薬になるか、毒になるか。

この日記についたコメントを読んで、
あー、これについては簡単にはお返事できないなー、と思いました。
もちろん、コメントをくれた友人も、分かってて書いてるに違いないんですけどね。
この場合、おそらくポイントは2つあるんだと思いました。
1つは、スピ的な内容について。
もう1つは、言葉について。
スピ的な内容については、友人も言ってるように、(私自身も含めて)「はき違えてるよね?」って場合も多いんだろうな、と思ってます。
なぜかというと、「その人が今までどんな生き方をしてきたか」という「その人そのもの」が、「この言葉・文章をどのように受け止めるか」に如実に現れているような気がするからです。(……ある意味、ブログ等でこうやって文章を書いてるってことは、丸裸になってるようなもんだってことですね。うはー。)
今、目にした耳にした、この言葉この文章を、どこまで深く理解できるか、ということは、誰かに教えてもらえるようなものではなく、やはり、人生に対してどれだけ真摯に向き合っているか、の度合いによって、理解する力が少しずつ研ぎ澄まされていくと思うのです。
ですから、スピ的内容、宗教的内容を語った言葉・文章というのは特に、万能薬にもなれば毒にもなりやすい危険性の高いものだと思ってます。
また、これは実に興味深いなぁ~、と思うんですが、特に人間の成長って、ガンガン真っ直ぐな一直線を描くのではなく、どちらかというと、螺旋状に上昇していくことが多いような気がするのです。
そのため、相手が向こう岸にいるように見える時に、かなり距離を感じたりするよなー、と思うのです。
そして、あっちが周回遅れなんだろうと思っていたら、実はこっちが周回遅れだった……なーんてことも実は多々あるのではないか、と思います。
それから、言葉について。
これは、スピとか関係なく、ふつーの会話でもそうですが、同じ言語で話していても、「自分の言葉」と「相手の言葉」が「同じことを意味している」とは限らない、ということを実はものすごーーーーーーく肝に銘じていないといけないんじゃないか、と思うのです。
それは、自分の意図したとおりに相手が受け取るとは限らない……というより、ほとんどの場合は何かしらズレがあるに違いないってことでもあるし、
そしてそのズレはどんどん蓄積されて、気がついたら全く違うものを見てる…ということも案外多いと思うのです。
てなことで。
人間なんてーのは、お互いにすぐズレるしブレるし、でもってその相対性の中で世界を観るんだから、そりゃ厄介ですよね。
大変なワークをしとるもんなんでしょうなぁー。うはー。
んでもね、見てりゃ分かる、ってことも真実の1つだと思うのですよ。
相葉ちゃんを見てたら、「あー、そうだよねー。」って響いてくるものがあって、それは素直にそうだと思えるものだったわけでね。
ややこしいけど、シンプル。
シンプルだけど、ややこしい。
厄介だけど、面白いですね。ほんと。

毎日のおきまり。

この4月から息子は小学校に、娘は保育園に行っておりますが、どっちもお迎えに行かなければなりません。
いや、ふつーの小学生ならお迎えなんて要らないだろうけど、ほらね、やっぱね、ウチの子はダウン症児だから、ちゃんと行って帰ってってのが難しいのです。
てことで、朝の集団登校にはお父ちゃんが付き添い、帰りは私が門のところまで迎えに行くんですがね、私を見つけるとダーーーーーーっと走り寄ってきて、
「おかーしゃーん、しゅき~~~~~
と抱きついてきます。みんなの目の前だろうと構やしません。
外人並みの愛情表現です。うはー。
んー。
いつまでこうやって言ってくれるんかなぁー……。

目標ってことで。

傲慢であってはいけない、謙虚に謙虚に…と思っていたら、ただ自分を卑下してただけだった、とか。
なんか、そんな感じ失敗をいろいろやってきたよなー、んでもって今もやりがちだよなー、と思ったりしてます。
でも、なんてゆーか、やっぱきっと答えは「すげーシンプル」なんだろうな、と思いました。
今朝の「はなまる」に出てた相葉ちゃんを見てて。
あー、相葉ちゃんって、「大好きな人」がいっぱいいるんだろうなー。
ってなんでか感じて、そんなふうでありたいなー、と私も思いました。
そいでもって、今の嵐がここまで来たってのも、目の前のことを1つ1つ頑張ってきた積み重ねだ、って、ふつーのことを言ってたんだけど、でも、きっとほんとーーーにそうなんだろうなー、って感じたんですよねぇ。
大好きな人がいっぱいる人。
目の前のことを1つ1つ頑張る人。
私もそんな感じでいってみよー。

