「これまで使っていた武器はそろそろ通用しないかもしれない」に似た感覚に襲われた

おかげさまで民絵屋福袋は、カートオープンからすぐに売り切れました。
ほんとうにありがとうございました♪

発送作業も終えまして、お客様に喜んでもらえるといいなぁぁぁぁ、と願っております。
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お庭で毎年この時期に咲きます。
庭の手入れなんてちっともしないダメ嫁なので、こうやって勝手に生えてきて勝手に咲いてくれるというのはありがたいです。
さて。
このあたりで自分自身の整理のためにも書いておこうと思います。
大晦日恒例の石井ゆかりさんの年報がアップされて、それを読んだ時に思わず「うわっ…。」と声を出してしまいました。
2016年の山羊座の年報の中に、こんな文章があったからです。

2015年頃から、山羊座の人の多くは
「これまで使っていた武器は、
そろそろ、通用しないかもしれない」
と直観しつつあるのではないかと思います。
そして、古くなった武器を捨てて、
新しい武器を手に入れることを考えつつあるのではないかと思うのです。
この「古くなった武器を捨てる」作業は、
そんなに簡単ではありません。
なぜなら、
「どうしてそれが機能しなくなったのか」
を詳しく深く掘り下げなければ、
新しい武器をつくるためのアイデアが生まれないからです。
ある程度まで迷い尽くしたところで、
次の段階に進めます。
何が足りなくて、何が必要なのか。
自分には、どんな可能性があるのか。
それを、自分の内側へ、内側へと掘り下げても
たぶん、迷宮にはまり込んでいくような感じがするでしょう。
そこで、
「外に出て学ぶ」
という動きが生じます。


