40代半ば。
もともと自律神経失調がヒドい私は、おそらくちょっとした女性ホルモンのアンバランスも体調の変化に出やすいのだと思います。
どちらかと言うと低血圧だったのに、40代になってから、時々ぽこんと血圧が上がるようになり、これも更年期障害の代表的な症状だと知り、ガッカリしたものでした。
どうしても若い頃から目を酷使してるせいか、老眼も早くやってきたので、ダブルパンチで非常にガッカリした40代の初めでしたね。
先月の終わりには、生理が10日以上早く来ました。
おかげさまで生理不順とはほぼほぼ無縁の私でしたから、閉経に向けて徐々にこういうことも増えてくるのかなぁ…と、思わずにはいられませんでした。
少しずつ少しずつこうやって「枯れていく」のかな、と。
そして、その先には「死」があるのだな、と、じんわりと感じたりもするのです。
観念的な「死」ではなく、身体の変化に伴った、少しばかり実感を伴った「死」を感じるのです。
それは忌むべきことではないけれど、己にも死がやってくるというのを身体の変化でもってうっすらとでも「実感」するというのは、やはり気持ちのいいものではありません。
けれども、それを観ないフリするのも勿体ないことだと思うので、やってきた時にはちゃんと感じようとしてはおります。
そんなこともあり。
体調の不安定要素が多少大きくなっていたのかもしれません。
水曜日は、なんだかちょっと「変だな。」と感じていました。
痛いとか辛いとか苦しいとかは無いけれど、なーーーんか変。
何がどう変かは表現できないけれど、自分の身体の「トータルな感じ」が少し妙だったのです。
時々雑音が混ざるような、そんな感じでした。
すると、木曜日は朝からスコンと体調が悪くて、お布団を畳むのもしんどかったくらいでした。
子供達も登校し、おとーちゃんも勤め先のNPO法人に出勤して…1時間くらいしてからでしたかね。
久々にアカンやつになりました。
ほんとにしんどくて、横になっていてもしんどくて、下手したら発作が出そうなくらいでした。
漢方薬を飲んでも良くなるどころか、どんどんアカンくなってきたので、緊急MAPもしてギリギリまで一人で耐えてましたが、とうとうおとーちゃんに電話して、帰ってきてもらいました。
ほんとうは畑仕事をしなければならない時間だったらしくて、理事長さんに代わってもらったそうです。
すぐにいつものクリニックに連れていってもらい、足湯や鍼をしてもらいました。
特にこの1年半は、ほとんどクリニックのお世話になっていなくて、数カ月に一度、漢方薬を処方してもらいに行く程度になっていました。
や、ほんとにね、
関ジャニ∞のライブに年に1度行くようになってから、(あくまで当社比だけどね!)すごーく元気になったんですよ。
なのに、久々にアカンやつになっちゃって、おとーちゃんにも理事長さんにも迷惑かけちゃって、息子も登校前にめっちゃ心配してて、
てことは、息子の支援クラスの担任の先生(←純粋で優しい女性)もめっちゃ配してくれてるハズで、
他にも、おとーちゃんの勤め先にいる私のママ友たちもきっと心配してくれてるハズで、
みんなに心配かけたり迷惑かけたりするってのが、ほんとーーーに情けなくて、泣きそうになってました。
クリニックの先生は、うちのオカンと同い年のおばーちゃん先生なのですが、クリスチャンで信仰が篤くて一本気な人なのですが、その先生が東洋医学だけでなく、代替医療の方向にも突っ走ってるために、他のお医者さんたちとソリが全く合わないらしいのです。
市内の某婦人科で、あそこのクリニックで漢方薬出してもらってると言っただけで、散々なコト言われたこともありました。
正直、私も「先生ぇぇ、それはちょっと…。」と内心思うこともあるんですけどね。
でも、深いところで優しい人だって分かってるので、甘えが出た……のでしょうかね。
それまでそんなこと言ったこともないし、したこともないのですが、
先生の顔を見ていたら、何かに突き動かされるように、何も深く考えずに、
「先生ぇぇー、ハグしてください…。」って泣きそうになりながら言ってしまいました。
すると先生はハグしてくれて、ぽんぽんと背中を叩いてくれて、
「あなたはよく頑張ってるよ~。たまにはこうなっちゃうこともあるよ~。」
と言ってくれました。
ばーっと涙が出ました。
すると、しんどかったのが半分くらいすーっと無くなりました。
帰宅後にハッとしたんですが、
先生は時々患者さんから「もらってくれちゃう」ことがあって、診察後に先生の調子が下降しちゃうことがありまして、
ああああーこれは先生、もらってくれちゃったんだ~、後から先生しんどくなっちゃうかも~~~、と申し訳なく思いました。
そして、帰宅後はすっかり良くなっていました。
食欲だけはまだ無くて、ちゃんと食べられないこともあって、少し動くとフラフラしてましたが、身体の感覚としてはかなりスッキリしていました。
