土曜日は、息子の運動会でした。
小学校の運動会は1日仕事だねー。
朝からお弁当をいっぱい作って、お母ちゃんも頑張ったよ!
でも、もちろん一番頑張ったのは息子。
健常児に混ざっての運動会だから、
当然かけっこはビリだし、
集団の踊りはみんなとズレてるし、
先生や同級生や上級生に何度も何度も手間かけさせてたけど、
でも、頑張ってたよ。
一生懸命、頑張ってたよ。
ほんと、頑張ってたんだよ。
ほんとに、この子はスゴいなぁ~、と思ったです。
てことで。
昨日も疲れてダラダラしてたけど、今朝はさらにダルくて、どうやら風邪ひいちゃったみたい~~。
金曜日からすでに風邪っぽかったんだけど、土曜日は気合でなんとかなったんだよねー。
ホッとするとダメだねー。
さてさて。
今度の土曜日は、娘の保育園の運動会だ~。
こっちは午前中だけだから、お弁当を作らなくてもいいのがありがたいやー。
ようやく始めましてねー。
Twitterを。
http://twitter.com/TAMIEYAtamie
子供ネタばかりですが、よかったら見てやってちょうだいませ。
★モニター募集…というお話★
いえ、私が募集するんじゃないんです。
Eiko@アンドロメダさん(mixiのHNはアメジストさん)です。
http://plaza.rakuten.co.jp/angel4444/
詳細は、たぶんそのうちアップされるんじゃないかなー、と思います。
Eikoさんは、私にYL社の精油を薦めてくれた方なんです。
Eikoさんも以前はいろいろ体調に不具合があったそうで、すぐに「調子わりー。」と言ってる私のことを何かと気づかってくださるんです。
気持ちを分かってくださるんですよね。
で。
昨日です。
mixiの日記に「寝違えしちゃったー。いたいよー。」って書いたんです。
精油と湿布と、一時しのぎの鎮痛剤で、なんとか車を運転できるようにはなっていましたが、夕方になっても上を向くのがしんどかったし、右を向くのもしんどかったです。
上も横もいつもの半分くらいしか向けませんでした。
そしたら、夕方……というか、もう夜でしたね。
たまたまなんとなくパソコンを開けてみたら、ちょうどEikoさんからメッセージが届いてまして、
なんと、即効性の高いヒーリングをするよ、と申し出てくださってたんです。
「お願いします~~。」と、返事をしたら、これまたすぐに返信が。
すぐにヒーリングしますね、ということだったので、ごろりと横になりました。
ほんの5分くらい。
自慢じゃないですが、私はヒーリングなど、エネルギーに対する体感はかーなーり鈍いです。
なので、ほとんど体感はありませんでした。
ただ、ちょっとだけ、首のあたりがぼや~っと温かくなったような感覚だけはありましたけどね。
………すると。
なんと首がさっきよりも動くんですよ!
痛みが半減したって感じでした。
ビックリして、「鍼をしてもらっ時みたいに、ほんとに即効性があるんですね!」とメッセージを入れました。
そうなんです。
昔、名古屋に住んでた時に、ヒドい寝違いをしたことがあって、通ってた近所の鍼灸院にかけこんだことがあるんです。
その時に、鍼をしてもらったらすーーーっと痛みが半減して、すごくビックリしたのですが、まさにそんな感じでした。
その後もメッセージのやりとりをしつつ、少しずつ調整してくださって、結果的に8割くらいの回復となりました。
後から教えてもらったんですが、他のヒーリングと合わせて、「鍼」をしてくださったそうなんです。
エネルギー的な鍼ですね。
ほんとにビックリな体験でした。
そして、ほんとにありがたかったです。
それで。
Eikoさんがおっしゃるには、電話でやりとりしながらのヒーリングをモニターさんを募集してやってみようと思っている、とのこと。
興味のある方は、Eikoさんのブログを時々チェックしてみてくださいね~~。
まとめきれんけど、忘れんうちにちょっと書いておく。
さっき、NHKの「あさイチ」って情報番組で、母乳とかからうつって、大人(それもかなりいい年)になってから白血病とか神経の病気になっちゃうウィルスのことを取り上げてました。
ニュースでもチラリとは見たけどね。
で。
ああ、と思って、妊婦さんの時に受けた検査結果票を探して見てみたら、「HTLV-1抗体」は陰性でした。
母乳ばりばりやってたから、良かった~とは思ったけど、同時にそーゆー検査もしてくれてたんだー、ありがたいねぇ~、とも思いました。
けどね。
なんかねー……。
