を唱えるとかでもいいそうです。
で。
私なんですが……
瞑想、苦手なんですねぇぇぇぇぇ。
寝ちゃうか、雑念女王になっちゃいます。
というわけで、YouTubeで瞑想用の音楽をテキトーに選んで、それを聞きながらやってみることにしました。
横になって瞑想を始めたら、
途端に、ぐおーーーんと「中身」が拡大して、ばーーーーっと地球の中に根を下ろすようなイメージになった……かと思ったら、
そのうち、身体のあちこちから螺旋状にエネルギーみたいなのがばーーーっと立ち上って、
最後には、額から真っ白い光線がどーーーーーーーっと一直線にどこぞの星にどかーーーんと到達したような、そんなイメージが浮かんだのでした。
なんだこれ?瞑想ってこんな感じなのか???
MAPで時々いろんなイメージがどーんと出てくるけど、それみたいだなぁ……、と思っていたんですが、
その次からは、別にそーゆーのは出てきていません。
もやーんとしてるだけです。
でも、音楽アリというのは、私の場合はやりやすいです。
そして、今、なぜかこの2つのオイルを使いたくなって、使ってます。
「敏感体質」な自分を認める。
先週後半から、
「やり直し」というか、「取りこぼしたものに目を向ける」というか、「ある程度クリアした課題を次の段階でもやりましょう」というか、
友達も巻き込んでそんな流れになっております。
その流れの真っ只中で、こんな本を買いました。
行く予定が無かったのに本屋に寄ることになり、
息子にドラえもんの26巻を買ってやろうとしたところで、平積みになってたこの本がすぽーーーんと目に入り、
気づいたら手に取って、ドラえもんの26巻と一緒にレジに持っていっていました。
アマゾンの商品紹介の中にもこう書かれてます。
○「人の気分に左右され、人間関係でいつもクヨクヨしている」
○「繊細である」
○「ささいなことでドキッとしてしまう」
○「見られていると普段の実力が出せない」
○「人ごみや大きい音が苦手」
○「スピリチュアルなことが好き」
これらに心あたりがある方はいませんか?このような人たちは、
「Highly Sensitive Persons略してHSP(敏感すぎる人)」といわれています。
研究者によると、5人に1人が敏感すぎて困っていて、生物の約2割には、 生物の生存戦略として敏感な気質が備わっているそうです。
本書は、あるストレスをきっかけに敏感すぎる性質に拍車がかかり、一時は引きこもり状態になった予備校講師の著者が、さまざまな研究論文を調べ敏感な自分と上手に付き合っていく方法をまとめたもの。
瞑想による心と頭の整え方、他人との距離の取り方、自分軸で考える方法など、 役立つメソッドが満載。敏感すぎる人の特性をまとめた4コマ漫画もユニークです。
HSP臨床医・北海道立緑ヶ丘病院精神科 医長 長沼睦雄 推薦。
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第1章 他人の影響を受けすぎる人たち
第2章 敏感な人のアタマの中
第3章 敏感すぎる人は他人との境界が薄い
第4章 敏感すぎる人は、厳しい幼少期を送っていた
第5章 現代のヴァンパイアに気をつけろ
第6章 敏感すぎる人がますます増えている
第7章 敏感さは才能
医学的なことと、スピで言われてることがうまーーくミックスされたような内容で、とても読みやすかったです。
体調が悪い人を気づかっていると自分の体調まで悪くなるとか、前触れ無くいきなり体調が悪くなるとか、そういうことがしばしばある人って私だけじゃないですよね?
私もそう!という方は、そんなに少なくないんじゃないかなー、と思います。
特に縁あってこのブログを読んでくださってる方々の中には。
お世話になってるクリニックの先生に、何年も前に
「あなた(の身体)は敏感すぎるからね。仕方がないのよ。」
と言われたことがあります。
そうなのかなーー?と、いまいちピンと来なかったのを覚えているのですが、
この本を読んで、『私は人類の20%の方に入るんだろうな。』と、納得しました。
そして、敏感体質がゆえに、オカンやおばーちゃんとの関係性などが、私の「境界」を薄くしてしまったんだろうな、と思いました。
(今さら親や祖父母を責めようなんて思ってませんけど、客観的に原因を探っていくと、そういうことになるということです。)
だってねー、娘が私にどかーんと甘えてくる姿と比較すると、私はこんなふうじゃなかったんですもん。
どこかオカンに対して緊張感を持ってましたし、それは今もそうです。
もうね、これはね、仕方がないの。
娘が私に甘えまくるみたいに私も甘えることができたら良かったけど、できなかったんだから仕方がないの。
オカンもほんとーに大変な人生だったし、今は孫をめっちゃかわいがってくれるから、それでいいの。
ただ、そこに原因があるんだよ、ということだけを事実として私自身が認めればそれでいいんだと思うんです。
(それすらけっこー難しかったりしたのよね。昔は。)
なので、敏感体質の上に境界が薄くなってしまっている、ということをしっかり自覚して、この本に書いてあるアドバイスを参考にしながら、そんな自分と上手に付き合っていくべきなんだろうな、と思いました。
ほんとうはね、
すごーく元気で丈夫で、いろんなことに影響を受けにくいタフな心と身体になりたいとずーーーっと願ってきたんですが、
それは無理!
