少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
階前の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声
小4の時に担任の先生から何度も朗誦させられて覚えさせられたものです。クラス全員が。
『少年老い易く学成り難し/一寸の光陰軽んずべからず』
は小4でも意味が分かったのですが、
『未だ覚めず池塘春草の夢/階前の梧葉已に秋声』
って、意味が分かりませんでした。
てか、今でも意味は分かりません。調べたことないんで。
それでも、今でもスラスラ出てくるんですよね。
小学生向け斎藤メソッドのことを知った時、自分の経験を思い出しました。
意味もよく分からんけど、何度も朗誦するという実体験があったので、『母国語の向上のためには、名文といわれる迫力のある文章を暗誦・朗誦することが欠かせません。』という斎藤先生の言葉には「なるほど。」と素直に思いました。
ところで。
うちの旦那さんは典型的な理数系の頭を持っていて、私とは正反対です。
私は地学科出身ではありますが、数学物理が苦手なのです。
てか、物理は好きなんですが、なかなか手に負えなくて時間がかかってしまいます。
数学にいたっては、高校の数Ⅰまではなんとか「えっちらおっちら。」とついていけたのですが、基礎解析からお手上げになってしまいました。
大人になってからよーく分かったのですが、そもそも空間認識能力に大きな欠如がみられるのです。私ってば。
致命的です。
数学脳を育てようとしても、そもそもの部品が足らないので育たないわけです。
そんな私ですが、暗記科目は結構得意でした。
それは、数学が苦手だから暗記科目しか勝負できない、という意味ではなくて、自分の中にいろんな知識が入っていくことが単純に嬉しかったからなのです。
「そんなことを覚えて、何か役に立つの?」なんて思ったことありませんでした。
クエン酸回路を覚えたからって、実生活で何か役に立つわけないのは分かってるんですが、自分の引き出しが増えるような感覚がして、本当に単純に嬉しかったのです。
そして、ある瞬間に、それまで断片的に溜めていた知識が『大きな流れ』としてだーっと繋がることがあるんですね。
それって、まるで閃くように突然『見えて』くるんです。
そーゆー時って、授業中でも小躍りしたくなるんですよね。
ああっ。そうだったのか!って。
だから、わりと学校の授業というのは好きだったのです。
あ、でも、語学は得意ではないんですよね。
これも暗記科目なんだけど、なんだかダメなのです。
どうして語学はイマイチ好きになれないのか、そのへんは自分でもよく分からんのですが。
そんなわけで、すっかり忘れてしまったものばかりですが、一度は自分の中に入った知識です。
テレビを見てたり本を読んだり人と話しをしたり、何かの拍子に「あ、そういえば…。」と、ぼんやり思い出すことも多いのです。
そして、そこからいろんなことを考えたりできるようになっちゃうのですから、学生時代の勉強というのは、やはり無駄がないよなぁ~、と思います。
その点、旦那さんは暗記が得意じゃなかったからってんで、いろんな話しをしていても、「あれ?そんなことも知らないの?」とこっちがビックリすることがあったりします。
歴史のこととか、地理のこととか。
せっかく立派な数学脳を持っているんだから、ちゃんと暗記科目もしっかり勉強すれば良かったのに、勿体ないなぁ~、なんて私からすると感じたりしてしまいます。
さて。
ほぼ日の『おとなの小論文教室』を久々に覗いてみたら、こんなのがありました。
やっぱり、子どもの頃に学校でせっせと暗記するのって大切なんですな。