1月21日の夜から陣痛が来た……と、入院したのに陣痛がフェードアウトして以来、毎日10分間隔くらいの前駆陣痛があり、「いつ病院に行けばいいんやろ?」と悩ましく感じていましたが、出産予定日の2月5日の夜9時くらいから『それらしい』痛みが続きました。
またフェードアウトしたならしたでいいや、という感じで病院に行きました。
内診の結果、赤ちゃんが少し旋回し始めている、とのことでした。
もともと赤ちゃんの頭がかーなーり下がっていましたし、子宮口も3cmほど開いていましたから、陣痛さえついてくれればすぐに生まれるだろうな、と思ってはいましたが、朝の5時までは前駆陣痛と同じくらいの『我慢できる痛み』がちょこちょことあり、眠れませんでしたが、また陣痛が消えちゃいそうでイヤだなぁ、という感じでした。
が。
赤ちゃんが俄然やる気を出したようで、朝の5時過ぎから痛みが増してきました。
「おおお。これは陣痛が進みそうだわ~。」と、一人痛みを我慢しながらも喜んでおりました。
部屋にはお父ちゃんとアキオと付き添いのチアキちゃん(友人)がいたのですが、みんな眠っていたので、『一人』で痛みを我慢していた、というわけです。
一人で小声でうんうん唸りながらも嬉しい……というのは、変なもんだなぁ、と自分でも感じていましたが、やはり今回の妊娠では身体がしんどかったのと、毎日の前駆陣痛で気持ちが落ち着かなかったので、「もう早く赤ちゃんの顔が見たーーい。」と結構強烈に思っていたので、痛みが嬉しく感じたのでした。
痛みが嬉しいなんて、人生の中で滅多にないことですから、本当に不思議な感じでした。
そのうち痛みがかなり増してきたので、お父ちゃんを起こしました。
まだ3分間隔だね~、なんて話してるくらい陣痛の合間には余裕があったのですが、突然強い『いきみ』が来ました。
驚きました。
たまらずお父ちゃんにナースコールをしてもらいました。
このあたりから『痛みが嬉しい』という気持ちはどこか遠くに行ってしまいました。
痛い。
とにかく痛い。
ああ、そうだった。
アキオの時もこんな感じだったっけ。
できれば逃げ出したいくらいの激痛だったんだっけ。
うわーーー。
痛いよ~~~~。
と、和室の分娩室に入ってからの痛みは本格的な強いものになりました。
でも、なぜか3分間隔だった陣痛が、痛みが増しているのにも関わらず5分間隔に伸びていました。
これではいつ生まれるか分からん、と少し気が遠くなりそうになりました。
この痛みにまだまだ耐えなければならないわけですからね。
痛みのたびにお父ちゃんの手をぎゅーーっと握ったり、途中からは抱き枕の端っこを口にくわえてぎゅーーーっと噛みながら耐えました。
口に何かをくわえてぎゅーっと噛むと少しばかり痛みに耐えやすい、ということを身をもって知りました。
強い痛みにとてもじゃないけど冷静ではいられませんでしたが、それでも人間って不思議なもんですね。
頭の一部では「ああ、そういえば昔飼ってた猫も出産の時にダンボールの端っこを噛んでボロボロにしてたよなぁ…。やっぱりこーゆーのって自然な動きなのかなぁ。」なんて思ったりしてました。
そのうえ、陣痛のたびに助産婦さんが肛門の辺りを押してくれてたのも非常に身体には『いい感じ』でした。
腰をさすってくれたのも本当にありがたかったです。
痛みの中にあっても、身体の各部の感覚をしっかり感じることができるんですから、人間の身体ってすごいものです。
アキオの時は、助産婦さんにこのようにはしてもらっていないので、ただただ痛みといきみ感に耐えるだけでしたが、今回は短い時間の間にいろいろ感じる陣痛となりました。
そうなのです。
結果的には『短い時間』だったのです。本格的な痛みに耐えていたのは。
正味、1時間くらいですかね。
そうなんです。
5分間隔だったのに、これまた突然ものすごーーーい強い『いきみ』がやってきたのです。
大声で「いきみたーーーーい!」と叫びました。
多分、いきみを逃して、と言われるんだろうな、と思いつつも叫ばずにはいられませんでした。
すると、予想外にも助産婦さんからは「自然な流れだから、いきんでいいですよ。」と言われました。
なんですと?