と、やっと気がつきました。
そこを目指してても、ゴールにはいつまで経っても辿り着けないし、
自分にガッカリすることが増えるだけだ、と気づいたんです。
生物の2割は敏感な個体、というのは、種の存続にとって有意義なことなのですから、
そういう役目側の気質を持って生まれてきたなら、それを受け入れて上手に付き合う方が健康的ですもんね。
そして、敏感体質の娘を育てる上でも、いろいろ気をつけてあげたいな、少し大きくなったいろいろ教えてあげたいな、と思いました。
というわけで、
この本、ちょーオススメであります。
子供の頃、何になりたかった?
佐藤龍一さんって方をツイッターでフォローしてるんですが、
その方が、
今日は仕事で「少年の日の夢」というテーマの詞を書いた。みんなは子どもの時、将来何になりたいと思った?俺は小学校の頃は画家、それから漫画家、中1からギターはじめた。子どもの頃の夢はコロコロ変わったけど、高校の頃にはミュージシャンになることしか考えてなかった。
とツイートしたら、彼のフォロワーさんたちが子供の頃になりたかったものを次々ツイートし始めまして、
それを佐藤さんがどんどんリツイートするので、ゴロゴロ寝ころがりながらスマホでけっこーあれこれ読んでたんですが、
見ず知らずの人たちの「子供の頃になりたかったもの、そして今の自分」ってのを読んでいると、
人間って思ったとおりにならないから面白いのかもな、と、ちょっと切ないんだけど、そんなふうに思っちゃいました。
まとめがこちらにありますので、興味があったらどうぞ。
http://togetter.com/li/862927
私も書いてます。
あ。
当ブログのコメント欄に「子供の頃になりたかったもの」を書いてくださってもいいですよ~♪
(レスはしませんけど~。)
おれがなりたいのは立派な狩人。
…じゃないや、狩猫。
再生のルシフェル
お店をオープンされるお客様から、お店に飾る天使の絵を注文していただきました。
…が。
最初は「おまかせ」でカードを引く予定でしたが、ルシフェルを描いて欲しいというお話になりました。
お店に飾る天使としてルシフェルって…ちょっとしっくり来ないな~、と、私個人としては感じたのですが、
お客様のお店ですからね。
ご本人が希望されるものが一番だよね、と思いまして承りました。
すると、このように後ろ姿のルシフェルの絵となりました。
ますますお店に飾る絵じゃないような気がするんだけどな~~~、と内心ヒヤヒヤしながらお届けしました。
お客様に絵が届いたら、すぐにご感想のメールを送ってくださいました。
掲載許可をいただきましたので、メールの一部をご紹介します。
絵の感想は最初に見てうかんだのは『ゆるされた』でした。そして次に再生、再出発というワードでした。
どういう意味の絵なのかルシフェルに聞いてみたところ、光を知るためには闇を知らねばならない。その学びをずっとしていた。ただ闇の経験を今までしていただけ。あなたは悪くないし、自分を罰することはもうない。もう大丈夫。全てはゆるされた。終わったんだよ。
そしてこれからは闇の底から光へ上がっていく、戻っていく。
後ろ姿なのは、ルシフェルの姿ですが、『私』だからだそうです。見送るのも、光へ向かうのも『私』。
なるほど、ルシフェルさんをお願いした訳だなーと納得致しました。
これはお店に飾るより、自分でもっていようと思います(^_^)
素敵な絵をありがとうございました。またお願いすると思います。その時はどうぞよろしくお願いいたします。
やっぱりお店に飾る用の絵ではなかったんですね!
