けれど、それを引き受けて生きる方がいいと思った。

「私たちの天命が完うされますように。」
とお祈りし、ほんとうにそう思っているのだけど、スピ的になにやらお役目やお仕事を求めて努力した、ということはありませんでした。
本やらネットでの記事やらを読むのは「知りたい」という欲求を満たしてただけだろうし、
mixiやらブログやらで日記をほぼ毎日書きなぐってるのはほとんど「趣味」だし。
スピ的な「資格」なんて何も持ってないし、講演会やらワークショップにも出たこともなくて、去年の10月に和尚さんのに参加したのが初めてなくらいな「出無精」なのです。
ひょんなことから天使の絵を描き始めた当初は、
「天使さんたちの道具として使ってください~。」
と思いながら描いてはいたけれど、そのうちそーゆーことすら思わなくなりました。
もちろん、天使の絵を描いて、それでお金をいただけるなんてありがたいと感謝してますし、
エネルギー的なことの感知度が低い私ですけど、それでも描いてる時はある種の軽いトランス状態にあるのか何なのか分かりませんが、1枚1枚から感じるエネルギーの大きさや違いをそれなりに分かってるみたいだと自分でも思うので、その部分においてお金でやりとりできるものとして成立していることに感謝してます。
が、しかし。
それが「お役目」とか「お仕事」だとは、ほとんど意識したことがありませんでした。
天使の絵を受け取ってくれる人たちがいて、
その人たちが「お礼がしたい」と言ってくれて、
「買いたい。」と言ってくれるようにもなって、
んじゃ、ネットのお店を開店するか~、ってことになって……、と、そんな流れだったので、「これが私のお役目だ。」なんて思うわけもありません。
そもそも、私はサイキッカーじゃないし~。
でも。
去年の和尚さんのWSに出たことでご縁をいただいたマイミクの真琴さんが、「人生を引き受ける」という表現をされてるのを読んで、ハッとしたことがありました。
私は、もしかしたら、自分の人生を【ちゃんと】引き受けて生きていないんじゃないか?…と。
(部分的にはガッツリ引き受けてるとは感じてるけどね。)
すると、それに類似する言葉をいろいろ耳にするようになるから不思議なものです。
3日前には、こんな記事を読んだし。
http://plaza.rakuten.co.jp/siriun/diary/201101090000/
それにね。
24時間テレビのメインパーソナリティをやってた時に嵐のみんながそれぞれのメンバーに対して書いた手紙ってのがあるんですけど、私は当時はそんなの見てなくて、
たまたま2日前にゆーちゅーぶでニノと相葉ちゃんの手紙を見たんです。
それを読んで思いました。
嵐のみんなが、「自分自身のために頑張ること」が、そのままファンのみんなを喜ばしてるんだけど、
それって、別にアイドルだけがそうであるわけじゃないよな。
って。
アイドルはその図式が顕著に現れるけど、私たちだってそうなんだろうな、って思ったんです。
自分の人生を引き受けて生きることを選択し、その生き方を粛々としていけば、それはいつか何らかの形で「誰かに喜びをもたらす」ことにつながっていくんだろう、と思ったんです。
自分が「世界の主人公」であることを引き受けるかどうか、
自分の人生を引き受けるかどうか、
を、決めるのは自分しかないですもんね。
「お役目」とか「お仕事」とかを、ことさら求めたわけではないけれど、(お仕事の大小は関係なく)それを提示されたというのなら、ちゃんと引き受けて生きる方が潔いよな、と、昨日ようやく思いました。
多分、私は「母親」としてのお役目は、引き受けてきたんだと思います。
決して「素敵なお母さん」ではないけれど、引き受けてるんだとハッキリ思えます。
それと同じような心境になれるようになって行こうと思います。

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