子供の障害を受容するということ

NPO法人パルクさんから原稿依頼をもらいまして、昨年書いたものです。
子供の障害を親が受容するというテーマでしたので、実体験を書きました。
利用者さんのご家族等に配布する年4回発行のお便りに載せてもらいました。
掲載がコンプリートしましたので、このブログにもアップしておこうと思います。
ちいさいちいさい私の子供たち
【その1】
息子がまだマメタロウと私に呼ばれていた頃、それもまだとてもとても小さい頃、私は夢を見ました。
マメタロウは夢の中で、たった12週なのに生まれてきてしまったのです。
生まれてきてしまったマメタロウを、私は慌てて水をはった洗面器の中に入れました。
水の中からこちらをじーーっと見ているマメタロウの目は、それはそれは綺麗な青色をしていました。
さすがに12週で生まれてしまったのはマズいと思い、私は股の間から子宮へとマメタロウをするんと押し込みましたが、すぐにお腹の中でボコボコ動き出したマメタロウは再びつるりと出てきてしまいました。
二度目に出てきたマメタロウはもう青い目ではなく、つやつやの黒い目をしていました。
「お腹に戻ろうよ。マメちゃん。12週で生まれちゃうと、何か障害が出ちゃうかもしれんで…。」と、私はマメタロウに言いましたが、マメタロウは
「目が見えんでも、耳が聞こえんでも、そんなのはたいしたことやあらへん。俺が生まれたいんや。」と、言いました。
「でも、やっぱり…。」と、私がまごついているうちに目が醒めました。
息子は一カ月検診の時に聴力検査でひっかかりました。その上で、「もしかしたらダウン症かもしれないので染色体検査をしませんか?」と小児科の先生に言われたのでした。
その瞬間、私は高校生物で学んだダウン症についての知識を猛烈な勢いで自分の記憶の中から引っ張りだしていました。
『何番だったかの染色体が1本多いんだよね。1000人に1人くらいの確率だったはずだよね。独特の顔つきになるんだよね。いろんな合併症があるんだよね。そして知的障害があるんだよね…。』
今振り返ってみると、自分の中で大きな雑音がガーガー鳴っているような感覚の中で、その記憶を反芻することで自分を見失わないようにしていたように思います。
しかし、先生の話が終り、聴力検査のための大学病院への紹介状を書いてもらっている間に、だんだん涙が溢れ出てきてしまいました。
驚きと、申し訳ないという気持ちがいっぱいになって、涙が止まらなくなりました。
家に帰っても、ずーっと涙が止まりませんでした。
「目が見えんでも、耳が聞こえんでも、そんなことたいしたことあらへん、って言ってた子やもんなぁ…。」と、思いつつも、やはり涙が止まりませんでした。
人間は、過不足なしで生まれてくるものだと、私は思っています。
もし、なんらかの障害があるのなら、それは必要だから持って生まれてきたものだと思っていましたし、息子がたとえダウン症だったとしても、息子に対する私たちの愛情が変わるわけでもないし、彼がかわいそうな子になるわけでもないのです。
でも、私は泣けて仕方がありませんでした。
すごく不安だったのです。
【その2】
しかし、泣きながらも、私は何を不安がっているんだろう?と、ふと思ったのでした。
そしてそれは、息子がダウン症じゃないことを願っているからこそ、不安が生まれるのだとすぐに気づきました。
では、私は息子がダウン症じゃなければいい、健康な普通の子であってくれ、と何故願っているんだろう?と、考えました。
