『してはいけないことから離れる』

数日前、旦那さんが言いました。
「あのね、川口さん(自然農の先生)がこーゆーふうに言ってるんだよ。」
これから大切なのは、『何かしないといけない』にかわる、『してはいけないことから離れる』という発想です。(『ハチドリのひとしずく』より。)
へぇー。なるほどー。
そう言えば、会社員時代は「○○のためには、何をしないといけないか。」ばっっっっかり考えてました。
それが正しいんだと、思ってました。
でもそれは違ってたのね……。
とまぁ、その時はそんなことを思っただけでした。
イマイチ、ピンと来てなかったのですね。
で、昨日の夜。
子どもの頃から私は布団に入ってバタンキューの人間……ではなくて、寝入るまでにアレコレ考えたり妄想したりクヨクヨしたり楽しかったことを反芻したりお祈りしながら丹光キラキラを喜んだり…と、布団の中では結構忙しいのです。
昨日の夜もウトウトしながらボンヤリとうっすらと考え事をしていました。
すると突然、以前ネットでやったオーラソーマのことを思い出しました。
「私の【魂のボトル】は『あらゆるレベルにおけるネガティブの解放』だったよなぁ…。」
ハッとしました。
思い出した瞬間、『してはいけないことから離れる』って、すごくすごく深い意味の言葉なんだ、って気がつきました。
というか、すこーんと肚に落ちたのです。
『何かしなくちゃ。』も業想念ならば、『してはいけないこと』も業想念なんですね。
自分の中のネガティブを解放していく、手放していく、離れていく……というのは、信仰の道の1つなのです。
信仰というのは、『それが確かだと確固と信じる心』のことです。
(『それ』が『自然』なのか『神』なのか何なのかは、その人の縁や立ち位置にも依りますから限定はできませんが。)
信仰が厚くなればなるほど、おそらく「何かしなくちゃ。」よりも、「手放す。」「離れる。」の方にどんどん近づいていくような気がします。
例えば、『豊かであること』の本当の意味がだんだん分かってきたら、身体を傷めながら自分がしがみついているものの『本当の価値』も分かってきますよね。
そしたら、「なーんだ。こんな思いしてしがみついてること、なかったやん。」って、パッと手放せるはずです。
本当の価値も分からずに、心身ともにしんどい思いをしつつそれにしがみついたまま、「身体の不具合を何とかしなきゃ。」って、お薬飲んでる……ってのが、私達の姿なんだろうなぁ、と思うのです。
今のままでは満足できないから「何かしなくては。」
今のままでは不安だから「何かしなくては。」
『安心立命』とは何かを本気で探そうとせずに、欲望や不安から走り回ってるだけでは、地球も汚れっぱなしになりますよね。
お金は大切なものだけど、お金だけでは『安心立命』は得られません。
そういう意味でも、信仰は大切なのです。
本気で探そうとしたら、入り口はそこしか無いからです。
自分が何を『それは確かだと確固と信じている』か、すぐに答えられますか?
ちなみに。
私は、昔からずーっと「ポジティブになろうよ。」という言葉を聞くと、どうしてかイヤな気分になってました。
根っからポジティブな人はそれでいいけれど、自分に限って言えば、それはただの能天気になるだけのような気がしてなりませんでした。
「そうか…。私は『ネガティブの解放』が魂のテーマだから、何でもかんでもポジティブシンキングというのに馴染めなかったんだなぁ。」と、気がつきました。
前向きにどんどん進もうとすると、私の場合は「何かしなきゃ。」っていう『頭で考えた業想念そのもの』しか出てこないってのを、魂はちゃんと『イヤな気持ちになる』という形で教えてくれてたんだなぁ、と分かったんです。
あらゆるレベルにおけるネガティブ(業想念)を解放していき、すっきりした時、きっと私は「何かしなきゃ。」(業想念)ではない、『本当のポジティブな想い』(神様から流れてくる自然な想い)のままに生きられるんでしょう。
まだまだ先は長いので、お祈りお祈り。
ちなみにちなみに。
オーラソーマリーディングの結果は以下だったのであります。
【魂のボトル】…あらゆるレベルにおけるネガティブの解放。
【課題のボトル】…内なる知識と内なる智恵「汝自身を知れ」の扉を開く。また目に見て対処できるように「白日の光」のもとにさらす。
【今とここのボトル】…ハイヤーセルフと自己とのコミュニケーション。
【未来のボトル】…自己の受容。
どれも非常に意味深く、納得せざるを得ない結果でありました。
守護霊さまからのメッセージとしか思えんかったよ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です