実は、こういうことってありがちなのです。
まるでリセットするみたいに、ブレーカーが落ちるみたいに、動けなくなるほどしんどくなったり、最悪な場合は発作が出た後は、スッキリすることが多いのです。
認めたくなかったのですが、そういう場合が多いのです。
1~2週間くらいダラダラとびみょーに不調なのが続いて、だんだんと良くなる……というのもありますが、
激しい症状の場合は、逆に1日2日でケロっとすることが多いのです。
いろんな人に心配や迷惑をかけるのもすごくイヤだし、
なにより動けなくなるほどしんどいのなんてイヤですし、発作なんて死ぬほどイヤなので、こんなふうにリセットすることないやん?やめてよー、って心底思います。
受け入れ難いです。
受け入れたくありません。
ヤダ。
とにかくヤダ。
……でもね、深いところでね、『コレ』を頑なに拒否するんじゃなくて、
こんな自分、こんな自分の身体、こんな症状…『コレ』をふんわりと受け止めてしまった方がいいんじゃないか?という声も聞こえてくることがあるんです。
ええ、あるんです……。
でも、人に迷惑かけるのも、耐え難いくらいしんどいのも、受け入れられない!と、頑なに拒否し続けてきました。
と、思いつつ、横になりながらスマホを触っていたら、この記事に辿り着きました。
http://www.1101.com/rie2014/2014-11-06.html
読んでる時の私の顔は、おそらく「なんとも言えない表情」をしてただろうな、と思います。
丈夫で健康になることをあきらめるわけではないし、
耐え難いしんどさを我慢し続けろというわけでもなくて、
そうじゃなくて、
「かわせない時はかわせないんだ」ということを認めるだけで、全然違うのかも、と思いました。
全部かわそうとしてたんです。
でも、それって、傲慢だったのかもしれません。
すごくイヤなんだけどね。
イヤなんだけど、でもかわせない時はかわせないんだ、と認めることにしました。
なーんて考えてたら、じぇいど♪さんから「ぐるぐる同じことを繰り返す問題」についてちょっとしたメールが届きましてね。
そのやりとり中に、私が何でぐるぐる同じことを繰り返してるかはすごく分かり易いよ、と羅列してくれました。
●おっぱいが小さすぎる問題
●美人じゃないことがイヤだ問題
●絵についての劣等感で悶々とする問題
●身体が丈夫じゃない問題
もうねー、的確すぎてスマホ片手に笑い転げました。
画力も含めてですけど、さまざまの「自分で足りないと思っている能力」というのは、脳の機能といいますか、DNAといいますか、とにかく霊的or心理的or精神的なものというより、「この肉体で表現できる能力の閾値」の問題だよなーと思ってまして、
そういう意味では、
私がぐるぐるしているのは、この身体をちゃんと受け止めてない、文句ばっかゆーてる、できることなら取り替えたいとすら思ってる、ってところ
なんですよね。
そいやすぐに「初音ミクになりてー。草薙素子になりてー。」ってゆーてますもんね。
完全なる「筐体」が欲しいと思ってるところが問題!
まさにこの肉体は錨(アンカー)ですね。
なんだよー、ほんとにもー、あたしってば同じところでぐるぐるしてんなおい。
ま、そんな『完全なる筐体が欲しくてぐるぐるしている私』がだらだら書いてるブログですけど、これからも生温かく見守ってくださると嬉しいです。
よろしくお願いします。
おれはこの身体で十分素敵お猫だけど?
こんにちは。
今日読んだblog、二つにアカンって片仮名が使ってあって…内容も少し似ていて、ちょっとビックリしてます。
もう一個のblogは、ここです。
http://cocco32crystalbowl.blog.fc2.com/blog-entry-972.html
それと私、色んなことを諦めてます(笑)。
願いやこだわりを諦めたら、その後…全く望んでいた形とは違うものが返ってくるんです。
自分のことを理解して欲しいと言う願いを諦めたら、別な形で理解してくれる方が現れました。
自分が望んでいた形での理解、ではありませんでしたけど。
でも、それは私が自分が望むものを望む形のまま叶えられることを諦めた後だったので、ものすごく嬉しかったです。
> それと私、色んなことを諦めてます(笑)。
> 願いやこだわりを諦めたら、その後…全く望んでいた形とは違うものが返ってくるんです。
> 自分のことを理解して欲しいと言う願いを諦めたら、別な形で理解してくれる方が現れました。
> 自分が望んでいた形での理解、ではありませんでしたけど。
> でも、それは私が自分が望むものを望む形のまま叶えられることを諦めた後だったので、ものすごく嬉しかったです。
それこそ宮沢りえちゃんたちが言ってた「あきらめる」というのは「美しい」にもつながるお話ですよねぇぇぇ。
あきらめないことも大事で、あきらめることも大事なんですよね。
きっと。