心の澱も排水口のドロドロも溜まってしまうものだ。

いっこ前の日記に、takakoさんがコメントを入れてくれました。
驚いたよぉぉぉぉぉぉぉ。
で。
そのコメントを読んでいて、ちょっとホッとしました。
というのも、実はこの2~3カ月ほど、ちょっと「澱」みたいなものが溜まってんなー、という感じだったんです。
天使の絵に対しての自分の気持ちっちゅーか、なんちゅーか。
もちろん、絵を描いてる時は今までと変わらないんですけど、なんかね、ほら人間って欲が深いでしょ?
向上心って言えば聞こえは良いんだけど、「欲」が全くないかというとそれは嘘なんだなー。
てことで、takakoさんのコメントを読んでたら、
「あー、初心に戻ればいいんだー。」と、ふと楽になったんです。
よかったよかった。
……でもね。
天使の絵についての「澱」は取れたけど、今朝は起床時からなーんとも気持ちが重かったんですよ。
全般的な「澱」みたいな感じ。
こーゆー日はダメですなぁ……。
ドラッグストアのレジではすげー待たされたし、スーパー行っても駐車場でまごまごしちゃうし、帰り道も何故かいつもより車の通りが激しくてまごまごしちゃうし。んでもって買い忘れいっぱいだし。他にもこまごまといろいろ。
なーんかいつもよりガクンガクンって躓くような感じ……。
でもって、洗濯機の排水口が詰まって溢れちゃうし。
ウチは借家なんですがね、洗面台・洗濯機周りが狭いためにお父ちゃんお手製の棚を洗濯機のところに設置してるんです。
なんとかギリギリ。かーなーりギリギリ。
そのため、排水口をもっとマメに掃除したくてもなかなか難しいのですよ。
棚を動かさないといけないので大仕事になっちゃうんです。
で、排水口が溢れてきた時に慌てて掃除する……というパターンなんです。
いつもはデカい棚や重い洗濯機をお父ちゃんが動かしてくれるんですが、お父ちゃんを待ってたら遅くなっちゃうし、仕事で疲れてるのに手伝わせたら絶対に不機嫌極まりないだろうから………ってんで、どうせ上手くモノゴトが進まない日なんだから、頑張って排水口の掃除してスッキリするかーーー、と始めてみました。一人で。
キツかったです。洗濯機をパンから半分移動させるのが特に。
ドラム式は余計に重い気がするっす…。
それに、ドロドロになってたパンも排水口もかなりの強者でした。
(手洗いでまず泥汚れを落としてから洗濯してるんだけど、やっぱりどうしても…ね。お父ちゃんが畑仕事するし、息子は保育園時代なんて毎日ドロドロだったし。でもってウチのドラム式は小さいゴミはスルーっていう仕様らしいし。)
棚がなけりゃもっとマメに掃除できるから、ここまでにはならないんだけど、だからって棚を外したらすご~く不便だし、んじゃ半年に一度とか決めて掃除するっかってゆーとそこまで立派な主婦じゃないし、それより庭の草を抜かなきゃならんし、ああこの1週間でぐーんと草が伸びてきたよなー、とうとう蚊も出てきたし、やだなー………と、ぐるぐる考えながらドロドロと格闘していたら、
なーんか、人間もこんなふうに汚れが溜まるものなのかもなー。
掃除しにくーいっちゅーか、制限バッチリっちゅーか、詰まりバリバリっちゅーか、
そんな感じがデフォルトで、こうやって汚れが溜まっちゃうんかもなー。
だったら、この場合、棚を外すのが一番いいのか??
でもなー、心もきっと棚にいろ~んなモノが積んであるだろうから、まずそれを整理せんとアカンのか?
ああ、んじゃ、やっぱりセルフヒーリングしつつ「もう不要なものは手放しまーす。」って宣言するとかさ、五井先生のお祈りしながらそのお祈りの中に要らんもんを全部入れちゃうとかさ、セルフヒプノでクリアな自分をイメージするとかさ、そーゆー日々のコツコツ作業が一番大事なんだよなー。
基本をおろそかにしてたら、成長も何もねーよーなー。そうだよなー。
と、そんなことが頭に浮かんできました。
掃除は修行ですな。
というわけで、かなりの時間をかけてキレイに排水口およびその周辺を掃除したら、なんだか心もちょっとスッキリしました。
「澱」もドロドロと一緒にお掃除できちゃったのかもしれんですね。
すると、その後、息子を小学校まで迎えに行ったら、いつもは挨拶しかしない(他の支援クラスの子の)お母さんといろいろ楽しくおしゃべりできたり、
学校に着くまでは雨が降ってたのに子どもたちが出てきたら雨がやんで、帰り道は傘無しでお手々つないで帰ってくることができたり、
娘のお迎えの時もその時だけ雨がやんだり、
スーパーに買い忘れのものを子どもたちと買いに行ったら、いい場所にすっと駐車できたり……と、なーんかモノゴトがすーっと通るようなそんな感じになりました。
文句言わずに前向きに何に対しても取り組めたらそれか一番良いんだとは思うんですが、
「あー、めんどくさーい。いやだー。なんでこんなふうなんよー。」と、文句が反射的に浮かんできたとしても、
やる時にできることを頑張ってやれば、それでもいいのかもー、と思いました。
「デキた人」じゃなくてもいいからさー、って感じで。
あたしね、基本はせっかちなんですよ。
ほんとは、最短コースを選びたい、最大効果を狙いたい、って気持ちがあって、結果を早く見たいんでしょうね。
山羊座だなー、って思いますよ。ええほんと。
結果出せないならやらない、効果的なプロセスを選択して出す結果が全て、てのが山羊座ですもんねぇ。
子育てって「非効率」の極みなので、かなり鍛えられましたが、それでもせっかちな部分は強いんで、いろんな時にそれが顔を出してきて、イライラしたり逆にやる気を全く失くしたりします。
そこらへんの「澱」も溜まりやすいってなもんです。
デキた人、デキた母親、デキた女性のイメージが何かしら自分の中にあって、それからかなり距離のある自分も分かっているから、せっかちな私は自他のいろんなところにダメ出しをしたりしちゃうんですね……。
けど、排水口にドロドロが溜まらないようになんとかしようとアレコレ考えるという方向だけじゃなく、
今の状況を受け入れて、掃除する時に頑張ればいいや、って思う方向もアリだよなー、と思えたのです。
お掃除しながら。
てことで、基本は大事に。
コツコツとお祈りして、セルフヒーリングして、セルフヒプノして、チベット体操しよ。
一足飛びにデキた人になれるわけないんだもん。

