昨日は支援学校中等部の入学説明会があったので、いつもより30分早く起きたのですが、
Eテレをかけっぱなしでボーッとした頭で着替えていたらですね、
100分de名著の再放送がやっていました。
コレでした。
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/51_adler/index.html#box03
私たちは他者に認められたいという「承認欲求」を常にもっている。しかし、アドラーは「他者から承認を求めることを否定せよ」と説く。他者の期待を満たすために生きてしまったら、本当の自分を捨てて他者の人生を生きることになるからだ。「承認欲求」から解放される要はアドラーが提唱する「課題の分離」。「これは誰の課題か?」という視点で、自分と他者の課題を線引きし、他者の課題に踏みこまない、自分の課題に踏みこませないことを徹底させる。それができたとき、対人関係は驚くほどシンプルになり、無駄な競争から解放され、各人が対等な関係を築けるという。第三回は、複雑な対人関係を解きほぐし、自由を得るための処方箋をアドラーから学ぶ。
ぼーっとしつつ着替えながら聞いていたんですが、
確かにそうなんですよね。
他者から承認を求めることを止めたらいいんですよ。
そして、たとえ夫婦でも親子でも仲良しの友人でも「課題の分離」をしっかりできればいいんですよ。
「課題の分離」ができていないから、相手に対してイライラするんですもん。
なので、アドラーが言うように誰かに対してイライラしたら、
「それは誰の課題よ?私の課題なの?相手自身の問題であって私の課題じゃないんじゃないの?」って自問するといいですよね。
そして自分自身の課題を同時にハッキリ自覚するべきなんですよね。
ハッキリ自覚して、自分の課題に他人を介入させない、と。
それを一言で言い替えるならば、「お猫様のように生きろ!」かもしれないですね♪♪
とは言え、そういうことがなかなかできないから人間関係で悩むわけですが。
で。
番組の中で、専門家の先生がこんな内容のことを言ったんです。
や、ぼーっとしてたので、正確には覚えてなくて、ざっくりこんな内容って感じなんですけどね。
人生はgive and giveなんですよ。
give and takeじゃなくて。
give and giveだと腹をくくってしまうんです。
ちょっとばかしハッとしました。
ああそうか、って。
「お仕事」は「労働の対価としてお金をもらう」でいいし、そういう決まりというか社会的契約というか、そうやって生きる糧を得るという基本的やり方を我々は選択してるわけで、それはそれで今はいいと思うんですよ。
(でも、それこそアセンションなんてものをもしも人類がしたら、そういうシステムは存在し得ないと思う~。)
でも、そもそも人生ってやつはgive and giveなんですよ。きっと。
もちろんそれは、自分をすり減らしてまで相手に尽くす……とかって意味じゃないはずで、もっと基本的な意味で(作りが)おそらく「与えること」でしか本当の意味で人間は真の喜びを得られないようになってるんだと思うんです。
なので腹をくくってしまえ、ということなんですよね。
なお、当然ですが、「与える(≒愛する)」ことと「相手の課題に介入する」ことは全然違います。
でも、親って子供に対してそこらへんをごちゃごちゃにしやすい傾向は強いですよねぇぇぇぇ。
ほんっとに気をつけないとアカンですね。
娘さんはインフルいかがですか?
寒くなったり暖かくなったりなので、どうぞご家族皆様お大事にお過ごし下さい。
この記事読んで「あぁー」となりました。
そうなんですよ、腹括れればいいんですよねぇぇぇぇ。
なんていうかうまい事いかなくてたまにごろんごろん転がってますが(苦笑)
やっぱりお猫様位の気持ちでいかないとなぁと記事を読みながら思っております。
> 娘さんはインフルいかがですか?
> 寒くなったり暖かくなったりなので、どうぞご家族皆様お大事にお過ごし下さい。
ありがとうございます。
娘はすっかり元気になって学校に楽しく通っております♪
> この記事読んで「あぁー」となりました。
> そうなんですよ、腹括れればいいんですよねぇぇぇぇ。
> なんていうかうまい事いかなくてたまにごろんごろん転がってますが(苦笑)
> やっぱりお猫様位の気持ちでいかないとなぁと記事を読みながら思っております。
他人の評価や他人からの見返りを期待するから人生がおかしくなる…というのは頭では分かるんですけど、なかなか難しいですよねぇぇぇ。