そのウィルス。
キャリアの人でも発症するのは2%なんだそうで。
ほとんどの人はなんともないまま死んでいく、と。
ウィルスにしたら「共生」しとるようなもんかー、と思いました。
いや、もちろん、その2%が問題なんだよね。
白血病を発症したらえらいこっちゃ~だもんね。
それは分かるんだけどね……。
でも、母乳でうつります、無自覚なのでキャリアだと気づかない、という説明で、ゲストの人が「こわいですねー。」と言ってたんですよ。
でもって、「多くの人に知ってもらいたい。」と。
それがなーんかちょこっとばかりひっかかってねぇ…。
確かに病気はイヤだし怖いです。
でもって、知ってたら対処できることだってあるのも分かります。
けどなー。
怖い怖いって言ってるのって、なーんか違和感があるんだよなぁ。
でもって、知らない病気のことなんてたーくさんあるわけで、いちいち全部それを知らないといけないのか、というと、それもなんだかなー、とも思うのですよ。
いや。
以前の私ならね、できるかぎり知るべきだ、できる対処はするべきだ、と思ってたんですよ。バリバリそーゆータイプ。
それに、研究してくれてる人たちや、対応してくれる行政とかには感謝してるんですよ。ほんと。
でも、なんちゅーか……。
なんでも、人間がコントロールできるかっていうと、そんなことは全然なくて、もしかしたらすべてはあるがままにそうあるだけなのかなー、と、思うようになってきたんですよ。
そうなんですよね。
多分、人間は人間の生存を脅かすものに対して、すべてコントロールしたいんですよ。
んなもん、イヤなものはイヤだよ。私だって。
すげーイヤだよ。
当然、怖いし。
だから、すべてをコントロールしたいっていう欲求はすごく分かる。
てか、その欲求は厳然として、私の中に在る。
でも、それとは別に、すべてはあるがままにそうある、という思いが心の真ん中に在るようになってからは、
努力はもちろん尊いけれど、すべてをコントロールしたいという人間の欲求というのにはちょっと違和感を感じたり、必要以上に怖がるというのも何だか「なにかから外れてる」ような、そんな感覚になるんです。
スピ的に言えば、それらは「エゴ」から発せられるものなんだろうから、今までは当たり前に思ってた感情とか発想に対して、ちょっと距離を置いて見れるようになる、ということは、悪いことじゃないかもなー、と思うです。
別にそれをすべて否定するわけじゃないけどね。
認めたうえで、ちょっと距離を保って付き合う、というか、そんな感じかなぁ…。
こーゆーのもバランスなのかも。
そうそう。
うちの息子くんはダウン症児やんね。
こーゆー子が生まれてくるってのは、まさにコントロール不可能なことなんだけど、
でも、もしたとえばコントロールすることが全くの善だからと、人工授精でしか妊娠しちゃだめ、障害がある受精卵は廃棄……とかって世界になったら、うちの息子は生まれてこないわけですよ。
実は若い頃はね、そうやってもしもコントロールできるならした方がいいんじゃないか、とすら思ってたんですよ。うっすらと。
遺伝病で苦しんでる当人や家族が可哀相だし、って。
でも、私は幸せなんだよね。息子を授かって。
自分が障害児の親になるなんて思ってもいなかったけど。
命って、なんだろうねー。
人間って、なんだろうねー。
幸せって、なんだろうねー。
コントロールしたいという欲求って、なんだろうねー。
だらだら書いて、いつも以上にまとまってなくて、すんません。
ワクワク、キラキラしてなくてもいいやん。
11年勤めた会社員時代。
バブル末期に優秀じゃなくても入れた会社では、デカいコンピュータのOSとかDBとかの開発部隊にいてマニュアル開発を主にやってました。
大手コンピュータ会社の子会社で、ちゃんとお給料をいただけたし、働くお母さんたちも多かったので、妊娠が分かった時、当然のように産休・育休を取得して、また復職するんだろうなー……と、思いました。
でも、旦那さんに「今、辞めないと、辞められなくなるよ。」と言われ、それもそうだなぁ、と退職しました。
妊娠中は、あまり深く考えられないようになってるみたいですね。ホルモン的に。
結果的にはそれで良かったんですけどね。
生まれてきた息子がダウン症だったので。
健常児の倍の時間をかけて育つダウン症児を、1歳で保育園に預けて復職なんてとてもじゃないけど無理だったと思います。
実は、私は11年も勤めておきながら、どうしても仕事が好きになれずにいました。