ダウン症やその他の障害を持っている人を差別しているつもりはありません。
けれど、自分の子供は普通の健常児であって欲しいと願う気持ちは、一体何なのでしょう?
親だから?
母親だったら当然なのでしょうか??
「普通」に産んでやれなかったとしたらとても申し訳ない、と思う気持ちが自分の中でこんなに強いものだと知り、戸惑いにも似た気持ちにさえなりました。
「頭で知っていること」と「当事者の感情」があまりにも乖離していたのでした。
けれども、実家の母親と電話をして会話しているうちに気がつきました。
「ああ、これって、『親の欲』なんだなぁ。」と。
親の『愛』ではなく、親の『欲』だなぁ、と。
だから『涙が止まらないような感情』が生み出されているのか、と分かりました。
そんな不安の中、染色体検査の結果が出たので、小児科の先生の説明を聞きに行きました。
縞々模様の小さな21番染色体が3本ありました。
その写真を見た瞬間、私は自分の心臓がドクンと音をたてるのを聴きました。自分の心臓の音をあんな大きな音で聴いたのはこの時が初めてでした。
もちろんショックでした。ぼろぼろ泣きました。
それでも、あの夢のことも、知り合いの霊感の非常に強い方に「この子にはかなわんよ。だって、修行したお坊さんが隣にいるようなもんだからね。この子は余計なことを悩まずに、やるべきことをして生きていけるよ。」と言われたことも、私の中の半分では『息子はダウン症なのだろう』という予感となっていたので、それがまるで緩衝材のようになってくれました。
そしてなにより、息子に大きな合併症が無く、毎日元気におっぱいを飲んでくれることが、母親の私に安心感を与えてくれていました。たとえそれが一時的なものだとしても、我が子が元気であることが一番の癒しとなってくれていたのです。受容のプロセスの最初の段階で、すでに私は息子に助けられていたのでした。
しかし、それでも私も主人もこの「親の欲」に2年間ほど試練を与えられることになっていきました。
【その3】
母親というものは、今子供に食べさせてやらないと…というのが常に命題としてあるため、場合によっては強いのかもしれません。
私の場合も日常の育児のおかげで、ぽろぽろと涙が零れてしまうことよりも、落ち着いた気持ちでいる時間の方が少しずつ少しずつ増えていきました。
つまり、私は目の前の命題優先で先々のことに思いめぐらせることがあまりできなかったのですが、父親というものは違うようです。
元々の役割として、父親は『子供が自立して生きていけるようになるために、今すべきことは何か』を考えることが多いような気がします。
だからなのでしょう。主人はネットでいろいろ調べていくうちに、どんどんダメージが深くなっていったようでした。
息子がかわいくて仕方がない主人は、息子の将来のことを考えると、たまらなく不安になるようでした。
しかし、主人はその大きな不安と真正面から向き合い、その結果として自分の人生を大きく転換させたのでした。
当時、あるダウン症の子を持つ親のサークルのサイトに医師による講演の記事が載っているのをたまたま見つけました。子供が何らかの障害を持っていると分かった時、親の心は以下のプロセスで回復していくと書いてありました。
1)ショックを受ける。
2)事実を否認する、認めない。
3)悲しみとか、怒りとか、不安が錯綜する。
4)事実を受け入れる事が出来る。
5)再起、新たな価値を見つけて取り組む、前進する、立直る。