ですよねーーーー。
だってですね、このチラリと見える顔の雰囲気は、(ルシフェルを描いたのだけれども)きっとお客様ご本人なんだろうなー、と思ってたからです。
時々書いてますが、
ちょんちょんと目が描いてあるだけの天使の姿ですが、何故かお客様ご自身と似ていると感じる…というご感想をよくいただくのです。
この絵などは、そのちょんちょんとした目すら描いてないのですが、それでもお客様に似てるというか、ご本人なんだろうな、と感じたのです。
ご感想メールにもそのようなことが書かれていて、やっぱりね、と納得でした。
そして、再生・再出発がテーマの絵を新月の日に描いたというのも、納得でした。
余談ですが。
今までは、ルシフェルを描くと、重力加速度が何倍にもなってる?という感覚といいますか、重低音がずぉぉぉぉぉぉぉぉぉん…と響くような感覚といいますか、そんな「強烈な重さ」を感じて、けっこーーーしんどかったのですが、
今回はそういう強烈な重さが無くて、なんといいますか……オーケストラの重厚な音楽のような感じでした。
ルシフェルを描いてて、初めての感覚でした。
おれの後ろ姿も見ろ。
キレイな花を咲かせましょう。
こんなもん……じゃない……んです…よね?
さて。
いつもなら、もう少し取れるんですけどね。
なのに今年の夏休みは1人になる時間がちっとも取れなかったんですわ~。
今日になってようやく数時間まとめて1人の時間を獲得しましたので、天使の絵を描いておりました。
いえ、民絵屋はいつも夏休みは開店休業なんですが、お店をオープンするというお客様のためにできるだけ早くお届けしたかったので、そろそろ描きたいなー描きたいなーー、と思っていたのでした。
今日は新月だそうなので、ちょうど良かったんじゃないかな、と思います。
おとーちゃんが子供たちをドライブに連れていってくれたおかげです。
集中するのでもちろん疲れるんですけど、すごくスッキリしました。
天使の絵を描く時にはエネルギーが(私的には)大きく動くような気がするので、疲れるけれどスッキリするような感じがするんじゃないかなー?なんて思ったりしてます。
おれは暑くて外遊びの時間が少ないから、スッキリせんぞー。
さてさて。
またしても、タイムリーな内容の記事を読ませてもらいました。
http://celestie.blog23.fc2.com/blog-entry-2146.html
で、自分のことを美しく思うというと、とんだ勘違いとか思い上がりと思われやすい風潮もあると思うんですが、そうではなくて、
自分の美しさは、この世界が、人類(祖先はもとより、無線有線いずれもの通信手段を使って互いに遺伝子の情報を共有し高め合うことに協力している、この世に一度でも生きたことのある人類全員)が、自分に恵んでくれたものなのだと、まるで「借り物」のように与えられるものだという考え方があってもいいですよね。
(仮にその美しさが過去生なども通してその人が体現した生き様、それにより獲得した美徳ゆえだったとしても、『そもそもそういう体験をすることができた場を提供してくれた、この世や関わった人々』あってこそ。他の誰も何もないところで体現しうるものではないはずです)
その感謝の1つのカタチとして、精一杯、磨けるだけ磨いた状態の自分の顔を、体を、態度や言動を、そしてそれらを通じて滲み出る心の有り様を、霊的エネルギーの洗練さを、魂の輝きを、せめてお世話になったこの世や人々にはお見せできるようでありたい、ベストを尽くしてお出ししたい……という信条。
と、書かれてありますが、
なるほどなぁぁぁぁぁー、と唸りました。
これは「美」について書かれてますが、もっと拡大して「自分そのもの」についてもこういう考え方をすればいいのか、と膝をぽんぽん叩きました。
そしてそれは私だけのことじゃなくて、誰もがそうなんだろうな、と思うんです。
さまざまな種類の関係性により織り上げられた「私」という存在は、自分で認識している以上のポテンシャルを有しているのが当然なんでしょうね。
素晴らしい「借り物」を与えられているんですよね。
それを認めた上で、そのポテンシャルをできる限り顕現させる努力をする……ことは、感謝の気持ちを現すためなのだ、と考えたならば、そこに傲慢さの入り込む隙間は無いですもんね。
キレイな花の咲く種をいろいろ持たせてもらっているけれど、種のままで終わらせるか、種を植えて肥料や水をあげて育てて花を咲かせるか……なんだと思えばいいのでしょうね。
キレイな花を咲かせることができたら、それはこの世界への恩返しにもなる、と。
てことは、
傲慢になりたくない、って思うことが既にめっちゃ傲慢なんじゃね?
