【mixiより転記】クリロズへ行く気にならなかった理由

【mixiより転記 12月3日】
同級生も次々とチャレンジしておるわけですが……。
実はですね。
クリロズがグランドオープンになってから特に、なんですが、その少し前からもどーにもモヤモヤして、とてもじゃないけどクリロズに行ってみる気になりませんでした。
アカデメイアも、正面玄関で圧力がかかるのが不思議で、そこだけはクリアしておきたい、という気持があったので続けて挑戦してみましたが、3度目の正直で正面玄関から入れたのに、そこからどこかに行こうという気になりませんでした。
なんでかなぁ…、とあれこれ考えてみても、いまいちピンときませんでした。
そしたら、今日、ふと思いました。
「私の『物語』じゃないからだ。」
って。
じぇいど♪さんや聖さんたちが見せてくれる世界に、参加させてもらっているんだけど、そこに参加させてもらっているからと言って、その「物語」に自分が入り込んじゃアカン、という自分の奥の方からのアラームだったんです。
じぇいど♪さんたちが提示してくれている世界を「夢物語」だと言っているわけではありません。
宇宙ステーションにみんなで行くことを集団催眠みたいに思っている人もいるだろうけど、もちろん私はそーゆー類のものだと思っているわけでもありません。
私は、ちゃんとそれは「在る」と感じています。
けれど、提示してもらった世界に囚われてしまってはいけない、と私の奥の方からクギを刺されたような気がしたのです。
つまり。
じぇいど♪さんの世界で、じぇいど♪さんが紡ぐ「物語」と手を繋がせてもらうことによって、私の世界が広がり、私の物語が広く深くなることは素晴らしいことだけれど、じぇいど♪さんの「物語」にただ入り込むだけにならないように、ということなんですね。
宇宙ステーションに行くことばかりに夢中になって、三次元の世界のことをおろそかにしないように、ってレベルの話じゃないです。
そんなのは当たり前なんでね。
「境界」って意味でもないです。
他の言葉が見つからないんで、やはり「物語」という言い方になっちゃうんですが、「他人の物語に生きるな」ってことなんです。
生きるということは、ただひとつの物語を紡ぐことなんだと思うんです。
ただひとつの、私だけの、あなただけの「物語」なのだから、それは「神話」なんですね。
(そして、その「神話」が、誰かの「神話」と手を繋いで、どんどん手を繋いで……神様が語る大いなる物語となっているのが宇宙の姿なんだと思うんです。)
というわけで。
私は、『私の神話』を紡いでいるのだ、ということを、しっかり再認識してからじゃないと、次のステップ(アカデメイアやクリロズでいろいろ体験を重ねる)に行っちゃいけなかった、というわけだったようです。

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