天使画

……を描いてるつもりっす。
別に肉眼の目にも、第三の眼(←そもそも機能不全)にも「姿」として見えてないけど。
てなわけで、「天使画」はいいっちゅーことらしいっす。
変な枕詞つけなければ。
http://marialetter.blog22.fc2.com/blog-entry-125.html
よよよ姫から
「たみえるにtakakoさんがお返事してるみたい。」
ってメッセージをもらいました。
あははは。
なんか、こーゆー流れになるとはもちろん思ってなかったし、彼女にOKを出してもらいたいとかそーゆーつもりも全く思ってないんだけど、
なんか、ほんと、お返事みたいで笑えちゃったです。

この「宇宙」のさらに向こう

以前、ブログかmixiの日記か、その両方か忘れたけど、書いた覚えはあります。
子どもの頃、小学校高学年くらいか中学校前半くらいか……それくらいだったような気がするんですが、
オカンが持ってた高橋信次さんの「原説・般若心経」って本の最初の10ページくらいを何気に読んでみたら、
「ああ、ここに書いてあることって、私、知ってる。」
って思って、それで読むのをやめたんです。
でも、大人になってから本屋で同じ本を見かけて、その時のことを思い出し再び読んでみたんですが、私が何を知ってると、そんなに深く感じたのかが、その記述からはさっぱり分かりませんでした。
そうなのです。
すごく深く、確信よりも深く、そう感じたのです。
あの時。
でも、今の私にはさっぱりわかりません。
ただ、その時に頭にあった物語はかすかに覚えています。
この「宇宙」はある女性の想いの反映であり、その女性が意図したようにデザインされている。
そんな感じの物語でした。
私は5年生の頃から2年間ほど、プロテスタントの教会の日曜学校に通ってたんですが、
その物語に対して、
「(聖書でいうところの)神様も『この宇宙』が生まれたのと同時に生まれたんだな~。」
と、なぜか思ったんです。
聖書で記述されているように神が宇宙を作ったんじゃない、となぜか思ったんです。
神様が作ったけど、神様が作ったんじゃない。
このあたりの感覚をうまく表現できなくて、「同時に生まれた」という言葉になったんだと思うんですが。
とにかく、そんなふうに思ったのです。
……いや、今でもうまく表現できないな。
と、いうことを、3日ほど前にふいに思い出したんですが、
そしたら、某さんの今日の日記にもちょっと似たようなハナシが載っていて、
「ありゃ。」と、不思議な気分になりました。