と、思った次第であります。
やだもぉ恥ずかしいったら。
しっかり責任を果たしましょう。
結局は自分を信用してないからモタモタしてるんだろうな。
昨日の日記を書いてから、思い出したので、追記しておこうと思います。
先月書いたこの日記で「セルフイメージが正しくない」ということについて書きましたけど、
この日記を書いた後に、こんなことがありました。
mixiのつぶやきにメモ程度に書いたものをコピペします。
まだお腹の塩梅が良くないのでゴロンと横になって、仙骨ワークとリセットワークしてたら、ぼーーっとしてきて……、親分か誰ぞに「お前が自分の天命(魂の課題?)に本気で取り組むのを無意識で怖がってるから、そういう状態になっとてるんだぞ。」とすこーんと言われて、そんなこと言われても困る。
もちろん、言語外で言われたので、訳すとこんな感じ、という言葉。
「失う」ことを怖がってるそうだ。
精神の範疇じゃなくて、もっと上の方(?)のセルフイメージがしょぼすぎる、とかも言われて、さらに困る。分からんわそんなこと。
そしたら、この前のレタスのことを想起させられて、「小さいビニール袋に大きいレタスを入れようとしてだろ?あれと同じ。」って言われたけど、しょうがないやないか。スーパーに売ってたレタスの横にあったビニール袋が小さかったんやから。
てか、レタスがいつもよりうんと大きいやつを仕入れてくれてたんよね。おいしかったし。
怖くて無意識に制限かけまくってる、ってことなんかなー?でもそんなこと言われてもなー。
めんどくさいなーもう。
(あ、本音がポロリと出てしまった。うっかり。)
上でも下でも正しく自分を評価して、正しいセルフイメージを持てよ、と言われ続けている2015年の夏休み……ってことなんですよね。
めんどくさいから「あたしなんてこんなもんですよー。」と過小評価して安全サイドに倒しまくる、というやり方が通用しなくなってきたということですね。
めんどくさがるな、ってことですよね……。
とほほほ……。
でもさー、
正しく自分を評価するって、すげぇぇぇ難しいんだもんーーー。
めんどくさいよーーーー。
それにさ、やっぱさ、変な方向にプライドが高くなっちゃう危険性だってあるでしょ?
……まぁ、たまたまこんなツイートが流れてきてましたけどね。
https://twitter.com/Psycho_Note/status/630147806641008641
その通りなんですけどね、自意識過剰で傲慢にならないって自信が無いんですもん…。
相変わらず自分を信用しておりませんね。私ってば。
とほほほ……。
そしたらですね、
月子さんから、こんなたとえ話をいただきましてね。
おっぱいのサイズが、たとえば本当はFカップなのに、Cカップだと思い込んでCカップのブラジャーをしていると、
ハミ乳になるだけじゃなくて、胸の形は悪くなるし、姿勢も悪くなるし、内蔵位置も歪ませることにつながり、健康面にもよろしくない影響が出るんだよ。
良いこと何もないの。
正しい認識をして、正しいブラジャーをしないといけないのよ。
レタスよりもさらに分かりやすいたとえです。
ちゃんと正しいおっぱいのサイズを下着売り場のおねーさんに計ってもらうことから、正しい認識が始まるわけで、
だとすれば、正しい自己認識をするためには、信頼できる他人の意見をちょいちょい聞いて、「そんなわけないやーん。」と否定せずに、それをじっくり考えてみる…ということも必要なのかもなー、と思いました。
というわけで。
おっぱいはちゃんと下着売り場のおねーさん(またはおばさん)にちゃんと計ってもらいましょう。(←今日の結論)
これは私の夏休みの宿題のような気がしてならない。
庭のお花も暑くてしんどそうに見える今日この頃。
早く秋にならないかなー?と思ってしまいます。
……まぁ、でも、洗濯物がすぐに乾くのはありがたいですね。
おブ子さんも日中はだら~っとしてます。
(その代わり、朝の4時頃ににゃーにゃー鳴いて私を起こすのですよ…。朝活でお散歩に出てるおブ子さん。)
さて。
子供たちは夏休みだし、私は8月に入ってからさらに体調が不安定だし…で、ダラダラしてることが多いのですが、
ダラダラしつつも、なんとなく「課題を突きつけられてる感」があり、煽られてるような気分が続いております。
というのも。
そもそも、春にアクティブ仙骨ワークのモニター伝授をしてもらった時に、「たらいの法則」を教えてもらったところから始まってるような気がしてるんですが、
