以下は、一昨日に私がツイートしたものです。
セルフコピペ。
私がフォローしてる某さんに対して、
あなたのアカウントの内容はこれこれこういうものなので鍵をつけた方がいいですよ。マナーですよ。
というリプがついてた。
もの言いは丁寧だし、本気のアドバイスなんだろうと感じた。
言われた方は、不快な思いをさせてすみません、と返してた。
それを眺めてて、なーんかもにょっとした。
そもそもそのマナーってのが分からない。
本当にそれはマナーなのか?
Twitterのマナーにそーゆーのがあるのか?
誰がいつ決めたの?
「それはマナーです。」という言葉は、実は相手をコントロールしやすい言葉なんじゃないか?と思った。
Twitterで時々見かけるが、いきなりのリプで非難を浴びせるというのは、ものすごく不思議で、不快なら読まなきゃいいのに、と思うのだが、それができなくて、勝手に内圧を上昇させて、非難したくなるんだろうなー、と推測してるのだけど、やはり不思議。
そーゆーのは論外だけど、でも、いきなりのアドバイスというのも、かなり暴力的だなぁー、と感じたのだ。
リアルでは、いきなりのアドバイスなんてしないだろうし、いきなり非難するなんてしないだろうし、
ネットでの人との距離感って独特だなぁー、と、あらためて思った。
これに先立って、この数日は、私がフォローしてる何人かの方が、似たようなことをツイートしているのを見かけていました。
いきなりタメ口のリプが来るのって苦手、って書いてる人もいましたが、苦手っていうその感覚の方がまっとうだと思うよーって、スマホ片手につい声に出しちゃいましたよ。ええ。
フォロワーさんにしたみたら、ツイートを毎日読んでるうちに、相手のことをよく知ったような感覚や、身近に感じるようになったとか、そういうのもあるのでしょうけど、
リアルだとそんなことないだろうに、なんでネットだとこーゆー不思議な距離感になっちゃう人が多いんでしょうね。
ネット上の自分というものは、ペルソナなんでしょうかね。
日常生活の地味な自分とは違う自分……とか???
ほんとうの自分じゃないから、(言われる方にしたら)いきなりの非難とか、いきなりの(求めてもいない)アドバイスとか、いきなりのタメ口とか、そーゆーことができちゃうのでしょうかね…。
強度の差こそあれ、どこか暴力的だな、と感じます。
なーんてことを今朝もまたちょっと考えておりました。
や、また見かけたんでね。朝から。
そしたらですね、
あれ?
なんか、この感じって、ちょっと覚えがあるぞ…。
と、なってきたんです。
……ああ。
スピに傾倒してる人にもあるやん。こーゆー不思議な距離感って。
と、気づきました。
もちろん、みんながみんなそうというわけじないです。
…わけじゃないんだけど。
たまにいるんですよね。
そんなに面識がない(または知らない)人なのに、求めてもいないアドバイスをいきなりくれる、とかね、そーゆーの。
もちろん善意で、なんですけどね。
でね。
これがね、
『的確なアドバイス』もあれば『(ちょっと困惑しちゃう)お節介』とに分かれるんですよーーー。
上のセルフコピペは「お節介」だと思うんです。私。
自分の考えの押しつけなので。
でも、事実のお知らせ系は、言葉が普通(←高圧的でないとかね)だったら当然OKですよね。
(……まぁ、その「事実」ってのが何かってところでモメるってのはまた別の話になりますが。)
しかし、スピの場合、「事実」というのを規定するのは難しいですよね。
ミカエルがこう言ってましたー。
○○がこういうのを見せてくれましたー。
つながっちゃって、分かっちゃいましたー。
事実でしょう。
アナタにとっては、それは事実でしょう。
言われたんでしょう、見たんでしょう、分かったんでしょう。
でもね。
それはアナタだけの事実なんです。
そこが抜けてる人が、時々いるなーって感じるんです。
客観的に証明できない自分だけの事実を、求めていない人に伝えるという場合って、ものすごーーーーく慎重にならないといけないし、
伝えなきゃいけない、という動機がよほどのものじゃないと、いきなりのアドバイスなんてすべきじゃないだろー、って思うんです。
そこまで慎重になれる人の言葉なら、いきなりでもやっぱり入ってくるんです。これが。
でも、それができない人ってね、多分だけどね、憶測だけどね、
スピを知って、いろいろ……やって、「なんかちょっと分かる、見える、感じる」みたいなのがね、できるようになってね、
どこか浮足立ってるってゆーか………こっそりエゴがざわざわしてるってゆーか……そーゆー印象を感じてしまうんです。
それが極端に肥大すると、あさはらしょーこーになるんだろうな、って思います。
や、ほんとにめっちゃ極端な例だけどね。
でも構図は同じかな、って感じます。
なーーーんてね!
お節介おばさんの私が言うのも片腹痛いよな!
はっはっはー。
とにもかくにも。
人と人との距離感をいかに上手く量って絶妙なポイントを見つけるか、というのは、日々の鍛練しかありませんよね。
リアルもネットもスピも同じですー。
洗濯機と棚の間の距離をちゃんと測ってだなー…。
ここに入り込んでだな、おれは落ち着きたいんだ。
『やめて。どいて。』
この記事を読んで、私の大好きな小説のなかの<結局のところ、人は自己を基準に他者を推し量るしかない。>という台詞が浮かんできました。
いきなりタメ口な人って、自分も周りもそういう感じで気にならないからそうする人もいたりしますし、悪意がない場合もあるので難しいところもありますね。自分を基準にものを考えるからこそ、起こるのかな、と。
顔も見えないし、年齢も性別だってわからないと人は、何でもキツく言いやすいし、言えちゃうというのは、以前電話を受けるお仕事をした時に体験しました。
苦情を言うお客さんに、これでもか!!って勢いで、面と向かっては言わないだろう怒りをぶつけられた事もありましたね。
また友人が、2chとかネットで荒れたり荒らしたりするのは、自分の日頃の鬱憤を怒りで全く関係ない人や物事にぶつけなければ生きていけない人もいるんだよ、と言っていた事があります。ペルソナなんでしょうね。
現実世界で抑圧されている自分をネットの匿名性が解放してくれると思ってしまう。
恐らく自分の五感から入ってくる情報が少なくなるほど、感情のセーブがきかなくなるのかな、と感じました。
いずれにしても、自分の生活環境や人からの愛情に飢えている、満足しているって事は人格の成り立ちに多いに影響を与えている気がします。
それが自己の基準になっていくんだろうなぁ、と思いました。
そうですね。
悪意がない場合の方が多いかもしれませんね。タメ口は。
自分の言動が他人に不快感を与えてるかもしれない、というのは、気にしすぎもダメですけど、気にしなさすぎもダメですよね。
良い塩梅で自分を時々チェックできると1番いいですよねー。
難しいですけどーーー。