まだ間隔が短くなっていないのに、いきんでいいですと?
と、思った途端、身体が反応しまして、思いっきり声を出しながらいきみました。
すると、『ぼん!』という音がしたかと思うと、下半身から生温かいものを感じました。
破水です。
アキオの時は最後の最後まで破水しなかったので、お医者さんにチョンと切ってもらったのですが、今回はこんな形での破水となりました。
しかし、本当に水風船が割れるような音がするんだ~、と痛みの中でも妙に感動しました。
と、こんな具合に破水したと思ったら、一気にお産が進みまして、突如1分間隔になりました。
もう、いきまずにはいられない状態に突入です。
それまでも大声で「痛い痛い。」と言い続けてましたが、ここからは更にスゴい声になっていきました。
獣のような声です。
こんな声、出したことないぞ、ってな感じの声です。
私の野生の声、といったところでしょうか。
産院によっては、大声を出すと怒られるところもあるらしいんですが、吉村医院はもちろんそんなことはありません。
それでも、声を出しつつも、やはり頭の一部分では「こんなに奇声を上げてもいいんかしら?」と若干心配になったりもしてました。
それくらいの『声』だったのです。
破水後、2回いきんだところで股の間に赤ちゃんの頭が『やってきた!』という感覚がありました。
「は……挟まってる。」
波がひいた時に、この不思議な違和感にドキドキしてしまいました。
どうしよう。挟まってるよ……。
別にどうしようもこうしようもないんですが、アキオの時にはこんな感覚はなかったので、非常にドキドキしてしまいました。
だって、頭が出かかってるところで小休止ですよ。
変なんてもんじゃないです。感覚的に。
でも、するっと奥に戻ってしまいました。赤ちゃんの頭が。
違和感はなくなりましたが、せっかく出かかった赤ちゃんが戻っちゃった~~、とこれまた違ったドキドキを覚えました。
どうしよう。戻っちゃったよ……。
だから、別にどうしようもこうしようもないんですがねぇ。
そしてすぐにやってきた次の波で再び奇声を上げながら思いっきりいきむと、戻ってしまった赤ちゃんの頭が降りてきました。
またまた挟まってる感バリバリです。
「赤ちゃんの頭が見えてますよ!レモン大くらい。」と、助産婦さんが教えてくれました。
今度は戻りませんでした。
ですから、ずーっと挟まってる感じが続いていたわけです。
本当に変な感覚でした。
当たり前ですが、普段では感じることのない感覚ですから、変な感じ妙な感じオカシな感じ……としか言えません。
次のいきみでは『レモン大』から『オレンジ大』になり、助産婦さんから「次のいきみで生まれますよ。」と言われ、本当にすごい声を出しながら思いっきり思いっきりいきみました。
ああ、生まれた……。
と、思いました。
だって、ぬるっとした感覚と共に、あの強烈だった痛みといきみ感がスーっと消えてしまったんですから。
吉村医院では、生まれた赤ちゃんをそのまますぐにお母さんの胸の上に抱かせてくれましす。
臍の緒もついたままです。
本当に生まれてすぐそのまま胸に抱くので、私の肩に赤ちゃんが羊水をゲロっと吐きました。それもなんだか嬉しくなりました。
胎盤も引っ張って出したりしません。
もう力がほとんど入らなかったけど、胎盤も『産みました』。
赤ちゃんも狭い産道をぐるりと旋回しながら頑張って降りてきてるので、とても疲れているはずです。
初めての対面で私は「よく頑張ったねぇ。お疲れさまやったねぇ。」と我が子に言いました。
多分、私より大変な思いをしてるはずなので。
少しの間、我が子を胸に抱きながらも、気になってることがありました。
性別です。
多分男の子だろうとは思っていましたが、ハッキリとおちんちんを見たわけではなかったので、確信はありませんでした。
それまでも何やかんやと「予想外だ!」っていう出来事が続いてたので、ここでドカーンとものすごい予想外な展開になっちゃったら笑っちゃうよなぁ~、なんて実はお父ちゃんには内緒でこっそり思ってました。
「そろそろ赤ちゃんの性別を確認しましょうか。」と、助産婦さんが言いました。
