もっと自分が他の「反応」ができていれば、全然違う結果になっただろうに、と思うし、
その時のことを思い返してみても、やっぱりその時にはその「反応」しかできなかったから、自分のダメダメな部分が強く出ちゃったせいで、人間関係が変わってしまった、というのも、悲しいけれど、それもちゃんと自分で受け止めないとねー、と思います。
んーー。
高校生の時のこととか思い出して、ひーーーー[emoji:v-356]ってなったりしますわ。
今でも。
例の件もからんで、のりすけちゃんが私のために良かれと思ってやってくれたことに対して、私が怒っちゃうという大人げない反応をしてしまい、のりすけちゃんからはその後何も連絡がありません。
そりゃそうだよなぁー、と思います。
でも、のりちゃんはブログで自分がどんどん軽くなってって楽しいって書いているから、
ああ、そうかー。
のりちゃんは、スッキリしてるのかー。
と、思ったら、寂しいのは当然寂しいけど、
なんかね、すごくホッとしました。
ほんとに、心から良かった、って思いました。
春の頃、シエルさんとのりすけちゃんは、私も一緒に連れて行きたいんだよ、と言ってくれました。
だから、ヒーリングを受けたりもしましたが、
やはり私はついていけなかったんですね。
ツインだなんてまったく知らずに、私はのりすちゃんとなぜかすごく仲良くなって、なぜかお互いを大切に思うようになったけど、
それでも、彼女の「感覚」をスーっと分かるのは、私よりも、たとえばかめちゃんの方だよな、とか、
そういうことも感じていました。
やはり、私がどこか「重い」のかもしれません。
だから、のりちゃんはのりちゃんなりに、私にひっぱられてしまっていた部分もあるのかもしれないなー、と今さらながらに思います。
だったら、
私と違う道に進んで、どんどん軽くなって、どんどん自由になることは、必然だし、良いことなんだろうな、と、
彼女がブログで楽しいと書いているのを読んで、本当に心からそう思ったんです。
そいえば。
シエルさんが言ってました。
今年の2月で、私とのりちゃんのツインのコードは切れたって。
今までののりちゃんとの過去世の物語を振り返ってみても、
私をフォローするように、のりちゃんが辛い経験をしていることが何度かあるから、
コードが切れたことで、もう、のりちゃんの魂は真に自由に、楽しく生きていくことができるようになったのかもしれませんね。
強がって、こんなこと言ってるんじゃないし、
寂しいのは寂しいんだけど、
でも、ほんと、なんか、これでいいのかもね、って、素直に思ったんです。
寂しさはもちろん残っていても、
それでも、ある意味、すごく晴れやかな気持ちです。
なーんてことを、土曜日につらつらと思っていたら、
さっき、takakoさんのブログ
http://marialetter.blog22.fc2.com/blog-entry-136.html
を読んで、(あいかわらず辛口だけど!)なーんかね、
「それでいいんだよ。」
って、言われてるような気がしました。
でもって、りゅーらたんが日記にやっぱり「袂を分かつ」ということを書いてたし、showさんもちょっと似たようなテーマで日記書いてたし。
目指すところはみんなみんな一緒なんだろうけど、
やっぱり道のりはそれぞれ違うんだろうな、ってしみじみ思いました。
一時的に、まるで同じ道を歩いているように思える人がいても、
やっぱり違う道を歩いているんだ、ってことを忘れちゃいけないな、って、思いました。
家族でも、友人でも、恋人でも、師弟でも。
ソウルメイトでも、ツインソウルでも。
「自分の道」を歩くのは、自分一人。
守護霊さまとか、ハイヤーさんとかがぴったり寄り添ってくれているけれど、
歩くのは自分の足だもんね。
どんどん、地球の波動が上がってるー、とか、どんどん現実化のスピードが上がってるー、とか、
スピ系の人たちはよく言いますが、
それって、「自分の道」がどんどんクリアに見えてくるようになるということでもあるかもしれなくて、
だとしたら、それこそ「袂を分かつ」ということに直面することが増えるのかもしれないですね。
それは、「みかけ」のことだけど。
ほら。
コリオリの力って、「みかけの力」だけど、私たちにしたら、お風呂の栓を抜いたら、どーしたってなんかの「力」が直接働いて水がぐるぐる回ってるとしか見えないもんねー。
あれと一緒で、「みかけ」のことだと思うのです。
そういう「みかけ」のことって、他にもいろんなカタチで現れてきてるのかもしれんですね。