4/9,10の2日間行ってきました。
4月はお米の種下ろしということで苗床を作ってきました。その写真を張り付けてみます。
鯉のぼり
師匠が鯉のぼりはあげないのかと先週僕に聞いてきました。師匠が言うには、裏山に鯉のぼりをあげるのによさそうな木がいくつかあるから、好きな木を切り出してそれを使って立てたらいいとのことです。
昨年は名古屋でのマンション住まいだったので考えもしなかったのですが今年は庭付きの一軒家。十分あげるスペースはありそうです。しかし、鯉のぼりあったかなぁ、遠い昔に自分が子供の頃に実家であげていた記憶があるけどなぁ。と思いながら両親に相談したところ、当然そんなものが無事に残っている訳もなく、あげるなら買う必要があるということになりました。しかし購入といってもどんなもんかよくわからんなぁとグズグズしていたら、
「任せてくれるなら買ってきてあげる」と言って、母があっと言う間に4mサイズの鯉のぼりセットを買ってきてくれました。ありがとうございます。おそるべき孫パワーです。
4mサイズということになると一般的には7,8m程度の支柱が必要となるようです。巷では取り扱いが簡単な金属製のポールも売られているようですが、ここは師匠の提案通り地元の材を使って立てるつもりです。ただ、今から切り出すと杉などでは乾燥が間に合わないので今年は青竹を切り出して支柱にするつもりです。
最初はピンと来なかった鯉のぼりですが、いざ目の前に箱入りの鯉のぼり(支柱なし)がやってくると、
「こいつらをうちの庭で気持ちよく泳がしてやりたい」という気持ちになって、なんだか楽しみになってきました。
さあ、庭のどこに立てようかな。
龍神の水
3/29(火)お世話になっている霊能師さんのところに相談に行きました。相談といっても引越しの挨拶をかねた身の回りの雑談っぽい相談なんだけどね。
今回もかなりいろんな話をしたのですが、その中でも百姓としては重要なお水の話になりました。お水といっても霊能師さんの所でのお水の話なのでかなりあっち系だったりします。自分はそういうことを信じるというか、実体験上そういうのはアリと確信してしまっている方なので、未熟な百姓の強力助っ人としてそっち系の力を頂けるお水には興味シンシンです。
自分の畑にはこの霊能師さんとは別ルートで自分たちが縁あって手に入れたお水をふりまくつもりだったんですが、その前に霊能師さんにもその水の力をチェックして貰おうと今回持って行ったんです。すると、
「うん確かにいいお水だね。力で言うと、同程度のお水がここにあるよ」と言って別のお水を見せてくれました。
「確かにそのお水も良さそうだけど、こっちのお水には龍神さまのお力が入っていてね、畑にまくなら土地などに縁のあるこっちの水の方がいいよ。」と教えてくれました。あっち系のお水にもいろんな得意分野があるそうなんです。
「今度たくさん分けてあげるから入れ物をもってきな。」と言ってくれた上、相談後にはちっちゃな化粧水用の霧吹きボトルに入ったそのお水を
「とりあえずこれだけ渡しておくから。使ってみな。」と分けてくれました。
感激です。ありがとうございます。
早速帰りに畑によって土地の角やじゃが芋、ごぼうの畝などにシュッシュッとまいておきました。
さらに家に帰ってからは家の敷地の四隅にもシュッシュとまいておきました。
う~ん。これから更に楽しみが増えました。
未熟百姓なのでこれからもじゃんじゃんそっち系の力に頼っちゃおうと思ってます。
農作物は自然が育ててくれるものだと思ってますから。
ごぼう播種
3/27(日)PMごぼう播種(みとよ白肌20mlを1袋)2列2㎝間隔で10メートル程度点播き。
条播きで適当に播いてもよかったんだけど、畑に初めて播く種なので、なんだか丁寧に一粒ずつ播いてみました。おかげで時間かかりまくり。夕方から始めたので予定の4袋を播けずに日暮れてしまいました。まぁ残りは時期をずらして撒いてみます。
播種後は畑まわりにある草を刈ってきて畝の上に敷きました。前回のじゃが芋とは違い、畑の地肌を見せない自然農流の仕上げ方です。
ごぼう播種時に借りた畑の隣の家の方と初めて顔を合わせたので話を交わしました。最初は軽く挨拶や引越してきた家などの話をしていたのですが、そのうち、
「このあたり何か臭わない?」と聞かれました。こう聞かれて最初は気がつかなかったのですが、更に、
「2,3日前からなんだけど、、、、」と言われてドッキリ。それは自分が畑に手を入れ始めた時。。。
「あっ。それって酸っぱい感じの発酵臭ですか?」
