美人顔に対する羨望というかなんというか。

母方の祖母は、当然ながら私が認識し始めた頃にはすでに「おばあちゃん」になっていたのですが、それでも昔は美人さんやったんやろうなー、と分かる感じの人やったし、
母方の叔母はほんとに美人で、おっぱいもバボーンとデカい人やったし、
親父さんも若いころはハンサムさんの部類に入ってたな、って人やったのに、
オカンはちょいとぶちゃいくなのです。
(親父さんは『ちょとブー好き』やったらしい。この傾向は弟2号に受け継がれている模様。ちなみにオカン以外は現在みんなあの世の住人。)
んで、私もびみょーにオカンのテイストをもらっていて、いいパーツももらっているけれど、なんかそれらが100%魅力を発揮できずに、どっちかっていうと台無しちっくになってしまっとるのです。(遺伝子ってスゴいなー、とほんとに思う。まさに組み合わせによる創造なんだよねぇ。)
でね。
40代で死んだ美人の叔母は、未婚のまま近くに住んでたんで、うちらをよく可愛がってくれてたのですよ。
そんな美人さんを生まれた時からしょっちゅー見てたから、自分が年頃になって、「……あれ?」って気づいてからは、人間は外見やないぞ中身やぞ、と分かってはいても、やっぱり叔母みたいな美人顔に生まれてたら良かったのにーーーー、って思うことが多かったです。どしてもね。
それでも、いつしかうら若き乙女の時代も過ぎて、出産して育児なんぞに勤しんでいると、自分の顔のことはそんなに気にならなくなり、このままおばちゃん→おばあちゃんになってくんかなー?と、なーんとなく思うようになってたんですよ。
気は楽だよね。ある意味。
けれども。
そうは問屋が卸さなかった。
シワやたるみにある時ハッ!と気づいて、なんとかせにゃ~~、いつどこで松潤とバッタリ会うかもしれへんのやで~、と(非常にバカバカしいことを)思い始めてからは、またあの「あーあ、もっとオバチャンみたいな美人顔に生まれてたら良かったのにー。」がムクムクと湧いて出てきたのです。
……こりゃ自分で思ってたより根深いなぁ。やれやれ。

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