この「宇宙」のさらに向こう

以前、ブログかmixiの日記か、その両方か忘れたけど、書いた覚えはあります。
子どもの頃、小学校高学年くらいか中学校前半くらいか……それくらいだったような気がするんですが、
オカンが持ってた高橋信次さんの「原説・般若心経」って本の最初の10ページくらいを何気に読んでみたら、
「ああ、ここに書いてあることって、私、知ってる。」
って思って、それで読むのをやめたんです。
でも、大人になってから本屋で同じ本を見かけて、その時のことを思い出し再び読んでみたんですが、私が何を知ってると、そんなに深く感じたのかが、その記述からはさっぱり分かりませんでした。
そうなのです。
すごく深く、確信よりも深く、そう感じたのです。
あの時。
でも、今の私にはさっぱりわかりません。
ただ、その時に頭にあった物語はかすかに覚えています。
この「宇宙」はある女性の想いの反映であり、その女性が意図したようにデザインされている。
そんな感じの物語でした。
私は5年生の頃から2年間ほど、プロテスタントの教会の日曜学校に通ってたんですが、
その物語に対して、
「(聖書でいうところの)神様も『この宇宙』が生まれたのと同時に生まれたんだな~。」
と、なぜか思ったんです。
聖書で記述されているように神が宇宙を作ったんじゃない、となぜか思ったんです。
神様が作ったけど、神様が作ったんじゃない。
このあたりの感覚をうまく表現できなくて、「同時に生まれた」という言葉になったんだと思うんですが。
とにかく、そんなふうに思ったのです。
……いや、今でもうまく表現できないな。
と、いうことを、3日ほど前にふいに思い出したんですが、
そしたら、某さんの今日の日記にもちょっと似たようなハナシが載っていて、
「ありゃ。」と、不思議な気分になりました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です