「そうそう。」とのこと。
「あ、それならオカラとヌカを混ぜた肥料の臭いだと思います。すいません。すいません。体に悪いものでないのでその点は問題ないのですが確かに臭いますよね。申し訳ありません。ご迷惑でしたか。すいません。」もう平謝りです。すると隣の方は、
「あぁ、それならいいんだよ気にしないで。近くでハクビシンでも死んでるんじゃないかと話して探してたんだよ。それならいいんだよ気にしないで。」とのこと。
ハクビシンですと。そんなのいるんだ。。。
ちなみにこの臭いは一昨日の雨でおさまりました。
(さらにこの話を師匠にしたら、早速畑の隣の方にお詫びの電話をしておいてくれたそうです。あぁ、なんていい師匠なんだろう)
じゃが芋の植えつけ
農記事は自分の覚書、日誌的なところもあるため読みにくくてもご勘弁。
引っ越してきた我が家は師匠の知り合いの不動産屋さんに紹介してもらった物件でして、3人家族にしてみたら広すぎるような一軒家なんです。物件も素晴らしいものだったんですがさらに、その不動産屋さんから、
「この家を契約するなら近くにある私の畑を3年位無償で貸すよ。出来たものを少し分けてくれればいいから。」
というとてもありがたい話を頂いていました。
その畑ですが、やっと手をつけはじめました。
今回手をつけた畑は堤防のすぐ近くで約400坪、農地整備済の場所で、農業用水利用のためのバルブもありますし、排水用の側溝にも繋がっている恵まれた環境です。状態としては不動産屋さんがトラクタを使って耕して除草してあり、ほとんど草が無い状態でした。この状態からのスタートです(自然農的に言えば砂漠状態の畑ということになります)。
師匠と相談して先ずはじゃが芋から始めることにしました。師匠お得意のヌカ+オカラ肥料を最初に畑に入れて植えつけし、更にヌカ+オカラを撒くことにしました(師匠の野菜畑は無農薬無化学肥料でヌカ+オカラだけで栽培しています)。オカラは木曜日に豆腐屋さんに貰いに行ってきました。
この豆腐屋さんですが、社長はうちのオカンと知り合いでして、うちの弟も一時期勤めていた会社だったりします(実はこの豆腐屋から師匠がオカラを貰っていたことも師匠と出会ってから知ったんですがね)。そこでオカラを貰う時に野菜とイチゴの手土産を持って師匠と一緒に社長に軽く挨拶したところ、自分のことについてもいろいろと聞いてたようでして接客中にも関わらず、
「えっ、会社辞めたの。でも無農薬の野菜とか作るのは素晴らしいことだよ。うんうん、いいと思うよ。また今度ゆっくり話聞かせてよ。そうそう、豆腐を持って行ってよ。」
と、接客中の客人を待たせたまま発砲スチロールの大箱一杯の豆腐をお土産に持たせてくれました。ありがたいです。社長と話をしたのは弟の結婚式の時だけでしたが本当に人がよさそうな人でして、今度また色々と話がしたいなぁと思いながら、軽トラの積載量ギリギリのオカラを積み込んで帰ってきました。
帰ってきた後、師匠の納屋でミキサーを使ってヌカとオカラを少しずつ加えて混ぜていき運びやすいよう袋詰めしておきます。この袋を畑に運んで撒くわけです。じゃが芋用の分は木曜日のうちにこの作業を終えて用意しておきました。
翌日の金曜日、ヌカとオカラを混ぜて一日程度経ったものからは発酵臭がガンガンしてきます(ぬか床のような匂い)。それを畑に持ち込み、じゃが芋を植えつける場所(80坪程度)にばらまき(土袋7袋程度)、その後は小型の手押し管理機で表面だけを平らに慣らしてかき混ぜる程度にロータリーしておきました(約1時間半程度の作業)。
そして今日の土曜日、名古屋から友人夫婦を苺狩りをさせてあげるからと誘い出し(苺ハウスは師匠のであって、自分のではないくせに)、じゃが芋の植えつけを手伝って貰いました。
植えつけには前日に作っておいた40㎝間隔に赤マジックで印をつけたロープを張って、それを目印に200個以上の種芋を手スコップで少し掘って植えつける方法をとりました。芋を軽く埋めた後は、畝間の溝を少し堀り下げながら畝に土をかぶせ、仕上げに追加の肥料を撒いておきました(男2人と3歳児の3人でだべりながら約2時間の作業)。
自然農的には、できればさらにその上に刈り草などを被せて土を裸にしないのが理想なのですが、畑にはほとんど草が生えていないためこのままの状態で作業を完了しました。
単調なじゃが芋の植えつけも大勢でやるとなんだかあっと言う間で楽しんでいるうちに終わってしまいました。
あぁ、今日はとても楽しかった。ありがとうございます。
早く芽が出てこないかな。無事に収穫できるかな?