癒しのエネルギーを流す前に「イヤだと思うことだからこそ引き受けると宣言する」ことが大切で、逃げてるとまるで追っかけてくるような形になるよ、と教えてもらったわけですが、
言葉でそう言うのは簡単なことですけど、気持ちは逃げてるんですよね。私。
そしたらですね、
うさみみさんのこの記事
http://celestie.blog23.fc2.com/blog-entry-2143.html
をちょっと前に読みましてね。
なんかもー、むずむずして仕方がなかったのです。
うさみみさんの言う「マスターの魂」というのが何を指してるか、を私がちゃんと把握してるのかどうかも怪しいんですが、
おそらく自分はソレでは無いんだろうなー……と思いつつも、
魂の求めるところに対して、自分があまりにぼんやりしたままで「気づいてない状態」であることにおいては、同じようなものなのかもなー、と感じてしまったのです。
まさに、自分の正体に気づくことも避けてるし、それを認めるのも受け入れるのも避けてる、という感覚がまとわりついて離れなくなったのでした。
でもですね、
そーゆーのってバカバカしいというか、
正体もなにもないだろー、と思う自分もいるわけです。
魂としては何かしらの課題を持って人間として生まれてきている、ということは心底信じておるのですが、
それは、やりたいことを頑張るとか、目の前にあるやるべきことをひとつひとつやり遂げていくことなどで到達できるものなんだろうなー、と思っているんです。
下手に「使命」だのなんだの、と言い出すと、速攻で自意識過剰の罠に陥りそうで恐ろしい…というのもあり、
自分を過大評価するくらいなら過小評価してるくらいの方が安全じゃね?と思ってるフシがあるのです。
できることなら、正当に己を評価したいところのなのですが、それはとても難しいと分かっているからです。
しかし、自分を正当に評価しろよ、と煽られ出したのかもしれない…と感じるわけです。
もー、やだやだーー、と子供のようにジタバタしたい気分です。
するとですね、
私は私で夏休みモード&体調不安定でアウトプットが激減してるし、
月子さんは月子さんでいろいろ大変でアウトプットが減ってて、
お互いの内面状況をお互い知らないハズなのに、
月子さんからの別件報告メールの冒頭に
「調子どう?かなりのゆさぶられ加減?」と書かれてありました。
体調のことを指していたのかもしれないのですが、私には内面のうにょうにょのことにしか思えなくて、
『なんで知ってんのー?』と内心笑ってしまいました。
そしてさらに、こんなブログ記事をたまたま見つけたのでURLを貼っておくねー、と書いておいてくれました。
http://healing.forgiving.jp/story/3429.html
http://healing.forgiving.jp/story/3448.html
http://healing.forgiving.jp/story/3451.html
うへぇぇぇぇーーーー、と悶えました。
私は、思考がずっと頭を駆け巡って自分を責めてしまう……というのを、どうしてもコントロールできないのです。
「そんなの気にしなくてもいいことだ。」と分かっていても、上手に切り換えられないのです。
まさしく「思考や感情が手におえない怪物の様に感じてしまう」というのを繰り返し、自分は弱い人間だと思っているのです。
大きな大きな弱点だと思い続けてきました。
けれども、もしかして私は弱いのではなく、思考のエネルギーが強大なせいでコントロール不可なのだろうか???と、もにょもにょしまくりました。
そして、もしもそれを認めるなら、体調が不安定なのも大地の女神との繋がりが強いためなのだろうか???と、さらにもにょもにょしまくりました。
でもねー、
それを認めるのをイヤがる自分がいるのです。
それを受け入れると、何かを護ってきた「柵」を壊すことになるような、そんな感覚になってしまうのです。
……と、こんなふうに煽られてる感バリバリなんですが、落とし所が見つけられずにもにょもにょするばかりなたみえかーさんなのでした。
でもね。
夏休み中に宿題は片づけないといけない気がするのーーーー……。
うぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーー。
「スランプってなったこと、ある?」
やー。
暑いですね。
いや、暑いを通り越してますね。
夏バテしないように…と、気をつけてはいたんですけど、
