信頼する、ということ。

昨日は、保育園の保護者懇談会もあり、そして小学校の特別支援クラスの保護者と校長先生との会合もありで、午後は忙しかったです。
保育園の方は、まったりとしていて、なんとも和んでおったのですが、
小学校の方は、やはりそういうわけにはいきませんでした。
いろいろあるよね。やっぱり。
でも、親がどういうふうに感じてるとか、考えているとかを、他の(支援クラスの)父兄と校長先生に伝えられる場を設けてもらえるというのは良いことだよなー、と思いました。
で。
その会合の中で、とある(キレイな!)お母さんが、ものすごくハッキリとご自分の意見をおっしゃっていました。
ええ、キツいこともね。
その意見の中に、支援クラス担当のとある先生のことは能力が低いし信頼できない、と、ものすごくぶっちゃけたことをハッキリ言われてました。
うおおおおおお!
このお母さん、美人さんで優しそうなのに、ハッキリ言うな~。
すごいな~~~。
と、のらりくらりな私はビックリしました。
だからと言って、彼女がハッキリ言うことは悪いことだと思いませんでした。
それがクレームではないってのは分かりましたもん。
(それに、親がハッキリ言えるって大切だと思うし。)
その先生って、主に息子ともう一人高学年の子の勉強を担当されてるんです。
なので、この2カ月ほどの間の先生と私との間のちょっとしたやりとりから、私も
「あー、この先生は、ちょっと頼りないなー。」
と、感じてましたから。
でもね。
彼女と校長先生とのやりとりをボケーっと見ながら、いろいろ思ったんです。
親としては、彼女の気持ちはすごーーーーく分かるんです。
そして、どんな親でも、自分の子どもの担当となる先生は、「先生能力」が高くて、性格もいい人がいい、って思うハズです。
けれど、そんな優秀な先生ばかりじゃないのも事実。
いろんな子ども、いろんな親がいるように、いろんな先生がいますからね。
そうは言っても、やっぱり子どもをよりよい環境に置いてやりたいと思う親心は絶対に否定されるものじゃないです。
(モンスターペアレントはアカンけどな!)
難しいことだよなー……と、思いつつ。
思いつつ、会社員時代のことをいろいろ思い出しました。
「あの上司は全然ダメやよねー。デキへん人やん。」
と、同僚と愚痴っていた私とかを。
デキる人はスゴい。
デキない人はダメ。
会社という「利益」を追求していく場においては、特に「デキない」ことは「悪」になりやすいよなー、と今さらながらに思います。
でも、そうだとしたら。
「デキない先生」をダメだと切り捨ててしまったら。
それって、知的障害のある自分たちの子どもたちも「デキない人」という見方をすることになるよな……と、思ったんです。
デキない人をダメだと切り捨てる社会を作っているのは私たちなのに、
効率主義で知的障害のある人に働く場所を与えない社会はダメだ言っているのも私たち。
じゃあ、「今の私」がすべきことは?
それは、多分、先生を信頼することだよな……。
と、やっぱりそう思いました。
私がダメだと思う先生は、
反社会的性格であることはもちろんですが、
なにより、息子をかわいがってくれないとアウトなんです。
あの子のあの笑顔を見ても、ちっともカワイイと思えなくて、ただいかに勉強を進めるか身辺自立を確立させるかばかりを見ている人だったら、アウトです。
「子どもってムカつくことも多いけど、でもカワイイんだよなー。」という心がその人に「先生」という職業を選択させたのであって欲しいのです。
それは、デキるデキないよりも、私にとっては一番重要なことなのです。
担当の先生は、確かにものすごく不器用そうな人ですが、息子の笑顔をカワイイと思ってくれてるとは思うので、
息子との時間の中から、何かを先生も見つけてくれたらいいなー、と思っています。
私が「信頼する」というのは、そういうことです。
てなことを、ぼけーと考えていたら、校長先生が私の方を見て、
「(○○先生は信頼できないという発言を聞いていたら)あまりいい気持ちはしないですよね?」
と、気をつかって話をふってきたので、
ぼけーっと考えていたことをつらつら話させてもらいました。
そしたらね。
今朝、あの美人のお母さんからお手紙をもらいました。
私の言葉に、何かちょっと感じたことがあったようです。
メアドもいただきました。
愛情深くて、子どものためにハッキリと意見がいえる彼女は立派だとほんとうに思います。
そして、違う考え方に対しても何かを感じ取れる感受性を持ち、それを伝える行動力があるのも素晴らしいと思います。
私の方こそ見習わなアカンがねーーー!

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