夏にはじゃが芋の収穫祭ができるといいね。
ほっとい亭
水曜日にほっとい亭に行ってきた。
実はここの店主さんとは子供の頃から知り合いだったらしいんです(店主はうちの親父と同じ建築士仲間ということで親交があって、自分が小さい時に店の裏で栗拾いをしたことがあるらしい)。
なので、今でもよく遊びに行っている。っていう訳では無く、ほとんど疎遠になっていたんだけど数年前にひょんなことから再度縁を結んでもらえることになって、今は親父抜きで節目毎に顔を見せに行くようになったのです。
そのひょんなことというのをさらっと書いておきます。
数年前から嫁がお世話になっている霊能師さんがいるんだけど、その相談に一緒について行った時、そこにある本のチラシが貼ってあったのがすごく気になってたんですよ。
でその後、実家に行った時にお袋が、
「あんた本読むの好きかね?」と聞いてくるんですよ。
この時になんとなく、そのチラシの本のことを思い出していたんだけど、本当にその本が出てきた時には鳥肌が立ちましたよ。
「なんで、なんで、この本がここにあるんだよ。どうしてだよ。」ってお袋に問い詰めましたよ。
「なんでって、お父さんの建築仲間の人が本を置いて行ったんだよ。」
本の内容は店主さんがお店(ほっとい亭)を出すまでの話に神様的解釈を加えて小説風にまとめてある自費出版の本です。店主が言うには実際に起きたことを書き連ねていっているだけなんですがそれがかなりドラマチックなんです。出てくる地名もこの周辺のものがほとんどだし、例の霊能師さんも出てきたりして自分にとっては身近でとても面白かったです。
読み終えた後、親父にお店(ほっとい亭)に連れて行ってもらい挨拶した後は、親父抜きでたまに遊びに行ってました。で、そこまではまあ偶然だねぇ。で済んだのですけどね。
アキオが生まれて、なんだか農に目覚めて、自然農法的なものへの憧れが強くなってきた時、例の霊能師さんに言われたんですよ。
「自然農法って福岡さんのだろ。それなら、ほっとい亭という店があってな。そこの親父が福岡さんと知り合いかなにかで実践もしてたことがあるはずだぞ。」
「そのほっとい亭って親父の知り合いでよく知ってますよ。」
「えっ。そうなの。」
ってな具合でまた繋がったんですよ。
で、さらに僕が今の師匠と知り合って、師匠にほっとい亭という店があって店主が面白いという話をしたら師匠は早速お店に出かけて、例の本を貰って読んだらしく、あっという間に2人は仲良く将来の夢を語り合う仲になってました。
そんな風にいろいろとありましてなんだか面白くなっているんですよ。
無事に引っ越してきた僕たちに店主はニコニコして言いました。
「神さんの言う通りにしてたら本当にうまくいくもんだろ。」
初トラクタ
無事引越しを終えることができました。(まだまだダンボール箱は残っているけどね)
ありがとうございます。
さぁ、新しい生活の始まりです。
これからの生活ですが、基本的に今年は物凄く条件のいい仕事をハローワークで探しながら過ごす予定です(ただしこれは多分見つからないため実際には失業保険のお世話になることになると思います)。14年勤めての自己都合退職のため、3カ月待機の後、120日間の給付があるはずなので収入が切れるのは10月末頃となります。ですので、それまでに自立できる基盤を作る予定です。
というわけで、昨日から師匠の仕事のお手伝いと勉強を始めました(お手伝い料は頂かないかわりに、いろいろと農作業を教えてもらったり、野菜や果物を分けて貰うお願いをしました)。昨日から午前はハウスでの苺摘み、そして今日の午後は初トラクタ教習でした。
初トラクタはとても楽しかったです。最初は緊張したのですが、運転についてはマニュアル車と似た感覚で段々と慣れてきました。気持ちのいい青空の下、ちょっとうるさいけど心地よい振動をしながらゆっくり田んぼを耕していくトラクタ。ゆっくり進んでいくので、気持ちのいい空気を感じながらいろんなことを考えました。
「あぁ、ここでトラクタを運転することなんて2年前にはちっとも思ってなかったなぁ。俺の人生も面白くなってきた気がするぞ。」
カレーを食べながら考える
