と、そんなわけで。
私にしたら「ほとんど奇跡」としか言えない関ジャニ∞のナゴヤドームライブ参戦だったわけですが、
でもね、
「天使たちがサポートしてくれた」というのは、私には疑いようがないことなのだけれど、
『私の強い想いが、そういう現実を引き寄せた』と解釈しようと思えばできることだし、
『私の意志が、そういう現実を創造した』と解釈したっていいわけで、
なんでもアリだと思うのですね。
てか、いろんな解釈ができる方が良い気がするのですよ。手持ちカードが1枚だけってよりもね。
なので、スピ本やらスピ記事もアレコレ読んだりしてたわけです。
そのうえで、けっこー私はいろんな解釈をしつつ、それでもやっぱりこれは○○だよな~…という捉え方をすることが多いです。
……が、
それは頭で情報処理することと心で感じることのバランスを計ってるって感じがするんですよね。
自分的には。
んー。
なんてゆーか……
重心を感じながら、そこに辿り着こうとする
みたいな感じかも。
今年の3月11日以降、直接震災に合った人たちだけでなく、日本中の人たちが精神的にひっくり返ってしまって、
スピ系の人たちもいろんなことを言ってたですね。
津波で死んだ人たちの魂は、それを引き受けたのだ……とかって発言に、怒りまくった人も何人も見掛けました。
どっちの言い分も分かるのだけど、ガチガチに摩擦起こしてすれ違うのはみんながひっくり返ってしまって、重心がアチコチに振れまくってどこにあるかも分からないような状態だったからだよなー、って感じてました。
そういう時、重心を感じながらそこに辿り着こうとする私は、ほんのちょっと言葉にするだけがやっとで、ほとんどのことが言えなくなってしまってました。
だって、重心がどこにあるか分からなかったんだもの。
で。
重心ってのは、もう今は不要となったブロックが多ければ多いほど、『ほんとうの自分の重心』からズレたところに、『今の自分の重心』が生まれちゃうよなー、って思います。
そして、その重心でバランスを取ろうとすると、なーんかナチュラルじゃなくなるような気がします。
誰かに怒りを感じやすかったり、ニセモノに惹かれやすかったり、人を傷つけるのをうすうす分かってても我を通そうとしたり、うまく笑えなかったり。
…そだね。
すぱーんと開いた笑顔で笑えてるかどうか、がすごく分かりやすい目印かもしれんですね。
あたしはどうだろう?
笑えてるのかな?
笑えてるといいなぁ~……。
けどね。
いろんなブロックやいろんなモノを抱えて、それでも頑張って生きてる人って、素直にすごいって思います。
今はすぱーんと開いた笑顔じゃなくてもね。
遠くからこっそり応援しちゃうって感じですね。
……だって、重いのにひっぱられるのは当たり前だけどしんどいから離れて、ね。
そこらへんは私もまだまだ未熟者なので、自分自身で精一杯だから仕方がないよねぇぇ。