娘のディスレクシアのあれこれが精神的に一段落したところだったので、10月上旬くらいでした。
ある日、まさしく『これまで使っていた武器は、そろそろ、通用しないかもしれない』にとても近い感覚に襲われました。
それはもちろんお仕事に関してのことなのですが、これがまた石井ゆかりさんの言葉通り、
『何が足りなくて、何が必要なのか。自分には、どんな可能性があるのか。それを、自分の内側へ、内側へと掘り下げても たぶん、迷宮にはまり込んでいくような感じ』になっていくばかりでした。
それは、FBであることが目に留まったことが発端でした。
私はFBのアカウントも持っていまして、1日に1回程度は少しばかりチラッと見るのですが、「友達」も多くありませんし、ちょっと苦手なのです。FBが。
私にとっては使い勝手がイマイチ良くないのです。
そして、やはり「申請して友達になる」というのに少し身構えてしまうというのも大きいです。
ツイッターみたいに勝手に気に入ったアカウントをフォローする方が気軽なのです。
ですから、普段はチラっとチェックするだけで終わってるのですが、その時は何故か数年来の知り合いである「みづきちゃん」の記事に付いている「いいね」の数が何故か目にすーっと入ってきたのでした。
あらー…。
こんなにいっぱいの「いいね」が付いてるやん。
さぞ「友達」が多いんやろうなー…。
と、単純に思った……だけなら良かったのですが、何故かいつもと違う思考回路に電流が流れたのでした。
「FBでスピ系の人にせっせと友達申請して繋がりを増やしていくこともお仕事に繋がるんやろうなぁ~…。ある種の営業でもあるよな~…。」
と、思ったのです。
実際、みづきちゃんはFB繋がりから好ましい形でお仕事を依頼されてるようでした。
(匿名にしても分かる人には分かるだろうからこの記事で名前を出していいか、と彼女に先日問い合わせした際に、彼女は彼女で仕事についてはアレコレ悩ましいと思っているという話をしてくれたのですが、あの頃は彼女のポジティブな流れしか目に入ってこなかったのでした。)
しかしですよ。
みづきちゃんはシンプルに「気になる人と繋がりたい」と思って行動した結果、友達が増えてお仕事にも繋がったわけですが、
もしも私がここからあちこちに友達申請をするというのは、営業目的で友達申請するわけで、それっていやらしいよな~、とも思いましたし、
何より私はみづきちゃんみたいに直感でぴぴっときた人とどんどん繋がる、というスタイルは向いてないのです。
(や、営業目的で友達申請することを「いやらしい」と思うというのも思い込みなんだけどね。)
ですからもちろん自分の中で即却下、だったのですが……
「じゃあ、どうするの?どうしていくのがいいの?」という自問へと切り替わってしまいました。
そこからでした。
『これまで使っていた武器は、そろそろ、通用しないかもしれない』にとても近い感覚に襲われたのは。
地味に悶々とし続け、ほんとうにそれは迷宮のようでした。
答えどころか、自分の仕事に対しての展望すらどんどん訳が分からなくなっていきました。
絵を描く事は子供の頃から好きで、あれよあれよで民絵屋を開店したは良かったのですが、もともと自分の絵に関しては自信があるとは言えませんでした。
それでも、いろんな方が絵を買ってくださり、去年の1月には池袋の梅舎茶館さんで個展まで開催させてもらいましたから、まだまだ精進し続けなければならない、という自覚は大切でも、自分の絵を卑下するのはお客様に対して失礼だ、ということは分かるようになれました。
ですから、卑下こそしなくてもそもそも自信があるとは言えないのに迷宮にはまりこんでしまったために、何をどう評価すべきかも、そこから民絵屋としてどのように努力すべきかも、どうなりたいのかも、どんどん分からなくなっていったのでした。
絵に対して精進を続けるのは大前提として、現状で、
もっとお仕事をいっぱいしてお金儲けをしたい自分もいれば、目立つのが怖い自分もいるし、
もっと評価されたい自分もいれば、そんな自分をあさましいと感じる自分もいるし、
もっと営業をするべきだと思う自分もいれば、今まで通りで十分と思う自分もいるし、
……と、デッドロックもいいところでした。
自分がさらなる発展や成功を望んでいるのかいないのか、考えれば考えるほど分からなくなっていきました。
しかし、『これまで使っていた武器は、そろそろ、通用しないかもしれない』にとても近い感覚は到底無視できませんでした。
そこで、じぇいど♪さんや月子さんに相談すれば、あれこれと的確なアドバイスをくれたとは思うのですが、
分かっているからこそ、言えませんでした。
そこが不思議な精神状態だったのですが、分かっているからこそ誰にも言えなくなっていました。
今から思うと、『迷い尽くす』ために言えずにいたのかもしれません。
そのように地味に悶々とし続けているうちに、ふと「天使の絵以外で(仕事として)描きたいものは何だろう?」という問いが生まれました。
描けるもの、ではなく、描きたいもの、です。
その問いの答えがパーソナル・ゲートの絵でした。
パーソナル・ゲートの絵を描く事ができて、かなり自分の中の内圧は下がっていったのですが、
それでもやはり、まだスッキリとはしませんでした。
すると、1月3日のことです。
豊川稲荷にお参りに行きまして、奥の院でお参りをした時に、「家内安全、商売繁盛」を「お願い」しました。
普段のお参りの時は「ありがとうございます。世界人類が平和でありますように。」としか祈らないのですが、
この時は係のおじさんが「豊川ダキニ天様に【お願い】をしてくださいね。」とおっしゃったので、お祈りではなくお願いをしました。
(そしてこれはお父ちゃんも「お?」と思ったそうです。毎年お参りに行きますが、こんなふうに言われたことが無かったからです。)
そして、ダキニ天様のご真言を唱えているうちにすーーーっと変性意識状態に入っていき、瞼の裏にダキニ天様がすっと現れて軽く微笑んでくださったような、そんなイメージが浮かんできました。
ああ。
お願いを聞いてくださったんだ。
家内安全だけでなく、商売繁盛を願ってもいいんだ。
と、嬉しくなりました。
そして喜んだ途端に、去年の春からなにかとお世話になっている氣乃さんが【開運&金運・好転加速力・伝導】の有料モニターを募集されたので、びっくりしました。
自分だけでは歩みが遅々としてるので、ちょっと背中を押してもらえ、ということかしら?と思えてなりませんでした。
それで、氣乃さんに質問しました。
「まだ悶々としていて、自分が本気で成功を望んでいるのかどうか分からない状態で、覚悟がちゃんとはできてはいないと思われるのですけど、これってセションを受けるのには時期尚早ということですかね?」
と。
その時の回答はこちらになってます。
http://ameblo.jp/kino-tasuku/entry-12115036177.html
「自分の無理の無いスタイルでの変革」ということだったのでお願いすることにしました。
…と、セションをお願いしたら、吉夢を見ました。
夢占いによると、自分の潜在能力が発揮され大成功を収められる幸運期の到来を暗示する吉夢…なんだそうです。
背中押してくれてますよね。
これ。
自分次第で、商売繁盛するってことですよね。
そこでようやくお父ちゃんに去年の10月から地味に悶々としていた一連のことを話しました。話せました。
すると、お父ちゃんがすぱーんと言いました。
「あんた、詐欺師になりたくないんやろ?」
おそらくそうなんだと思いました。
やはりどこかで、仕事として絵を描く自分というものに自信が持てずにいるのです。
絵を描くことは好きなので、天使の絵を描いていて苦痛に感じることはありません。
性に合わないのにIT企業に入って仕事をしていた頃のような苦痛は全く無いです。
けれども、私は描きたいものを描いているわけではありません。
でもそれは、仕事として依頼されたものを描いているから、という意味ではありません。
おこがましいですが、やはりそれは「高次の自分がやっている仕事」としか言えない感覚なのです。
それを、ざっくり「神様仕事」という言い方をしますね。
ならば、その「神様仕事」を完うすることだけ考えればいいのに、と自分でも思うのですが、そうは問屋が卸さないのですね。
圧倒的な才能を持った上で努力を重ねて素晴らしい作品を生み出している絵描きさんはたくさんいます。
そういう人たちが「神様仕事」をすればいいのに、なんでよりよにもよって「才能は無いけど絵を描くのは好き」というだけの私にそんな「神様仕事」を与えるのか、と、若干イラっとすることすらあります。
……イラっとして、ショボンとするのです。
多分。
私には、仕事としての絵描きで大きく成功して良いのは圧倒的な才能のある人だけだ、という思い込みがあるのです。
ですから、いくらそれが「神様仕事」であろうとも、これ以上の発展・成功を望むのは身の丈に合っていない、と自分に対してダメ出しをし続けているんだな、と気がつきました。
だったらなおさら、身の丈に合うところで今まで通り粛々と「神様仕事」を頑張ればいいじゃない。
……でもね。
これがまたですね、10室太陽の性なのか、理想が高いだけでなく、社会的成功や仕事の発展を望む野心もあるのです。
性に合わない仕事をしていたり子育てをしていたり、で、ずーっとそれを無視するような状態になっていましたが、それでも自分の中に「お仕事で発展したい」という欲求があるのは分かっていました。
これらがずーーーーっと噛み合わなかったのです。
噛み合わずにぐるぐるし続けていたのです。
と、
やっとこさ自分の中の矛盾の構造がある程度明確になったは良いのですが、
次は、さてここからどうしましょうか、という段階です。
はてさてどうなりますことやら。