コンピュータのソフト開発が面白いとは思えなかったんですね。
でも、他に何かやりたいことがあったわけでもないし、経済的に自立していない自分というものが怖かったから、ストレスで身体がおかしくなっても辞められませんでした。
何か、やりたい仕事が見つかればいいのになー。
と、時々思ったものでした。
そしたら、笑って辞められるのに、って。
けど、11年間、あの会社にお世話になって良かったと思います。
またあんなふうに好きじゃないことで仕事を続けるということは、もうしたくないけど、若いうちにそういう経験ができたことも良かったんじゃないかな、と思うんです。
好きな仕事をして、キラキラ輝いてる人………になれたら、そりゃ誰でも充実感いっぱいで嬉しいだろうし、みんなそうなりたいものだろうけど、
そうじゃない自分という経験、毎日少しずつ澱が溜まるような感覚…だって、決してごみ箱に捨ててしまいたいものではないんです。
今の私の中では。
つきなみだけど。
多分、私は私なりに頑張ってたんだなー、と思います。
だから、キラキラしてない自分だって「アリ」なんだろうな、と思うんです。
ポジティブになれなくったって、
ワクワクしてなくったって、
キラキラしてなくったって、
その場で立ってるだけで精一杯なら、立ち続けていることそれだけで十分なのかもしれないと、
昨日、友人からもらったメールを読んで、そう思いました。
ありがとうね。
あなたが幸せでありますように。
ほんとうの幸い…なんてどんなものか分からないけど、
誰か……家族や友人や大好きな人…が幸せでありますように、といつも心の深いところで祈っていられるのって、
もしかしたら、それも幸いのひとつなのかもしれないなあ……。
なんとも切ないが。
と、プチ鬱の中でふと思ったです。
そしたらなんか泣けてきたー。
そうなのよ。
8月中頃から次々といろんな体調不良が出てくるし、気持ちもけっこー長いことネガネガだし、やんなっちゃうーー。
夏バテとなんかよく分からんけどなんかの浄化のせい、ってことにしとるです。(←なんかのせいにしとくとちょっと気が楽。)
早く秋になってくれー。
「天命」って誰にでも必ずあると思ってるんだけど。
相変わらずキビシーですなぁ~。takakoさん。
http://marialetter.blog22.fc2.com/blog-entry-154.html
でも。
その厳しい言葉使い云々は置いといて、ちょっと「お。」と思ったんですよね。
私ね、「使命」とか「天命」とかって、多分、生きてる間はよく分からないものなんじゃないかなー、と思っとるんです。
もちろん、「真に分かってる人」もいると思うんですけど、それは少数派で、凡夫の我々はやっぱり死ぬまでよく分からん派だと思うんです。
でも、「天命」ってあると思うんです。
それは、生まれてくる時に
「これをクリアしたい。この課題に挑戦して、こうなりたい。」
と魂が設定した目標みたいなもんだと思うんです。
なので、悩んだり苦しんだりしつつも、なんとか前に進もうと努力してりゃ、それが「天命を完うする道のり」なんじゃないかなー、と思うんですよ。
それに、魂が設定した目標なんて、人間の感覚からかーなーりハズれてるものだって多そうだから、下手したら殺す殺されるってことも、「清算」って目標の1つになってる場合だってあるかもしれないし。
そう思うとね、今の自分の感覚でどうのこうの言えるようなもんじゃないだろうなー、と感じるんです。「天命」って。
だから、生きてる間に分かるようなもんじゃないよなー、って思うんです。
(だからこそ、五井先生の「私たちの天命が完うされますように。」という言葉で祈るしかないんだよね。私は。だって私もみんなもどんな天命があるか知らんもん。でも天命が完うされる人生をおくれた方がいいやんねー。)
なので、不遜だろうが何だろうが、人の役に立ちたいなー、という気持ちが強くあるのなら、人の役に立つと思われることを探してすりゃいいと思うんです。
でも、それに使命とか天命とかって言葉を付与するのはやめた方が無難だよな、と私も思います。
自分がやりたいからやってるの。
やりたいから頑張ってるの。
そう言えれば、それで十分なんじゃないかなー、と思うんです。
それで人に喜んでもらえたなら、素直に自分も喜べばいいと思うし。
…でも。
そんなにたくさんいるのかなー?
「これは私の使命なんです。」って感じでスピの世界を歩いてる人って。
私がそーゆー人を見ないだけなのかなー?