赤ちゃんを抱き上げてくれたので、お股のところを見てみました。
最初は臍の緒が邪魔で分からなかったのですが、助産婦さんが臍の緒をどけてくれたところ………。
無い。
アキオにはあったカワイイおちんちんが、無い。
どう見ても無い。
お父ちゃんは一瞬頭が真っ白になったそうです。
女の子の名前を速攻で考えなければならなくなったからです。
私もとても妙な感覚を覚えました。
自分が女の子の母親になったなんて……。
私は女の子は授からないもんだ、と何故だか強く思い込んでいたのです。
(というか、とても若い頃、お好み焼き屋の2階でやってた占い師のオヤジさんに「あんたは男の子を2人産むね。」と言われたので、なんとなくそんなもんなんだ、と思い込んでおった模様。)
女の子かぁ……。
ああ、本当に不思議だ。不思議だ不思議だ。
さて。
このような出産を、実はアキオは立ち会って見ておりました。
もちろん、私はアキオのことを気にかける余裕はありませんでしたが、チアキちゃんがいてくれてるので安心して出産に全力を傾けていました。
産後のうっとりタイムになり、息子を呼んでみましたが、ちっとも私に近づこうとしません。
「こわい。」と言うのです。
そりゃそうだ。
お母ちゃんがオカシクなってたんだもんね。
尋常じゃなかったもんね。
怖いよなぁ。そんな状況って。
結局、息子が私に近づいてきたのは産後1時間くらい経ってからでした。
お腹にかけてもらっていたタオルケットを持ち上げながら私のお腹を見て、「ないねぇー。」と言いました。
お腹がへっこんでる、という意味のようでした。
ここから息子の試練が始まった、と言えます。
その2日後から息子は夜になると高熱を出し、お父ちゃんがヘロヘロになりながら面倒を見る日々が続きました。
そして、癇の虫もいっぱいいっぱい出てきました。
それだけ小さい妹の存在を受け入れるまでの葛藤が大きかったのでしょう。
息子も大変。お父ちゃんも(お世話にゃんきてくれてたおばあちゃんも)大変。
立ち会わせて良かったのか悪かったのか、どうだったのかなぁ…、とチラっと思っていた時、娘を取り上げてくれた助産婦さんが教えてくれました。
アキオは娘が生まれるところを私の頭の方向から座ってじっと見ていたんだそうです。
吉村医院では、たくさんのお兄ちゃんお姉ちゃんが出産に立ち合うのですが、逃げ出す子もいるんだそうです。
そういう子にはやはり無理はさせない方が良いそうです。
また反対に、立ち会いをせずに、いきなりお母さんが赤ちゃんを抱っこしている姿を見ることになって、ものすごい拒絶反応を示す子もいるそうです。
子供によって反応はさまざまなので、どうすれば良いかの判断は難しいですが、アキオの場合は怖いながらもじーーっと母親の出産を見ていたというこのなので、きっとそれで良かったと思うよ、と助産婦さんから言われ、ホッとしました。
実際のところ、本当にそれで良かったのかどうかは分かりませんが、今ではユリコが泣くとすっ飛んで行くくらいのお兄ちゃんになっているので、私もきっとそれで良かったんだと思っています。
ちなみに。
ウチにある『あくびちゃん』のぬいぐるみを、アキオは「ちーこ(ユリコ)。」と呼ぶ時があります。
その『あくびちゃん』をアキオの洋服の中に入れて、妊婦さんみたいにしてあげると、「いたい。いたい。」と言いながらジタバタします。
私の出産の時の真似をするのです。
息子のユーモアにはまいっちゃいます。ほんと。
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アキオ出産の時よりも、激痛に耐える時間が短かったのと、やはり吉村先生の言うとおりに身体を動かしていたおかげだと思うのですが、産後もかなり楽でした。
産後は脳内物質の塩梅により、覚醒状態というかテンションが高い状態になるそうなんですが、アキオの時よりもテンションが高かったようです。
後日、オカンがそう言ってました。(当日の午後にお見舞いに来てくれたのでした。)
本人はそんなつもりは無かったのですが、自然なお産で安産だとああなっちゃうのでしょう。
『自然なお産』って、どんなものだと思いますか?