『「それさえなきゃ良い人なんだけどなあ」という「それさえ」は手強い。』

2つ前の記事で紹介したブログのつづきです。
http://marialetter.blog22.fc2.com/blog-entry-124.html
『「それさえなきゃ良い人なんだけどなあ」という「それさえ」は手強い。』
自分の中の、なにかが、
過剰なのか、足りないのか、それは分からないけど、なにかが、
むにゅっとしたような、そんな感じがしました。
この一文を読んで。
あ。
別に私がアトランティスの偉い人だったとか、そーゆーことじゃないんで。
たとえ過去世でアトランティスに生きてたとしても、ふつーの市民レベルでしょー。
むにゅっとしたってのは、アトランティス云々じゃなくて、もっと普遍的な部分でね。

「どうして?」

今月から、息子にヘルパーさんがつきました。
週に2日くらい、夕方の1時間なんですが、お散歩で公園に連れてってもらいます。
いえね、娘の保育園にお迎えに行く時に、必ず息子も一緒に連れてくことになるんですが、
家から徒歩5分くらいのところなのに、途中で座りこんで歩かなくなる息子に対して、娘が怒ったりするんですよ。
娘にしたら一日保育園で頑張ったんで、早く帰りたいんですなぁ。
で、怒って走り出した娘が、(田舎道の裏道なので)たまーに通る自転車にぶつかりそうになりまして…。
肝を冷やしましたわさーーーー。
私の反射神経もかなり鈍いし、大きくなった息子を抱っこして歩くことはもはや不可能だし、ってことで近場だけど車でのお迎えをすることにしたんですが、
すると、娘は「お散歩で帰りたい~。」とゴネるし…。
それに、息子がいるとほんとーに慌ただしくて、娘の様子を教えようとしてくれる保母さんの話もなかなかちゃんと聞いていられないし…。
そこで、ヘルパーを依頼することにしました。
お父ちゃんの勤め先なんですが、要望数に対してヘルパーの人数が少ないので、毎日というわけにはいきませんが、それでもありがたいですよ。
特に今日みたいな、雨ザーザーな金曜日の夕方は。
大きな布団袋を肩から下げて傘さして、傘をさしてる息子と娘をコントロールして車に乗りこませるというのは、非常に難度が高いんですもん。
それに、今日は息子の同級生のお母さんと数分間の立ち話もできたし~~。
娘はその間じーっと傍らで待ってくれてるけど、息子は絶対に無理!だし~~。
というわけで、昨日と今日とヘルパーさんとおでかけしている間に娘をお迎えに行ったんわけですよ。
そしたら、娘ってば、
「おにーちゃんがいなくて、さみしい。」
を連発。
たしかにありがたいことに仲良し兄妹だけど、いたらいたでケンカになるやんか~、とトホホな気分なお母ちゃん。
「おにーちゃんは、ヘルパーさんと本屋に行ったんだよ。」
と教えてあげたら、娘が
「あたしもヘルパーさんと行きたい。」
と言うんですよ。真似したい年頃がずーっと続いてますよ。ええ。
でも、健常児のあなたにはそのサービスは受けられないのよ。
……と言ってももちろん理解できるわけないので、
「おにーちゃんは、ダウン症って病気だから、ヘルパーさんが助けてくれるんだよ。」
と、とりあえず娘に言ってみました。
体質と言っても分からんだろうから、病気という言葉を使いました。
すると、
「どうして、おにーちゃんは病気なの?」
と聞き返されました。
一瞬の間に、いろんな答えが思い浮かびました。
だって、とっても深い問いなので。
んで、とりあえずこの場合は染色体の突然変異が原因って回答が妥当だなー、と思い至ったんですが、そう言ってももちろん理解できるわけないので、
「おにーちゃんは、お母ちゃんのお腹の中にいた時から病気だったんだよ。ずーっとこの病気は治らないんだよ。」
と答えると、娘は神妙な顔つきになってきたので、
「でもさー、おにーちゃんはいつもニコニコしとるよね?だからおにーちゃんは大丈夫だよ~。」
と言ってやると、娘はニコっと笑いました。
まだ小さな娘に息子のダウン症に関わることを説明するのって、やっぱりちょっと難しいなーー、と思いました。
でも、てきとーに誤魔化すわけにもいかないしね。
しかし、子どもの問いは根源的だなー、としみじみしました。
そして、息子は笑顔で帰ってきましたよ。もちろん!

