ちょっと前にこの記事を読みまして。
http://fineengel.blog10.fc2.com/blog-entry-380.html
なんとなく分かるなー、という気持ちと、それだけじゃないんじゃないかなー、という気持ちと、まぜまぜになりました。
「依存」と「信仰」は違うよな~、とか「依存」と「お任せ」は違うよな~、とかってのもあるけど、それはさておき。
「依存」と「自立」。
多分、何かに誰かに依存するという状態よりは、自立してた方が良いんだろうなぁ。
おおざっぱに言えばね、そういうことになってると思います。
しかし、この記事を読んでて、そもそも「依存」とか「自立」って何だろう??って、ハタと考えさせられたのです。
赤ちゃんがお母さんに「生きるためのお世話」をすべて依存していても、それをダメ出しされることは無いわけです。
大人だって、自分の生命維持を「地球」や「太陽」に依存してるとも言えるし。
確かに依存「症」になるとアカンけどね。
分かりやすいところではアルコール依存症とか薬物依存症とか。
でもこうなると、「依存」と「自立」という話とはズレてくるのかもしれないです。
つまり。
宗教とかスピとかに「依存」している状態のままよりも個々が「自立」すべきなんじゃないか、という話ならば、それはアルコール依存症から離脱すべきという話じゃなくて、大人になったんだからそろそろ「自立」したらどうかしら?ということかな、と思ったわけです。
私は、スピとか宗教とかに「依存」しているという状態は、多かれ少なかれ「通る道」なのかなー、と思った、ということですね。
あ。
でも、スピとか宗教とかに「深くリンクする」のではなく……なんてゆーか、「型」に心を奪われてるだけという状態だと、それは端から見たら「依存症」みたいに見えるか~。
上記ブログ主さんからすると、そういう状態みたいに感じさせられる人が多いのかもしれんですね。
もちろん、「型」から入って「型」をガッチリ習得するというのも道のりの1つなんだと思うんですが、まだ「型」の世界にいるのにも関わらず、免許皆伝かのように振る舞うようになると厄介なんでしょうね。
いや、免許皆伝かのように振る舞うとまでは行かなくても、その「型」がさまざまなことに対する理解を深める手段として有効であればあるほど、その「型」にどこか知らず知らずに固執してしまって、「深くリンクする」ということがちょっと滞ることもあるのかもしれんですね。
と。
そんなことをつらつら思っていたら、さきほど「うお!」って思っちゃう記事を読みましてね。いろんな意味で。
「なにみえ」の遠足とか、クリロズへのアクセスとかを通じて、「上のヒト」という存在を認識するようになり、その「上のヒト」に関する物語がいろいろ出てきて……というのも、「型」だよなー、と思ったんです。
まぁ、だいたいはカルマの解消とか癒しのための「手段」となってるかなー、という感触がありますね。
いろんな人のそーゆーのをチラリチラリと目にしていると。
もちろん、私もそーゆー意味合いが強いと思ってます。自分自身。
でもって、その「上のヒト」と「その物語」は「自分の一部」だという感覚が強い人が多いだろうなー、とも思います。
人によっては、この「型」が非常に強力な手段となってるようにも見受けられますしね。
そーゆーの、いいと思います。単純に、ほんと。
……しかし、だからこそ。
強力な手段であればこそ、時には「あれ?あたし、大丈夫かしら?」って立ち止まってみる必要があるのかもしれないですね。
私の場合は、その「うお!」って記事を読んで、ちょっと立ち止まっちゃいました。
いや、だってね、自分のことをチェックするのって至難の業だけど、他人の姿見て「あれ?なんか変じゃない?」という部分から自分を省みることならなんとかできるもんね。
自分は、実はただ「型」をなぞっているだけなのか、
それもと、「深くリンク」していこうとしているのか。
それって全然違うんだけど、でも案外微妙なもんだよな、って気がしました。
自分を省みても。
多分ねー、何かに深くリンクするというのは、「自分に深くリンクする」ということになるんだと思うんだけどね。
そうなると、きっと「型」にこだわることも無くなるんだろうなぁ。
すべては、「ほんとうの自分」に還る道のり………なんだろうしさ。
というわけで。
じぇいど♪ボス、お誕生日おめでとうでござる。
子どもはさ、依存と反発(自立)を繰りかえしておおきくなるよね。大きな目で見れば、依存は繋がる行動だし自立は孤立の方向性も持っているなあと感じる。
だから今私が思うのは、どっちが正しいじゃなくて、寄ったり離れたりしながら成長していくこと、、それこそその揺らぎの中で感じて学んでいくプロセスそのものに気づいていくことじゃないかなと思うの。寄ったり離れたりのあいだで愛を深めたり、その愛もだんだん学ぶにつれ質をかえていくと思うのね。
アップダウンを含め「ああすべて良しなに」なっているんだなってこのごろ感じます。
> だから今私が思うのは、どっちが正しいじゃなくて、寄ったり離れたりしながら成長していくこと、、それこそその揺らぎの中で感じて学んでいくプロセスそのものに気づいていくことじゃないかなと思うの。寄ったり離れたりのあいだで愛を深めたり、その愛もだんだん学ぶにつれ質をかえていくと思うのね。
ああ、そうだねーー。
学ぶにつれ質を変えていく、んだよね~。
そこ、大事な認識だなー、と思った。うん。
だから、良いとか悪いとかだけで言えないんだよね。きっと。