これらは、配偶者を亡くした時の心のプロセスと同じなのだそうです。喪のプロセスです。
障害児の親というのは、「自分が思い描いていた健常な子供のイメージ、自分にとって大切なものを失う。」「健常な子を産めるはずだった自分というものを失う。」と、二重の喪失を味わい、心に深い傷を負うのだそうです。このような喪失による心の傷が回復するのに、個人差はもちろんありますが、およそ2年かかるのだそうです。もし、このプロセスのどこかで無意識に感情を押さえ込んだりすると、いつかどこかで破綻するのだそうです。心が。
私の場合は2)を理性がねじ伏せてしまったために、その歪みが『あれだけ幸せだった妊婦生活に嫌悪感を感じて振り返ることができない』という形で後からじわじわと出てきました。
その点、主人はこのプロセスをより深く経験し、5)において、まるで惑星探査機が惑星の重力を利用して軌道を変更し加速する「スイングバイ」みたいなことをしたんだなぁ、と振り返る度に私はそう感心します。
ですから、今このプロセスの中にいる方には、非常に辛いでしょうけれども、逃げずに立ち止まらずに深く深く体験し、新しい自分自身に出会っていただきたいと願うのです。
【その4】
回復のプロセスを経て、息子が2歳になる頃には私も息子の障害をほぼほぼ受け入れることができていたように思います。この経験があったおかげで、小3で娘がディスレクシア(読字障害)であることが判明した時も、心の中は大嵐ではありましたが、同時に客観的な眼差しを自分自身に向けつつ、不安や悲しみや怒りが発生する根源を己の中に探し出し、それを比較的短時間で受容していくこともできました。
しかし、です。
しかし、息子の障害については完全には受け入れていなかったのだ、と最近になって気付くことになりました。
だんだんと成長していき、体もどんどん大きくなっていく息子は、同年代のダウン症の子たちの中でも大きい方だと思います。ガッチリした体で肩幅も広いです。小さな頃から笑顔がチャーミングで、自分よりも小さな子にとても優しいです。コツコツと勉強もします。
「この子の染色体が46本だったら、きっと背も高くて肩幅もあって優しくて賢くて、いい男になっただろうなぁ~。」と、最近になって私が冗談半分で主人に言うようになったのです。
ええ。冗談半分。半分は本気です。
バカなことを言ってるなー、と主人は笑っていますが、私は半分本気なのです。
「自分が思い描いていた健常な子供のイメージ、自分にとって大切なもの」を失ってしまったことを、私は完全には受け入れていなくて、ちびりちびりとこうして漏れ出てくるようになったのです。この件のみならず、人生に「たら・れば」を適用してもそこに前向きな創造性は生まれません。ちょっと切なくなるのが関の山です。それが分かっていても冗談半分で言ってしまう自分がいて、ハッと気がついたのでした。完全には受け入れていなかったのだな、と。
けれども、よくよく考えてみれば、私は自分自身の人生ですら完全には受け入れていないのですから、息子の障害だけを完全に受け入れることができているわけがないのです。私はとても往生際が悪いのだということを忘れていました。
ですから、きっと私はまだまだ息子の障害を完全には受け入れることができないのだろうと思いますし、それでもいいと思うのです。一生かかって成していくことなのだろう、と開き直りました。
子供の障害を受容するということは、一般的なプロセスを経ることが多いとは言え、非常に個人的なものであり、同じケースというものは有り得ないと思います。それは実は人生そのものであり、生き方そのものであり、それこそ「個人の神話」だと私は確信しているからです。一生かけて織りなす神話の登場人物に我が子たちがいてくれて良かったと最期に心から感謝できれば、それで十分なのではないか、と思えたのです。そしてそうありたいと願いつつ、今日も今日とて子供たちを可愛がりまくる親バカなお母ちゃんとして生きております。