美人顔に対する羨望というかなんというか。

母方の祖母は、当然ながら私が認識し始めた頃にはすでに「おばあちゃん」になっていたのですが、それでも昔は美人さんやったんやろうなー、と分かる感じの人やったし、
母方の叔母はほんとに美人で、おっぱいもバボーンとデカい人やったし、
親父さんも若いころはハンサムさんの部類に入ってたな、って人やったのに、
オカンはちょいとぶちゃいくなのです。
(親父さんは『ちょとブー好き』やったらしい。この傾向は弟2号に受け継がれている模様。ちなみにオカン以外は現在みんなあの世の住人。)
んで、私もびみょーにオカンのテイストをもらっていて、いいパーツももらっているけれど、なんかそれらが100%魅力を発揮できずに、どっちかっていうと台無しちっくになってしまっとるのです。(遺伝子ってスゴいなー、とほんとに思う。まさに組み合わせによる創造なんだよねぇ。)
でね。
40代で死んだ美人の叔母は、未婚のまま近くに住んでたんで、うちらをよく可愛がってくれてたのですよ。
そんな美人さんを生まれた時からしょっちゅー見てたから、自分が年頃になって、「……あれ?」って気づいてからは、人間は外見やないぞ中身やぞ、と分かってはいても、やっぱり叔母みたいな美人顔に生まれてたら良かったのにーーーー、って思うことが多かったです。どしてもね。
それでも、いつしかうら若き乙女の時代も過ぎて、出産して育児なんぞに勤しんでいると、自分の顔のことはそんなに気にならなくなり、このままおばちゃん→おばあちゃんになってくんかなー?と、なーんとなく思うようになってたんですよ。
気は楽だよね。ある意味。
けれども。
そうは問屋が卸さなかった。
シワやたるみにある時ハッ!と気づいて、なんとかせにゃ~~、いつどこで松潤とバッタリ会うかもしれへんのやで~、と(非常にバカバカしいことを)思い始めてからは、またあの「あーあ、もっとオバチャンみたいな美人顔に生まれてたら良かったのにー。」がムクムクと湧いて出てきたのです。
……こりゃ自分で思ってたより根深いなぁ。やれやれ。

顔に出てるのか?

名古屋に転勤になって、身体が…というか、心身症が一気にヒドくなり、
外でご飯食べるのも怖かったし、美容院も怖かった時期がありました。
でも、美容院には行かないとねぇ~。ぼさぼさはイヤンだからねぇ~。
ドキドキしつつも行ってました。
(と、まだ最低限の見かけのことを気にかけるくらいの気力は残されていた。)
子どもを産んでからは、また別の意味で美容院で時間かけてらんなくなったし。
てか、美容院に行く時間の確保が難しかったくらいだし。
すると、必然的にシャンプー・カットだけとなります。
パーマなんてかけてたら時間が倍以上になっちまうからな。
(カラーリングはもともとほとんどしない。伸びてきて根元の色だけ違うというのが美しくないからイヤ。)
んでもって、そいえばずーーーーっと前髪が無いのですよ。
真ん中やや右のところで、パカっと分かれるんで、前髪も伸ばしたスタイルが基本となってました。
でも、3月末に入園・入学の前にってことで美容院に行った時には、いつものスタイルじゃなくて、前髪を切ってもらいました。
なんでかっていうとーー、残念なことにー、眉間の皺が知らない間に深い皺になっててぇー、額にも横皺がすぐに出るようになっててぇー、ちょっと前にそれに気がついてぇー、隠さなきゃ!と思ったわけでぇー……。
しくしく。
地道にマッサージを続けてなんとかしようとはしとるんですが、いかんせん時間が無い……ので、前髪を作ったわけであります。
薄めだけど。
そしたらね。
なんかね、印象が全然違うのですよ。
不思議なもんですねぇ。
前髪がちょっとあるか無いか、だけなのに。
でもって、この前髪にしてから、ふわ~っとしたパーマ(決しておばちゃんパーマではござらぬよ)かけてーなー、なんて思ったりもして。
そんな年か?そんなキャラか??と自嘲気味にすらなりそうなんですが、なんかそんな気分になるんですなぁ。
(んでも、やっぱ面倒なんでパーマしないと思うけど。)
それにね。
入園式だーってことで、久しぶりにちゃんと化粧してみたら、出産前まで気に入ってた色系の口紅だとなーんか似合わないんですよ。
で、今まで買ったことないような、薄いピンクとかだと落ち着くんですよ。
年取ったせい?
……もあるけど、なんかそれだけじゃないような気がするんですよねぇ。
前髪のことにしても、口紅の色にしても。
んんー。
やっぱ、顔に出るんだよな。きっと。(…なにが?)

