1週間前に、こんなツイートを目にして記事を読みました。
ADHDがある娘の弱点、実行機能のこと – マンガ蒲田家 https://t.co/43ivdZ9b4Z
— まうどん (@mauzoun) 2017年9月14日
そこから、このようなツイートを私はしました。
健常の人でも取り掛かるのが億劫でダラダラしてしまうってのはあるから、それの何十倍も威力があるやつが搭載されてしまってる、と思うと、そりゃ日常生活そのものが大変やろなぁ〜、と思う。
昨日の厚切りジェイソンさんのRTもそうだけど、
できる人にはできない人の気持ちは分からんと噛み付く人の気持ちも分かるし、それを言っちゃおしまいよ?というのも分かる。
ただ、脳の作りがそもそも違うというのもあって、普通にできると言われることが難しい人も少なくないと思う。
さっきのRTの子みたいに脳の特性としてやるべきと分かってても取り掛かるのが難しい特性があると、どうしたってそうではない人と比べて勉強する時間は少なくなるわけだし、彼女の場合は取り掛かるまでに既にエネルギーをかなり使ってしまうと思う。努力しなくてはならないことが多いと言える。
彼女の場合はADHDで…と診断されてるから「ああそうなのね。大変だね。」と(理解ある人からは)理解を示されるだろうけど、でも診断されないけどそういう特性が強めの人は単に怠け者だの努力不足だのと言われ、自己評価もどんどんそうなっていくんだろうな、と思った。
実際RTの女の子みたいな部分のある人に「そんなに文句や不安をグダグダ言い続けるなら1つでもやってみればいいやん!」とイライラさせられた経験があり、何か行動で示されないと努力してるとはこちらは思えない、というのがこちら側にはどうしてもあって、とうとう匙を投げてしまった事もある。
娘がディスレクシアだと気づくまでは、彼女がなかなか漢字をしっかり覚えられないことに対して努力不足だと思ってたし。ダウン症の息子を授かってるのに、私はどうしても自分を最低基準にして自分以外の人を評価するというのはちっとも変わっていなかったのだと娘を通して見せつけられた。
ものすごく傲慢だなぁ、と思う。
子供の頃からずっと私の周りには『私より圧倒的に頭がいい人』が何人もいたので、いつしか自分自身を最低基準として周囲を見てしまうようになったんだろうな、と思うが、でも圧倒的に頭のいい人をたくさん見てきたということ自体は恩恵だと思うし、私が傲慢であることと直接は関係ないのも分かってる。
私自身は足りてないと常に思ってはいるんだが、どうやら私はコツコツやるタイプらしくて、基本性能は良くないなりにそれなりの結果は出してきた…と思うと同時に、でもやっぱり自分は全方位的に能力不足だと強烈に思っている。
だから、己については中途半端感がいつも纏わりついている。
それが傲慢の素なのだろう。
そこにusamimiさんが
『才能は「生まれながらに備わっている得意さ」じゃなくて、「経験値を充分に積むことで後天的にアンロックされる」もの。』
とツイートしてるのを起き抜けに見て目が覚めた。
あー!もう!私ってめっちゃ傲慢やん!と恥ずかしくなった。
以前にこんな記事も書きましたが……
そしてこの後、気づいたんです。
14歳の時に、私は私自身に呪いをかけてしまった
ということに。
私は『私は備わっている能力が低い』という強すぎる思い込み…呪いをかけてしまっていたんだなぁ~と気づいたのでした。
実際、よくよく考えてみると、それまでは周囲の人間が私のことを「能力が低い」と評価したことはありませんでした。
もちろん、親は弟たちに比べて頭のデキはそんなに良くないな~、と内心思っていたかもしれませんが、親からも弟たちからも友達からも、そんな言葉を聞いたことがありませんでした。
そして、あの訳の分からない発作を初めて起こしたのは16歳の時でしたし、20歳になる直前から自律神経失調がヒドくなったのでした。
仕事も何故か自分に合わないところに勤めて、11年間ずっと自分の無能さを感じ続けていました。
「勉強好きなのにお姉ちゃんは(自分たちと比べて)頭悪くてかわいそうだね。」と、弟たちが言ってたよ、と大人になってからオカンから聞きたくもないのにたまに聞かされるようになりました。(←これはものすごく辛くて電話切ってから泣いてました。)
こうしてどんどん自分は能力が低いのだという認識を強めていくことになったのです……が、
もしかしたら、呪いのせいで「ダメな自分」を次々と作り出してたんじゃないのか?と、ふと思い、ゾッとしました。
呪いが先で、劣等感が後から構築されたんじゃないか、と。
客観的に自分自身の基本スペックを評価する、というのは決して悪いことではないと思うのですが、
私の場合は、「頭のデキは並(なので宇宙物理学者になるのは非常に困難)」という部分を、(勝手に周りと比べて)拡大解釈をして「全般的に基本性能が悪い」という自己評価にして自分に押し付け続けていたのでした。
評価結果を正しく使用していなかったんですね…。
呪い(間違った使用方法)をかけていたのです…。
と。
こんなことに気づいた翌日に、Whitelotusさんのアストラルリーディング・モニターセションを受けたのでした。
そして、まさかのいきなりの「呪いがありますね。そのせいで視野が狭くなってますね。」という言葉からセションが始まり、ひっくり返りそうになりました。
……でも、これって、間違いなく答え合わせだな、と思いました。
ですから、後日落ち着いたところで、この呪いと向き合ってみました。
マイティピュリフィアを使って。
すると、最終的に南京錠が解けて、扉が開きました。
扉の向こうは七色の光が密集してゴゴゴゴゴ~と渦巻いていて、その光がぱ~っとこちらに放射されてきました。
わぁ……すごい~…と、自分自身が閉じこめていたエネルギーの美しさや強さに驚きましたが、
……ただ、これで万事解消!というわけではないな、とも感じました。
自分にかけた呪いとコツコツと向き合っていこうと思います。
ちなみに。
アストラルリーディングのモニターセションでは様々なことをリーディングしてもらったのですが、
私の場合は、霊的成長のために掲げてる課題がどれだけの人を愛せるかチャレンジ!みたいな感じなんだそうです。簡単な言葉にすると。
普遍の愛に近づくだけでなく、私ならではの愛も深めていくことを目標としているらしいのです。
そしたらですね、
ディバインタイミング(…について分からない人は検索してね)にも、ロングスパンのものとしての子育て以外に、兆しとして『私ならではのエネルギー的なものを創る』というのものが観えるのだそうです。
この『私ならでは』というのがキーワードなのかな?と思いました。
自分自身を能力の低い人間なのだと思い込んでいた私が、私ならではの愛を深め、私ならではのものを創造する、ということをしようとしているなんて、パラドキシカルと言いますか何と言いますか……。
や、しかしですね、ほんとにですね、すごいタイミングだったと思います。
申し込んだのは8月の息子の誕生日の頃でしたから、もちろん自分自身に呪いをかけてたなんて知らなかったんですが、絶妙なタイミングで進んでいて見事だなぁ~…と、まるで他人事のように感心してしまいます。
あなたも、呪いを自分でかけてませんか~…?