どうも夏風邪を拾ったようで、喉はちょっと痛いし、なにより1日中鼻と喉の間に異物感がずーっとありました。
その翌日に息子を耳鼻科に連れて行くことになっていたので、私もついでに診てもらいました。
生まれて初めて鼻カメラで診てもらいました。
そしたらですね、何かが詰まってたとかじゃなくて、喉はもちろん、鼻と喉の間も炎症を起こしてました。
でもですね、その前の週からおかしかったんですよ。
滅多にできない口内炎ができてめっちゃ痛かったんです。
気をつけていたのですが、ジリジリと免疫力が落ちてたんでしょうね。
そのせいか、先週末から体調が超不安定で、昨日はそれなりに動けたのに今日は全くダメ…という(そこそこ)良かったり悪かったりがコロコロ入れ代わるような日々であります。
そしたらですね、立て続けにですね、
娘はお手伝いしてたら子供包丁で指を切るし、
息子は花火で火傷するし、で、お盆スペシャルか???とドキドキしてしまいましたよ~。
↑
息子、火傷で皮がめくれちゃったので、オロナインべったり塗ってラップで巻いてやりました。
多分大丈夫だとは思うけど、皮がめくれちゃってるから皮膚科に連れてった方がいいよね、と翌日の朝にお父ちゃんが言うので、
連れて行こうとは思った……んですが、その日はどうにもしんどくて、洗濯物も休み休みじゃないと干せないくらいだったので、仕事の時間に遅れるけれどお父ちゃんが連れてってくれました。
(1時間待って診てもらったら、たいしたことないよーって感じだったそうで、お父ちゃんには申し訳なかったけど良かったです。塗り薬を出してもらったので、ベタベタ塗ってやってます。)
洗濯物をやっとこさ干し終わって、ゴロンと横になっていたら、
私の横でお父ちゃんに買ってもらった本を楽しそうに読んでいた娘が訊いてきました。
「お母さんは、スランプってなったことある?」って。
本の中に何か書いてあったんでしょうね。スランプってことについて。
スランプかー……。
スランプって……何かあったっけ?
……。
……。
……。
「お母さんねぇ……、人生ずっとスランプかも。」
と答えたら、娘はキョトンとした顔をしました。
そりゃキョトンとするよねぇぇぇ。
私は、しつこく言いますけど、自己肯定感はあるんです。
なので、自分の人生をダメなものだとか不幸なものだとか、そんなふうに思ったことは無いのです。
でも、なんだか娘の問いに対しては、「人生ずっとスランプ」という答えが一番しっくりきたのです。
自分でも少しびっくりして、ちょっと笑っちゃったんですけど、でもしっくりきたんです。
うん。
多分、人生ずっとスランプだったんでしょう。
……死ぬまでに抜けられるかしら?
さて。
夏休みといえば、娘の「作文」の手伝い…というか、指導というか、文章の書き方をじっくり教えるというのを自分に課してまして、
3年生になった今年は「生活作文」だけでなく、「読書感想文」も娘は書かなくてはなりません。
というわけで、先週のうちに娘は以前お父ちゃんに買ってもらった本を読みまして、
「自由帳に、思ったこと・感じたこと・悲しかったこと・面白かったこと……なんでもいいからとにかく書き出せ。」と私に言われた娘は、今週の前半にそれをやり続け、昨日と今日で感想文を書き上げました。
やーーー。
しかし、生活作文も大変だけど、読書感想文は書かせるのってもっと大変でしたわ~~~~。
だってね、小3だと書き出したもののほとんどが「あらすじ」なんですもん……。
そこから、娘の気持ちが書かれているものを拾い集め、どこに焦点絞るか、書くべきあらすじもどこまで削ぎ落とすか、を娘と話し合って、娘の言葉を引き出しつつ、一行一行確認しつつ、何度も読み返しつつ、積み上げていく作業でしたからね。
でもね、娘はイヤがらないんですよ。
そこが偉いなぁ~、と毎年感心します。
(私だったらすぐにイヤになってたと断言できるよ!)
美味しいお料理の作り方や、キレイな裁縫の仕方などを教えることができない代わりに、
夏休みだけだけどじっくりと文章の書き方を教えることが、私が娘にしてやれることだよなー、と思っているんです。
今すぐそれが身につくわけじゃないけれど、すごーーーーく時間はかかるだろうけど、娘のためになると信じております。
はい。
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娘が読書感想文に書いた本がコレ。
あー。
しかし今年の夏休みは、一人になる時間がほんっっとに無いよっ!