のりすけちゃんのこの記事
http://souhaite.blog105.fc2.com/blog-entry-252.html
に対して、いろんな人がいろんなことをそれぞれ感じたと思いますが、
じぇいど♪ボスがブログで自分の意見をあらためて書いてますね。
ただ、そのボスの記事へのコメントの中には、
(のりちゃんの記事を読んでるか読んでないかは知らないけど)のりちゃんの記事を「批判」とか「中傷」という言い方をしてる人がチラホラいたので、ちょっとだけショボンとなりました。
そりゃ、批判とか中傷と受け止められかねないとは思うんですよ。
んでもって、あれを批判・中傷と受け止めたら、そりゃ「せっかく、じぇいど♪さんたちはみんなのために頑張ってるのに!」って反応しちゃうだろうし、「中傷されて、大変でしたね。」と労いたくなるのも分かります。
でもね。
のりちゃんは、ボスたちを批判・中傷しようと記事を書いたんじゃなくて、自分が確信したことを「善意」からみんなに伝えたい!と行動した、ということと、
さらに、ボスもそれはちゃんと理解してる、ということを書いておきたいなー、と思いました。
そうなの。
ボスにちゃんと聞いたから、これはホント。
つまりね、ボスは別に「批判に対して反論してやるぜー!」って記事を書いた訳じゃなくて、このお題に対して、自分の意見をハッキリさせておいた、というだけなのですよ。
というわけで、これについては、非難やら中傷やらという次元の話じゃないということを念頭に置いてもらいまして。
それでもね、やっぱりスッキリしないままでした。
私はサイキッカーじゃないから自分では認識できないんだけど、シエルさんやのりちゃんが「危ないんだよ。」とでらために言ってるんじゃなく、やはり何か確信めいたビジョンを見てるなり声を聞いてるなりしていると思いたいし、
でも、ボスやさつきのひかりさんたちが道から外れているとか、「光の存在たちにそっぽ向かれた」ともも思いたくないですし、
どちらも、大変なこともいっぱいあるけど、いろんな人たちのために自分のできることを一生懸命やってる、と思うんです。
ただ、ボスたちは、なんちゅーか……、裏ではすごく大変なんだろうとは思うんですが、肩に力が入っていない感じを受けるのに比べて、
のりちゃんやシエルさんは、ちょっと「がんばって伝えなきゃ!誰も気づいて無いみたいだから、私たちが言わなきゃ!」という使命感というか責任感というか、そーゆーのが少し強くなってるように感じます。
なので、そういう部分が攻撃的だと受け止められ、批判・中傷だと思われてしまうのかな、と思います。
私も、ボスたちと、のりちゃんたちと、こんなに意見が違うのって、どういうことなんだろう?と、(前々からチラリとのりちゃんから聞いていたので)2カ月以上ああでもないこうでもないと考えたんですが、やっぱりどうしてもサイキッカーじゃない私には、自分なりのハッキリした事実確認ができないため、自分の意見を定めることができませんでした。
そりゃ、
「葛藤や恐怖を解決していないから、アストラルトラベルでネガティブなものを観る、体験する」
という一言で済んでしまうことなのかもしれないけど、
そうなると、なにかしら危険と思われるものを認識したのりちゃんたちが、そういう精神状態もしくは葛藤を抱えたままなんだ、という結論になってしまいます。
または、のりちゃんたちのビジョンを正しいとすると、ボスたちがいつからか徐々にズレてきてしまった、という解釈にすらなってしまう。
のりちゃんたちは、ちょっと頑張り過ぎじゃないかな、と感じたのは確かだけど、
でもね、私はサイキッカーじゃないからこそ、自分で見えないからこそ、のりちゃんもボスも、どっちもホントだと思いたいと、やっぱり思うんです。
どっちかだけを信じる、どっちかだけが正しい、んじゃなくて、どっちもホントを含んでいる、と思いたい、という気持ちがどうしても捨てられないのです。
と。
そんなことを考えていたら、ボスのブログのコメント欄に、興味深いコメントを見つけました。
http://plaza.rakuten.co.jp/californiajade/diary/201005310001/
「みつばち」さんのコメントです。
このコメントを読んで、さらにあれやこれや考えたんです。
今回ののりちゃんの問題提起って、
「アストラルトラベルは思ってるよりもアブナイものだから、ちょっとよくよく考えてみてよー。みんなー。」
ということになると思うんですよ。
すげーーーーはしょってますが。
で、それに対して、ボスは、
「自分の中に恐れを抱えたままのアストラルトラベルをしたら、そりゃいろんなネガティブな体験にもつながるだろう。
でも、やはりそういうことも理解した上で、トライしてくださいとしかこちらは言えない。」
と言ってるんだと思います。
これまた、すげーーーーはしょってますが。
この「問題提起」と「回答」。
なるほど、と思いますよね。
でもね。
もしかしたら問題の本質はもっと別のところにあるんじゃないか、と、「みつばち」さんのコメントを読んでいたら思ったんです。
私、Landのことはよく知らないんで、ちょっと横に置いておきますが、
クリロズみたいな場所は、他にもいろいろあるんですよね?
