本日2本目の記事です。
ツイートだと遡るのがめんどくさいので、こっちにまとめておこうと思いまして、2つ目となっております。
(本日1本目の記事はプレゼント応募用になってますので、そちらもチェックしてね♪)
(ちょっと間違えて消しちゃって「直前までに【朝ドラを】BSプレミアムで…」の部分が抜けてしまってます。)
娘が登校する直前までにBSプレミアムで見るのが平日の日課になっていて、
だいたいチャンネルはそのままBSにして私は家事をしているのだけど、その後あさイチにチャンネルを合わせます。しかし今日は歴史モノの番組をそのまま見ながら家事をしてました。
足利義教についての番組でした。— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年5月12日
これを本棚から出してきて、支援学校登校前の息子に
「この人だよ。(息子が好きな)義満の息子だよ。」と教えてやりました。 pic.twitter.com/04wMeWElPN— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年5月12日
(息子は小学校の修学旅行で金閣寺が1番好きだったため、義満のことも好きらしいのです。)
— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年5月12日
このマンガ日本の歴史は、私が小学生の時に全巻家にあり、我々姉弟はこれを何度も読んだおかげで歴史が好きになったのです。
(なので去年、おとーちゃんに全巻買ってもらいました。子供たちが興味を持った時に読めるように。)— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年5月12日
で、
子供の頃から足利義教の政治はほんとーに納得いかなくて、この人がくじ引きで将軍に選ばれなければよかったのに、と、子供心に心底そう思ってました。
だってお坊さんだったのに還俗して将軍になったら独裁政治で粛清しまくりなんですから。
お寺で何学んでたの?と子供には謎だらけですよ!— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年5月12日
すると、
番組に出てた歴史学者の先生が、
「歴史やってる人間で足利義教を好きな人はいませんよー。」
と言ってて、ああやっぱりそうなのか!と、子供の頃の自分が大きく納得しました。— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年5月12日
とは言え、
為政者になったら大粛清しちゃった人はたくさんいるので、
足利義教だけがヤバい人というわけではないのは分かっておりますよ。ええ。
でもなんかほんと好かんです。
足利義教。— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年5月12日
嫌いだからこそ番組を見てしまった、というのが、これまた自分としては興味深いです。
自分の反応がね。— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年5月12日
そして、足利義教というと反射的にこの顔しか浮かびません。 pic.twitter.com/mneQ71M9Cw
— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年5月12日
なんてツイートしていたらですね、
以下のツイートが私のTLに現れました。
人間はどうしても自分の知らない分野のことについては内容で判断すると言うのは難しいので、結局説得力の部分で動かされると言うことになるし、やはりリテラシーの低い人が説得力の基本である「断言」によって動かされてしまうと言うのはある意味仕方のないところがある。
— kous37(Kosuke Hotta) (@kous37) 2016年5月12日
科学も民主主義も基本的に「自分のことは自分で責任を持つ・持てる近代的個人」を前提に成り立つから、その観点から言えば本当は「騙されるのも自己責任」なのだ。しかしそこには「近代的個人は物事を妥当に判断できるだけの教養と経験を持っている」という前提があり、もともとかなりハードルが高い。
— kous37(Kosuke Hotta) (@kous37) 2016年5月12日
だから、自分でその「教養と経験のハードル」をクリアしてると自負している人は、それをクリアできない多くの人をどうしても一段低く見てしまう。そこは口には出されないけど、「科学と民主主義が生んだ差別」というものが厳然と存在するのだ。
— kous37(Kosuke Hotta) (@kous37) 2016年5月12日
で、そういうふうに自負している人は男性に多い。そういうところが、周りにいる女性をいらいらさせる、というケースは多いだろう。特に男性の側がその差別感情に無自覚な場合は。
— kous37(Kosuke Hotta) (@kous37) 2016年5月12日
これらを読んで、ほぼ反射でツイートを始めました。
すると、以下のようになりました。
自分の中にもその差別感情はある。
— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年5月12日
中世のドロドロした世界を足利義教を通して見直した後で、
近代的個人というもののハードルの高さと、それに伴う差別感情というものを読まさせれたのは、
うまい流れだ。— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年5月12日
確かに、腹立たしいことは多いけれど、
人間の歴史を振り返れば、かなり進歩してるのも明らかなわけで、
うまく機能していなくても民主主義が当たり前の国がこんなにたくさんあること自体がその証拠の1つだよなぁ。
人の精神は、長い時をかけて少しずつでも洗練されていると考えてもいいのかも。— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年5月12日
そして、
「物事を妥当に判断できるだけの教養と経験を持っている近代的個人」という前提条件の高いハードルも、そのうちクリアされていくのかもしれない…と希望を持てば、自分の中の差別感情は薄くなっていくような気がした。希望というもののパワーは凄いかも。
— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年5月12日
人間という種のポテンシャルを、私は実はあまり信じていなかったのかもしれない。
— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年5月12日
だから、スピのアセンションなんてのに内心すごく期待していたのだろうなぁぁぁ。
大きな外部要因でもなければ人間なんて変われないと思ってたんだろうなぁぁぁぁ。— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年5月12日
自分を信じないのと同義よね。
— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年5月12日
そしたら、間髪入れず、これが流れてきました。
ヒトラーとかスターリンとか、あるいはチェザレ・ボルジアはいないほうが良かった、無視しよう、それについて考えるのはやめようというのは意味がありません。こうしたすべての歴史が我々の今日の意識をもたらしたのであり、これが我々の歴史、独自の歴史なのです。 『身体の想像力』
— ミヒャエル・エンデ (@Michael_Ende_jp) 2016年5月12日
なんとなく、「そっち方向でいいよ。」と言われているような気がしました。
勝手にですけど。もちろん。
(あ!エンデというのがミソやん!…と、今気づきました。これ書いてて。個人的なことですが。)
すると、次はこれがすこーんと目に入りました。
え、ちょっと待って。カブトムシ先生の差別意識ヤバくないか? pic.twitter.com/l7hh0v639R
— 上村虎人 (@shiomura_kojin) 2016年5月10日
ちょっと「あれ?」と思いました。
学歴とか知識の問題じゃなくて、「知らない言葉を使わないで!」とキレることが問題で、そこがひっかかるポイントに感じました。
そこで、「あー…。」となりまして、以下のようにツイートしました。
蛇足かもだけど。
私の中の差別感情は、
子供の頃に勉強しなくて教養や学歴がない人に対して発動するんじゃなくて、
現時点で知ろうとする意欲が全く見られないのに文句ばっか言ってる人に対して発動するので、
そこはまだマシかも、と思いたい。— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年5月12日
自分の差別意識と向き合ったら、人を…というか、人類を信用していない自分を見つけた、ということでした。