医療介入をほとんどしないお産、と言えばそのとおりなのでしょうが、単純にそれだけではないと、吉村医院で出産してみて感じました。
アキオを産んだ産院も良いところでした。
助産婦さんたちも親切でした。
カンガルーケアもさせてもらいました。とても幸せな時間でした。
もしもあのまま名古屋に住んでいたら、またあの産院で産んでいたでしょう。
でも、何かが違う、と吉村医院での出産後に感じました。
明るい分娩台で産むことと、暗い和室で自由な姿勢で産むことの違いが、そんなに大きいものだとは実は思っていませんでした。
『カンガルーケア』にしても、生まれた直後から、臍の緒がついたまま抱かせてもらえるのと、さまざまな『処置』の後に抱かせてもらえるのとでは、大きく違うもののように感じました。
ひとつひとつのことが少しずつ違っていて、その違いの積み重ねが実はとても大きな違いだと感じたのです。
アキオ出産の時も、私はありがたいことに安産だったので、医療行為といえばギリギリまで破れなかった羊膜をチョンと切ってもらったのと、会陰切開とその縫合だけでした。
ですから、たいした医療介入だとは思っていませんでした。(会陰切開も部分麻酔のおかげで痛くなかったので、たいしたことではないという感覚でした。)
しかし、今回はそれらもありません。
膜は自力でボン!と破いたようなもんだし、会陰も最後のところで『ふわっ』と伸びたんだそうです。
これは後から(研修中の)助産婦さんから聞きました。
「ああ、伸びきらずに少し裂けちゃうかな?と思った瞬間に、『ふわっ』と伸びたんですよ。ビックリしました。」と。
その話を聞いて、私もビックリしました。
確かにその瞬間、お父ちゃんに「赤ちゃんの頭が挟まって苦しがってるよ!力を抜いて。」と言われ、『頑張って』力を抜いたのです。
助産婦さんに「力を抜いて。」と言われても抜けなかったのですが、赤ちゃんが苦しがってるよと言われたら、なんとかして力を抜かなきゃ、と思ったのです。
だから、力を抜くために『頑張って』大きく息を吐きました。
『ふわっ』と伸びたのは、その時だったんだろうとは思います。
でも、息を吐いたから余計な力が抜けて会陰が伸びた、というだけではないものを、その話を聞いた瞬間に感じたのです。
システマティックというか、こうしたらこうなってこうなる……という物理的な因果律だけではない、なにか神聖な力を感じたのです。
宇宙の力で産みなさい。
出産前の検診の時、吉村先生はそう言いました。
宇宙とは、自然そのものであり、神であり、摂理であり、そして愛です。光です。
出産時にはそんなことを考えてる余裕もありませんでしたし、神聖さをことさら感じるような出産でもありませんでした。
けれど、その時は気がつかなかったけれど、私は『娘を産んだ』のではなく、『産ませてもらった』んですね。
宇宙の力があってこそ、私は産ませてもらえたのです。
普通の産院では、お医者さんに都合の良いシステムの中でのお産となります。
私はそれを否定するつもりはありませんが、やはりそこには何かが見えなくなってしまっていると思いました。
母体のため、赤ちゃんのため……と、必要以上に先回りし過ぎている部分も多いような気がするのです。
アキオの時も、もしかしたら私の会陰は最後の最後で『ふわっ』と伸びたのかもしれません。もちろん、反対に伸びずに裂けてたかもしれません。
けれども、アキオの時は先回りして切開されました。
助産婦さんの話を聞いてからそれを思い出してみると、大事な何かが隠れてしまったような、そんな気がしたのです。
伸びようが裂けようが、そのこと自体はちっとも問題ではないことは分かっています。
ただ、宇宙の力で産むのだということを知っている産婦人科医と、そうではない普通の産婦人科医とでは、『全て』が違ってくるんだな、ということが、このことから分かったような気がしたのです。
そしてその違いが、ひとつひとつの違いとなって現れているような気がしました。
当然、そこに集まるスタッフのみなさんの『質』も違ってきます。
本物は、違うよね。
お父ちゃんから自然農の川口先生のことをいろいろ教えてもらい、「本物は違うなぁ。」とよく感じましたが、吉村医院での出産は、まさに身をもってそれを感じました。
そうそう。
そんな『ちょっと違う産院』の、妊婦さんのやりたいように産ませてくれる吉村医院ですが、産後も私のわがままを1つ聞いてもらっちゃいました。
血抜きをしてもらった胎盤を3切れほど食べさせてもらったのです。
哺乳類のメスとしては、どうしても食べてみたかったのです。胎盤を。
どう見てもレバ刺しのような感じでした。
(私、レバーは苦手です。)
それが、食べてみたら馬刺しのようでした。醤油が欲しかったなぁ。
たった3切れほどでしたが、とても満足できました。哺乳類のメスとして。