「浮島」とかよくみんなが言ってるけど。
△△という浮島が○~□次元にあります。
と、言われた場合、みなさんはどのようにそれらを捉えますか?
なんだか分からんけど、ココより高い次元のとある場所に、島のようなものが存在している
とイメージすると思うんです。
なにか固有のものが、固有の場所に存在する、というイメージ。
でも、もしかしたら、たとえば「クリロズ」という名前から「場」を探して、その「場」に行ってみたとしても、
そこが他の誰かが認知したのと全く同じ「場」であるかどうか、というのは、アヤシイのではないか、
……って、実は前々からうすうす思ってたんです。
根拠はありません。なんとなくです。
「大きな葛藤や恐怖を抱えたままのアストラルトラベルは、それに応じたものを経験する可能性が高い」
というのは、言い換えると「場」を選んでる、またはそれに応じた「場」に行かざるをえない、ということではないか。
そして、その「場」の数はトライする人の数だけあるのではないか。
てことは、たとえ主催者のボスでも、クリロズという「場」の「すべて」を認知できない、(とりあえず覚醒者でない凡夫なら)誰にもできないのではないか、と思ったわけです。
となると。
「みつばち」さんの言葉を借りれば、
『あの場所が、何かおかしいよ、致命的な事態になる前に対処したほうがいいよ。と言ってくれている』と、と捉えたとしても、
対処のしようがない
ということを示しているかもしれない、という考えが浮かびました。
さらに仮説を進めてみます。
たとえば、ボスやさつきのひかりさんが、「クリロズというのは、5000~5500オングストロームくらいの波長域にあるよ。緑~黄緑色だよ。」と認識しているとしても、
実は、いろんな人がアクセスすることによって、徐々に波長域が広がって、7000オングストロームの赤色までに拡大していたとしたら?
そして、もしも「場」というのものは一方通行ではなく、「人」と「場」に大きな相互作用があるとしたら?
ボスやさつきのひかりさんの上の人たちが、定期的にクリロズの「波動調整」みたいなことはやっているとは思うんですが、もしもなんらかの理由で拡大した部分までうまいこと手が回っていなかったら?
……って、あくまで仮定なんですけどね。
でもね。
なんかね。
たしかに遠足が終わった後から、なーんとなくアストラルトラベルの感想とかをコミュのトピとかに書かれてるのをぼや~っと読んでるうちにね、なーんか不思議な違和感を感じることがチラリチラリとあったのですよ。
だからほとんど読まなくなっちゃったんだけど。
なので、もしそうだと仮定したら、
葛藤がたくさんたくさん残ってる人がクリロズにアクセスするということは、緑~黄緑色の「場」ではなく、赤色の「場」に毎回触れることになり、「場」の赤色に知らず知らずに染まってしまうことになって、それが危険なことなんだよ、
ということが「アストラルトラベルは危険なんだよ。」の本態かもしれない、と思ったんです。
手が回らないなんて、そんなとこあるかーー?