忙しかったけど、身体が動くから嬉しいなぁ。

この春から息子が小学校に入学し、娘は保育園に入園し……で、
やはりバタついとります。
持たせなくちゃならんものを1つ忘れたり、請求せんとアカン資料のことをすっかり忘れてたり……と、頑張ってるんですけど、どこか抜けてるお母ちゃんです。
てへ。
しかし、今日は特に忙しかったですわ~。
いつもはお父ちゃんが朝は息子と一緒に登校してくれるけれど、今朝は朝イチの仕事があったので、小雨の中、お母ちゃんが娘も連れて通学団のみんなと一緒に学校に行き、
帰宅後、すぐに保育園へ。(お布団持って!月曜日と金曜日は雨降って欲しくな~い!)
そして、帰宅後、家事をして、スワイショウとチベット体操をして、スーパーに買い物をして…、
そんなこんなですぐに息子のお迎えの時間……。
そして、昼食後に学校に再び行って必要書類を受け取り、記入後にお父ちゃんが午前中に取ってきてくれた公的な証明書と一緒に、その書類を提出しに息子も連れて教育委員会へ。
しかーし、これが遠い遠い……。
市町村合併のおかげで、めっちゃ遠い支所に教育委員会が移動となっちゃって……。しくしく。
あー。
さすがに疲れた~~~~~。
でも、これから娘のお迎えでー、そのあと夕食の準備でー……。
あたし、よく働くなー。偉いなー。
と、自画自賛です。嬉しいです。
いや、これくらい、ふつーのお母さんならたいしたことないのかもしれませんが、つい先月までの私ならこの時点でもうヘロヘロになってましたよ。ええ…。
下手したら気持ち悪いって言いながら寝込んでたね。
でも、先月末のシエルさんのヒーリングの後、しばらくしてからガンガン食べられるようになってから、身体もそこそこ動くようにななってきてくれて、ほんとーーーーにありがたいです。
嬉しいなぁ~~~。
嵐のDVDを見ながらスワイショウをするのを4日続けたら、昨日の夜、チベット体操の第一のポーズで3回くるくるしても気持ち悪くならなくなってきました。
そして、他のポーズもそれぞれ3回ずつやったら………
今日はびみょーに筋肉痛です……。
てへっ。

仲良しこよし、な関係だけなわけない。

昨日、マイ・ハニーのりすけちゃんとゆる~くメールのやりとりをしていたら、
のりすけちゃんの過去世のことで、
●●の時に殺されたことがあるらしくってさー、今でもコワイんだよねー、
ってハナシになって、
それを読んだ元・ツインの私が反射的にふと思ったのが、なんと、
「……それ、殺したの、(過去世の)あたしなんじゃねーのー??」
でありました。
いや、根拠もなにもないけどさ。
なんでかふとそう思っちゃったのですよ。
ま、それがほんとかどうかは分からんのですが、
ツインとかめっちゃ近い魂同士だからって、仲良しラブラブな関係ばかりじゃないだろうしね。
殺す、殺されるっていう関係もあって当然かなー、と思うのですよ。
……てか、そもそもタミエルさん、のりすけツインにぐっさり刺されてるやん。
愛するがゆえ、だったけどー。
うふふ。
そしたら、さつきのひかり先生がそーゆー趣旨のことを日記で書いてたので、やっぱりねー、って感じになりました。
http://plaza.rakuten.co.jp/satukinohikari/diary/201004110000/
三次元的視点だけでは把握しきれんよね。絶対。

