めっちゃ日常的と言えば日常的ではあったのだが、
それでも、少しばかり「いつもの金曜日」ではなかった昨日。
近所のお寺にお不動さんをお参りし、いつも冬至に出してもらう御札をいただく。
家族みんなで。(←なんだかんだで何故か家族みんなで行けた。)
そして、一夜明けて。
子供たちに起こされた。
変な夢を見ていた。
おとーちゃんが死んでしまった夢。
すごく嘆き悲しんでいたのだけど、ごちゃごちゃした後、おとーちゃんが新しい違う身体になって生き返ってきた。
前の身体よりいい感じ、と言うおとーちゃん。
それは良かった、とホッとする私。
よくよく考えてみると、なんともいろんな示唆を含んでいそうな夢だ。
そして、じゃあお布団を畳むかねー……と、のそのそ畳み、ぺたんと座り込む。
まだ眠い。
しかし子供たちを着替えさせなければ、と立ち上がったその時、
ピキっ!っと電気が走ったのだ。
腰に。
マズい。
……と、本能的に思った。
腰を中心に身体をいろいろ動かしてみる。
動かし方によっては、重くて痛い。
やっちまったようだ。
これは、きっと、
軽いぎっくり腰だ。
魔女にかるーい一撃をもらっちまったようだ。
初めての経験だが、死んだおばーちゃんがよくなっていたので、なんとなく分かる。
私は名古屋に住んでいた時にカイロに時々通っていたのだが、そこでも首は最悪だけど、腰は問題ないといつも言われていた。
確かに腰痛とは無縁だったのだ。
なので、まさかのまさかだった。
以前、クリニックの先生に試供品のデカい湿布をもらっていたので、それをおとーちゃんに貼ってもらい、日常の家事をこなしてはいる。
ただ、猫背(というか、みぞおちあたりのエネルギー菅がひどく詰まっていたために、そこに力が入らず、子供の頃からずーっとお腹が立てられなかった)でいるより、ぴっとお腹を立てている方が腰には良い感じがするので、そうしていたり、
腰を曲げてではなく、膝を追って下にあるものを拾ったりするので、いつも使う筋肉ではないところを使うので、少しキツい。
しかし、これは背筋がピンとなるし、所作もキレイになるのだ。
なんという副次的効果。
……でも、ハードだ。
こんなことが、アセンションへの変容だとはもちろん言わないが、
節目と言われていた昨日の翌日に変な夢を見て腰に一撃を軽く受けて、不思議な気分であるのは確か。
第三密度から第四密度へと変化していくことになるのなら、なんというか……自分の持っているざらざらしたものとの「摩擦」みたいなのことが一時的に激しくなるのではないか、とも思えるからだ。
そうなると、今まで以上にいろんな「不都合」や「病気」などという形でその「摩擦」が現れやすくなっていくのでは、とも思うからだ。
自分の持っているざらざらしたものを手放せばいいのか、というと、それもまた少し違っているような気がして、
どういうところに自分の重心を持っていけばいいのか、はとても難しいのだけれど、
それでも、そのざらざらしたものを生み出している「自分の魂」のその部分に触れるところまで手を伸ばして行けるかどうか、が大切なような気がする。
ただ、ライブ参戦4日前なので、軽いといえどもぎっくり腰だなんて、めっちゃドキドキしてしまった……。
ひぃぃぃ。