ココイチの隅っこでカレーを食べながらビールを飲んでいた。
会社を辞めたからなのか分からないが、突然ぽっかりした気分になった。
体からすーっと力が抜けていく感じがした後、なんとも幸せな気持ちで満たされたきた。
なんだか嬉しくなってきたので世界平和を祈ってみた。
(寝不足でただ酔いが早かっただけかもしれない)
その後、その勢いで自分にとっての幸せな死を考えてみた。
どんなのがいいかなぁ。
よしみさんは曾孫が朝起こしにきた時、
「あぁぁぁ、ばあちゃん死んでるよ。」
というのがやりたいと言ってたなぁ。これを超えるのを考えてみよう。
俺が死んだら遺灰を畑に撒いて欲しいなぁと突然思った。
亡骸の層に俺も入りたいなぁと思った。
妙なる自然農の畑に撒かれる灰となった俺。
その畑では大勢の仲間たちと一緒にちょっと背の低いアキオが笑ってる。
そんな絵がすごくリアルに頭に浮かんできた途端に涙がぽろぽろとこぼれた。
べつに悲しいわけではないのに。幸せな死を考えていたはずなのになぁ。
ココイチの隅っこでカレーを食べながらビールを飲んで泣いてる変なおじさんになってしまった。
最終出勤日
昨日の最終出勤日の話。
午前に自席の後片付けをして、午後からは退職の挨拶周りをしていたらあっと言う間に定時となった。
退職者の恒例ということで部全員の前での最後の挨拶をすることになった。
実は会社を辞めると決めた一年前からここで何を話すかを考えていたんだけど、考えるたびに言いたいことが変わってしまい、最後まで言いたいことがまとまってなかった。そんな訳で、結局勢いにだけに乗って言いたいことを話すとりとめのない挨拶となってしまった。
でも思い出せるだけ言った内容を今のうちに書き留めておこう。
・子供を授かって長男としての今後の生き方について真面目に考えるようになったこと
・その息子がダウン症と診断されてもの凄い不安になって仕事が手につかなくなったこと
・息子の幸せを考えていたうちに最後に行き着いたのはじゃあ自分はどうなんだということ
・自分の本当の幸せとはなんだろうと仕事も手につかずに社外サイトをじゃんじゃん覗いて放浪するうちに、自然農への思いを強くしたこと、さらに師匠との縁ができやりたいことが見つかったこと
・そうなると結局仕事が手につかないのでメンタルクリニックに駆け込み一カ月休みたいのでと頼んで診断書を書いてもらったこと、そのための尻拭いをみんなにおしつけてしまったこと(とにかくみんなに謝る)
・そうして結局は1年以上前にほぼやめる決意を固めていたこと
・復帰したあとも辞める決意をしているからモチベーションもあがるはずもなく、仕事が途中でも定退させてもらっていたこと(ここでも謝る)
・今回、自分のやりたいことをやって生きていく決断をして退職すること
・ありがとうございます
こんな感じだったかな。
その後の部の送別会ではY本課長から、
「会社での挨拶で、あそこまで言っちゃうとはなぁ。」
とか言われたけど、最後だから本当のこと言いたかったんだよね。
僕としては会社の挨拶は、主に僕との面識もあまりない人たち、仕事も忙しいので送別会に来れない人たち、他にも社内でついギスギスした仕事のやり方になっている忙しい人達に伝えたくて話していました。
そういう人たちに、なんだか変なこと言って会社を辞めてった変な奴が居た、という印象を残しておきたかったんです。
そういう意味で「あそこまで言っちゃう」というインパクトが与えられていたということで嬉しいコメントだったりします。
その後は、会社を出ての送別会(宴会)です。
みんなのビデオでも撮っておこうと思って持って行ってたんですけど、それを完全に忘れていた位に話まくりました。
今までゆっくり話せなかった方たちとも話せて楽しかったです。
そんな送別会もあっというまに終盤、こちらでも挨拶させてもらいました。
どうせなのでこっちも内容を今のうちに思い出して書き留めておこう(でも、こっちは記憶がめちゃめちゃ)。
・今まで14年間どうもありがとうございます。
(店の真ん中で話始めたので他の客からも注目されてしまった、、、なので以降は勢いつけて)
・脱サラして僕は百姓になります(他の客に向けても宣言)。
