都議会の例のアレ関連で、こんなツイートを見かけました。
https://twitter.com/rafcocc/status/481125435426623489
よくわかんないけど「結婚しないの?」とか「子供は?」とか言われていちいち傷ついたり落ち込んじゃう人は、結婚してなかったり子供のいない自分を本当の意味では受け止め切れてないんじゃないかな、っていう気がする。
で、これに対して、私が敬愛するヤンデル先生(←頭が少しおかしいフリをしてるカリスマ病理医)がこんなツイートをしました。
https://twitter.com/Dr_yandel/status/481245429099925504
実は俺も全く同意見なんだけど「本当の意味で自分を受け止め切れている人」なんて俺の知る限り瀬戸内寂聴さんとマツコデラックスさんくらいしかいないんじゃないかって思うし、だから人(=自分を受け止めきれなくて日々悩む存在)には優しくしたいなって思うんだけどみんなそうでもないんだろうか
例のアレはね、会議中に誰かが発言してる時にヤジるってーのがみっともないわけでね、
国会中継とかでもそうですけど、ヤジってる人たちは甲子園球場でビール飲みながら阪神の負け試合でも見てるおっさんかなにかか?っていつも思ってしまいます。(←ごめんね。阪神ファンの方々。私の中では甲子園球場ってこーゆーイメージがあるの~。)
野球場でビール飲んでヤジってるおっさんってのはいいんですよ。
ユーモアセンスの高い人いるし。(←そこか?)
でも、市民に選ばれて真面目な議題を話し合う場でヤジるっていう慣習がずーっと続いてるってーのがみっともないよなーといつもいつも思うんです。
なので、ヤジるって時点でアウト。
でもって、「自分が結婚した方がいいんじゃないのか?」なんて、思っても言っちゃダメでしょ?ってのも、これだけ騒ぎにならないと分からないんだろうなー。
30代の未婚の女性にそんなことゆーたらいかん!
結婚をあえて選ばなかった人なのか、結婚しようと思ってたところでフラれた人なのか、結婚しようと思える人に出逢えなかった人なのか、両親を見てたら結婚に踏み切れない人なのか、はたまた同性愛者なのか……見た目では分からないですもんね。
でもって、30代で未婚って微妙だと思うんですよ。
周りからのプレッシャーが強い人もいるだろうし、自分で自分にプレッシャーかけまくりの人もいるだろうし、あきらめたーって思っててもあきらめきれない人もいるだろうし。
ひょうひょうとしてて、自然体の人もいるだろうけど、やっぱり周りからいろいろ言われることとかでしんどいことも多いんじゃないかなー、と思うんです。
ま。
そーゆーことに無頓着じゃないとね、あんなヤジは出ませんわな。
そして問題になってるのはその無頓着さ、なんでしょうね。
と、は思うんです。
でも、私もヤンデル先生たちの言うとおり、いちいち傷つくというのは、本当の意味では自分を受け入れてないから、だと思うんです。
そして、自分を本当の意味で受け入れている人なんて、ほとんどいないのかも、と思います。
♪ありの~ままの~姿見せるのよ~
…って、今朝も「いっぷく」でめいじぇいねーさんが歌ってましたけど、ありのままの自分ってのをまず自分で受け入れるなんてなかなかできないことだよなー、って思います。
なので、人の言葉に傷つくんですよね。
相手は傷つけようなんて思ってないのに、勝手に傷つくの。
(や、だからさー、例のアレはアカンよ。あれは分かってゆーてんだから。だってヤジなんだもん!)
「ありのまま」のことを口にしただけなのに、勝手に傷ついちゃうんですよね。
配慮が足りないという場合ももちろんありますが、いちいち傷つくというのは、ありのままの自分を受け入れてないからなんだろうなー、と思うのです。
その人その人で、受け止められない自分ってのがアレコレあるってことなんですよね。
そして、それは人によって種類も大きさも場所も全然違うから、他人が完璧に配慮するなんてことは無理だと思うんです。
配慮する気持ちは大切だけど、そこに解決策を見つけるというのはちょっと違う気がするんです。
やはり、自分を受け入れていくことが、自分を無駄に傷つけることから遠ざかる一番の解決策だと思うのです。
とは言うものの。
そんなのちょーーー大変。
ええ、分かってます。ちょーーー大変なのは分かってます。
けどね。
突き詰めていくとね、
どうして、私の魂は、こういう自分を選択したのか?
というところに行き着くと思うんです。
自分で思ったとおりの人生にならない、自分の理想通りの自分になれない……ってのは、
毒親だったなど、家庭環境の影響が大きいのかもしれないし、
生まれ持っての資質が、理想と違いすぎるのかもしれないし、
健康問題が大きいのかもしれないし、
それぞれにさまざまな理由があるはずなんですが、結局は自分の魂が親や環境や身体を選択してるわけですから、なるべくしてなってるんだと思うんです。私は。
ですから、「じゃあどうして、自分の魂はこのような選択をしているのか?」ってところを探っていかないと、本当の意味で自分を受け入れるってことはできないんじゃないかなー、と思うのです。
自分探しってよく言いますが、それって「なんで自分の魂はこういう選択をしてるの?」っていう答え探しなんじゃないかなー、と思うんです。
あ、えっとですね、
「なんで自分の魂はこういう選択をしてるの?」ってのは、
たとえば、こうこうこういう辛い過去世がありました、だから今の私にはこういうブロックがあります、それを癒します……ってところで終わちゃダメだよーってことです。
その先のことだよ!その先!
じゃあ、どうしたらその答えに辿り着けるの?
……って、言いたくなるかもですが、
その方法や使用するツールは、自分で探すしかないですよね。
もちろん、その背景にある世界観も、です。
そうするとね、「カルマ」って言葉ひとつとっても、人によって全然受け止め方が違うし、何を意味してるのかも違ってるってことに気づくんですよね。
だからすごく混乱するし、何を指針とすればいいのかすら分からなくなるかもしれないです。
や、分からなくなりますよね。うん。
そんな時に、自分の中にある「導きの灯火」が感じられるならいいんですが、それをも分からなくなってしまうなら、
「否定して否定して否定しまくって、それでも残るもの」を見つけていくのがいいのかも、と思います。私は、ね。
おれは、寝ても寝ても眠い。