【mixiより転記 12月21日】
父親が肺ガンで死ぬ1カ月くらい前から、ずーっと
「お父さんは元気になる。まだ死なない。」
と、信じていました。
医学的根拠も何もないけど、でも信じていました。
何か拠り所がありつつ「信じる」というのは簡単です。
でも、何も根拠となるものがない状態で、それでも腹の底から「信じる」ことが大切だ、ということを、あの時にも教えてもらいました。
もちろん、父親の魂が決定することですから、私が信じているから病気が治るというものではないのですが、それでも、そんな状況でも『信じる』ということがどういうことか、を教えられたのです。
結果的には、私が信じていても、父親は死にました。
でも、私は、結果が違っていても、あの学びは大きなものだった、と今でも思っています。
なぜなら、あれは父親の病気回復を信じるという形ではあったんですが、本当に信じたものは、「自分」だったからです。
だから、結果が違っていても、信じたことが間違いだったとは感じなかったばかりか、一種の達成感みたいなものまでをも感じたのです。
私の人生の課題の一つが「信じる」ということだと感じています。
特に「自分を信じる」ということです。
人生のいろんな場面で、「根拠もないのに、そうだと信じられる」ということは何度もありました。
なのに、不安でぐらぐらすることの方が多いのは、人間だから仕方がないと思っていました。
確かにそうなんだけど、でも違うよね。
今、また、私は「自分を信じる」という課題に向き合うことになりました。
たみえお母ちゃんは、どんどん健康になって、どんどん丈夫になって、どんどんニコニコになってます。
と、【腹の底から信じて】、念仏のように唱えます。
一陽来復。
冬至の今日から生まれ変わるのさ。