微妙にズレてるというか、微妙にフィットしないというか。

以前、よよよ姫に教えてもらったブログですが、
とても辛口で、さすがにそれはちょっとキツいっすよー、と思うこともちょこちょこあったけど、
なんか最近になって、前よりも「ああ、そうかもね。」って思うことが増えました。
これ
http://marialetter.blog22.fc2.com/blog-entry-123.html
を読んでいても、
「あー、私も天使の絵を額・送料込みで1万円で売らせてもらってるけどなー。」
って、苦笑いしつつ、
でも、なんとなく……心のどこかで、彼女の言葉そのものに対してではなく、その奥の何かに「ああ、そうかもね…。」って感じるんです。
なんだろう。
お金っていう切り口で語られることが多いけど、それだけじゃなく、なにかが微妙に少しズレてる……というか、
いや、多分、自分以外の人への
「何かが少しズレている。何かは分からないし、そのズレはほんの少しのような感じがするけど、それでも何かが少しズレている。」
と感じるものは、その人がズレてるというよりも、そのまま自分自身のズレを意味しているんだと思うんですがね。
以前は感じなかったものを感じるというのは、自分が変化しているのかなんなのか。
私は前に進んでいるのか、後退しているのか、ただその場でくるくる回っているだけなのか、さっぱり分からんのですがね。
でも、あきらかに「重心」が微妙に変わってきているような、そんな感じがするんですよね。
自分の中の「重心」が。
でもでも、それらをハッキリつかめないので、やっぱりよく分からんなー、という感じのまま………。
ま。いいか。
こういうのも。

私は言い訳名人だなぁ。

昨日、TVのチャンネルを何気に変えてみたら、エンジェルズの松井の特集番組がやっていて、
最後の5分くらいだったけど、見ていたら、ヤンキースの元チームメイトたちが、松井ととても褒めてました。
野球人として、だけじゃなくて、人としても。
でね。
どんな時も言い訳しない、ってチームメイトの1人が言ってました。
すごいなー、って思いました。
私は、すぐに自分にも言い訳しちゃうもんなー。
言い訳なんて、探せばいっくらでも言えるものだけど、
他人に言い訳しないってことは、まず自分にも言い訳しないってことだもんね。
反省、反省……。

ミカエルさまとメタトロンさま

前々からそうだったんですが、ミカエルさまって、どうしても
上司
または
一族の最長老
みたいな感じがしてならんかったんですが、(タミエルにとっては)ほんとにそんな感じらしいことをシエルさんからいろいろ教えてもらい、「うはー。」とビックリしつつも、やっぱりねー、って納得もしたもんです。
でね。
ファウたんがメタトロン系の子らしいぞ、って流れになってきてから、どーにもメタトロンさまのことを、
おとうさま
としか思えなくなってしまいました。
上司とかマスターとかじゃなくて、おとうさま。
バリバリのキャリアウーマンみたいだったファウたんも、最近はキレイな庭で泣いてることが多くて、
そのそばに「マルデックのお母さん」とおとうさまとしてのメタトロンさまがいて、見守ってるみたいに感じるんですよねぇ…。
不思議な感じです。