と私自身思いたくもなりますが、どちらかだけを否定することなくいろいろ仮定してみると、こんなふうにもなる、という一例として読んでもらえるとありがたいです。
でもね。
それすら「問題の本質」ではないな、とだんだん思えてきたのです。
ここにもうひとつのキーワードを当てはめてみます。
「なにみえから、高次の存在たちは手をひいた」
ありえんだろー?と思いますよね。
私もありえんと思いたいです。
ていうか、そもそも高次の存在たちはどんな人たちをも見捨てるなんてことしないもんだと思うし。
でもね、シエルさんのエグいビジョンよりも私の中が混乱したのはこの言葉でした。
これって、肯定しても否定しても、どっちもキツい言葉なんです。
いえね。
どうでもいい人が騒いでるなら、「あー、そうなのねー。そーゆーところにいる人なんだねー。」でスルーしちゃうんですが、今回は私に限ってはそういうわけにはいかないので、思いつく限りあらゆる可能性を考えてみたいので、こうやってあーでもないこーでもないとやってるわけですが…。
肯定すればボスたちの波動がどっか低いよーってことになるし、否定するれば「のりちゃんたちの一部波長が荒い部分が、なにか変なものを引き寄せて、変なこと言われたんだよ。」ということになるし。
でもね。
どっちにせよ、どっちかだけがちょっと変だよと言い切るということは、もしかしたら「光に囚われてる」のかもしれない、とふと思えたんです。
つまり、もし、のりちゃんたちがそうやって確信するなにかビジョンなりチャネリングなりを得たとするなら、
それは、「どっちが光側の人間でしょうか?」という当てっこをするためなんじゃなくて、
「問題提起する側」も「される側」も、今まで当たり前だと思ってて意識に上ることすらなかった自分の「思い込み」を、この件で自分で見つけてみたらどうかしら?と、促されてるのかもしれない
な、と思ったんです。
実際、青い月の親方なんて、すぐにのりちゃんの「問題提起」からエッセンスを取り出して、すごくうまいこと自分の中に取り込んで生かしているんですよ。
あれは見事だなー、とホレボレしたですよ。
「上」では、もしかしたらすべてがうまいこと治まってるのかもしれない。
ただ、それを「下」で解釈する時に偏りができてしまってるだけかもしれない。
それは、波動が高いとか低いとかというより、もっと簡単にいえば「思い込み」というものなのかもしれない。
そして、私ものりちゃんもシエルさんもボスもさつきのひかりさんもそこのアナタも……、みんなみんなある意味どこか「光に囚われている」のかもしれない。
良かれと思って「中傷されて大変でしたね。」と労うのだってそうかもしれない。
しんどい思いして葛藤をがんがん手放してきたとか、さんざん浄化をしてきたとか、そういうことの次にくるのは、
「光に囚われている部分」を自分で見つけて、自分でなんとかしろ、ということなのかもしれないな、と思ったんです。
人間は、上でも地上でも、見たいものを見る。
ほんとーーーーに「見たい世界」を見てると思うんです。
私は、ね。
何かしらの「不調和」が自分の目の前に現れたら、やはり何かを問われているんだと思います。
特に今は「光に囚われているんじゃないか」という視点で。
私の場合は………
サイキッカーじゃないから分からない、(そういう面での)人の手助けができない、と思い込んでる部分とか、
答えを「誰かの中にある不調和」から見つけようとしてしまいがちだとか、
ちょっと考えてみただけでもなんかいろいろありますね。
お恥ずかしいですが。
あれやこれや考えてみて、今はこんな感じです。
結局は自分を省みることになる、という、まさに王道ですね。
私がこう言う記事に出会わないだけで、いろいろとあるんでしょうねー。
私が思うのは、アストラルトラベルして気持ちに潤いが出て、
現実に向かう勇気や知恵が持てるなら、妄想でも構わないんじゃないかな、と。
自分の感覚を信じていく事って、突き詰めたら自分を愛する事に繋がってる気がします。
> 私が思うのは、アストラルトラベルして気持ちに潤いが出て、
> 現実に向かう勇気や知恵が持てるなら、妄想でも構わないんじゃないかな、と。
> 自分の感覚を信じていく事って、突き詰めたら自分を愛する事に繋がってる気がします。
そうっすね。
大事なのは、現実にしっかり向かう気持ちだもんね。