“「これまで使っていた武器はそろそろ通用しないかもしれない」に似た感覚に襲われた” への2件の返信

  1. こんにちは。
    私も、昨年からずっと自分が作っているものについて悩んでいました。
    正直なところ「あんた、詐欺師になりたくないんやろ?」ってのを見て、ハッとした部分もあって…嘘つきになりたくない事に気づきました。
    趣味でブレスレットとかを組んでいますが、美術的なことを学んでいるわけでもなく、スピ的なことを学んでいる(師をもっている)わけでもなく、鉱物や宝石について詳しいわけでもなく…好きで作っているだけで。
    だから利潤とかを考えないでやっていた部分もあるわけですが、それじゃ作りたい作品に使うための高価な材料が買えなくなってしまうわけで(((^_^;)
    作りたいものを作りたいだけ作るためには、今までのやり方では難しいみたいです。
    まだ何をどうすれば良いのか悩んでいますが、やりたいことを諦めない道を選びたいと思っています♪

  2. いつもコメントありがとうございます♪
    > 正直なところ「あんた、詐欺師になりたくないんやろ?」ってのを見て、ハッとした部分もあって…嘘つきになりたくない事に気づきました。
    ありますよねぇぇぇぇぇぇぇ。
    こういう気持ち。
    他の方で自分に自信がアリアリな感じのことを言ってるのを拝見すると、余計に萎縮しちゃいますよね…。
    > 作りたいものを作りたいだけ作るためには、今までのやり方では難しいみたいです。
    > まだ何をどうすれば良いのか悩んでいますが、やりたいことを諦めない道を選びたいと思っています♪
    お互い、次のステップを目指すタイミングなのかもしれませんね。
    いい感じにしていきましょうね~♪♪

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