お熱が下がった&家庭訪問

日曜日の夜からお熱が出てた娘ちゃん。
月曜日の午後から39度になり、
けっこー高熱が続き、ようやく昨日の午後から平熱になりました。
(お腹はまだゆるいけど。)
保育園の年中さんでマイコプラズマが流行ってるって聞いてたから,
昔、マイコプラズマ肺炎で入院した経験のあるお母ちゃんとしては、ちょっと心配でしたよ~。
(小児科医は、多分マイコプラズマじゃないと思うよ、って言ってたけど、心配になるのが親っちゅーもんだ。)
息子もちょっとのお熱と下痢で3日間学校をお休みしてたんで、ずーっと気が休まらんお母ちゃんでありました。
でも、お休み中に家庭訪問があって、クラス担任の女の先生と、支援クラス担当の男の先生が順番に来てくれました。
担任の先生は、
「ほんと、かわいいですよね~。」を5回は言ってたです。
息子っては、6年生の女子に大人気らしいとは聞いてたけど、担任の先生のツボにも入ってたのかー、とちょっとオカシかったっす。母。
支援の先生は、今年の春から転任されてきたばかりなんですが、
「この小学校の子どもたちはみんなとても優しいですよ。他の小学校の子どもたちよりほんとに優しいです。だからとてもいい環境だと思いますよ。」
と言ってくれました。
障害児を受け入れてる保育園(娘の通ってる保育園)から上がって来る子が多い小学校なので、障害のある子にどうやって対応していいかがよく分かってる子が多いことと、
田舎のこじんまりしている小学校だということが、きっといい塩梅になってるんだろうなー、と思います。
多分ねー、養護学校よりも、息子にとっては手厚い環境のような気がしました。
去年の夏、養護学校に息子を連れて見学&先生に息子を見てもらったところ、これだけ発達が良いと、他のもっと重度の子たちへの対応が忙しくて、担任の先生にもあまり手をかけてもらえないこと(「ちょっと待っててね。」という状況)が多くなりやすい、と言われたんです。
そうなんですよね…。
養護学校って、今、ほんとーにパンパン状態のところが全国的にみても多いそうなんです。
今の小学校に通い続けて、「自分と同等の友達」ができるかどうかは分かりません。
保育園時代でも、年長さんになって別の障害児が入ってきてから、その子と「対等」にケンカなどもするようになった息子ですが、小学校ではいつまでたっても「ひよこさん」かもしれません。
それでも、近所の地域の小学校に、みんなと歩いて通うというのは、息子にとっては大事な経験かなー、と思ってます。
それに、3年後には妹も一緒に通学するようになるわけで、それが息子にとっても娘にとっても大事なことのような気がするんですよね。
とにかく。
息子には、いつもニコニコしてる人になって欲しいんで、親ができることをするだけですね。
ダウン症の子&人ってすごく繊細で、理解ない人からの冷たい扱いとか、親の離婚とか、そーゆーストレスのせいで(もともと頑固な性格なのにさらに)すご~く頑なになったり、退行したりすることも多いそうなんです。
四六時中、親がガードしてやれるわけじゃないけど、親しかできないことも多いし、そもそも親がニコニコしてなきゃ、子どももニコニコできないもんね。
……これくらいなら怒らなくても済むってことでも、ついイライラっとして怒っちゃうことも多いけどね。
すまんのー。子どもたち。
(でも、そんなお母ちゃんにも「おかーしゃん、しゅきー。」と抱きついてくれるから、ホロっとしてしまう。)

興味深いブログ、2つです。

風邪がちっとも治らんです。
それどころか、子どもにもうつっちゃってます。ひー。
さて。
興味深いブログを2つ。
まずは、カエルさんのブログのこの記事から始まるシリーズです。
ほんとは、もっと前からの記事を丹念に読むとさらに今までのカエルさんの大変さが分かるのですが、とりあえずです。
「妨害する」とか「邪魔する」とか「取り込もうとする」とか……そういう存在との縁はさまざまな形があると思いますが、カエルさんの経験をブログに書いてもらうことで、私たちにとっても「知る機会」を得られますからね。
ありがたいです。
それから、もひとつは日月さんのこのブログです。
ひじょーにたくさんの記事がありますが、時間があるなら時系列に読むことをオススメします。
肉体の自分の状態は、「上」と密接な関係があるのだなぁ~、とあらためてしみじみとさせられました。
カエルさんも日月さんも、傷だらけになりながらも真っ直ぐ立ってるような感じがします。
全部ひっくるめて「自分だ」と、引き受けてるような、そんな感じが好きです。