この数日、
『スピリチュアルなことについて、家族は新興宗教かなにかじゃないのか?うさん臭いのじゃないのか?と思っている』
というのを立て続けに目にしました。
まぁ、そりゃうさん臭いよなー、って思います。
あたしのブログだって。
ぷ。
新興宗教という言葉でひとくくりにしてしまう人も多いですけど、キリスト教だって仏教だって最初は「新興宗教」だったわけで、
新しいからダメってんじゃなくて、カルトかどうか、が問題なんだけど、そこらへんもよく分かってなくて「とにかく新興宗教はヤバい。」と思いこんでる人が家族にいると、そーゆー発言にもなるだろうなー、と思いました。
なんでも、よく知ることは大事で、そこらへんのことも無知からくる無理解ということになるんだと思うんですけど、
でもね、「よく知る」という過程というのは、いろんな情報を精査し吟味することに他ならないわけで、
それって、ただ頭を使うだけとは違うと思うんです。
自分のすべてを使って吟味する
って感じだと思うので、その準備ができてない場合は、「うさん臭いから近付かない方がいい。」というのは、ある意味大正解だと思うんです。
でも、家族と自分では準備が整うタイミングも違うだろうし、感性も違うだろうし、そこらへんで摩擦が起きることもあるだろうな~、とは思います。
そうは言っても、だからって家族にいろんなことを知ってもらおうと話をしたとしても、それが『誰かの言葉』を借りたものだとしたら、多分伝わらないだろうなー、とも思うんです。
なので、自分自身の言葉で語れるようになるまでは、うまいこと折り合いをつけていくしかないんだろうな~、と想像します。
……そう。あくまで想像です。
てのも。
私はそーゆー摩擦を経験したことがないからです。
オカンも弟1号も霊感バリバリで、昔から「見えない世界」が隣接してるのが我が家では当たり前でしたし、
ウチの旦那さんもそーゆーことにちっとも抵抗のないニュートラルな人ですし。
つまり、おそらく私の人生において、そーゆー「抵抗」「摩擦」は不必要だったんでしょう。
そこにパワーを注ぐのではなく、他に課題がしっかりあるという感じなんだと思います。
だから、あくまで想像…なのです。
なので、私の中において、「スピ」と「現実生活」が「こっちかあっちか」という分離された相反するものみたいな在り方はしていないんです。
スピに偏るとか現実生活に偏るとか、そういう発想が無いんです。
現実生活もスピの中に展開されている世界の一つだという認識なのです。
だから、私の場合は、「スピ」か「現実生活」か、ではなく、「今の自分は、どこらへんに重心を取ってるか?」を気をつける…って感じになります。
この違いって些細なことかもしれないんですけど、でも私はけっこー大きいな違いな気がしてます。
と。
ちょっと思ったことを忘れんうちに書いてみました。(←ほんとすぐに忘れる鳥頭だから~。)