(この後記憶かなりあいまい)
・僕は本気で世界平和を祈ってます(おお~って感じだったので)
・だって、みんな世界が平和になった方がいいと思っているでしょ?当たり前でしょ?(と同意を求める)
みんなも世界平和を願っているじゃないですか。。。(なので世界平和を祈るんですよ)これがよしみ教です。
・僕は妻や息子と一緒に僕たちの農園でみなさんが遊びにきてくれるのをいつも待ってます。
こんな感じだったかなぁ。
そして2次会 … BAR Strega
てきーら君のお店再開ということでみんなで行きました。先客にあわしま氏もいたりして楽しかったです。
部長やH田さんともたくさん話をしたのですが、ここではY本課長とかなり話し込むことになりました。
Y本課長は僕が1カ月病欠するちょっと前から僕のチームを預かった上司です。
Y本課長にしてみたら、新しく預かった途端にリーダーが病欠というとんでもない状態に陥った訳でして、それをどうにかしてしまった素晴らしい方、僕にとったら尻拭いをしてくれた恩人であります。
初めてお酒を一緒に飲むということもあり、僕は病欠時のことなどについて最後に自分で謝ってすっきりしておこうと話をしていたのですが、いつの間にか逆に僕がY本課長の話の聞き役にまわっていました。なんだか泣き上戸なY本課長でした。
「あつき君とはもっと一緒にいろいろやりたかったなぁ」
とまで言ってもらえて本当に嬉しかったです(ちなみにこの言葉を言いながらY本さんが泣いていた訳ではありません)。
そうして最後まで一緒に飲んでいたY本課長も深夜に素敵な家族の待つ家に帰っていきました。
こうして送別会2次会も無事終了しました。
「終わったあぁ。ついに終わったあぁ。俺本当に会社辞めたんだぁ。本当に辞めれたんだァ。」
てきーら君にそう言いながら会社の人がいなくなった店内で退職したことを実感しました。
自分の中では『第一部完』というテロップがドーンと出た感じです。
エピローグ。
てきーら君と二人きりで始発電車が出るまでじっくり話をしていました。
僕は退職するまでの経過をてきーら君に延々と話し、
(このへんの話はこのあと少しずつこのblogにも書いていこうかと思ってます)
てきーら君は店のことや事故のこと心境の変化などを話し、
とても有意義な時間をサラリーマン生活最後の夜に過ごすことができました。
みなさんありがとうございました。
年をとると涙もろくなるのかね
自己都合退職ということもあって、なんだかみんなに辞めることを言いそびれて最終週まできてしまった。
同期入社組のみんなには火曜日にメールを出したところ、大慌てで送別会を開いてくれることになった。
火曜日に出したメールに即反応してくれたのは先に会社をやめ名古屋の別の会社に勤めている親友のH君だった。
その日に待ち合わせ二人きりで5時間近く飲み話をした。二人きりだからこそできた話もあり有意義な送別会第1回目だった。
そして今日(もう昨日か)木曜日に会社の同期が集まってくれて飲み会を開いてくれた。
送別会第2回目。うちの同期はバブル入社組、普通の会社なら大勢の皆ライバルとして競り合っていく位の雰囲気があってもよさそうなところなんだけど、そんな感じをさせない不思議な仲間達。
最初は久しぶりだねという話だったけど、やっぱりどうして自分が脱サラするに至ったかを話さないとこの会の意味が無いと思い、少しずつ話してみた。
内容は、よしみさんのHPの日記に書いてあるような流れをかなりかいつまんで話した。
さすがにびっくりしたみたいだった。
でも、みんなあきれずに聞いてくれて、エールを送ってくれた。ありがたい友達だ。
縁は切れないと思っているから、これからもよろしく。
昼の会社では最後の仕事もせずに、昔の上司やお世話になった人達に退職する旨とお礼と百姓になることについて色々とメールを出しまくっていた。ある上司がそのメールに返事をくれた。
「思い切った判断をしましたね」
その言葉にひっかかって、それが自然な選択であったことを伝えたくて、今までのことを振り返りながらその返信を書いてみた。
それが以下のメールなんだけど、なんだか書いてて涙が出ている自分がいた。