イメージ的にはあったんですが、言葉として形成されていなかったので、これを読んだ時に、「そうそう!そんな感じ!」と、膝ポンでした。
木葉功一さん @kibakoichi
自我とかエゴは人間の皮膚だ。一番外側を覆ってる。中心にあると感じてるものは、本当は最前線にある。脳の皮質構造と同じ。
エゴが受動的で依存的で支配的であるのは、「輪郭」だから、と思うと、腑に落ちる。中心にないし、中心でない。
もっとも激しく新陳代謝を繰り返しているところは、中心じゃない。言葉は皮=境界線。ツイッターとかSNSも皮だ。外と内から書き換えられ、せめぎあい、新陳代謝をひたすら繰り返す。新陳代謝に本質がある。
言葉を使って概念を切りわけ、正しさを追求していくことは、境界線をはてしなくズームアップしていく行為に等しい。あるポイントを超えると何も無くなる。
エゴの本質が「新陳代謝する境界線」であるのなら、エゴは人間存在をスッポリと覆ってる皮膜であって、中心じゃない。エゴの皮膜が言葉で編まれたものであるなら、自閉症スペクトラムの一部の人達の、言語抽象的なIQが低く、自他の区別が曖昧になってしまうことには、納得がいく。
スピではエゴを悪者扱いすることが多いような気がするんですが、
エゴが全く無くなったら、この次元で生きていくのがとても難しいんじゃないのか?となんとなく思ってました。
もちろん、エゴに振り回されっぱなしではダメですけど。
「新陳代謝する境界線」という捉え方は、なるほどしっくりします。