“子供の障害を受容するということ” への8件の返信

  1. たみえさんも、子供さんも、一人じゃないよ。お父さんも、お母さんも子供も、それだけでないから。必ずつながりあう大切な誰かがこの地球にた~くさんいるよ。なにがっても、天は護っている。地は愛している。大丈夫。家族の内だけで悩まないで。愛を語ろう。みんなで一緒に生きてるから。

  2. 何か書き方が悪かったですかねぇ???わたし。
    ご心配かけてすみませんでした。
    この件については本当に全然悩んでいないので、ご心配には及びませんよ〜。

  3. 別に欲じゃないと思いますよ?
    只々健康にスクスクと育って欲しいと大抵の親は愛を込めて思うもの
    子供に障害があると解ってスグに受容なんて無理無理。将来を絶望しドン底に叩き落とされ泣くのは別に親の欲ではないでしょう
    親の欲って分かり易い例えなら「将来は宇宙飛行士に!」とか「ノーベル賞受賞者に!」などなら同意だけどなぁ

  4. > 別に欲じゃないと思いますよ?
    > 只々健康にスクスクと育って欲しいと大抵の親は愛を込めて思うもの
    > 子供に障害があると解ってスグに受容なんて無理無理。将来を絶望しドン底に叩き落とされ泣くのは別に親の欲ではないでしょう
    > 親の欲って分かり易い例えなら「将来は宇宙飛行士に!」とか「ノーベル賞受賞者に!」などなら同意だけどなぁ
    そうですね。
    「親の欲」なのかどうかは、ひとりひとり考え方は違うものでしょうね。
    私の場合は、その渦中にあって、そう気づいたということだけのことです。
    で、それとは別に、我が子の障害をすぐに受容するなんて当然無理です。むりむり~~。
    あの記事は「現在そのプロセスにある親御さん」に対して「こういう先輩ママさんもいますよ」ということで書いて欲しいと言われたものなんですよ~。
    短くまとめてありますが、もちろんそんな簡単なことではありませんでした。
    そこはご理解いただけるかと思います。

  5. 「親の欲」よくわかります。
    うちの小3の息子は広汎性発達障がいです。障がいの疑いを指摘されたのは3歳の時で、その後数年しばらく疑いの状態だったので、「考えすぎでは?」「やっぱりそうなのかな」と頭の中で行ったり来たりの繰り返しで、障がい受容にも時間がかかりました。診断名として医師の口から告げられた時は、ようやくはっきりしたというような清々しささえありました。
    とはいえ、成長に伴い出てくる問題に翻弄され落ち込む自分に、何で落ち込んでるんだろう?、と思うことはあります。
    「親の欲」というたみえさんの言葉に、そうなんだよね、と共感します。
    こうあって欲しいという自分の理想と違うことに落ち込んでいる部分もあるんですよね。そう気づくたびに、落ち込んでいること自体に笑えてきたりしますね。
    本人が笑顔で過ごせている「今」が何より幸せで愛おしいです。
    いつも気づきをありがとうございます。
    何度となくたみえさんの言葉に救われています。
    いつもありがとうございます(*´꒳`*)

  6. すいません・・・いつも私・・・シリアスで、愛情深き話になると、つい過敏に反応してしまって・・・。すいません。そっか、それならいいです。こちらの、自分の過敏さとの付き合いがまだ甘いせいです。大丈夫です、たみえさんの書き方が悪いわけでは・・・。有難う御座います。ではいつもの・・・健やかに!

  7. 生まれてすぐ診断される障害というのもキツいものですが、
    「なんかちょっと他の子と違うなー…。」と思いつつモヤモヤしたままだったり、診断がなかなか確定しなかったり…という障害もキツいものだと思います。
    障害の程度に合わせて、日常生活が少しでも自分でできるような力をつけさせようとすることや、自立に向けての必要な社会性等を身につけさせようとすることは大切なことだと思っていますが、これは健常の子に対してもそうですが、どこかでついつい過剰な期待みたいなものを持ってしまうと、それは親も子もしんどくなりやすいんじゃないかと思ってます。
    「生きる力を身につけさせる」ことと「親の欲」の部分を、それぞれの親がどのように線引きするのか、なのだろうとは思いますが。(ここが難しいところですよね。)
    > 何度となくたみえさんの言葉に救われています。
    いえいえ。
    私の言葉はただのキッカケに過ぎません。
    気づくのはのりまる。さん自身なのですから。
    のりまる。さんもご自身の経験をいつか誰かに語ることで、そのプロセスの途中にあるママさんの「キッカケ」になるかもしれません。

  8. > すいません・・・いつも私・・・シリアスで、愛情深き話になると、つい過敏に反応してしまって・・・。すいません。そっか、それならいいです。こちらの、自分の過敏さとの付き合いがまだ甘いせいです。大丈夫です、たみえさんの書き方が悪いわけでは・・・。有難う御座います。ではいつもの・・・健やかに!
    感情が動きすぎるのもしんどいものだと思います。
    しかし、過敏さは社会で理不尽な経験をたくさん重ねて、それでもしぶとく生き残れば、年を取るにつれて良い意味で鈍ってきますから大丈夫ですよ!

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