どれだけエネルギーの循環が悪かったか、ってことだな。きっと。

子どもの頃から小食の痩せっぽちっちだった私。
胃腸の働きが弱いんでしょうね。
がんがん食べたのは、高校生の時に海外に留学してた1年間と、つわり後~授乳終了までの間だけです。
子どもたちが卒乳したら、途端に小食に戻りました。
それがね。
先月末にシエルさんのヒーリングを受けて、4月になってからすげー食べるようになりました。
すると、変なハナシ、お通じも良くなったし、スワイショウやチベット体操を少しずつでもするようになったし、
なーんか「常にエネルギー枯渇状態」って感じで(子どもの世話とか家事とか以外は)だらだらしてたのが、ちょっとずつでも身体を動かそうという気になってきたんですから、不思議なものですよ~。
お腹のあたりが「ボトルネック」になってて、エネルギーが循環しにくかったから、食べることそのものすらしんどかったんでしょうねぇ。
今まで。
というわけで、がんがん食べられるというのは私にとってはいいことだけど、お腹周りにお肉がつきやすいから、ちゃんとチベット体操とスワイショウを続けないとヤバいことになるよねー。

入園式と入学式

先週の土曜日が娘の保育園入園式で、昨日の火曜日が息子の小学校入学式でした。
ものすごーーーーーい内弁慶で、お母ちゃんがいないと夜も日も明けない娘ですが、
みんなと一緒に給食もしっかり食べたりして、保育園でなんとか頑張っているようです。(……もちろん、朝は大泣きですが。)
しかし、息子の方は、「頑張ってる」というよりも、「我慢して座ってる」という感じでした。
30分ほどの入学式の間、他の一年生のように、じっと椅子に座っているとか、起立の号令で立つとか、そういうことはできませんが、
けれども、周囲の雰囲気を感じ取って、彼なりに我慢して座っていました。
1学年30人にも満たない新入生ですから、入学式では1人1人が名前を呼ばれて、校長先生が握手をしてくれたのですが、
息子1人だけ、名前を呼ばれても「えー?」と言ったり、校長先生が握手しようとすると、「やめてー。」と言ったり……。
どこまでも自由な奴です。
今、娘が通ってる保育園から上がってきている子供たちが、息子のクラスメイトに多いのですが、
この保育園は障害児保育の指定園なので、この保育園から上がってきている子供たちは、障害児に対する接し方がかなり自然みたいです。
同じクラスにダウン症児や発達障害児が複数人いるという環境というのは、健常児にとっても良い経験になると思いますし、
そういう経験のある子供たちがクラスメイトに何人もいるというのは、とてもありがたいと思ってます。
(もちろん娘のクラスにも障害児がいます。)
実際、入学式後に子供、先生、保護者の集合写真を撮った時、やはりどうしてもじっと座っていられない息子に対して、
自発的に、隣の男の子が息子が前を向くように手を握って促してくれたり、息子の後ろに並んでいた女の子3人がそれぞれ息子に世話を焼いてくれてたのです。
息子が通っていた保育園は、娘の通ってる保育園とは別のところでしたが、そこでも子供たちは息子のことをちゃんと仲間だと認識し、息子に合わせてくれたり、息子のことを尊重してくれたり、息子と真剣にケンカしたりしてくれていました。
大人よりも、子供の方が本質をよく分かっているんじゃないか?と、よく思わされます。
そんなわけで。
息子と娘、2人とも同時に新しい環境となったわけですが、
もちろん、危ないことをしたら叱るし、最低限の躾けは心がけてますが、我が家の教育方針は、「子供の自然に育つ力の邪魔にならないように気をつける」なので、必要以上に心配しないようにしなきゃ~、と思ってます。
親が心配し過ぎるのって、子供にとってもマイナスですもんね。