1月2日の夜。
もう寝ようと思ってたのに、なに気にテレビのチャンネルを変えたら、教育テレビでハーバード大学のサンデル教授の講義が映っており、つい見てしまいました。
というのも、テーマが「Justice」だったからです。
眠くなったので、途中で見るのをやめたけど、とても興味深かったです。
政治哲学なんて、ちょっと敬遠したくなる類(←頭がついていかない気がするからね。)のものなのに、さすが有名な教授の講義は違いますね。
もちろん、ちゃんと頭を働かせないと理解する前にす~~~っと進んでしまいそうなのですが、全く頭がついていかないというわけでもないです。
教授の力量ってやつですね。
それに学生さんたちも頭良さそう。さすがですな。
そしたら、3日の中日新聞にサンデル教授のインタビュー記事が載っていて、昨日の今日でゴリ押しされてる気分になりました。
そんなわけで、お正月から「正義」というものを目の前につきつけられたのです。
そうなんです。
どうも昔から「正義」とか、それを語るために必要となる「善」というものに対して、もにょもにょしたものを抱えてしまうのです。
そんな昨日、本屋に行ったら、こんな本が平積みになってました。
ドレの失楽園 (2010/11/12) ミルトン |
ドレの挿絵だしー。
タミエルは堕天使だったからね、やっぱりルシフェルが主人公の物語って惹かれるですよ。
それに、まったくの翻訳じゃないところも、なんだか読みやすそうだったんですもん。
つい買ってしまいました。
と。
なんだか、いろんな理由がぽこぽこと浮かんで、それこそ浮かれたように買ってしまったわけですが、
買ってから「あ。」と思ったのです。
んなもん、「善」とか「正義」とかってことが話の芯になっとるに決まってるやん……。
でもって、天界の戦争話やったわ…。失楽園って。
って。
あーあ。
なんでかなー。
確かに面白そうなんだけど、わざわざそーゆーを読むことになるんかなー。
そしたら、ゆうべはあんな夢見ちゃうし。
「正義」という概念を扱うと、どうしても「戦う」という選択肢が出てくるんだよなー。
そこらへんもすごくもにょもにょしてしまうのです。私は。
でもって。
いつもチェックしてるシータヒーリングのヒーラーさんのブログに、こんな記事がひょっこりアップされちゃうし。
http://celestie.blog23.fc2.com/blog-entry-932.html
で。
さっき読み終えました。
……と、ここで、何かを書くべきなんでしょうが、まだ言葉にならないので、これにてドロン。