なんかみんな、てきとーにゆるーい気がするんだよなぁ~。
私のスピつながりの人たちって。
【民絵屋】ポストカードをご用意しました & 民絵屋アルバムに絵を22枚追加しました
ご依頼があって、4大天使のポストカードを用意しました。
4枚セットで250円です。
3セットまでは送料が別途100円かかりますが、4セット以上お買い上げいただくと、送料は無料となります。
よろしかったら、ご検討くださいませ。
民絵屋です。
また、民絵屋アルバムに天使の絵を追加しました。
よろしかったら、こちらもご覧くださいませ。
よろしくお願いしますー。
「なにみえ」が解散ということで。
「なにみえ」が解散っちゅーことで、感慨深いものがありますね。
やっぱり。
私は「なにみえ遠足・一期生」になってから、ネット上とはいえ、仲良くしてくれる人がぐ~んと増え、それがやっぱり一番ありがたいことだなー、感謝しとるですよ。
それが第一。
で。
そのうえで、「見えない世界」のことを、いろんな人と共有できたというのは、実に興味深い経験となりました。
「上で○○さんが△△してたよねー。」みたいな情報交換が、アストラルトラベルを始めた頃にはお互いにとても興味を惹かれたコトだったと思うけど、
だんだん、そーゆーコトじゃなくて、『肉体だけの自分・五感で感じるだけの世界』から少しばかり踏み出して見えてきたこと、分かってきたこと、自分が変化してきたこと……を、言葉にするようになってきた時に、
お互いが同じベースをどこかに持っている、ということが無意識にも「相手を理解しよう」とする力を強くしていたのかもしれないな、と思うんですね。
ある種の「仲間意識」といえば、そうなのかもしれんです。
それを好ましく思わない人だっているだろうし、合わない人だっているだろうけど、
とりあえず、共有する「世界観」があるというのは、そこをベースとしてさまざなことを発見するチャンスを与えられた、と捉えることができると、私は感じたです。
そして、「なにみえ」を通じて、いろんなスピ情報、スピ知識を得ることができたです。
スピに関することだけじゃなくて、どんな種類の情報・知識だってそうだけど、
その妥当性を自分なりにどうやって検証するかってことや、知識をどう扱うかということは、多分、どれだけたくさん「世界観」を共有してる人たちがいても、ものすごーーく「個人」に依るものであって、
自分という個人・人格そのものが試される
とすら言えることだと思うんです。
そして、それをつくづく感じさせてもらったです。「なにみえ」のおかげで。
私は、ブログにもコミュにもほとんどコメントしなかったし、スタッフとかもしてないし、恩恵受けるばかりだったけど、
「なにみえ」を通じて得たことが私の中で消化吸収されて、巡って巡って、私の中から何かしらの言葉となって出てきた時に、たった1人の人にでも「お。」と思ってもらえれば、それが恩返しかもなー、と思っとるです。(←なので、恩返しできるかどうは分からん。てへ。)
だから、ブレてもブレても、ちゃんと自分の「芯」に戻れる自分であり続けたいなー、と思うです。
もちろん、だからって気負ったりはしないけどねー。
てことで。
じぇいど♪ボス、ちゅまちゃん、お疲れさまでした。
今までありがとうね。
マイドラ時環とともに、愛をこめまくりー。
ジャッジするなと言われても、反射的にしてしまうので。
最近よくチェックしてるヒーラーさんのブログのこの記事
http://celestie.blog23.fc2.com/blog-entry-813.html
を読んで、「お。」と思いまして、忘れんうちに書いておこうと思いまして。
だいたい、スピ系のいろんな読み物に目を通してると、「ジャッジしないこと」という話がよく出てくると思います。
確かにそうだよなー、と思うんです。
読むたびに。
でもって、あまりに「ジャッジしたらアカンよ。」という文面をよく見かけるせいか、
ちょぴっとは
「あー、そういう見方もあるのかー。そういう考え方もあるのかー。」
と、賛同はしかねても、否定したり批判したり…という気持ちが減ったりもしました。
ほんとにちょぴっとだけどね。
でもね。
そうは言っても、やっぱり刻々とジャッジしまくりなんですよ。大なり小なり。
しゃーないよなー。人間デキてないし。
と、苦笑するしかなかったんですが、ふと思ったんですよ。
「ジャッジ」って言葉だと重いけど、これって好きか好きじゃないか、ってことやん、って。
これは好きか、好きじゃないか。
それは「自分がより快適に生きるための選択」とも言えるような気がしたんです。
もちろん、好きと好きじゃないの選択が存在する時点で、霊性進化的に言えば「まだまだえらいことお子ちゃま」なんだけど、とりあえず「ジャッジ」という言葉より楽な気がして、
大人になれば好きじゃないピーマンとかニンジンとかも食べられるようになるように、そのうち私もなんとかなるだろう~、
と、思うようになりました。
で。
冒頭の記事を読んで、です。
ああ、そうか、と思いました。
好きか好きじゃないか、ってーのも、それを分ける「何か」があって、それが「信念体系」だったりするんだなー、って。
なので。
ジャッジするなー、ってったって、そんなもん凡夫の我々にはなかなか難しい話なので、
これは好ましい、これは好ましくない、と判断をした時に、精神的に余裕が少しあるならば、それを判断した「自分の中の信念体系」は何なのか、ってのをチラリとだけでも探ってみるといいかもな、と思いました。
すると、そのうち「自分」ってものが違う角度からけっこーハッキリと見える瞬間が来るかもなー、と思いました。
そして、そうなることで、もしかしたらその部分に関する「ジャッジ」は消えていくことになるかもしれないなー、と、なんとなくそう思いました。
何が出てくるやら~~~~
ちょっとコワイねー。